最後の回廊



 4



 ただ静かにその音を噛みしめる。

 ヒトの業。

 確かにそうだろうと、納得している自分がいる。実際に見て、聞いて、味わったからこそその呼び方がしっくり来てしまう。


「ここは『敵』の本拠地なのです。最善よりも、最悪の場合を想定したほうが良いでしょう」


 先程の隔離計画で決意した可能性は最も希望のある可能性だ。

 ならば、もう一つ。

 想定しる中で最悪の可能性だって用意すべきなのだ。


「でも、なんだろう?」


 心理を測るなんて真似はサーバルには出来ない。ましてや今のかばんには今までの経験が通じないのだ。

 博士が顎に手を当てる。


「……、……きっと、かばんがその選択を悪だと考えていないことでしょう」

「?」

「つまり自分は正しくて、今ある世界が間違っている、という結論を出してる場合です。これだと説得は難しい。正義を掲げているヤツというのは、総じて頭が硬いやつばっかなのです」


 偏見ですけど、と博士は注釈をいれつつ、


「今までのことからかんがみるに、かばんは一貫して今の世界の在り方を歪んでいるという認識なのでしょう」

「うーん、歪んでるとか、よく分からないなぁ。ヒトだってやりたくてやってるわけじゃないと思うんだけど……」

「そのお人好しさは感心しますがそうも言ってられないのです」


 博士は資料を近くの機械に乗せる。その顔は依然として険しいままだ。


「かばんがそういうふうに考えている以上、どうにかして説得する必要があるのです。場合によっては戦うことにも考えられます。……しかし」

「……そう、だね。博士はここで待ってて」

「すまないのです。最後の最後で、一緒にいられなくて……」

「いいの! それよりここまで連れてきてありがとう、博士っ」


 分かっていたような口ぶりで話す。

 いや、分かっていた。

 今の博士に無理はさせられない。自分のためにボロボロになって、その状態でもここまで連れて、更には資料まで集めてくれていたのだ。

 休ませたかった、というのが本音だ。

 博士自身も、自分が戦力外なのは痛感している。

 だからこそ受け入れる。


「かばんをどう説得するか、もう決まってるのですか?」

「全然。でもわたし、難しいこと考えるのはあんまり得意じゃないからそういうのやってもダメだと思うの。だから、思ったことを言ってみるよ!」

「…………、そう、ですね。それが良いでしょう。おそらく、かばんは地下にいると思うのです。今まで下ってきましたが、最後に調べてないのはそこだけなのですよ」


 最初の一瞬だけ、博士の表情が変わった気がした。

 その優しげな微笑みは消えず、そのアドバイスを最後にもう何も言わなかった。

 ただ、立ち向かうけものに一言だけ。


「気をつけるのですよ」

「うん!」


 研究室の扉を潜り、サーバルの姿が見えなくなった。

 博士は壁に背中を付けて、全身から力を抜いて大きく息を吐く。

 そして、その姿勢のまま薄く笑った。


「盗み聞きとは趣味が悪いですね、ツチノコ?」

「…………気付いてたのか」


 研究室の影からその姿が現れる。

 どこにいたのだろうか。この部屋には隠れる場所などないはずなのだが。


「私は耳が良いのです。きっとサーバルも気付いてるのですよ」


 小さく舌打ちしたのが聞こえた。格好つかない状態になりバツが悪いのだろう。ブツブツと呟く言葉の中に、『クソっ』と悪態つくのが耳に届いた。

 だが、ツチノコは切り替えて眉間に皺を寄せる。


「……で、だ。何で言わなかった」

「……、」


 博士は答えない。ツチノコの声色が明らかに下がる。


「アイツが自分を正義の味方だと思っている? あぁ考えたくもないな。説得が面倒だ」


 嫌味っぽく笑うが、目が笑っていない。


「そう、面倒なだけなんだ。それは最悪じゃない。資料を全部読んだんだろ? オレも途中からだったが聞かせてもらった。オレの結論は、さっき言っていたものじゃない。オマエだって分かってるはずだ。……博士、もう一度聞くぞ」


