サーバルキャット 後編



 15



 大切な存在が嫌われる世界は嫌だと彼女は言った。

 当たり前だ。

 たった一人の友人が、世界全てから後ろ指を指されて、あらゆる憎悪を一心に受ける受け皿になるなんてまっぴらだ。

 そんな、人柱になることを良しとする思考を持つものがいたとしたら、それは何かが致命的に欠如している。

 氷のように冷徹で、機械のように動じない。そんな風に出来ているのだろう。

 ……そうはならなかった。

 周囲の同族がその様に出来ていても、彼女だけはそうではなかったのだ。

 その感情の揺らぎの名を、彼女はまだ知らないけれど──。

 自分も、彼女も本心では同じ想いを抱いている。本来ならその手を取りあって、背中を互いに預けて戦えるはずなのに。

 ……そうはならなかった。

 立場が違う。

 結論が違う。

 抱いた決意の方向が決定的に異なっている。

 だから衝突した。

 彼女は分かっているのだ。

 きっと、あの少女のしていることは褒められたものではない。

 正誤や善悪などの話ではなく、論理ろんり倫理りんりでの話でもなく、してや道徳や効率の話でもない。

 これは、自分の中の結論だ。

 あの少女は間違ったことをしている。内から湧く感情が否定するのだ。

 止めなければ、ならないはずだ。

 でも。

 それでも。




 色の異なるサーバルが、お互いのひたいをぶつけ合う。重く、鈍い音が空間を跳ね回る。

 黒サーバルの顔に笑顔はない。

 その顔は歪んでいて、悲しみや怒りなどといった感情がぜになっていた。

 サーバルは拮抗を続けている。

 先程の暴走状態ほどではないが、その全身をきらめかせ、黒サーバルに追いついている。

 分からなかった。

 何度考えても、目の前のけものを見て、疑問しか浮かばなかった。

 だからだろうか。


「どう、して……」


 ポツリとこぼれた言葉はそれだった。

 怒りでも、悲しみでも、憎しみでもなく、疑問だったのだ。

 自分によく似たけものが眉をひそめていた。

 対して、黒サーバルの顔の歪みが増していく。感情のまま爪を振るい、当たらなかった爪は支柱を簡単に破壊した。


「何で止めてくれなかったの? それだけ強いのに、何でかばんちゃんを止めてくれなかったの!?」


 止められたはずだ。

 黒サーバルの実力はセルリアンの中でも群を抜いた力を持っていた。

 ヒトの叡智、フレンズの技、セルリアンの力を駆使するかばんを除けば、最強をうたうに相応しい実力を持っていたのだ。

 それと並ぶということは、今までのどんなセルリアンよりも強いことを示している。

 どうしてだ。

 どうしてそんなヤツが自分の前にいるんだ。

 最強と渡り合えるぐらい強くて、無限の地獄を乗り越えられるほどの折れない心を持っていて。

 ……そんな、ヒーローみたいなヤツがどうしてこんな時に、こんな場所で自分と戦っているんだ。

 欠陥品では成せなかったことが成し遂げられたはずなのに。

 贋作がんさくでは出来なかったことが出来たはずなのに!!


「私じゃダメだった……偽物セルリアンじゃダメだったんだよ!! どれだけ強くても、それを行動に移せなかったの……。怖くて……かばんちゃんに立ち向かうことが怖くてできなかったんだよ!!!!」


 たった一言が言えなかった。

 やりすぎではないか。

 今していることは間違っているのではないか。

 ……他に、方法があるのではないか。

 背中を押すのではなく、やり方や在り方を咎める、その一言が言えなかった。

 怖かった。

 その一言で、今の関係が壊れるのが。

 かばんと敵対し、もう一度ひとりぼっちになってしまうのが。

 それが、どうしようもなく怖かった。

 だけど、サーバルは違う。

 違うのだ。

 本物であるはずなのだ。

 まがい物なんかじゃない。

 作り物なんかじゃない。

 特有の輝きを持つ、天然の鉱石のような存在であるはずなのだ。

 八つ当たりなのは分かってる。

 見当違いであることも理解している。

 でも、この行き場のないわだかまりをどうにかする術を黒サーバルは知らない。

 だから叩きつけるしかない。目の前にいる、もう一人の自分に。

 だって。

 だって!!


「貴女が手を離さなければ! 貴女がちゃんとかばんちゃんを見ていてくれたら!! こんなことにはならなかったのに!!!!」

「づっ!!」


 サーバルのこめかみの奥で痛みが走る。

 頭の中であの『世界』が蘇る。

 世界は残酷だった。

 サーバルと黒サーバルはどこまでいっても正反対の存在だったのだ。

 立ち向かう意思を持っていても、戦う力を持っていなかったサーバル。

 戦う力を持っていても、立ち向かう意思を持っていなかった黒サーバル。

 どちらかが悪いわけではない。

 ただ、中途半端だった。

 片方が欠けていた。

 片方しか満たせていなかった。

 もし、最初から黒サーバルが両方をそなえていたら、途中でかばんを無力化し、世界をここまで悲劇の惨状にすることもなかっただろう。

 もし、最初からサーバルが両方を兼ね備えていたら、遊園地の時点で……いや、それよりももっと前に止めることが出来たのかもしれない。

 しかし叶わなかった。

 以前のサーバルはかばんと戦うなんて考えもせず、彼女の考えを汲み取ることすら出来なかった。

『完璧で理想の世界』を理解できず、ただただ曖昧な形でしか立ち向かえなかった。

 でも、それを分かった上で。

 相手じぶんの落ち度も、自分あいての欠落も受け止めた上で。


「…………関係ないよ」

「……え?」

「セルリアンだからとか、フレンズだからとか……そんなの関係ないんだよ。大好きな誰かのためにしたいことがあるんだったら、そのために立ち向かったっていいの! 助けたっていいんだよ! だって、だって……!!」


