或いは、例えばそれはこんなif Version_Alter.
6
「……………………みゃっ!?」
サーバルははっと目を覚ました。
どうやら自分は仰向けで倒れているらしく、目の前には大空が見えた。
青くはなかった。暗い夜空が広がっていた。
(ここは、ヒトのちほーじゃない……。さばんなちほー……?)
起き上がって周囲を確認する。
乾燥した草原。所々に生えている大きな木。奥には暗くて若干見づらいが、サンドスターの火山もそこにあった。
紛れもない、サーバルの故郷だった。
普段と異なる場所から目を逸らして、頭の中を整理しようとする。
(何で……さっきまでの真っ黒なせかいは夢? えっと、あれ? そもそもどこから夢なんだろう?)
自分がさばんなちほーにいる。ということはつまり、一度帰還したのだろう。さばんなちほーを見渡す限り散布する火と、大量のクレーターが目についた。
可能性を考えてみた。
一番有力なものと言えば、先ほどの劇場でサーバルが寝てるうちに何かが起こり、博士とツチノコの手によって運ばれたのだろう。でなければこの辺りに火がある説明がつかない。ヒトの襲撃か、或いはかばんが絡んでいるかは定かではないが、少なくともそれが一番ありえそうだった。
…………………………………………本当にそうか?
喉が干上がる。
唇がパリパリと乾いていくのを感じる。
確証が得られない。
現実味がない。
どれだけ可能性が高かろうと、先ほどまでの『暗黒の世界』と目の前の『世界』、どちらが現実なのか見当がつかない。
「と、とりあえず博士たちを探さなきゃ……。えっと、近くにいるのかな……?」
移動しようと立ち上がった時だった。
良すぎる耳はそれを聞いてしまったのだ。
何度か鳴るその音が、ボスが何か不具合を起こした時に発していたものに近いと結論が出るのにしばらくかかった。
その方向へ歩いていけば、ボロボロだが確かにある。
耳はひしゃげ、下半分はもう見る影もないが、おそらく本体のコアが無事なおかげでこうして動いているのだろう。
『現在時刻、午後八時。通称ジャパリパーク、キョウシュウエリアニ潜ムサーバルキャット抹殺ノタメ、ヒトニヨル全体爆撃ガ継続シテ行ワレテイマス。定期的ニ爆弾ヤミサイル弾ヲ用イタ被害ニツイテヤ発見サレタ動物ノ死体ノ中ニサーバルキャットガ確認デキナイコトカラ、コレカラ先モヒトハ破壊活動ヲ続ケルヨウデ──』
それを聞いたサーバルはしばらく動けなかった。
ヒトによる全体爆撃?
破壊活動?
サーバルキャットの抹殺……?
難しい単語などサーバルは知らない。でも、抹殺という単語だけは何となくだが理解ができた。
いや、理解せざるを得なかった。
立ち上る黒煙と炎。
地面にぽっかりと空いたクレーター。
それらが、いったい何を意味するのかを。
『以上ガ現在開示サレテイル情報デス。付近ノフレンズニ警告シマス。ヒトトフレンズハ個体〝サーバルキャット〟殺害ノタメニ一時的ニ同盟ヲ組ミマシタ。同ジ時期ニ同一ノフレンズガ生マレニクイ以上、サーバルキャットノ明確ナ死亡ヲ確認デキルマデハコレヲ継続スルモノトシ、一刻モ早イ解決ノタメニ積極的ナ協力ヲ求メマス。繰リ返シマス……』
何をどうしたらいいのか分からなかった。
ただ『世界』の怒りの矛先が、何故か自分に向いているということを現実として押し付けてくる。
茫然と、先ほどまでの文言を繰り返し続けるラッキービーストを眺めていた。
『ごきげんよう』
そんな時だ。少女の声が聞こえてきたのは。
バッと振り返ると、露出した岩石の上に腰かけて、頬杖を突く形で彼女はいた。
「かばんちゃん? ……じゃ、ないよね」
『さぁ、どうでしょうね? 先ほど貴女は、自分が持っている帽子を僕も持っているから偽物だと判断しましたが、今現在貴女の手元にありません。もしかしたら本物かもしれませんよ?』
確かに言葉通り自分の手元にかばんの帽子はない。だが、もはや隠す気すらないようだ。
堂々と、自分はサーバルが追いかけているかばんじゃないと言葉の裏で宣言したままくつくつと笑っている。
「何をしたの……?」
小さな声だった。
震えた声だった。
やがてそれは絶叫のような叫び声に変わる。
「みんなに何をしたの!? こんなの変だよ! さっきまであんなだったのに……どうしてわたしが狙われてるの!?」
『落ち着いてくださいよ。貴女はあれですか? 僕が彼らを誑かしたとでも言うつもりなのですか? ふふふ、そんなことしてませんよ。そんな簡単に世界が傾くなら、あれだけ派手に焼くこともなかったでしょう。そのくらい分かりますよね?』
「…………、」