 さっきの言葉よりも強く。

 確認よりも責めるという意味のほうが強調されている声色で。


「何で、言わなかった?」


 しばらく博士は黙ったままだった。

 ツチノコと目を合わせないまま、舌の上に言葉を乗せる。


「もし我々の考えが一致していて、それが正しいとします。?」

「……なに?」


 ツチノコと目が合った。

 どちらも、その目は鋭く。

 しかしてツチノコには怪訝と疑問の感情が浮かんでいた。


「それをサーバルに伝えれば、きっと、それを前提に動くでしょう。あれはそういう意味ではポンコツなのです。……だから、言わなかったのですよ」

「意味が分からんな。最悪の想定が出来て、それを言わない? 贔屓目ひいきめで見ても自殺行為だ」

「そうです。そうですが、仮にこれを言ってしまうと、本来取るはずだった行動や言うべきだった言葉を取れなくなってしまうのです」


 そこで、ツチノコは繋がった。

 最悪の場合を伝えない。

 最悪の場合を伝えたら、最高の結末ハッピーエンドにはたどり着かない。

 博士はそう考えていたのだ。


「きっと、サーバルはかばんの正義を真正面から壊そうとするでしょう。それで良いのです。あの二人は、その状態でぶつかるべきなのです。そして、そこに我々のような〝余計なやつ〟がいたらダメなのですよ」


 ツチノコは小さく、なるほどなと呟いた。

 博士は笑う。

 その、誰よりも先のことを考えられるおさは、ボロボロであってもその職務を全うするのだ。

 だからこそ、と博士は続けて言った。


「どうしてそこで、最善の策を崩すような真似をしなければならないのでしょうか」


 やれやれと手を上げて、首を軽く横に振る。

 完敗だ。

 きっと、博士はこの旅に同行した連中の誰よりもサーバルのことを理解している。だとすればツチノコが何を言っても蛇足だろう。


「分かったよ。じゃあオレも、最後にまともに励ましてやるか」

「……? 今から追いかけても間に合わないと思うのですが……」


 くくっ、とツチノコは笑いを押し殺していた。

 そして背中を向け、肩越しに口を三日月型に歪めたのだ。


「近道があるんだよ。オレみたいなヤツじゃないと分からない、近道がな」



 5



 サーバルは上下に動く箱の中にいた。かばんとの旅の途中で見つけ、確か、エレベーターという呼び方だったはずだ。ほとんどうろ覚えだったが、現在の階層より下のボタンを押せば間違いないだろうと判断した。

 因みに、サーバルの格好は元の毛皮に戻っている。エレベーターの中で着替えたのだ。

 先程まで着ていたものはリュックの中に押し込み、帽子は今までどおり首に回している。

 そして、甲高い機械音と共に、エレベーターの扉が開いた。

 次のフロアへの廊下、のようなものだろうか。長さはそれほどなく、足元に淡い蛍光だけが照らしている。

 進路の先に、誰かいた。

 シルエットだけだったが、見覚えがある。

 あの宣言を忘れたわけではない。今まで信じ、託してきた。

 その影は一歩前に出て、足元の明かりがその顔をぼんやりと照らす。


「よお。宣言通り、追い越してやったぞ」

「ツチノコ……」


 驚かない。いや、正確には『そこにいる』ということには驚いているが、『何故ここにいるのか』という部分では少したりとも動揺していない。


「……さて、アイツならこの奥だ。だがその手前にはセーバルが待ち構えている。もう分かってるだろ? この先でオマエが取る行動が、この世界の運命を決めるんだ」


 ──分かっている。

 この先にはもう博士も、支えてくれたみんなもいない。

 正真正銘、サーバルの選択で決まるのだ。


「オマエが戦いを拒んだら、かばんはこの世界の王になる。アイツを倒してこの戦いを終わらせたら、今度敵になるのはヒトだろうな」

「ヒトが……」


 ──分かっている。

 かばんはヒトに対し、絶対の力を振りかざしすぎた。

 その驚異は戦争が終わった後でも決して消えやしない。あのレポートの通り、ジャパリパークが大きな『壁』で覆われてしまう可能性だってあるだろう。


「……どうする?」


 恐らく、他のどのけものよりもヒトに近く、世界から最も遠い場所の存在から問いかけがあった。

 そのけものは肩をすくめる。


「まぁ、オレならとっくに諦めてただろうよ」


 あっけらかんとした感想だ。

 でも、ここにいる。

 とっくに諦めていたと言ったのに、同じ場所に存在している。

 何故か?

