クラウ、湧キ上ガル衝動ガ故ニ



 13



 状況が変化するのはいつだって一瞬だ。ついさっきまで楽しく談笑していても、その数分後には悲鳴と爆音が響く戦場に成り果てることだってある。

 つまり、サーバルの取り巻く環境が変わったのも一瞬だった。

 ツチノコと黒サーバルの三人で作戦会議をしている最中さなか、壁を胴体で薙ぎ払いながらあの巨大セルリアンが姿を現した。突如目の前に出現した巨大セルリアンは変わらずその表面はぶくぶくと泡立っており、不定期に動物型セルリアンを産み落とし続けていた。

 作戦会議は当然ながら中止。脱兎の如く逃げ出すが、その道中、いつの間にか黒サーバルは巨大セルリアンと入れ替わるように姿を消した。

 博士たちの居場所が分からない以上、サーバルとツチノコは当ても無く走り続けるしかなかった。


「はぁ……っ! はぁ……っ!」

「ぜぇ! ぜぇ!」


 ほんの数分しか走っていなかったかもしれない。

 気付かないうちに長時間走り続けていたのかもしれない。

 それすら判断出来ないほど、二人の意識は朦朧としていた。

 背後の動物型セルリアンはその数を増やして、その先頭にいる巨大セルリアンは今も疾走し続けている。

 撒くために曲がり角を曲がるというのは有効だ。目立つデメリットと言えば真っ直ぐ走る時よりも体力を多く消耗するという点だが、相手の視覚から確実に一度外れ、それを何度も繰り返していけば相手から逃れられる可能性が高くなる。

 しかし、今回は場所が悪すぎた。

 曲がり角が少なく、見通しが良好な動物園では曲がり角を曲がるという行為はただ自分の肉体を苦しめるだけだった。

 だから限界が来た。


「……わっ……!?」

「な!?」


 いつ吹き飛ばされるか分からない極度の緊張感と疲労感で体が悲鳴を上げた。サーバルの足がもつれ、前のめりに滑るように転倒する。

 振り返ればサーバルの足が赤く染まっている。それ以外にも心なしか腫れており、ピット器官を通して見れば熱も持っているようだった。


「クソッ……!!」


 サーバルの転倒に気づき、助けに向かおうと体を翻す。

 だが次の瞬間にはその足が止まっていた。


『グルルルル……』

「おい、冗談だろ……」


 動物型セルリアン。動物園と言えばライオンや虎、狼などが有名だが、本来野生であれば充分脅威となる動物も腐るほどいる。

 例えば、集団で狩りをし、持久力で相手を追い詰めるリカオン。

 例えば、木々を使って素早く移動し、高所から攻撃を行える猿。

 例えば、一〇トンの巨体で時速四〇キロで移動し、単体で勝てる動物はまずいないとされるアフリカゾウ。

 動き続けていればその状況は避けられたのだ。

 少しでも足を止めてしまうことが間違いだったのだ。


 つまり、ツチノコの周りには塀や地中、空などから追いかけていた動物型セルリアンが取り囲んでいた。


 素直に道を開けてはくれないだろう。そうなれば戦うしかない。しかし、巨大セルリアンの速度は上がり続ける。バカ正直に戦っていれば助ける前に追いつかれるのは目に見えていた。