『そもそもの話、一度リセットしたじゃないですか。目の前でお見せしましたよね? まさか、まさかあれが夢だったなんて思っていたんですか? それは大きな間違いです。一度「世界」は終わり、ここは僕が再構築した「世界」。ただちょっと弄った現実です。ふむ……実感が無いようですから一つだけお伝えしましょう』
腰に両手を当てて立ち上がる。
帽子の鍔にできた小さな穴、そこからのぞき込む眼光がギラリと光り、舌なめずりでもしそうな調子で『神』は告げた。
『このままでは、貴女は確実に殺されますよ』
瞬きするとそこに彼女の姿は消えていた。
ただ惨状と化したさばんなちほーが視界を埋め尽くしていた。
ちょっとずつ噛み砕いていこうとするが、理解してはいけないという理性のストッパーがそれを押しとどめる。
そして、大きな爆音とともに我に返った。
「み…………ッ!?」
絶叫する声すら塗りつぶした。
巻きあがる土煙の合間から、瞬く星空を見上げていた。
その瞬き続ける理由を察したとき、脇目も振らず走り出す。
直後熱と爆風が全身を叩きつけて、その華奢な体を何メートルも上空へ投げ飛ばした。
その後ゴロゴロとたっぷり転がって、ズキズキと激痛が走る体を起こす。
ゲートがあった。
爆撃で損傷は激しいが、何とか通れる程度の空間は残っているようだ。
『おや、生き残れたんですね』
上方。崩れかけた瓦礫とも言えるゲートの上にいた。
足をぶらぶらと揺らして
「何を、したの……」
『僕は何もしていませんよ。あぁ、直接干渉してないって意味でね。ただ一つ、「世界」の前提条件を変えてみました』
首を傾げるサーバルに、ニコニコと可愛らしい笑みで答える。
『「見方」ですよ。まぁ言われてもパッとしないでしょうけどね』
そう言って少女は背中を向けて瓦礫の向こう側へ跳び下りる。
追いかけるがその姿は消えていて、ただ殺風景な景色が広がっていた。
そして、その奥に。
ゆらゆらと何かの影があった。
足取りが覚束ない。
熊の手を模ったハンマー。
セルリアンハンターと呼ばれ、数多のフレンズを救ってきた英雄。
そのけものが、じゃんぐるちほーの木々の下を通り抜け、星々と炎によって照らされた。
「ヒ、グマ…………?」
ボロボロだった。全身は血で滲んでいるし、ハンマーも引きずっている。
どう考えたって体は限界を迎えているのは一目瞭然だ。
「ヒグマ!!」
ピクリとヒグマの肩が跳ねた。表情は伺えないが、立つくらいのエネルギーは残っているらしい。なるべく火を避け、ヒグマに駆け寄った。
「大丈夫!? えっと、えっとっ、とりあえず傷を塞がなきゃっ。ど、どこかに休めそうな場所は……」
体を支え、周囲を見渡す。
ラッキービーストが言っていた情報によれば、定期的に島中で爆撃が行われているらしい。出来ればそれが避けられそうな場所。そうでなくても狙われにくい何処か。地下でも探すべきかとも考えたが、生き埋めになってしまう可能性がある。
「きっと大丈夫だよ!! だから、だから頑張って!」
ヒグマはハンマーを握りなおしている。
きっと、意識を保つために自分の体に鞭を打っているのだろう。
だから、サーバルはそれを気にもしなかった。
故に、直後のそれに反応できなかったのだ。
ガンッッッ!!!! と鈍い音がすぐ近くから聞こえてきた。
確認するまでもない。ヒグマは、サーバルの頭めがけてハンマーを振るったのだ。
「……………………………………………………ぇ?」
出てきたのは呻き声のようだった。殴られた場所に手を添えれば、頭から出血しているのが分かる。
ギリギリと、壊れた人形のような動きでそのけものを確認する。
表情が見えた。
怒りと憎しみで覆いつくされた、言葉では表現できないような形相だった。
「大丈夫、だと……? ふざけてるのかお前は…………」
唸るような声。そこに優しさなんて欠片もない。
ただ、伝わってきた感情は一つだけ。
殺意。
「みんな死んだよ。フレンズも、動物もな。セルリアンなんて可愛いもんだよ、お前に比べれば。お前が何もしなければ、ここはこんな風にはならなかったんだ!!」
至近距離でヒグマの攻撃を受けても意識が保てるのは、皮肉にも彼女が弱っているからだろう。体力も筋力も万全な時に食らっていればどうなっていたか、想像したくもない。
ヒグマがもう一歩前に出る。距離は離れていない。まだ彼女の武器が届く範囲内だ。
逃げなければならない。
勝ち目がないから、ではない。戦いたくないからだ。
だが、体は震えて動いてくれない。
この状況になっても、『世界』で何が起こっているのか分からなかった。
劇場で何が起こった?
