或いは、例えばそれはこんなif Version_Omega.



 14



「……………………みゃっ!?」


 サーバルははっと目を覚ました。

 カラッと乾いた風が頬を撫で、暑苦しい日差しが葉っぱの合間から全身に降り注ぐ。


(ここは、さばんなちほー……?)


 どうやら、自分はさばんなちほーの木の上で昼寝をしていたらしい。

 最初の黒煙と炎の地獄が頭を過ぎった。

 しかし、見る限りクレーターも炎もない。空は完全な晴天で、爆撃機のばの字も無かった。

 平穏。

 そう形容するのが適切だろう。

 だが、サーバルは拳を握る。

 この平穏はすぐに終わる。目を逸らしたくなるような地獄に変貌する。

 上げて落とす。それがあの『神』のやり方だった。

 サーバルが平和な『世界』に順応した途端、取り上げるように目の前でズタズタに破壊する。そうすることで心を折ろうとしているのだ。

 サーバルの意識は明滅していた。精神の摩耗は確実に進行しているのだ。割れた食器をかき集めるみたいに、自分の中に残った目に見えない何かをかき集めて、強引に繋ぎ合わせる。チグハグになる箇所もあったが、そんなことなど気にしてられなかった。


(何か、ここから抜け出す何かがあるはず……。それを見つけられたら…………)


 突破口になるはずだ。

 確証なんて無い。ちっぽけなけもの一匹にこの『世界』から抜け出す方法なんて分からない。でも、そうでもしないと折れてしまう。もうダメだと諦めて、何もかも放り投げてしまう。そういう危機感があった。


(取り敢えず、ここについて調べなきゃ……)


 悠長に構えていれば先に『世界』に潰される。それだけは回避するために、常に周囲を疑い、『ここ』がどういう風に壊れていくのかをある程度予測するために調べなければならない。そうすれば取り敢えず、平穏の崩壊によるダメージは軽減されるはずだ。

 木の上から軽くジャンプをして着地する。

 よし、と息込んで前を向いたときだった。


「あっ、サーバルちゃん。おはよう」


 呼吸が止まるかと思った。

 後ろから声がした。

 

 でも、他に自分の名前に『ちゃん』をつけるフレンズなんていないはずなのだ。

 だって、そのフレンズは──。


 ゆっくりと、振り向く。

 別に、後ろにいたのは自分を非難するような存在ではない。

 でも、それでもしばらく自分の目を疑っていた。

 そのフレンズは。

 その友だちは……。




「…………アード、ウルフ……ちゃん?」



 15



 硬直してから時間がどれほど経ったかなんて知らない。その合間、アードウルフは心配そうにこちらの顔を度々覗き込んでいた。その仕草が可愛いと普段であれば思ったのだろうが、今のサーバルには些細な事だった。


「どう、して……?」

「ふぇ? な、なにが……?」


 アードウルフは混乱している。嘘をついているようにも、誰かが化けているようにも見えない。

 アードウルフはサーバルにとって戒めのような存在だった。

 ヒトの縄張りに入るまでに出会った全ての友だちの中で唯一助けられなかったフレンズ。

 ずっと、心残りだった。

 かばんがさばんなちほーを発つ時、我慢できずに追いかけた原因はそこにあったのだ。雰囲気もどこか似ていて、フレンズになったばかりで頼りない。

 正直に言って嬉しかったのだ。

 いつも誰かに面倒を見られる立場だったサーバルが、今度はお姉さんっぽく振る舞えたことが。

 だからこそ心配だった。

 あの少女も同じように、セルリアンに食べられるかもしれないと考えたら、居ても立ってもいられなかった。

 そんな、ある意味かばんとの旅路のきっかけになったとも言えるけものが目の前にいる。しかも、ほとんどあの時のままの状態で。


(もう一回フレンズになった……? でも、それだとわたしをサーバルちゃんなんて呼ばないはず……。じゃあ、『もしアードウルフちゃんが助かってわたしがかばんちゃんを追いかけなかったら』っていうせかい?)


