第六章
閉ざされた暗黒の『世界』で Reset_of_The_World.
1
工場のセルリアンは量産に特化しており、数の暴力と金属をも切断する光線にサーバルたちは苦戦を強いられた。
アライグマは一歩前に出て、フェネックもその横に並んで澄まし顔で笑っていた。
「ここはアライさんに任せて、サーバルたちはセーバルを追いかけるのだ」
「じゃあ私もアライさんに付き合うよー。今まで通りにねー」
動物園のセルリアンはロボリアンでは量産効率、黒サーバルでは速度で劣るものの、その群れと速度の奔流はサーバルたちを追い詰め、結果としてサーバルの足を無効化した。
しかしそれだけでは終わらない。
雨による溶岩化。
動物型セルリアンは産み落とすことが出来なくても、鎧を纏った巨体での突進はライオンの左腕を潰してしまう。
それでも、百獣の王は堂々と大きな背中を見せつけたのだ。
「サーバル、必ずかばんに追いつけ! 誰かのためじゃなく、他でもない自分のために! いいか、一番始めに何がしたかったのか、それを忘れるな! それを忘れない限り、進む道は途切れないんだから!!」
博物館のセルリアンは太古の王を再現した。純粋な破壊による蹂躙は、真正面からの突破はまず不可能だった。
そしてツチノコ考案の生き埋め作戦を決行。見事博物館を用いて無力化に成功したが、直後の地震によって恐竜型セルリアンは再びその姿を現した。
不可能とされた恐竜型セルリアンとの一騎打ち。それを可能にするヘラジカは、最後にサーバルを激励することを忘れなかった。
「お前なら出来る! 私はそう信じてる! だから! お前も私を信じてそのまま真っ直ぐ行け、サーバル!!」
そして。
そして。
そして。
2
サーバルたちはとある建設物の中にいた。
博物館からそこまで距離は離れていない。走って一〇分程度だろうか。ともあれ、内部は奇妙にも綺麗なままだった。争った形跡は見られず、ついさっきまで誰かが使っていたのかと思うほど、その内部は清潔さを保っていたのだ。
「映画館、か? やけに綺麗だな……」
「ヒトが使っていた形跡はありますが、それでも先程まで放置されていたようなのです」
来る時には七人だったのに、今ではサーバルを含めても三人しかいない。二人は映画館と呼ばれた施設を回っていく。
どうやらこの施設は複数の娯楽施設が混同しているようで、隣の建物にはPPPライブで見たことのあるステージと、おそらく観客が座るであろう座席の列がずらりと並んでいた。一風変わったこの場所の名前を博士が劇場と呼ぶことを教えてくれた。
やはり、ここも気配はない。
「おかしいな、セーバルの匂いは確かに残っているんだが、セルリアンの姿が見えない」
「音もしないし、本当に誰もいないみたいだね」
音がしない。外からも、中からも。まるでその空間はまるごと違う何処かに飛ばされたように。
しかしそれは丁度いいとでも言いたげに博士が手を打った。
「ではここで休憩にするのです。休める時に休まなければ寿命を縮めるだけなのですよ」
「まぁ、そうだな。オマエもそれで良いか?」
「うん……」
自分たちだけ呑気に休むということに対して罪悪感があるが、確かに博士の言葉には頷ける。劇場の椅子に三人並ぶように腰掛け、ジャパリまんを食べる。
博士は散々食べ飽きたと愚痴ていたジャパリまんを半分に割ると、
「セーバルの目的は何なのでしょうか。私はてっきり『音叉』を作っているのかと思っていたのですが」
「…………音叉?」
「セルハーモニーという現象を起こさせるのに必要なもの、らしい。オレも詳しくは知らないんだが、昔、ジャパリパークではフレンズ型のセルリアンがそのために動いていた記録がある」
博士はともかく、ツチノコの情報源は何処なのか疑問に思いながら口いっぱいにジャパリまんを押し込む。
半分に割った上で少しずつ齧りながら、博士は人差し指を立てた。
「セルリアンを共鳴させて進化をする現象をセルハーモニーと呼んだのですよ。そのための要になったのがパーク中に配置された『音叉』だったのです」
「要はセルリアンを強くするための下準備だ」
「セルリアンを強くするための下準備……」
かばんの目的は正直分からないことが多い。『完璧で理想の世界』というものもどういうものか分かっていない。想像するだけこんがらがるのであまり考えていなかったが、何故そこまで『完璧な世界』に固執するのだろうか。