自分が原因でこんな風になったと言うのなら、いったいそれは何なんだ?
どこまでが夢で、どこまでが現実か。それすら曖昧な状態だった。
そして、今度こそ。
ヒグマが持つ絶対的な破壊力を持つ一撃が、来る。
その瞬間、頭上の星辰が煌めいた。
ヒグマの背後に着弾し、膨大な力と轟音の奔流が周囲を全て破壊し吹き飛ばした。
もう一度体が空中へ飛ばされた。
数メートル、なんてものではない。
もっと、もっと高く。
勢いよく放り投げられた。
7
そして、その最中。
少女の声だけが頭の中に滑り込んできた。
『ご覧になったでしょう? これが「見方」を変えた「世界」です』
「な、んの……!?」
『おや、まだ気付いていないのですか』
きっと、その顔色はきょとんとしていたのだろう。何も知らなければ、ただ可愛らしい顔だったはずだ。
しかし姿はない。
声色は何処か嘲るようだった。
『貴女の「見方」ですよ』
8
大きな川に落下した。
どうやら運良く水の上に落ちたようだ。サーバルは泳ぎが得意なわけではないが、浮かんで岸に上がることくらいは出来る。傷口に水が染み込み、痛みが走るのを必死に堪えながら浮上する。
「ば、はぁっ! …………はっ! はっ!」
荒い呼吸を落ち着かせ、壁のような崖を支えに足に力を入れた。
ヒグマの姿はない。どうやらこことは違う方向へ飛ばされたようだ。
最悪の場合が頭を過ったが、今のサーバルにはどうしようもなかった。
懸命に動かして、どこに行けばいいのかも分からず彷徨っていく。
『現状ノ報告ヲ行イマス。現在サーバルキャットノ行方ハ未ダ分カッテイマセン。ソノタメ万ガ一ノコトモ考エテ上層部ハキョウシュウエリアカラ他ノエリアヘノ通行ヲ禁ジ、確認デキル影ニハ全テ爆撃ガ行ワレテイマス。無闇ニ避難ヲシヨウトハセズ、サーバルキャット抹殺ノタメゴ協力クダサイ。皆様ノ協力ガ、コノ騒乱ヲ止メル唯一ノ手立テニナリマス。繰リ返シマス……』
どこからかラッキービーストがそんなことを言っている。
耳は爆音で不調になり、ぼんやりとしか聞こえない。もう距離や方向を測るのは不可能だろう。
やっと、自分の置かれている立場を自覚した。
どうやらここでは、自分という存在は滅するべき悪人らしい。
そのためには手段を選ばず、確実に殺すために動いている。
何もかもが滅茶苦茶だと思った。
爆撃した死体などどうやってみつけるのだろうかとか、海に沈んでしまった中で特定のフレンズをどうやって探すのだろうかとか、そんな些細なことに疑問を抱く。
そのくらい、サーバル自身も麻痺していたのだ。
モラルというものが失われ、死ぬか殺されるしか残されていない『世界』だと痛感した。
やがて。
「あ、れ…………?」
乾燥する口内とは裏腹に全身から冷たい汗が流れ出す。
手段を選ばない抹殺。
もしかしたら。
それは自分の関係者まで及んでいるのではないか?
もし、ここが自分が絶対悪だという前提になっていたとして。
そう、例えば。
この『世界』では何の罪もない、帽子と大きな鞄がトレードマークになっているあの少女は何処で何をしているんだ?