 一瞬でそこまで分析して、でも諦めたくなくて戦う覚悟を決めたツチノコは苦し紛れに吐き捨てるように呟いた。


「万事休す、か……」


 そして、足の痛みで立ち上がれず、上体だけ起こすサーバルへ巨大セルリアンの大顎が迫る。

 その口の中は真っ黒だった。舌と呼ばれる器官は存在せず、何もない空洞がそこにあった。

 巨大な牙と、凶悪な歯。相手を傷つけるために存在する、悪意を持った凶器。

 それがサーバルの上半身を飲み込むように大きく開かれた。

 止まることを知らず、やがてその牙はサーバルの肉体を確実に捉え。




 ぐしゃりと、その細い体をいとも簡単に食い千切った。





















 ──そうなるはずだった。





















 状況が変化するのはいつだって一瞬だ。横から現れた影が薙ぎるようにその腕を振るうと、巨大セルリアンの頭部を簡単に退ける。

 グボギィィッッッッ!! と頭があり得ない方向に曲がり、よろけた巨大セルリアンの腹部を思いっきり殴り飛ばした。


 それは、巨大セルリアンと同じように頭全体を包み込む鬣があった。

 その黄金に輝く金髪が風でなびいていて、言葉で表現できない美しさを持っていた。

 その背中は実際よりも大きく見えて、あらゆる物を背負うことも容易いように思えた。

 サーバルを助けた、金色こんじきの影の正体。

 その名を、感極まったサーバルは叫ぶ。




「ライオン……っ!!」




 巨大セルリアンを見据え、彼女は不敵に笑う。

 拳を握ったり開いたりしながらライオンは言った。


「迷子になったが、何とか間に合ったみたいだな」


 そこにいたのはいつものおちゃらけたライオンではない。眼前で背中を向ける彼女は他でもない、へいげんちほーを治める百獣の王だった。



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(アイツの方は大丈夫そうだな……だがッ!)


 ツチノコは爪や牙を振りかざす動物型セルリアンと拮抗していた。ビームで足場を崩したり、素早い身のこなしで回避する。しかし元々傷だらけな上に疲労困憊な身だ。その息は荒いのを通り越して浅くなっており、酸欠などで目眩もする。戦えるのが不思議に思えるほど、ツチノコの身体はボロボロだった。


『ファオォォォォォンッッ!!』


 トランペットのような甲高い音が響いた。見れば、陸上最強を謳われるアフリカゾウの鼻が天高く振りかざされている。

 その時だった。

 空高くから、一本の流星が飛来する。


 ガツンッッ!! と、象を模るセルリアンの脳天めがけて勢いよく落下した何かが突き刺さった。その影はどうやら武器を持っているようで、数回それを頭上へ叩き込んだ後に地上へ着地する。

 そしてもう一つ。ツチノコの背後を守るように空中から静かに降り立つ者がいた。

 その二人の正体が分かったツチノコは、フードの奥で薄く笑う。


「遅ぇよ」

「その点についてだったら目の前の馬鹿二人に言ってやってほしいのです。あの二人が倒したセルリアンの数で競争なんてするから、見つけるまでに時間がかかったのですよ」


 ツチノコを庇いながら、博士は動物型セルリアンを蹴散らしている。件の戦闘狂もその槍を存分に振り回しながら豪快に笑っていた。


「何、遅れた分守ってやるさ。安心しろ、お前たちをこれ以上傷つけさせはしない。カメラだかキマエラだか知らないが、私たちが力を合わせたら出来ないことなんて何もないんだからな!」


 たった数分で、周りにいた動物型セルリアンを一掃してしまった彼女たちが前に出る。

 ヘラジカとライオンが最前線。博士は一歩後ろで観察し、サーバルはツチノコに肩を貸してもらいながら後方にいた。


 ライオンに飛ばされ、体勢をようやく整えた巨大セルリアンがこちらを睨む。

 その黒い足で、引っ掻くように地面を抉る。

 興奮気味に頭を振って、死の危険が肌を掠める。


 だがその三人は怯まない。

 真っ直ぐ、ただ真っ直ぐに巨大セルリアンを見据えていた。


「良いですか、合図をしたら動くのですよ?」

「分かってる。ライオン、覚悟は出来たか?」

「とっくの昔に出来てるよ。……さて」


 普段ならば見られない、王としての姿。雄大に笑いながら、百獣の王は宣戦を布告する。




「ウチの子に手ェ出した落とし前、ここできっちりつけさせてもらおうかッッ!!」



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 そのセルリアンは大顎を開く。それが象徴とされる物だからだ。