 難しいことを考えるのはあまり得意ではない。だが、今のこの場でこれまでの事情が分かっているのはサーバルだけだ。全てを話して納得してくれるとは限らない。だから自力で打開する必要があった。

 もう一度、アードウルフは心配そうに首を傾げる。


「本当に大丈夫……? おなか痛いの? あんまり無理しちゃダメだよ。酷いようならカラカルさんたちには私が言っておくから」

「カラ、カル……?」

「うん。この後みんなで図書館に行く約束だったでしょ? 待ち合わせの時間までまだもうちょっとあるけど……元気ないなら休んでいいよ?」


 この『世界』がどういうものなのかピンとこないが、ここではそういう事になっているらしい。断って調べに行くのも選択肢としてはある。しかし別行動を取っている間にアードウルフたちの身に何か起こるのも嫌だった。

 心配するアードウルフを寝起きだからと言いくるめると、横に並んでさばんなちほーを横断する。さり気なく近況の確認をしてみたが、アードウルフの口ぶりから察するに二人はずっと一緒にいるらしく、深くは聞くことは出来なかった。

 そして、集合場所に辿り着き、眼前にそびえ立つそれに絶句する。


「何してるのよサーバルー! 置いていくわよー!」


 さも当然かのようにアードウルフたちはそれの上に乗っていた。カラカルの挑発的な発言に、サーバルは困惑しながらよじ登る。

 振り落とされないか心配だったが、結局そのまま移動を始めた。


「ねぇ……これ、どういうことなの……?」

「……? どうって、何が?」

「別にいつもどおりじゃない。どうしたの? 寝ぼけてる?」

「え? あぁ、そう、なんだ……。ううん、ごめんね。なんでもない」

「変なサーバルね」


 誰も、疑問に思っていなかった。

 それが当然のことであると受け止めることが出来なかった。

 さばんなちほーから図書館までの道のりはかなりある。途中アライグマやフェネックと合流し、珍しく遺跡の外にいたツチノコを強引に掻っ攫って図書館に到着した。

 カラカルやアライグマは調べ物がしたいと助手を引きずり回している。それを呆れ顔で博士が眺めていて、サーバルを一瞥すると何とも言えない表情で奥に行ってしまった。


「何が……どうなって…………」


 その場から動けないまま、サーバルは一人零していた。

 図書館の前にはもう誰も居ない。みんな、図書館の中へ入っていったのだ。

 後ろを、振り向く。

 動く様子はない。

 どう見てもここには似つかない異物がそこにある。

 黒く、巨大で、一つ目が浮かぶそれ。


 


 今までも、乗り物代わりにしようが八つ当たりで殴ろうが何もしなかった。

 襲わず、傍から見ればフレンズの言い成りになっているようだった。

 それはまるで、ヒトにのみ従うラッキービーストのように。

 みんな笑っていた。

 食べられたフレンズも、その友だちだったフレンズも。


『分からないんですか?』


 後ろ。

 図書館の梯子の上にその少女は腰掛けていた。どう考えても保ち続ければ落ちてしまうような姿勢のままニタニタと笑う。


『歴史の分岐点が過去だけだと誰が言いました? 未来にだって当然存在することを先程説明しましたよね?』


 途中でやめて、跳び下りる。

 足が地面に触れる寸前で、霧のように消えてしまった。


『これは未来の、ある特異点から分岐した「世界」です。敗北したという、ただ一つの分岐の末路ですよ』


 また後ろ。

『かばん』はサーバルに背中を預けるようにしていた。

 サーバルは振り返らない。


「負けたって……だれが、何に……」

『薄っすらとでも気付いてるのでは?』

「…………、」


 何となく、察していた。

 ここは最も自分がいた世界に近かった。綺麗に修繕されているように見えても、パークのあちらこちらに破壊の爪痕が残っていた。

 極めつけは博士の表情だ。

 一人だけ、異質だった。

 アードウルフも、カラカルも、アライグマも、フェネックも、ツチノコも、助手も心の底から笑っていたのに、彼女だけ気まずそうな、申し訳無さそうな顔をしていた。


『ここは』


 それらのことから導き出される答え。

 この『世界』の正体を、『かばん』は歌うように告げる。




『貴女たちがかばんという少女に敗北した「世界」です』




 自分では解決しようのない問題があった。

 かばんがやろうとしていることは間違っているから、誰かを傷つける行いは良くないことだから止めなければいけないと思っていた。

 本当にそうか?