「かばん、ちゃんは……? かばんちゃんを、探さないと……。きっと、きっと説明すれば……」
分かってくれる。元通りになる。
そんな楽観視はしない。
そんなことは考えない。
せめて、かばんが自分を差し出せば彼女だけでも助かるのではないか?
少なくとも、罪には問われないのではないだろうか。
そんな淡い
付近を確認する。大きな川があるが、まだここはさばんなちほーの中らしい。おそらく末端だろうか。
このパークの中で、かばんがいそうな場所。
「ゆう、えんち……」
火山を目印に、およその位置を確認する。といっても方角程度しか分からないが、そこまで分かれば充分だった。あとは進めば良いだけだ。
体に力が戻る。
そして、しばらく歩いた後にそれはいた。
「………………お前なら、ここに来ると思っていたのですよ」
見知った顔だ。
音を殺して飛ぼうと思えば飛べるはずなのに、そうしないということはつまりそういうことなのだろう。
島の長。
図書館の主。
知恵の象徴。
アフリカオオコノハズクのフレンズ。
「…………………………………………博士」
背中を向け、顔だけをこちらに向けていた。
その目にも慈愛の類は含まれておらず、感じるのは憎悪と殺意のみ。
「ここまでよく無事に来れましたね。さばんなちほーのフレンズが死に絶えてるとはいえ、爆撃を躱してここに来れるとは……想像以上に悪運が強いようです」
憎まれ口だった。
今までのような、少し胸が痛むような嫌味ではない。
本当に、心の底から怨嗟する者が持つ言葉の刃だ。
そして、『世界』から色が消えた。
『注釈しておきましょう。僕は頭の中を直接弄るような真似はしていませんよ。先程言った通り、彼女たちに一切干渉していません』
博士の右側。肩にもたれかかるような姿勢で少女は現れた。
自分と彼女以外、全てが停止している。まるで時を止めたかのような状態でだ。
『付け足しも、欠落もさせていません。繰り返すようですがここは貴女の「見方」を変えた「世界」なんです。つまり貴女の行いにこうなる原因があったわけですね。おぉ何て恐ろしいのでしょう』
わざとらしくそんなことを言うと、霧のように姿が掻き消えた。
気づけば『影』はサーバルの背後にいた。
『天真爛漫、心優しくポジティブで、誰に対しても好意的に接する表裏のない性格。非の打ち所がない性格ですね。それ故誰でも仲良くなり友達の輪を広げられるのでしょう。その結果、パークに現れた巨大セルリアンを打ち倒し、かばんという少女を追ってくることが出来た。繋ぐ力というのは非常に強いものですからね、多少失敗する程度の欠点では正の側面を強調されて誰も疑問に思わないんですよ』
勢いよく振り返るが、そこには誰もいない。
しかし『かばん』は背中を合わせた向こう側にいた。
『ですが、こう言い換えてみてはどうでしょうか。貴方は良い顔をして相手に近づき、他者をたらしこみ意のままに操っていた。相手は善意でやってくれてるのだから疑問なんて最初から抱かない。だから誰であろうと利用されていることに気づかず、貢ぎ貢がれる関係になっていく。ここは、それに誰もが気付いた「世界」です。金や権力で政治を行う独裁者がヒトの世にはいるようですが、そんなのは可愛いものに見えますね。善意の強要。反論できない自由。何と形容するとしても誰彼構わず己の手足として扱う悪女を前にして、暴動一つ起こらないとは随分楽観視しているとは思いませんか? ねぇ、サーバルさん』
「そんな、そんなこと……わたしは……っ!」
『ではこれまで他人を利用したことは一度も無いと? 今まで戦場に残してきたあの方たちの「私は信じてる」、「お前も信じてくれ」。あの言葉は自分ではなく、相手が誰であっても言ったはずだと、そう仰るのですね?』
「──っ」
『そんなことありえませんよねぇ。聖人君子ではない以上、言うに値する相手がいたからこそ言えたのです。ほら、ちゃんと考えてくださいよ。無知と無能はイコールでは繋がりません。賢い賢いその頭で、ゆっくりと、しっかりと、考えてください?』
ふと背中の感触が消えたかと思えば、肩を抱くように腕を回していた。
甘く、囁くように。
悪意しかない言葉を突きつける。
『誰もが口を揃えて先に行け、置いていけと言う。関わったフレンズなんて他にもいるのに、誰一人として異を唱えることなく「かばんを止められるのはサーバルだけだ」なんて考えている』
