サーバルキャット 前編



 8



 黒サーバルは、ただ黙って巨大な鉤爪を掲げた。

 港街でも披露した、あの野生解放のような絶大の威力を持つ一撃だ。

 何の遠慮も躊躇もない。

 ただ全力で、その腕を振った。

 壁を削り、空気を裂き、その切っ先がサーバルを捉える。

 ……だが、止まった。

 サーバルに直撃し、普通であればその威力に耐えきれず何メートルも吹き飛ぶはずなのに。

 黒サーバルは自分の目を疑う。

 サーバルが、いる。

 変わらず、そこに。

 だが、驚いたのはその先だ。


 黒サーバルの鉤爪を止めているのだ。しかも、たった腕一本で。


 ギチギチと腕を鳴らし、黒サーバルの巨腕を弾く。

 その全身は、虹色に輝いていた。



 9



 サーバルは今まで散々弱い弱いと言われてきた。

 聴覚。

 嗅覚。

 跳躍。

 俊敏。

 どれを取っても優秀であるサーバルは、環境次第ではヒグマすら翻弄できるはずだ。

 では、何故そこまで言われてきたのか。

 それは、単純に経験値の問題だろう。

 誰かを憎むことも、恨むこともしなかったサーバルは戦うことではなく対話をすることで解決してきた。狩りごっこ以外にフレンズ相手に競うこともなく、その爪を振るうことすら少なかった。