 くらう。

 食らう。

 喰らう。

 クライツヅケル。湧キ上ガル衝動ノ侭ニ。

 コノ世ニアル万物ヲ、一ツ残ラズ我ガ身ノ一部ニスル為ニ。

 立ち塞がる者は排除する。

 たとえ相手が何者であっても、与えられた『咎』に従って。

 それ以外に持つ感情は無い。

 それ以外に抱く欲望は無い。


 食らい。

 貪り。

 喰い尽くす。

 その意味ちからを正しく振るえないというのなら、黙って己の身体ちにくと成れ。




 そして眼前に並ぶ者、それら全てが巨大セルリアンにとっての獲物ひょうてきだった。

 牙を鳴らし、尻尾を泳がせ、その足で地面を削る。

 誰の目にも捉えることの出来ない、動物の限界を超越した速度という暴力。

 やがて、猪突猛進という言葉が相応しい一撃を惜しみなく放つ。



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 そして、その声がピシャリと広がった。


「今なのです!!」


 その言葉が発せられたとともに、ライオンは爪ではなく拳を構え、ヘラジカは槍を突く動作ではなく、まるで横薙ぎに殴るように振りかぶった。


 意味のない動作に見えた。巨大セルリアンを前に素振りをしてるように見えた。

 だが、それは会心の一撃として機能する。




 ッッッッドン!! という重なり合った鈍い衝撃音が鳴り響く。




 呆然とするしかなかった。頭が回らず、目の前の状況が分からなかった。

 ただ記憶にある現象は、


 そして、やっと追いついて、何が起こったかを受け止めた。

 呆然と、呟くしかなかった。


「……すっごーい……」

「マジかよ……まさか、セルリアンの突進に合わせてクロスカウンターを決めるなんてな……」


 したり顔で、セルリアンにカウンターを決めた彼女たちが口を開く。


「博士の合図が無ければ無理だっただろうが、まぁ、何とかなるみたいだ」

「だな。さぁ、反撃開始だ!」


 二人が同時に地面を蹴る。

 それを見送ると、博士は深くため息を付いた。


「あれを学習されて不規則になれば事態は悪化するというのに、お気楽な奴らなのです……。サーバル、ツチノコ、ここは我々が引き受けるのです。だからその間に軽い応急手当をしておくのですよ」


 そう言うとリュックの中から港街でも使用した救急箱を取り出す。

 確かにサーバルたちはボロボロだ。特にサーバルは立ってるのもやっとと言えるほど足の損傷が酷い。先急ぐ気持ちを抑えながら、ぎこちなく頷いた。

 それを見て、博士は優しげな微笑みを向ける。


「大丈夫ですよ。我々は負けないのです。サーバル、お前をかばんに追いつかせるまでは」

「分かった。気をつけてね」

「任せるのです。ではツチノコ、後は頼んだのですよ」

「頼まれた」


 くるりと、サーバルたちと博士は逆方向に体を向けて歩き出す。

 サーバルたちは怪我の手当をするため、博士たちは巨大セルリアンを足止めするために。



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 それを、高所から色彩のない黒サーバルが眺めていた。

 目を細めて、巨大セルリアンと戦う博士たちを一瞥した後サーバルたちの方へ視線を移す。



『ねぇセーバル、あなたは一体何者なの……?』



 あの言葉が頭をぐるぐると駆け巡る。

 その顔は、不安の色で曇っていた。

 やがて、空を見上げて黒サーバルは問いかける。地平線の向こうにいる、その者に。


「ねぇ かばんちゃん 本当のわたしは 何者なの?」


 分からない。分からないのだ。

 セルリアンだがセルリアンには無いものを持っている。

 フレンズに近いが、明らかにフレンズではない。

 姿はヒトに見えても、ヒトとは遠い種族ものだ。

 サーバルに憧れて真似事をする、何者にもなれない半端者。黒サーバルはそういう存在だった。


 彼女の問いに答えは返ってこない。

 でも、それでも。

 セーバルと呼ばれる彼女の決意は固かったのだ。


何者だれでもいいよね わたしはサーバルになる そして きみの隣で きみを守るんだ」


 やがて動物園から目を離し、その場から高く跳躍した。



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 サーバルたちは物陰に隠れていた。動物園には遮蔽物は少ないものの、無いわけではない。二人程度なら地面に座ることで身を隠すことが出来る。