そして、息がかかりそうなほど近くまで密着し、様々な感情が渦巻いて動けないサーバルへ今度は本当に囁いて告げる。
『貴女の周りは歪んでいます。それは他でもない、貴女のせいで』
『かばん』が消えた。跡形もなく消失した。
『世界』に色は戻り、時間は動き出す。
「助手は死んだのですよ」
全身から力が抜けそうになった。
今でも顔が思い浮かぶ、博士にとって唯一無二のパートナーだ。
それが死んだのだと、目の前のけものは言った。
「ただ島の長としてパークを見守っていただけなのに、他のフレンズを守るために、助手は…………。なのに……なのに!!」
その目に涙を溜めて、泣くのを必死に堪えながら博士は激昂する。
「何故お前は死なないのですか!! フレンズ助けをしていた助手が死んで、何で諸悪の根源であるお前は生きてるのですか!!!!!!」
その感情が直に伝わってきて、サーバルは逃げ出しそうになった。
しかし、踏みとどまる。
「それでも……それでもわたしは…………」
自分の肩を抱くように、震える体を抑えるようにして、サーバルは自分の意志で反論する。
もしもそれが、相手の神経を逆撫でするような言葉であっても。
「わたしがやらなきゃいけないからやったの。それに、そうしろって言ったのは博士だったはずだよ」
反論が来るかと思っていた。
しかし、その目に背筋が凍るような何かを宿すと一蹴する。
「お前の事情なんて知ったことではないのです。元々、話し合いで解決するとは思っていなかったのですから」
激昂した声とは違い、恐ろしく冷たい声だった。
「ただ、これ以上続けるというなら止めますよ。この島の、長なので……っ」
博士が飛んだ。
サンドスターを用いた飛行。元々音を立てずに飛べるはずだが、微かにその動きが聞こえてきた。だが大して変わらないだろう。サーバルの耳も死んでいる。その状態で聞き分けることや距離の判別など、出来ようもない。
戦いたくない。
傷つけたくない。
でも、話し合いでは終わらない。
それでは何も解決しない。
そんな平和的な解決を行うポイントは、きっともうとっくの昔に過ぎ去っている。
だから、戦うしかないのだ。
動体視力だけが頼りだった。
今までの付き合いから分かったことだが、博士は無音飛行に
問題は力のほうだ。いくらサーバルとはいえ、何十メートルもの上空から叩き落されれば着地は厳しくなる。フレンズの肉体は頑丈であるためそれで致命傷には至らないが、追撃の一手を向こうに与える事態は避けなければならない。
だから。
「……みゃ!」
跳躍する。数メートル上昇すると、博士に向けて爪を振り下ろす。
殺すつもりなんてない。相手がそのつもりでも、サーバル自身は誰も傷つけたくないのだ。しかし、『世界』とは残酷なもので、それしかここを通る方法はない。
だから一撃で終わらせる。せめて気絶まで持っていければ……そう思っていた。
ひらりと、まるで予期していたように博士の体が空中で回転した。
そしてその手元。普段ならば見ないものを博士の手には握られていた。
(ぶ、き…………っ!?)
杖のような、ハンマーのようなもの。森の賢者という名称から察するに、どちらかと言えば杖だろうか。
何の躊躇いもなく頭の側面を狙われるそれを、直撃だけは顔を咄嗟に逸らすことで回避する。
相手を無力化するために一番分かりやすく、一番効果的な部位は何なのかいい加減分かってきた。
頭部。そこを殴られ、揺さぶられると一時的にだが思考が鈍った。つまり、そこに重い一撃が加われば……。
サーバルは着地するが、博士は上空で姿勢を整え見下ろしていた。
直後だった。
ゴオッッッッ!! と肌がピリピリするような何かが博士を包み込む。
野生解放とは違う。何か、もっと身近にあるような力。
ギリ、と杖を握る力が増す。
狙いを定め、上空から下降すると加速したまま地面すれすれを滑空する。
相手にこちらが何をするのか察するように跳躍の姿勢を整えた。
しかしすることは別。サーバルは爪を構えず拳を作る。
今までしなかったことに対し、若干の拒否反応を示したが仕方がないと割り切った。
狙いはカウンター。
ギリギリまで引き付けて、跳躍の姿勢を崩す。
「──っ!?」
虚を突かれた博士は目を見開いた。サーバルは博士が回避する前に拳を振りかぶり、そのまま左頬へ突き刺さる。