 だからこそ、他のフレンズが出来たのに出来なかったことがある。

 野生解放。

 動物本来の野生本能を解放することで、身体能力を飛躍させるフレンズ特有のもの。

 戦うことを選ばなかった彼女が手にできなかった他者を切り離す力。


 勝ちたい宿敵あいてがいた。

 超えたい自分あいてがいた。

 自分に似ていて、でも勝てないほどの力を持った者がいた。

 だから、思い出せ。

 サンドスターに刻み込まれた記録。保存された情報を。


 今、因縁さいきょう宿敵セルリアンを前に。

 サーバルは己の野生を解き放つ。



 10



 黒サーバルは肌で感じていた。

 ピリピリと焼くような、そんな威圧感だった。

 ライオンのそれとも、ヘラジカのそれとも違う。

 もっと強力で、もっと強固な力。

 サーバルを突き動かした根底のもの。

 決意。

 少し、体を前屈みに傾ける。

 神経を集中させ、いつでも反応できるように爪をもう一度構え直す。

 直後。


「ッ!!!!」


 ダンッ! と足元の床を削り、サーバルの姿が消えた。


「──っ!!??」


 黒サーバルはサーバルの位置を視覚でも聴覚でもない感覚で認識する。

 後ろ。

 背筋に冷たい何かが走ったときには遅かった。

 振り向けば、巨大に膨張した光り輝くサーバルの爪が振り上げられていた。

 回避などする暇はなかった。

 腕をクロスに交差させ、ギリギリのところで防御する。


「────────、みャッ!!」


 ブンッッッッ!!!!!! と普通なら鳴らないような音ともに、その一撃が振り下ろされた。

 受け止めきれない。

 もし黒サーバルがセルリアンでなければ、その一撃で両腕を切断されていただろう。

 いいや、例外なく黒サーバルも切断されていた。

 切り離された腕は空中分解し、サンドスターになった途端サーバルに吸い込まれていく。

 黒サーバルは二回ほど跳んで距離を取ると、サンドスター・ロウを用いて肉体を再生する。

 その頬には汗が流れていた。


 ──見えなかった。

 黒サーバルは音速の何倍もの速さで移動できる。動体視力もそれに比例するように長けているのだ。

 例えば、弾丸を目視して爪で斬り落とすことなど朝飯前。

 例えば、目に見えるが反応できない速度で相手を翻弄することも片手間に出来る。

 それほどの実力を、黒サーバルは間違いなく持っている。

 なのに、見えなかった。


 サーバルの瞳はギラギラと輝き、その口には鋭い牙が顔を覗かせている。

 全身の毛は逆立ち、二本の足で立つことはなく両腕を床につけていた。

 唸るような声が、その喉の奥から響いている。

 両手は既に手の形をしていない。元の獣のような鉤爪が備わっていたのだ。

 資料で、しかもかばんからの伝聞でしか聞いたことがないが、それを知っている。

 フレンズになる過程で不具合が発生し、凶暴な存在になるとされている、フレンズともセルリアンとも違うアニマルガール。

 野生を解放するのではなく、それは暴走と言えるだろう。

 だからこそ、次のように名付けたのだ。

 特異個体名、暴獣化ビースト

 黒サーバルが奥歯を噛み締めたときだった。

 もう一度、サーバルの姿が消えた。

 一度目は驚いたが、同じ結果はありえない。

 バリアが展開された。

 先程の一撃で威力はどの程度のものかは承知している。

 サーバルは真上から降ってきた。

 ガゴンッッ! という奇怪な音が響き、振動で室内が揺れる。バリアは不安定に揺らぎ、奇妙な光を放っていた。

 だが、耐えた。


(やっぱり……)


 いくら暴走しているとは言え、セルリアンが生み出したバリアを突破できない。

 底は見えた。だとすれば後は逆転するだけ。




 ────その、はずだった。


「…………み、ィ!!」


 サーバルは逆の腕、左手を尖らせる。その目を大きく見開き、一度短く息を吐くとその爪をまっすぐ突き立てるように振るう。

 信じられないものを見た。

 貫通している。

 誰にも破れず、ヒトの化学兵器すら弾いてみせたバリアを、いとも簡単に。


「嘘、でしょ……?」


 それからは流れるような光景だった。僅かに裂けたバリアの隙間に右腕を突っ込み、まるで扉をこじ開けるかのように簡単に破られた。

 グァっと凶悪な牙が眼前に広がる。

 食らってはいけない。

 捕まってはいけない。

 顎を腕で押しのけ、その腹部に回し蹴りを決める。サーバルは勢いを殺しきれず、床を削って後退した。

 だが止まらない。サーバルは爪を構え直し、形振り構わず襲いかかる。

 バリアの構築を変更する。

 半球状から円柱状へ。

 黒サーバルしか見えないそれは、まるで太い木のようだった。

 それに爪を引っ掛け登っていく。

 木登り。

 野生のサーバルキャットが得意とする行動の一つだ。

 サーバルは空中を踊る黒サーバルを目で追い、床を砕いて跳躍した。

 弾丸のように飛び上がり、その爪を振り上げるが見えない何かに阻害された。黒サーバルが身軽にそれを支点として利用する。体を振って勢いをつけ、サーバルの下顎を的確に蹴り上げる。


「ミ、……ッ」


 だが落ちない。必死に両腕で円柱状のバリアを掴み、そのまま額を思いっきり打ち付けた。

 バリアが砕ける。

 察知した黒サーバルは天井を蹴って距離をとった。


「はぁ、……っ、はぁ……」


 息が切れていた。然程長い戦闘をしたわけではないのに、その顔色は最悪だ。

 しかし相手は情けなど掛けてはくれなかった。

 ただ直線的な攻撃だ。真正面から受ける必要はどこにもない。

 

 だから、黒サーバルはバリアを再構築した。

 立体から平面へ。

 球体から板状へ。

 壁のようにして、少しでも良いから隙を作ろうとしたのだ。

 サーバルもそれを感じたのだろう。爪の構え方が変わった。

 巨大な鉤爪の一撃で壊すつもりかとも考えたが、違った。

 そのけものの知能は黒サーバルの想定を超えていたのだ。

 ガゴンと、バリアに接触した。

 そこまではいい。

 だが、その後だ。

 サーバルはその爪をバリアに引っ掛けたまま、ぐるりと板状のバリアを回り込んできたのだ。


「うそ!?」


 至近距離でサーバルと黒サーバルの視線が交差する。

 黒サーバルはサーバルの行動に虚を突かれたことで対応が遅れる。

 対して、サーバルは情けも加減もなかった。

 爪ではなく牙。

 その口に並んだ鋭い歯を、黒サーバルの首筋に突き立てる。

 サーバルは強く顎で黒サーバルを捕らえ、全身で振り回すように地面に叩きつけた。

 それだけで大した力などでないはずなのに、床が深くクレーターを形成する。

 無論、それを受けた黒サーバルのダメージも尋常ではない。

 視界と思考が明滅する。

 飛びそうになる意識を気合いだけで引き戻し、力いっぱい握りしめた拳をサーバルの腹部へ突き刺した。

 サーバルは鈍く、軋む。

 思わずその口を離し、黒サーバルは体を回るように捻りながら脇腹へその足を振り抜いた。

 吹き飛ばされたけものは姿勢を戻し爪でガリガリと床を削って減速する。

 怒りで震えているのだろうか。その表情は一段と険しくなった。

 そこからはもう、よく覚えていない。

 どちらも身を削り、心を摩耗し、ただ目の前の敵を撃滅するだけの力を放出し続けた。

 決意の爪牙と複数のバリアが激突し、獣の拳と贋作の足が交差され、虹色の光と黒い影が混ざり合う。

 音速のその先で、ただ規格外の破壊が撒き散らされたのだ。

 黒サーバルは悟る。


(そっか……)