 サーバルはゆっくりと、足の毛皮を外していく。


「……知ってたのか、毛皮が取れること」

「うん、パークを旅してた時にかばんちゃんに教えてもらったんだ。わたしもびっくりしたよ」


 軽い痛みに顔を歪めながら、毛皮の下にある肌を見る。

 青かった。正確には青紫に変色しており、白く透き通るような色をしていた肌は大きく腫れている。

 ツチノコが厳しそうに眉をひそめた。


「具合を確かめる。ちょっと痛いだろうが我慢しろ」


 撫でるように触り、時々サーバルの顔を伺いながら弱い力で押すのを繰り返す。

 しばらくすると、その手を離した。


「悪いがちょっと歩いてみてくれ。無理はしないでいいぞ」

「え……? うん……」


 言われるがまま、サーバルは立ち上がって歩き出す。

 まったく平気と言えば嘘になるが、それでも歩けないわけではなかった。その様子を見て、ツチノコが元の位置に座るよう促した。


「よし、折れてはないようだな。酷くならないように手当をしておくが、無理に動かさないことだ。しばらくは戦えないと思え」


 そう言いながら不器用なりに手当を開始する。冷たい布を貼りつけた後に頑丈そうな木の板を当て、包帯でぐるぐると巻くことで固定した。

 アライグマに比べれば包帯の巻き方は雑で粗が目立つ。だがそのやり方は的確で歩くのが随分楽になった。


「すごいねツチノコ。こんな事も出来るんだ……」

「調べて得た知識を見よう見真似でやっただけだ。図書館には簡単な医療用の本もあったからな。昔興味本位で読んだことがあったんだが、まさかこんな場面で使うとは思わなかったさ」


 救急箱から取り出した包帯や消毒液でツチノコ自身の怪我も治療する。

 それでもすごいことだと痛感していると、ツチノコは博士たちの方へ顔を向けた。


「……今も戦ってるな。だがオレもオマエもボロボロだ。これが終わったら様子を見に行くが、絶対に前には出るなよ」

「………………分かった」


 一緒に戦えないことに不甲斐なさを感じつつも、サーバルは頷くしかなかった。

 無力感を振り払いながら、自分に出来ることを思考する。

 少しだけでいい。助太刀なんて、そんな大層な役割でなくても構わない。

 何か、自分に出来ることを──。



 19



 サーバルたちは避難させた。あとは存分に力を振るうだけだ。

 博士は後方に、ライオンとヘラジカは前方で各々の武器を構える。


 難しいことを考える必要はない。

 ただ、守りたいと思うモノを守るために。




 ──フレンズよ、反撃の狼煙を上げろ。




 ダンッ! とアスファルトの地面を蹴った。

 標的は目の前にいる。ただ真っ直ぐ走って、爪を振るう。


『グオオオオォォォーーーー!!』


 咆哮の後、大きく口が開いたのが見えた。ライオンはそれを、地面に体を擦り付けるように姿勢を低くしながら、滑るように股下を潜り抜けることで回避する。

 巨大セルリアンの後方へ移動したライオンは、体を反転させて向き直る。

 巨大セルリアンの尻尾は蛇を模した紛れもない凶器だ。叩きつけるだけでなく、その牙は噛み付くための武器にもなる。

 一つ目が当然のように存在するそれが口を開く。


「こっちを忘れるなよ! セルリアン!!」


 怒号のような声が轟いた。

 頭上、そこに声の主はいた。

 両手に槍を携え、空高く飛ぶヘラジカ。その脳天を叩くように、力いっぱい振り下ろす!


 ッッッドン!! と虚を突かれたセルリアンはそのままその頭蓋を動物園の地面に叩きつけた。

 頭を揺さぶられたセルリアンがふらつきながら立ち上がる。忽ち背後にいたライオンが後ろ足を攻撃し、今度は横に横転した。


 博士たちはセルリアンの軍勢から逃げていたが、何もそれだけで終わったわけではない。途中で軽い戦闘を挟みながら巨大セルリアンの特性をある程度理解していたのだ。


 一つ、巨大セルリアンの主な攻撃は、爪、牙、突進等の直接的な物理攻撃である。

 二つ、突進を超えた超突進はを行う時は必ず一定の予備動作がある。

 三つ、動物型セルリアンは巨大セルリアンが戦闘を行ってる時は産み落とさない。


 それらを分かっているから、こうやって押さえることが出来ている。この特性を知れたのもヘラジカとライオンが馬鹿みたいに戦ったおかげなのだが、博士はそれに巻き込まれた挙げ句色々癪なので素直に礼は言わないでいた。