 答えは簡単だ。

 諦める以外の選択を、誰かに託しているからだ。

 その背中を押すために、ここに立っているからだ。

 だからこその言葉をかける。

 そう、つまり。


「……オマエは諦めなかった。だからここまで来れたんだろ?」

「うん。わたしはかばんちゃんを止めるためにここまで来た。もう、引き下がらないよ」

「知ってるよ。オマエの決意は固い。その優しさと決意は、きっとオマエを正しい方向へ導いてくれるはずだ。今までも、これからもな。オレだけじゃない、フレンズのヤツらはみんなオマエを応援してる」


 ツチノコは道を開けた。

 奥にあるのは扉が一つ。その奥に待つ存在は、もう言わなくても分かるだろう。

 フードを外すのが見えた。

 青い髪が、外気に触れたのを認識した。

 そのけものは、最後の最後で。

 無邪気に、今まで見たことのない顔で。

 笑って、言ったのだ。




「だから、頑張ってこいよ。サーバルキャット」




 諦められない理由が増えた。

 それを抱きしめて、進む。


 門を、くぐった。



 6



 ツチノコはその背中を見送っていた。

 やるべきことは、もうほとんど無い。

 もし、何かあるとすれば……。


「よし、それじゃあオレももう少し、本気を出してみるか」


 サーバルとは逆方向。

 踵を返して進んでいく。

 そのけものにも、立つべき戦場があるのだ。



 7



 門の先は、更に広い廊下があった。

 何本もの支柱が並び、鮮やかな色彩で出来た窓が左右対象で並んでいる。

 地下であるはずだから陽の光などない。しかし、その窓からは光が差し込んでいた。

 ただ進む。

 奥に、誰かいる。

 いや、もうそれが誰かなんて分かっている。

 自分と同じ大きな耳。

 自分と同じ短い尻尾。

 自分とは違う色のない毛皮。

 黒サーバル。

 こちらに気付いたのだろう。くるりとこちらに振り向き、その赤い目を爛々と輝かせながら笑っていた。


「来たんだね、サーバル。かばんちゃんはこの先だよ。……でも、行かせない。邪魔なんてさせないからね」


 どこか違和感を覚えた。

 その正体が、喋り方が流暢りゅうちょうであることだと気付くのに少し時間がかかった。


「セーバル……」

「もうお互いに、話すことなんてないよね? だって、どうせやることは同じだもん」

「そう、だね」


 そう、同じだ。

 ここで言葉を交わしても何も変わらない。

 サーバルは、かばんを止めるために先に進む。

 黒サーバルは、かばんの邪魔をさせないためにその進路を阻む。

 変わらない。

 黄色のけものと、黒い『けもの』が対峙する。


 ──叫べ。

 愚かでも、醜くても。

 正しさなんてものは関係ない。今更、善悪なんていうモノには縛られない。

 それは下劣なエゴだ。

 それは醜悪な欲望だ。


 

 求めて何が悪い。

 欲して何が悪い。

 大好きな人と一緒にいたいと、願い望んで何が悪い。


 胸を張れ。

 笑われても、糾弾されたとしても、決して諦めずに。

 理想の未来のために、その心を決意で満たせ。


「あなたを超える」

「貴女を倒す」


 ──答えは得た。

 ここから始まるのは醜いエゴとエゴのぶつかり合い。

 個人の、個人による、個人のための戦い。

 たとえその先に絶望が鎮座しても、彼女たちは止まらないだろう。

 コインの表と裏のように決して交わることのない二人のサーバル。

 やがて、けものと『けもの』は声を揃えて宣言する。




「「かばんちゃんを助けるために!!」」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る