 悟ってしまう。


(そうなんだ……)


 こちらの攻撃は防がれる。

 あちらの攻撃は防ぎきれない。

 こちらの防御は破られる。

 あちらは防御を捨てても戦える。


(私は……やっぱり、私達セルリアンは……)


 だから。

 諦めることにした。



 11



 その時。

 港街の雲が上下に切り裂かれた。他でもない、地上からのレーザーが通過したためだ。ロボリアンは四つの腕を縦横無尽に動かし、中央の空洞からはギアリアンの量産が続いている。

 そして、そこから少し離れた場所で。

 ガバァッッ!! と瓦礫の一部が吹き飛んだ。ロボリアンの丁度死角になっており、その様子は察知されていないようだ。

 勢いよく体を起こしたフレンズは声を高らかに嘆く。


「もう無理なのだ! 万策尽きたのだ!」


 アライグマだ。

 全身泥だらけで傷も多い。近くでフェネックが苦笑いをしており、彼女も彼女でボロボロだった。

 そう、彼女たちも頑張っていたのだ。工場にあった部品や機械を利用したり、海水を使って固めたり、穴を掘って撹乱かくらんしたり……出来るだけ体力を消耗しない形で持久戦を続けてきたが、この辺りが限界だった。

 精神的にも肉体的にも疲労が重なり、もう頭も満足に動かない。

 助けは来ない。

 戦いは終わらない。

 挫けそうな心を必死に保ちながらも、アライグマとフェネックは再び立ち上がる。


「無理とか言ってー、まだまだ戦えるみたいだねー?」

「当たり前なのだ。サーバルも、博士も、みんなだって頑張ってるのだ。アライさんだけ休んでたらダメなのだ!」

「そっかー。……?」


 その時だ。フェネックが海の向こうを振り向いた。

 かと思ったら、今度は笑ってロボリアンに向き直っている。


「どうしたのだフェネック?」

「ん? そーだねー」


 目を輝かせ、爪を構える。

 野生解放をして倒せたとしても、相手は何度も復活する化物だ。アライグマにもこの数日でよく身に沁みている。

 だからこその疑問。

 もう一度、相棒に問いかけてみた。


「フェネック?」

「あと少しだよアライさん。もう少しだけ、本気で戦おっかー」


 のんびりとした口調でも、何か考えがあるのだと汲み取った。

 そう、この相棒はいつもそうだ。

 黙っている裏で緻密ちみつな計算をおこたらない。自分がドジをしてもフォローに回れるように動いてくれている。

 だから、今回もそうなのだろう。

 二人のけものが、同時に地面を蹴った。



 12



 黒サーバルは拮抗をやめる。殴り合いを中断し、サーバルの顎を蹴り上げて怯ませ、バックステップで距離をとった。

 黒サーバルは自分の前にバリアを展開させる。

 質より量。

 それを、何枚も並ぶように出現させる。

 割られた数は二、三枚なんてものじゃない。一〇には及ばないがそれでもかなりの数を砕かれた。

 いいや、これでいいのだ。

 この時を待っていた。

 勢いを殺し、サーバルの意識を目の前にあるバリアだけに集中させる。

 黒サーバルは、右手の手のひらをサーバルに向けた。


 そして。

 サーバルがバリアを砕くのに躍起になっているその懐を。

 黒い一筋の閃光が貫いた。



 13



 その時。

 瓦礫を背後に、ヘラジカは目の前のセルリアンの腹部に拳をのめり込ませたところだった。鈍い音とともに恐竜型セルリアンが宙に浮き、直後に放たれた頭突きで数メートル後退した。