素人の一撃で腰も入っていないものだったが、博士が加速した勢いがそのまま威力になった。
殴りつけられた博士が地面に叩きつけられバウンドする。
今なら確実に倒せる。あれだけで気絶まで持っていける自信はなかった。
博士は立ち上がるはずだ。立ち上がって、自分にまた牙を向くはずだ。ならばここで確実に倒しておいたほうがいい。
だから……だから、もう一手を──、
打てなかった。
「ごめんね、博士。でも、かばんちゃんの無事を確かめないと……。そうしたら絶対終わらせるから。だから待ってて」
背中を向ける。
追撃は来なかった。
来たのはそれ以上のものだった。
「まだ、期待しているのですか……。では、存分に絶望するといいのです。どうせお前は救われない。救われていいはずがない! 助手が死んで、フレンズが死んで、パークは地獄になったのに、元凶のお前だけ報われてたまるものですか!!!!」
心が軋む。
でも、大切なあの子だけは、絶対に。
そして、たどり着いた。
瓦礫の山だった。
沢山の動物が死んでいた。
遊園地。そこへとうとう辿り着いたのだ。
「かばんちゃん……っ」
『一人の友人のために仲間を倒す。おやおや、随分乱暴になりましたね? 始まりの獣さん』
あの声だ。
姿を探せば、動きもしない
『まぁ、自身の目で確かめたいと言うのであればそれも一興。ではお教えしてあげましょう。ほら、あそこですよ』
すい、と白く細い腕である一点を指差す。
目を凝らし、その姿を確認する。
大きな何かの瓦礫。それに寄りかかるように座り込むその少女の姿を。
「かばんちゃん!!!!」
最初に感じたのは焦燥感だ。近くまで駆け寄り、膝をついて肩を揺さぶる。
反応はない。
しかし呼吸はしている。
取り敢えず安全な場所へ。無事を確認できたのであれば後のやることは決まっている。しかしその前に、なるべく爆撃を受けにくい場所へ運ばなければならない。
そう考えていた時だった。
ガチリと、黒くて固い何かが鳩尾あたりに押し付けられた。
『世界』から色が失われた。
『ではここで最初の問題へ戻りましょう。その悪女が、いえ害獣が、世界全てに蔓延っていて手に負えないような存在だと何かを発端に気付いた時、「世界」はどう揺らぐと思いますか?』
かばんの頭上。自分の目と鼻の先。
瓦礫の上に腰かける彼女は気味が悪いほど純粋な笑みを浮かべていた。
『世界』の揺らぎ。
その象徴。
帽子で顔は見えないが、迷いもなく黒い何かを自分に突き付けている。
「かばん、ちゃん……」
『結果はご覧のとおりです。貴女は醜いけものだった。誰も気付かず、貴女自身ですら気付けなかった。これは
言っている。
『神』と名乗る者は言っている。
サーバルというけものは絶対に報われないのだと。
救いはなく、ただ孤独に、周りすら巻き込んで破滅の道を歩む災害なのだと。
でも、そうだとしても。
「進むよ。わたしがせかいをこんな風にしちゃったなら、元に戻せるのもきっとできるはずだよ。だから、きっと……」
戻せる。
戻してみせる。
それを『かばん』は鼻で笑った。
『ここですっぱり諦めれば楽になれるというのに、貴女は自分から困難な道を選ぶのですね。ではご希望通り、叶えてあげましょうか』
指を鳴らす。
色が戻る。
それと同時に少女が引き金を引いた。
パン!! という乾いた破裂音が胸元から聞こえてきた。
その瞬間、力も、意識も、何もかもが抜けていく。
倒れる寸前に、大好きな少女の顔を見た。
「…………………………、」
何も感じ取れなかった。
喜びも、悲しみも、怒りも、憎しみも。
まるで人形のように、ただ無機質な目で見下ろしていただけだった。
でも、これで心配することは無くなった。
今ので自分は死ぬ。それが直感で察することが出来る。
そうすればもう誰も傷つかない。誰も死ぬことはない。
そこに自分はいないけど、またあの日々が──。
「…………ぁん、…ゃ……………っ」
何かを言おうとして、出来なかった。
深い海の底に意識が沈んでいくようだった。
かばんは一仕事終えたかのような調子で、瓦礫に背中を預けて夜空を見上げる。
たった一言、呟いた声が聞こえてきた。
「……これで満足ですか?」
視界の端で、赤い夜空が瞬いた。
直後、何もかもを巻き込んで。
星の光が落ちてきた。
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