その想いは変わり果てた友のために Determination.
19
『世界』から色が消えた。
それをした張本人はすぐ目に入った。
真正面の本棚の上。
後ろに手をついて座っている、『かばん』の姿が。
その顔に表情はない。
もう一度、サーバルは問いかける。
「どういうこと? ここはみんなが笑っていられるせかいじゃなかったの?」
『そう、ですね……その通りですよ。ただ一つだけ言ってなかったことがあります』
罪悪感を感じている様子はない。
引け目を感じている様子もない。
嘲るような調子で言った。
『この「世界」は、かばんが王になり憎悪と怨嗟の避雷針になることで成立している「世界」です』
意味がわからなかった。
理由も、必要性も、何もかもが分からなかった。
『神』はそのまま足を振りながら続ける。
『心を持っている者は単純です。不満や不平、憎悪や怨念を抱いた瞬間、その原因を一つのものに押し付けようとします。こいつがいたからこうなったんだってね。あぁ、それはあなたも例外ではありませんよ』
思い返してみよう。
誰かに責任を押し付けてはいなかったか。
かばんの変質は誰かが仕組んだものだと疑いはしなかったか。
カラカルはサーバルの異変に対し真っ先にかばんを疑っていた。
『偏見、先入観と言った固定観念。そこから生じる根拠のない理論は誰のためでもなく、ただ自身の欲望を果たすために実行されます。他者を批判したい、誰かに不満をぶつけたい、優越感に浸りたい……その一心でね。その有様は見ていてとても醜いものですよ?』
確かに、その通りかもしれない。
醜さだけを浮き彫りにして、丸め込まれているような気はしていても、どこかで納得してしまう自分がいる。
でも分からない。
まだ分からない。
それとこれとがどう繋がるのか。
いいや。
或いは、また以前の時と同じように、分かりたくなかっただけかもしれないが。
しかし『神』は躊躇などと言った下らないことはしないものだ。
その口振りは、サーバルの心境も、この世の真理も全部引っ括めて見通しているようだった。
『だから、彼女はこの世にある全ての悪意を一心に受けることにしたんです。誰もが共通で恨む絶対悪。それが現れれば些細な悪意なんて掻き消されるものなんですよ』
そう。
その時、その場所、その瞬間。
そこかしこに散らばる点が全て線で繋がった。
サーバルは己の中にある
そんな衝撃を受けたのだ。
「……………………………………………………………………あぁ、そうだったんだ」
20
世界はどうしようもなく歪んでいた。
表面上は明るいものに見えるかもしれないけど、蓋を開けてみれば持ち上げた岩の裏や地面に大量の虫が蔓延っているみたいに、醜い何かが溢れているのかもしれない。
あの少女は、それを知ってしまったのではないだろうか。
知ってしまえば、もう逃げられない。
結末を知った物語を初めから見ても、どうせこうなるんだとしか考えられなくなるように、彼女はもうヒトを醜い動物にしか見えなくなってしまったのではないだろうか。
本当はかばんのやってることが正しいのかもしれない。
もしかしたら善人面で過ちを犯しているのは自分の方で、最適解は黙って見守っていることなのかもしれない。
……だからどうしたというのだ。
止めなきゃいけないと思っていた。
間違っているから、トモダチとして止めるのが自分の役目だと考えていた。
サーバルを突き動かしていたのは、そんな曖昧な使命感だと思っていた。
でも違ったのだ。
そうではなかったのだ。
止めなきゃいけないから止めに来たのではない。
ようやく、一人のけものは無限の地獄の果てで自身の感情を理解する。
トモダチとしての役目でも、曖昧な使命感からでもない。
正しさや間違いなんてお門違いで、最初から的を射てなどいなかった。
でも、その答えに自信を持てなかったからそっちの方向に考えを持っていった。
だから宣言しよう。
固い決意と言いながら、迷いが残っていた心に終止符を打とう。
「止めなきゃいけないから止めるんじゃない……」
もう一度、歪な『神』を前にして。
一匹のちっぽけなけものは吠えた。
「一人にさせたくない……いつまでも一緒にいたい! ずっと!! だから止めたいの。かばんちゃんがどれだけ敵を作っても、わたしはあの子の味方で居続けたいから!!!!」
21
肩が震えていた。
『神』は小刻みに、口元に手を添えて。
怒りの感情ではない。
まったくの別物。
邪悪にくつくつと笑っていたのだ。
『そう、ですか⋯っ、美しい感情ですね……クッククク……』
サーバルは気付く。
変わっていた。
ぼんやりとした記憶の中でも聞いたような気がしたが、あの時は笑っていたということしか分からなかった。しかし、『芯』が出来た今なら分かる。
笑い方が変わっている。
少女のような可愛らしい笑い方ではない。
もっと邪悪で。
もっと極悪で。
胸糞悪く、救いなど無く、あらゆる報いを否定し尽くすその笑い。
『世界』は揺らぐ。
『では、確かめてみましょうか。その想いが、その決意が、どこまで強固に保てるか』
崩れ。
砕け。
移り変わる。
黒一色のあの『世界』が目の前に現れた。いいや、少しだけ差異がある。
地面。
それだけは、まるでその一面がガラスで敷き詰められたかのような特殊なものだった。
笑顔も、仲間も、幸せも、全て目の前で死に絶えた。
どこまでも、その『神』は壊すための兵器であった。
『かばんと一緒にいるためにあらゆるifを否定する。貴女は自分の意志でそう選択しました。では、この「世界」も乗り越えてください? そちらが勝手に引き金を引いたのですから、末路も拒まず受け取ってください』
カツン、と。
サーバルの後ろから音がした。
聞き間違えるはずがない。あの革靴の音だ。
後ろを、振り向く。
いる。
いるはずがない者が。
いてほしくない者が。
考えてみれば当たり前だ。
『神』はいつだって、そういった問いを投げかけてきていた。
『かばんを止めるためには彼女を乗り越えなければならない。だから、ほら。用意してあげました』
二枚の異なる羽がついた帽子。
背中には名前の象徴である大きな鞄。
赤いシャツに、灰色の短パン。
黒い手袋とストッキングに、茶色の革靴。
そして、右手に握られている、黒く光るあれは。
「………………………………………………けんじゅう……」
当然にして必然。
因果にして運命。
『神』は背で
『壊れないのであれば殺しましょう。その心を徹底的に嬲り、穿ち、蹂躙しましょう。何度も、何度も、何度もね。ククク……。例え貴女を何百万、何千万と殺すことになったとしても』
振り向いても、『神』は既に姿を消していた。
ガチリという無機質な音が聞こえた。
少女からこれといった感情は読み取れず、まるで命令されたら忠実に動くロボットのように淡々とその武器をサーバルへ向ける。
最後に、平坦な声だけが『世界』に木霊した。
『映しましょう、創りましょう。貴女の決意を確かめるために。貴女にとって
22
地面のみがガラス張りで出来た暗黒の『世界』。
そこに対峙するのは独りのヒトと一人のけもの。
偽りの想いと決別せよ。
その
サーバルは拳を握る。
目の前の少女と戦わなければいけない現実を受け止める。
己の信念を押し通せ。
一を犠牲にした『完璧で理想の世界』を否定する最高の我儘を。
不純物が存在しない『無の世界』で。
『神』の手で創られた『世界』の極点で。
ある過去の歴史から道を違えた二人。
ヒトとけものの戦いが、始まる。
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