 しかし、だからこそ有利に戦えている。


 流れは掴んだ。

 完全に自分たちが戦いの主導権を握っている。ライオンとヘラジカもそう思っているのだろう。上空からでも笑ってるのが見えた。


 だがその二人に対し、上空から攻撃を繰り返して巨大セルリアンを翻弄する博士はその様子を訝しげに見つめるだけだった。


「本当に、このまま勝てるのですか……?」


 呟いて、気付く。

 その頬に冷たいものが当たった。正体を察し空を見上げる。

 青空なんて見えないほど、太陽の光が届かないほど厚い雲に覆われた鉛色の空。

 そして、当然存在するその現象を小さく漏らした。


「雨……?」



 20



 そこから若干遠い物陰に、サーバルとツチノコは身を隠していた。その二人も雨には気付いていて、サーバルはそれを好機と判断した。


「黒いセルリアンは水に浸されるとになるんだよね? だったら雨が降ればあの大きいセルリアンも倒せるかもしれないよ!」

「あぁ、まぁ……そうだな」

「……?」


 歯切れが悪い。まるで大きな災害の前兆を見るかのように巨大セルリアンと戦い続けるライオンたちを眺めるツチノコはその眉間の皺を深くしながら顎に手を当てた。


「アイツが……石の弱点すら克服させたアイツがそんな分かりやすい弱点を残すか……? 内陸部には海が無いから高を括ったのか? いや、それでも雨は予想できた筈だ……」


 ブツブツと呟いて考え込むツチノコをサーバルは不安げに一瞥した後、巨大セルリアンを見て思ったことを何となく口に出した。


「でも海みたいに多くないから少しだけようがんになっちゃうかもね。頭とか足とか固まってくれたら倒しやすいんだけど……」


 それを聞いて、ツチノコは血の気が引いた。

 海ほどの深さと水量により、超大型セルリアンは問答無用で溶岩になった。

 だとすれば、雨程度の少量であれば?

 浸すのではなく、覆うように水がセルリアンを包んだら?


 最悪の結論がツチノコの頭の中で爆誕する。


「そうか! アイツの狙いはそれだったのか! だから雲で覆い尽くして青空が見える場所を消したんだ!!」

「え? ど、どういうこと……?」

「考えてもみろ。アイツは今まで一度も雲を晴らさなかった。太陽の光にセルリアンが反応するのを危惧したかと思っていたが、本当の狙いは他にあったんだッ!」


 早口で彼女は説明する。

 まるで、誰かに急かされるように。

 いや、ようにではない。実際に焦っていた。

 ツチノコはそのまま、あくまでもサーバルに伝わるように説明する。


「セルリアンは水を掛けられると溶岩になる。海水だろうが淡水だろうがな。だから浸されれば全身まるごと溶岩になって倒せるんだ。じゃあ雨みたいに少量で、持続的に水を当て続けたらどうだ?」