ジャパリまんを食べ終えた博士が顔をしかめながら胸の辺りを弄ると、
「分からないことだらけですね。ヒトのちほーに来れば手がかりが見つかるかもと思いましたがそう簡単でもないようなのです」
その時だった。
どくん!! と、心臓が大きく跳ねた。
「ぅッ、みゃ……!?」
鼓動は加速し、呼吸が荒くなっていく。
目が霞む。体が震える。
両肩を抱くようにし、隣を見ると博士やツチノコも同じように悶えていた。
動けない。
動かせない。
ついに指一本動かすことすらままならない状態になった。
やがて思考は途絶え、何も分からないままプツンと糸が切れるように意識を手放した。
3
「……………………、っ」
声にならない呻き声とともに、サーバルは目を覚ました。いつの間にか眠っていたようで、ぐしぐしと目を擦る。
先程までの苦しさは何処へやら。少しの違和感も残っていない。
「………………………………………………………………あれ?」
そして、気付いた。
周りを見渡してもその場所は先程と同じ劇場の座席の上だ。強いて言えば少し薄暗くなっている気もするが、問題はそこではない。
いないのだ。誰も。
隣にいた博士とツチノコがいない。
(どこに行ったんだろう。わたしがぐっすり眠っちゃったから、見回りに行ってるのかな?)
先日博士たちが自分が休息する時間を割いて警戒してくれたことを思い出す。もし本当にそうであるなら、早く知らせて先に進んだほうが良いのかもしれない。
そう思っていた時だった。
『レディースあーんどジェントルマーン! あれ 一人だけ? うーん じゃあレディースあんどレディース? それも 何かおかしいような?』
テンションの高い声が劇場内に木霊した。
ステージの上に小首を傾げた黒サーバルが立っている。
黒い彼女の姿を何処からかスポットライトが照らしていた。
「セーバル……?」
『そうだよ わたしはセーバル 形なんて記号だから 身近な得体の知れないモノとしてなってみたんだけど そういえば サーバルはセーバルと仲良くなっちゃってるんだよね うーん よし』
しばらく考え込み、決心したように頷くとその場で上品にくるりと一回転する。
その姿を見て、サーバルは言葉を失った。
『ではこれならどうでしょうか。えぇ、確かにしっくり来ます。改めましてこんにちは。あぁ、今はごきげんようの方が適切なんでしたっけ?』
声色が変わった。
口調も変わった。
一時も目を離さず、瞬きすらしなかったのに全てが変わっていた。
「だ、れ……? あな、たは……」
『誰って、見れば分かるでしょう? 貴女の親友、かばんですよ』
言葉の通り、その姿と声はかばんという少女そのものだった。
かばんというヒトのフレンズ。そう言われて真っ先に思い浮かぶ姿だったのだ。
黒い髪と瞳。
赤いシャツに灰色の短パン。
足は黒いストッキングを、両手には黒い手袋を身に着けていて。
背中には名前の元になった大きな鞄に、手首には小さくなったボスが居る。
そして、その頭には赤と青の羽が付いた、ボロボロの帽子が被せられていた。
間違いない。
容姿も、口調も、声色も。今まで見てきた馴染みのある、何一つ欠落のない完璧な姿での『かばん』だったのだ
ありえない。
ありえないのだ。
だって、その帽子は今もサーバルが持っているのだから。
目の前の少女は一片の狂いもなく、かばんという少女の姿だった。
でも、だからこそサーバルは断言できる。
先程の変身の光景を見ていなくても、それだけははっきりと言いきれる。
あの少女は、かばんの姿をしているあの少女は、絶対にかばんではない。
そして、『かばん』は気に留めることもなく、退屈そうに言った。
まるで子どもを相手にするのも疲れた、そう言いたげな表情で。
『今までの恒例通り、わざわざ戦ってあげる必要はありませんよね。まずは、分かりやすい絶望から始めましょうか』
パチンと指を鳴らす。
それだけだった。
それだけなのに。
本当に、冗談でも、幻覚でも、思い込みでもなく。
『世界』は、消えた。
4
『まぁ、当然の結果ですよ』
真っ白の頭の中に一筋の線が引かれるように、聞き慣れた声が滑り込んできた。