 目の前の景色をよく見てみればいい。

 傷跡なんてどこにもない。痕跡は僅かに残っていても、それで心を痛めるけものはいない。


『まぁ、例外はいるようですけどね。例えばアフリカオオコノハズク……博士に至っては貴女に対して引け目を感じているようです。しかしそれも時間が解決してくれるでしょう』

「ここが、わたしたちが負けたっていうせかいなら……どうしてアードウルフちゃんはわたしのこと覚えてるの?」


 再フレンズ化し、再会したということが少し前のアードウルフの発言ではっきりしていた。

 それではおかしい。

 おかしいはずなのだ。

 彼女はどう考えてもかばんと出会う前の記憶も保持したままだった。

 フレンズがセルリアンに食べられ、元の動物に戻れば記憶はなくなる。それは何度も繰り返された悲劇で、変えられない事実のはずだ。


『サンドスターの本質は再現ですが、実はもう一つあるんですよ』


『世界』から色が消えていた。

 図書館の入口から、アライグマが本棚に押し潰されているのが見える。


『情報を保ち続けること。つまり保存がもう一つの性質です。かばんという少女はサンドスターに保存された情報をリロード……復元することにより再フレンズ化の際に記憶を取り戻すようになりました』


『かばん』は以前と同じ、サーバルの肩を抱くような姿勢で耳元に口を持っていく。


『かばんは繁栄と衰退を無くすために定期的にフレンズを食べているようですが、それも少しの間別れるだけです。一定期間経てば記憶もそのままのフレンズが復活します』


 このパーク唯一の、絶対悪は消えていた。

 災害のような、見つけたら倒すか逃げなければいけないセルリアン。

 それが許されなかったのは『食べられたらフレンズとしての能力が全て消えてしまう』ことに起因する。

 しかしそれは取り払われた。

 誘惑するように『かばん』は囁く。


『ほら、否定してくださいよ。かばんのしていることは間違っているのでしょう? 勝って、止めて、世界をあるべき姿にしたいのでしょう? 独裁者がいる「世界」なんて歪以外の何物でもないですからねぇ。だからほら、もう一度立ち向かってくださいよ』


 サーバルは知ってしまった。

 かばんを止めるということは。

 サーバルが勝つということは。

 

 繁栄も衰退も獲得も喪失も別れも事件すら無い『世界』。

 上げて、落とす。

 それが『神』のやり方ではなかったのか。

 一つでも見れば発狂してしまうような『世界』を散々見せつけて、最後に出した『世界』は皮肉にもサーバルが元の世界で否定していたものだった。

 今まで戦ってきたのは何だったのだろうか。

 だって、かばんの行いがハッピーエンドに繋がるならサーバルたちの旅路はまったくの無駄骨だった。

 だって、自分が信じていた正義は思い込みから生じた下らない感情だった。

 立ち向かって何になる?

『黄金の世界』を否定し、セルリアンに怯えるフレンズたちを見てこれが正しいんだなんて胸を張って言えるのか?

 何が正しいのか。

 何が間違っているのか。

 もう、サーバルには区別がつかなかった。


『別に貴女自身の命を絶てとは言いません。そんなことをしなくてもこの未来を手に入れる方法はあります』


『神』は告げる。

 ゆっくりと、小さな傷口を広げるように。


『ただ諦めればいい。かばんに立ち向かうことをめれば開放してあげます。あぁ、表面上だけ見繕っても無駄ですよ。僕にはお見通しなので』


 支えになっていたものが意味を無くした。

 戦うことを諦めるだけでこの『幸せな世界』が手に入るなら安すぎる。何か裏があるのではないかと勘繰ってしまう。

 だが『神』は嘘を吐かない。

 一言一句正しくて、大前提としてここまでの過程を知っている。

 単に結果だけを見せられたサーバルとは違い、確信を持ってそうだと言い切れる立場にいる。


「ねぇ…………」

『何でしょう。ある程度の質問ならお答えしますよ』


 港街のかばんと重なった気がした。

 今なら本当にある程度のことなら答えてくれるだろう。

 しかし、サーバルの口から出た言葉は質問ではない。

 たった一言だけだった。




?」




 しばらく黙っていたが、やがて短く笑う声がした。

 背中から感触が消える。

 声だけが耳に届く。


『えぇ、ご自由に。存分にお楽しみください。ただ、これだけは忘れないでくださいね? この「世界」が欲しければ、諦めればいいのです。ただそれだけで、この「黄金の世界」は現実になりますよ』