「さて……、これで何回殴ったんだったか……」


 その戦場に善悪の境界などない。ただひたすらに、殴っては蹴り、引いては突いて薙ぎ払う。

 時間を忘れ、感情を消し、戦うことだけに身を任す。

 そんなことをして、やっと、己の限界を知った。

 息が荒く、体の節々が悲鳴を上げている。野生解放も無しに野生の勘で戦っていたのが災いしたのかもしれない。

 そんな時だ。

 自分の横を、何かが砲弾のように駆け抜けていった。


「なっ!?」


 恐竜型セルリアンの新技かと思ったがどうも違うらしい。

 その正体はすぐに分かった。

 片腕を庇い、瓦礫の中から出てきたのは、


「ライオン!?」

「おうヘラジカ……悪いね、ちょっと油断した……。で、あれは?」


 顎でクイッと恐竜型セルリアンを指す。その奥から、合成獣型セルリアンがこちらに歩いてくるのも見えた。


「私が担当しているセルリアンだ。掠ったら大怪我、当たれば死ぬほどの威力を持っている化物さ。……まだ、戦えるか?」

「舐めないでよ、片腕がなくてもいける。そっちはどうなんだい? お得意の武器がないじゃないか」

「確かにな。だが私の武器はあれだけじゃないさ。お前だってそうだろう?」


 やれやれと、ライオンは肩をすくめる。

 脳筋のようでここ一番と鋭い親友ライバルに頭を抱えたことなんて一度や二度では無かったことを思い出す。


「じゃ、代わりに頑張ってくれよ私の左腕パートナー

「任せておけ。なに、私達が揃えば、勝てない相手なんてどこにもいないさ」


 今ここに、百獣の王と森の王が並び立つ。

 相対するは神ごとき獣と最古の王。

 ライオンは地面を強く踏みしめ、ヘラジカは拳を手のひらに打ち付ける。

 豪快に、こんな状況でも楽しそうに。

 両者は笑って前に出た。


「「さぁ、第二ラウンドを始めようか!!」」



 14



「私は出来損ないのセルリアンだった……」


 ゆっくりと、倒れていく。

 サーバルの全身から虹色に輝く粒子は消えていき、その力も沈んでいく。


「いつ消えちゃうか分からないような、そんな落ちこぼれ。どうして生まれたかなんて知らないまま死ぬはずだったんだ」


 ばたりと、けものは床に倒れた。その胸元には何もない。閃光が貫いたはずだが、そこに風穴が空いているなんてこともない。


「そんな時だよ、かばんちゃんが来たのは。あの子はね、こんな私に力をくれたの。色んな事も教えてくれた。だから、これは私からの恩返し。誰にも知られず消えていくはずだった雛鳥の、小さな小さな恩返し。かばんちゃんが世界の全てを敵に回しても、私は、私だけはあの子の味方でいたいの。絶対に。……貴女も、そうだったでしょ?」


 反応は、ない。

 ピクリとも動かない。


「大丈夫。貴方の代わりに、私があの子を守るから。絶対一人にはさせないから……だから、だから──」


 黒サーバルは静かに笑った。


「サーバル、ばいばいしよ」


 もう一度、黒い鉤爪を出現させる。

 先程よりも巨大で、ドス黒い色を孕んでいた。

 サーバルはもう立ち上がれない。

 先程の閃光は凝縮し、変異させたサンドスター・ロウだ。セルリアン化するわけではないが、サンドスターを分解させる。

 だから、サーバルはもう立てない。




「………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………嫌、だよ」




 声がした。

 目の前の、倒れたけものの声だった。

 少しずつ、でもちゃんと。

 手を付けて、膝を立てて、体を起こして、顔を上げて。

 そして、その二本の足で、立った。

 目眩がするのだろう。その足元は覚束ない。


「嫌だ。そんなの……嫌だ」

「何が? かばんちゃんの傍に貴方がいないこと? それとも……私がかばんちゃんの傍にいることが気に食わないの?」


 黒サーバルの声色が下がる。

 だが、サーバルはゆっくりと首を振った。


「違う。別に、かばんちゃんの傍に誰がいても平気……って言ったら嘘になるけど、でも、そんなことじゃないよ」

「じゃあ、何が……」

「そんなの、決まってるよ」


 体のふらつきが止まった。

 その目の焦点が合致した。

 サーバルが嫌がったもの。それは単純で、明快で、そしてとても純粋だった。




「かばんちゃんをみんなが好きになるのは全然平気。でも、かばんちゃんがみんなに嫌われて、せかいの敵になるのは……絶対に嫌なんだ」

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