呆然と立ち尽くすことしか出来なかった。
目の前の光景に、理解が及ぶ前に頭の何かがそれを拒絶した。
『結論から言えば、この「世界」はリセットされました。ここには誰も存在しません。僕と、特異点の貴女を除いてね。……いずれこうなる日が来ると思わなかったのですか? 失敗して、全てを失うという結末くらい想定出来たでしょう』
頭の中とは裏腹に目の前の光景は真っ黒だった。白いキャンパスの上に黒で塗りつぶしたなんて幼稚な言葉で表現できないほど黒く、深く、暗かった。
地平線なんてものはない。
光源なんてものもない。
目に映るモノの中に実物として存在する物なんて何処にも無い。
「ここは……どこ? えっと、さっきまで、げきじょう? って呼ばれるところにいたのに……」
『おやおや、違う場所に見えるんですか?』
声はどこか弾んでいるようだった。
少女との距離はさほど離れていない。障害物や高低差が消えたおかげで距離の感覚がおかしくなっている、なんて発想にはしたくなかった。
「だって! さっきまでそこにいたんだよ!? それなのに、突然消えるなんて変だよ! だから、だからここはどこか別の場所なんでしょ!?」
『僕がそんなまどろっこしい真似すると思うんですか? だいたい、貴女はその目で見ていたはずです。それが真実ですよ。百聞は一見に如かず、という言葉もあるくらいですしね』
「嘘、だよね……?」
『…………、』
彼女は、ただ一回だけ呆れたようにため息をついただけだった。
サーバルは全身から嫌な汗が噴き出してくるのを感じながら、震える唇を必死の思いで動かす。
「だって、りせっととか……せかいが全部消えちゃうとか……そんなことできるはずないもん! フレンズも、セルリアンだって…………きっと出来ないに決まってるよ!!」
『何故貴女の常識に合わせなくてはいけないんですか? 姿も変えられる、世界も破壊できる、そんな万能の存在をヒトは神と呼ぶのですが、これを目の前にしてまだ認めないつもりなんですか?』
「でも、だって…………」
『僕は嘘なんて吐きませんよ。面倒ですし、何よりつまらない。目の前に映すのは現実だけです。否定したいのならご自由に』
それを最後に彼女の姿は掻き消えた。
彼女が発した言葉の全てを、最初は徹頭徹尾受け止められなかった。
いや、そうではないのだろうか
認めたくないだけだったのではないだろうか。
そう。
そうだ。
何も、無い。
何も無いのだ。
仲間もいない。
敵もいない。
短い一生のうちにすれ違うようなエキストラもいない。
黒い黒い暗黒の『世界』で。
サーバルは一人取り残された。
「……………………………………………………………………………………、ぁ」
それは言葉だったのだろうか。
或いは嗚咽だったのだろうか。
「ど、こ……?」
ようやく意味のある単語を上げた。
応える声は無い。
「どこ! どこに行ったの!? 博士! ツチノコ! セーバル!! みんな!!!!」
何も意味を持たない声は暗闇に吸い込まれた。
反響なんて現象も起きなかった。
呼びかける名前の中に、黒サーバルが含まれていたのは敵対していることを忘れてしまうほど心が軋んでいるのだろうか。
歩く。
走る。
途中で引き返す。
しかし何も変わらない。
目を開けようと、閉じようと。
進もうとも、戻ろうとも。
ただただ暗い深淵が続くだけだ。
そして、改めて認識してしまった。
自覚してしまった。
この『世界』には。
もう、何もない。
「いやだ……」
思わず膝から崩れ落ちた。
けものは、ゆっくりと。
壊れる。
「いやだよ……」
壊れていく。
認識が。常識が。大切な何かが。
ゆっくり、ゆっくりと。
少しずつ、確実に。
「きっと、どこかに隠れてるんでしょ? わたしを驚かせるために、えっと……博士が考えたのかな? もうっ、ひどいよ、ツチノコまで。もう、わたし……いっぱいびっくりしたよ? したから……した、から…………」
その行動に意味はない。
ただ人格を保ちたいだけで、現実を拒む以外に理由など無い。
「だから、お願い……。出てきて……出てきてよ…………お願いだから、誰か返事をしてよ………………」
漏らすような、零れるような声。
か細くて、掠れていて、震えていた。
…………しかし誰も応えなかった。
「みゃぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああ! あああああああああああああああああああ……っ、ぁぁぁあああああああああああぁぁぁぁぁぁあああああああああああああああああああああああ、ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」
蹲ってあらん限りに叫ぶ。
悲痛な叫びも轟かない。
何も無いのだから、声など響かないのだ。
けものは壊れた。
体を支えていた心が、地震で倒壊した博物館のようにはっきりと崩れていくのを感じた。
やがて、サーバルの全ては深淵の底へ沈んでいった。
5
どれほど時間が流れただろうか。
一瞬だったかもしれない。
何日も経っていたのかもしれない。
しかしここは『無の世界』。サーバル以外の全てが消え去った『世界』だ。そんな『世界』で、時間など然程目印になどなりはしないだろう。
そして。
その時。
「み、ぃ………………あ、れ?」
サーバルは当然だが今までどうとも思わなかったことが頭の中に浮かぶ。
「わたし、何もないところに立ってるの……?」
本当の意味で何も無いのであれば、歩き、走り、立つことすら出来ないはずだ。
サーバルはごく自然にそれを行い、詳しい理屈はともかく生き物である以上呼吸するための空気が存在する必要がある。
それ以外にも、サーバルは物理現象なんて小難しいことなど知る由もないことなのだが、動物は反射した光を目で受け取り、そのことで色や形を認識するのだ。
光源が無いはずなのに。
確かに、サーバルは見た。
闇に溶けるように消えたあの姿を、確かにこの目で見たのだ。
何かカラクリがある。
それが暴ければ、きっと。
『なァんだ、バレてしまいましたか。このまま壊れると思ったのに、愚鈍さとはこういう風に保身として働くものなのですね』
声がした。
後ろでも左右からでもなく、真正面。
顔を上げれば、そこにいた。
歪な『無の世界』で距離の感覚など意味をなさないかもしれないが、おおよそ一〇メートルほど離れているだろうか。ぼんやりと浮かぶように、大して興味もなさげでそれは立っている。
『早く絶望するようにと思って、最低限の条件は残しておいたのですが……裏目に出ましたね』
「やっぱり、ここは……」
『答える義理はありませんよ』
あくまで冷徹だった。
今まで見てきた狂気の微笑みとは対照的に、こちらの『かばん』は無表情のままだった。
『しかしお気楽な頭ですね。ここは確かに完全な「
「違う……」
『……………………、』
「きっと、それだけじゃないよ。ここが本当に終わったせかいなら、あなたはあんなこと言わないはずだもん」
こうなる前のことだ。
確かに、かばんの『影』はこう言っていた。
『まずは、分かりやすい絶望から始めましょうか』
始める、という単語は続きがあるからこそ言える言葉だ。
嘘を言わないと言った。
もし真実であれば、まだ終わっていない。
嘘を言わないという発言が嘘だったら?
彼女の言った、何も無いという発言も嘘である可能性がある。
一抹の希望であることに間違いはない。
でも、それでも。
ほんの少しでも希望があるのなら、それを掴むために進んだって良いはずだ。
「わたしは戻る。あのみんながいる場所に。かばんちゃんと同じ見た目のあなたと戦うことになっても!」
『……僕が、貴女と戦う?』
無表情が崩れた。
嘲るような笑いとともに。
『ふふふ、何か勘違いをしていませんか?』
『影』は笑っていた。
まるで、妙なところでミスをした者を小馬鹿にするような笑いだった。
『僕はこの「世界」の「神」なんです。破壊と創造は息をするくらい簡単なんですよ。先程言いましたよね? 僕がわざわざ戦ってあげる必要はない。それがどういう意味か、分からせてあげますよ』
裂けるように口元が歪む。
同時に、中指に親指の押し当てて。
パチンと、空虚の『世界』で音色が響く。
それと同時に黒一色の『世界』は揺らぎ、何か別のものへ移り変わっていく。
『神』は天から愚者の演舞を嘲笑う。
神と謳うに相応しい、人智を超えた異変が。
すぐそこまで迫っていた。
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