『世界』に色が戻る。

 時間が動き出す。

 アードウルフたちに一言声をかけて、以前の驚異を微塵も感じられないセルリアンの上に乗る。

 表面を軽く撫で、未だに慣れないそれに怯えながら告げる。


「パークを見て回りたいんだ……お願いしても、いいかな?」


 ズズッ、とセルリアンが動き出す。

 忠実に従うセルリアンの上で、一人のけものは葛藤していた。

 そして。

 サーバルの一人旅が、始まった。



 16



 パークを見て回る上で、どこから回ればいいか考えていた。

 図書館からぐるっと一周してもいいが、それだと何だか中途半端な気がした。

 分かりやすくて、単純な経路。

 そう考えたら、やはりさばんなちほーから右回りに回るのが順当だろう。

 サンドスターの火山を横断する。

 その途中で四神の石像を発見したが、どれも力を失っているようで模様のないただの石版だけがその場に残されていた。

 サーバルはさばんなちほーでフレンズの三人組を発見した。


『あらいらっしゃい。お水を飲みに来ましたの?』

『そうだよ! 今日はシマウマちゃんも一緒なんだ! セルリアンのおかげでここに来るのも楽だったよ!』

『確かに楽でしたけど……トムソンガゼルさん、セルリアンの上で騒がないでくださいね? 今日もちょっと落ちそうで怖かったんですよ?』

『ご、ごめんね?』


 ──笑っていた。

 その横を通り過ぎ、ゲートを抜ける。

 じゃんぐるちほーではたくさんのフレンズを前に一人のけものが頬に冷や汗を流していた。


『いや、流石にこの数は無理だって! こっちはイカダなんだよ? 一〇も二〇も乗せられるほど頑丈じゃないんだよ!!』

『ジャガーなら大丈夫だよ! みんなー! 「ジャガーのイカダで川下り」はこっちだよー!!!!』

『ばっ、カワウソ!? うわーこんなに並んじゃって……分かった。いいよ、乗せてあげようじゃない。だから取り敢えずそこに列を作るんだせめて順番で運ばせてお願いだから!!!!』


 ──笑っていた。

 不満を口にしていても楽しんでいるのが伝わってきた。

 高山を登ろうとしたが、セルリアンでは行けないようだったので足漕ぎではないロープウェイに乗った。

 疲れる要素がどこにもない。強いて言えば風で少し揺れるが、それも気にならないほどだった。あの時、ボスはこれに乗せたかったのだろう。

 カフェは賑わっていた。

 その中で、一際目立つ知り合いが目に入った。


『あれぇ今日も来てくれたのぉ~? もうすっかりお得意さんだねぇ~』

『勿論よ。ここに通うって言ったじゃない』

『ちょっと! ワタシもいるんですけど忘れないでくださいね!?』


 ──笑っていた。

 もう一度ロープウェイで下り、セルリアンに搭乗する。

 スナネコの住処にあったのと同じものだろう。地下に続くトンネルからさばくちほーを通り抜ける。

 途中で鼻歌を歌うネコ科のフレンズがいたが、こちらを見ると手を振ってどこかに行ってしまった。満足して帰っていったのだろうか。

 ──笑っていた。

 トンネルから出ると高いところにある太陽の日差しが差し込んできた。

 その眩しさに思わず手でひさしを作ると、綺麗な湖が瞳に映り込む。


『うーん……次は何を作るっすっかねぇ……』

『そういえばじゃんぐるちほーで川下りするためのイカダが小さいって言ってたのを風の噂で聞いたであります! 今度はそれを作ってみてはどうでありますか!!』

『いいっすね! でもここで作ると持っていくのが大変っす。セルリアンに乗せてもいいっすけど出来れば完成と一緒にお披露目をしたいっすね』

『それなら今からじゃんぐるちほーに行くであります! ほらほら、早くセルリアンに乗るでありますよ!』


 ──笑っていた。

 すれ違った湖畔のフレンズと手を振り合い、一言二言挨拶すると次のちほーに向かう。

 セルリアンの立ち位置はどうやら本当に変わっているようだ。

 誰も恐れず、親身に接している。

 その証拠を平原のフレンズたちが教えてくれた。


『ふふふ、腕を上げたなライオン! だが私はまだ負けていないぞ!!!! さぁもう一度だ!』

『それって負けたって認めてるんじゃない? あとそれは私じゃなくてセルリアンだからね? お~い?』

『大将! 正面、正面!!!!』

『のわぁ!?』


 ──笑っていた。

 どうやらフレンズ型セルリアンと合戦をしているらしい。腕を使って力勝負をするものと、地面に引いた輪っかの中で押し合いっ子をする二通りでやっているようだが、正直どういうものなのかイマイチピンとこない。