 ッッッドン!! という重い打撃音が響いた。

 両者の振るわれた拳が交差して、至近距離で激突した音だった。


「そんなことで逃げたり、間に合わなかったりして、あとで後悔するよりずっといいに決まってるんだから!!」


 無限の『世界』を通じて見たものなんて大したものではなかった。

 真新しいものなんて何処にもなくて、ありふれた答えだったのだ。

 後悔しない選択を取れ。

 自分の選択に責任を持て。

 そんな、生きていれば自然と分かるような、簡潔な答えだった。

 ヒトの言葉の中に生き地獄と呼ばれるものがある。

 読んで字の如く、生きたままで地獄の苦しみを味わうという意味の言葉だ。

 サーバルは地獄を実際に見てきた。

 否定できない最悪のifを永遠とも言えるほど見続けてきた。

 だが、本当の地獄なんて目で見えるものではない。


 後悔。


 起きてしまったことを悔み続ける。

 終わったことに想いをせ続ける。

 それこそが本当の不幸であり、最悪の絶望であり、無二とない唯一の地獄だろう。

 きっと、それはどんな痛みよりも、きっと。

 ああしてれば良かったなんて気持ちを一生抱え続ける。それを越えられるほどの最悪の結末バッドエンドは存在しないのだろう。

 その言葉が決定的となった。

 ぐらりと、黒サーバルの中で何かが揺れた。

 サーバルは『けもの』の拳を払い、今度こそ強く、固く握りしめる。

 今までは知らなかった、相手の意識を刈り取る戦い方の一つ。

 片足を前に出し、体をひねって、重心と力を拳に乗せる。

 そして、黒サーバルは悟ったのだ。

 追いつかれた理由わけを。

 敵わない理由しんじつを。

 実力で負けたわけではなく、環境が勝負を左右していたわけでもない。

 気持ちで負けていた。

 簡単な話だ。どれだけ頑丈な建物を建てたとしても、不安定な地盤の上であれば簡単に倒壊する。

 黒サーバルは揺らぎ続けていた。決意を抱いていると自分に言い聞かせ、強引に一本に見せかけていたのだ。

 だから、黒サーバルは他の全てを退しりぞけることが出来てもサーバルには絶対に勝てない。

 決意を固め、揺らぐことのない芯を手に入れたサーバルに勝つことは出来ない。


(……うん。ここまで、かな)


 黒サーバルの頬が緩む。

 バリアを張って逸らすことも、逃げに徹してかわすことも出来たはずだ。

 だが、しなかった。

 そして、そのまま。

 サーバルの拳が、黒サーバルに真っ直ぐ突き刺さった。



 16



 サーバルは肩で呼吸しながら、倒れた敵を視認する。

 最後笑った気がしたのは見間違えだろうかと首を傾げそうになりながら、呼吸を整えた。


「サーバル……」

「セーバル?」


 力なく転がってる『けもの』からの声だった。立ち上がる力も残ってないのか、弱々しい笑みだけを浮かべている。


「私の負け、だね……。あーあ、悔しいなぁ……」


 そういう黒サーバルの表情は満足そうだった。まるで、死ぬ前に絶景を見たようなあやうい清々すがすがしさを感じるその笑顔は、サーバルの頭に引っかかりを生じさせる。


「嬉しいの……?」

「うん。悔しいけど、嬉しいの。なんでか私でも……分からないけど。……サーバル」


 黒サーバルは体を強引に起こす。震える足を必死に動かして、付近にあった壊れた支柱に背中を預けた。ずるずると座り込むその行動が、まるで勝者に道を譲るようだと感じたのは、おそらく錯覚ではない。

 ……そして。

 その姿は、サーバルにはどこかけて見えていた。


「私じゃ、止められなかった……。でも、貴方は違う。きっと止められる。まだ、間に合うはず。あの子があれを使ってないから、きっと……」


 声も消え入りそうで、目の焦点も合っていないだろう。きっと、彼女の視界はかすんでいるはずだ。

 黒サーバルは手を伸ばす。

 何かを求めるかのように。

 おもちゃを取り上げられた子どものような、何かを訴えかけているような目だった。


「お願い、かばんちゃんを……助けて……」


 それが最後だった。

 その手は支える力を失い、引きずられるように体もゆっくりと倒れていった。


「セーバル……」


 悲しんでいる暇はない。

 少女がいるであろう先を見る。

 きっと、すぐそこにいる。

 先程置いた鞄と帽子を身に着けて、前に進む。

 そして、黒サーバルに背を向けた状態で一度立ち止まった。


「任せて。わたしはそのために、ここまで来たんだから」


 遂にここまで来た。

 もはや止める者はおらず、阻むモノも何もない。

 残すは、かつての親友との決戦のみ。

 さぁ、終わりなき戦争に終止符を。

 この悲劇ごっこに終幕を。




 サーバルは胸に、決意を抱いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る