 セルリアンに自我が芽生えているのか、以前見たよりもどことなくフレンズに近くなっているような気がした。

 平原を通過し、迷路には入らず図書館に戻ってくる。

 トラブルメーカーたちは未だに島の長を困らせていた。


『だ、ダメですよアライグマさん! ほ、本棚が倒れ……ひゃ!?』

『重いのだー! 助けてほしいのだー!!!!』

『何かこう……あれよね。本棚に押しつぶされても元気な様子を見るとやっぱりアライグマって他のフレンズより頑丈に作られてるんじゃないかって思えてくるわ……』

『まーそれがアライさんだからねー。一緒にいて本当に飽きないよー』


 そのやり取りを少し離れたところで眺めている三人がいた。

 図書館の主である二人はため息混じりに目の前の光景を遠い目で眺めている。フードを被っているフレンズが苦笑いをしながら本を片手に目を逸らした。


『何をやっているのですかお前は……』

『…………勘弁してほしいのです』

『……ま、こいつらが来ちまったのは運の尽きだな』


 ──笑っていた。

 そんな事があっても、最後には笑い合っていた。

 その様子を横目に、図書館も通り過ぎる。

 みずべちほーではステージの上でアイドルユニットが挨拶をしていた。ステージ脇で密かに興奮しているのはあのマネージャーだろう。


『みんな! 今日は来てくれてありがとね!』

『今回も楽しんでいってください!!』

『んぅ? もう本番ですかぁ~?』

『まだ食べてるのかフルル……』

『まぁ、それがフルルの良いところ? だろうさ』


 ──笑っていた。

 疑問系だったことに多少の笑いが起こっていた。折角だからと木の上でそのライブを眺める。一通り終わったらステージの方から大きな歓声が聞こえたが、それが誰なのかは見なくても分かった。

 おまけのコーナーがあるようだったが、サーバルはそこで見るのをやめて次に移行する。

 雪山は相変わらず寒かった。体力の消耗がない分幾らかマシだろうが、それでも寒いものは寒い。そこで温泉に入って一度体を休めることにした。今度は氷水と間違えないように指を付けて温度を確かめてから肩まで浸かる。

 後ろから二人の声が聞こえてきた。


『ちょっとキタキツネ! ちゃんと歩きなさい!』

『えぇ~? もう疲れたよぉ。ぼくはここで待ってるからギンギツネだけ行ってきて……』

『……それならしょうがないわね。じゃあ私は帰るわ。ゲームが出来なくても困らないし』

『何してるのギンギツネっ。早く湯の花をなんとかしなきゃ!』

『貴女は本当に……』


 ──笑っていた。

 遠目から見てもその会話は楽しそうだった。

 毛皮を着直して雪山を降りる。

 途中でロッジが目に入った。その一室からフレンズの声が聞こえてくる。


『まずい! 原稿が終わらない……っ!! キリン! そっちはどうなってる!!!!』

『半分くらいです! っていうか先生が描かないでのんびりしているからですよ! これ講演会に間に合うんですか!!??』

『ふふふっ、漫画よりも現実いまのほうがホラーすぎる!!!!』

『あんまり無理しないでくださいね……? えっと、お茶でも出しましょうか?』

『『いただきます!!!!』』


 ──笑っていた。

 締切に間に合わず追い込みをやっているようだ。作家も大変なんだなぁと思いながらロッジを後にする。

 森林から出たら、あの場所が見えてきた。

 遊園地。

 サーバルの記憶では良い意味でも悪い意味でも色んな事があった場所だが、今では沢山のフレンズが賑わうアトラクションになっていた。

 その中で丸机を囲んで座っている知り合いたちがいた。


『こう、やることもないと暇だな……』

『平和なのは良いことじゃないですか。無茶なオーダーばっかな毎日より充実してると思いません?』

『というよりも、自分の時間をセルリアン討伐に割きすぎて何をやったら良いか分からなくなっているんじゃないですか?』

『まぁな。……よし、久しぶりに手合わせしてみるか。キンシコウ! リカオン! 戦う準備をしろ! 模擬戦けもくらべだ!』

『お、オーダー……了解です……』


 ──笑っていた。

 セルリアンハンターとして動いていた彼女たちはそれ以外にすることを見つけられなかったのだろう。

 退屈で平凡な毎日。でも、それこそが至上の幸せだと気付いているのだろうか。

 三人のフレンズが何やら戦いごっこを始めた。けもくらべと言っていたが新しく出来た競技なのだろうか。そんな事を考えて、もう一度、図書館に向かう。


(……………………………………あれ?)


 戻りながら、疑問に思う。

 ここは『完璧な世界』だ。苦労することやちょっとしたトラブルはあるけれど、最後は笑って終われる『幸せな世界』だ。

 欠落はない。

 喪失はない。

 闘争は起こりえず事件すら発生しない。

 そんな『世界』だ。

 なのに。

 そのはずなのに一つだけ見つけられなかったものがある。

 誰もが笑って、誰もが望む『幸せな世界』で、見かけることすら出来なかったものがある。

 図書館に到着した彼女は首をひねる。

 頭の中をひっくり返して思い出そうとするが、確かにいない。

 その存在だけが。

 そのフレンズだけが。

 アードウルフが顔を引きつらせながら図書館の中を見守っていた。

 肩を叩いて、問いかける。


「ねぇ、かばんちゃんってどこにいるの? どこにもいなかったんだけど……。……?」


 バサリと本が落ちた。

 その場にいたフレンズが時間を止めたかのように動きを止めた。

 しかし色はある。

 つまり『アレ』の仕業ではない。

 よく見れば、アードウルフとカラカル以外、誰もが顔を逸らしていた。

 アライグマ、フェネック、ツチノコ、博士、助手。

 おそらくを知っているフレンズは険しい顔をして、申し訳なさそうに余所を向いている。

 ただし、その二人は。

 アードウルフとカラカルだけは。

 


「ダメ、だよ……サーバルちゃん」


 その震えた口で、アードウルフは涙目になりながらもサーバルを見据えていた。

 何がダメなのか掴みきれず、怪訝に顔を傾ける。

 直後、確信に迫る一言が発せられた。




「もう……もう、あのヒトに立ち向かっちゃ……ダメだよ?」




 思考に空白が生じた。

 訳が分からない。

 何がどうなっているのか、その整理すら出来ない。

 ただ分かるのは、かばんが恐れられていることだけだ。


「え、……え? どういう、こと? ねぇ、博士、ツチノコ……! 何が、何があったの!?」


 博士とツチノコは目を合わせてくれない。何かを我慢するように口をキュッと結んでいる。

 カラカルが近付いてくる。睨むような真剣な眼差しのまま、何処かにいる誰かを呪うような調子で言った。


「何よ、忘れちゃったの? あいつ、サーバルに何かしたのかしら……」


 話が見えなかった。

 カラカルはかばんがセルリアンを使ってサーバルの記憶に細工をしたのかとブツブツ言っているが、今状況が見えないのは『かばん』に結果だけ見せられているからだ。しかしそれではこの『世界』のカラカルたちは納得しないだろう。


「カラカル……? かばんちゃんのこと、嫌いなの?」


 腫れ物に触るように聞く。呟くのを止めたカラカルは、当然だと言いたげに答えた。


「あたしだけじゃないわよ。フレンズはみんな、あれに怯えてるか恨んでる。だって、考えれば当たり前じゃない」


 カラカルは全てを諦めたような笑顔を作り、声色に怨嗟と畏怖の感情を織り交ぜながら言った。

 それは、サーバルには何も出来ない自分に言い聞かせるようにも聞こえたのだ。


「セルリアンを従えて、ヒトを管理して、世界ってやつを一人でコントロールしてるのよ? そんなの……敵うわけないじゃない……」



 17



 今度こそ本当に。

 サーバルは何も考えられなくなった。



 18



 前提が崩れていく。

 ここは誰もが望んで、誰もが笑う、『完璧で理想の世界』ではなかったのか。

 笑顔で溢れていて、欠落なんて存在しない『幸せな世界』ではなかったのか。

 ふつふつと自分の中から何かが湧き上がってるのを感じた。

 拳をこれ以上になく強く結び、口元の隙間から犬歯が見えるほど歯を食いしばっているのを自覚していた。

 どうやらそんな様子にカラカルたちも気付いたらしい。


「どう、したの……? サーバル……?」


 カラカルが困惑気味にこちらを覗き込んでいる。

 だが目を合わせない。

 まっすぐ、ここにはいない誰かを睨みつけるように。

 サーバルは顔を上げる。


「どうなってるの……?」


 その声は怒気に満ちていた。

 そして。

 それに答えるように『黄金の世界』から色が消えた。

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