 そこで、ようやくサーバルもツチノコが何が言いたいのか理解した。目を見開いて、震えた口を動かす。


「まさか……表面だけようがんになって、水も攻撃も効かないセルリアンになるっていうの……?」


 溶岩は固いことを、サーバルは充分に理解していた。地下迷宮では欠けることは疎か、傷つけることさえ不可能だった。

 そして、表面が溶岩になってしまえば内部に水は侵入しない。そうなれば、セルリアンはどうなるか。

 結論はここに帰結する。

 究極の鎧を纏うセルリアン。その創造こそが、曇天の空で進撃を続けるかばんの狙いだった。


「じゃあ、じゃあ早く博士たちを止めないと!」

「無理だ。今戦いをやめたら今度は動物型セルリアンが産まれて振り出しに戻されちまうッ。あのヤロウ、全部分かってて動物園ここに招きやがったッッ!」


 もう、戻れない。

 三人の方へ目を向ける。今も自分たちのために戦っていた。




 そして、絶望の雨はその強さを増していく。



 21



 博士もそれをいち早く察知した。ツチノコたちの結論には行き着かぬとも、嫌な予感という嫌悪感が全身の鳥肌を立て続ける。

 そして、見た。

 目の前で硬化を始め、ライオンやヘラジカの一撃を弾き始めたセルリアンに。


「なるほど……かばんはこれが狙いだったわけですか……まんまと嵌められたのです」


 後戻りは元より出来ない。

 先に進むのは巨大セルリアンを突破しなくてはならない。


 そう、つまり。


「ここで諦めろと言っているのですか、かばん……っ!」



 22



 ライオンとヘラジカは焦っていた。

 突如降り出した雨。それにより、巨大セルリアンはその表面を固い溶岩へ変え、全ての攻撃を弾くようになっていった。辛うじて応戦できているのは未だに硬化してない部位を狙ってるからだ。

 雨が服に染み込み、その質量を増して動きを鈍くさせる。それはセルリアンも同じことだが、向こうは物理を無効化させるおまけ付きだ。不幸中の幸いと言えば、硬化したところから動物型セルリアンが産まれなくなったことだろうか。

 二人は察していた。恐らく、博士やツチノコもその事実を受け止めているだろう。


「……勝てないな、これは」


 突破口は閉じられた。

 ここからは少しずつ向こうのペースになっていくだろう。

 それが、嫌でも伝わってきた。


 だが、絶望はまだ終わらない。


『グオオオオオオオオオォォォォォーーーー!!』


 雄叫びが、あがった。

 巨大セルリアンは周囲にいるヘラジカやライオンを蹴散らすと、ある方向に向き直り姿勢を低くする。

 鳴り響く雑音は、前足で地面を削るあの音。

 向いてる方向にライオンやヘラジカはいない。博士に至っては上空だ。

 故に、対象は考えるまでもなかった。


「まずい……ッ!」

「何で!? この場所はセルリアンから見えないはずじゃ……っ」


 そこでサーバルは気付いてしまった。

 ここは動物園。あらゆる動物が同居する、ジャパリパークの縮図のような場所。巨大セルリアンはその輝き全てを取り込み、再現したのがあの姿だ。

 ならば、その中にいるはずだ。

 例えば、聴覚で居場所がわかるサーバルのような動物が。

 例えば、嗅覚を用い獲物を探すライオンのような動物が。

 例えば……傍らのツチノコのようにピット器官を持つ動物が。


 巨大セルリアンは止まらない。博士やヘラジカたちが何としてでも阻止しようとするが、それを気にかけることもなく低く唸っている。


 その場から逃げようと、二人が立ち上がった時だった。


「──づッ!!??」

「ツチノコ!?」


 ツチノコが突如として片足を押さえて蹲った。

 考えてみれば簡単に予想できたはずだ。あの時、ツチノコはこう言っていた。



『そうでもないさ。これでも全身傷だらけだ。



 この言葉を聞いて安心していたが、受け身が取れなかったサーバルは少なくとも園内で迷子になるまで歩き続けられるほど軽傷だった。

 それならツチノコはどうか。

 つまり、彼女の言葉はこう解釈することが出来るのだ。


 


 それをサーバルに悟らせることなくポーカーフェイスで誤魔化した。だからこうなった。

 いつ来るか分からない巨大セルリアンに恐怖で足が竦む。

 だが、


「ツチノコっ!!」

「──!? 馬鹿、オマエ!」


 サーバルはツチノコの首元を掴むと、少し離れた茂みに向けて放る。

 ツチノコの安全を確保できた。そのことに胸を撫で下ろすが、巨大セルリアンを見て絶句する。


 あの時と重なった。

 パークにいた頃、超大型セルリアンに食べられた時とまったく同じ状況だった。


「「「サーバル!!」」」


 仲間の呼ぶ声が雨音とともに木霊する。

 ハッと我に返り、自分もそこから離れようと回避する体勢を整えるために一歩後ろに足を引く。

 それが間違いだった。


「……あっ!?」


 これまでの巨大セルリアンと動物型セルリアンが暴れたがために、瓦礫が何処にでも散乱していたのだ。

 その一つにサーバルは足を引っ掛けて転倒する。

 しまったと、考える暇も無かった。

 身動きが取れなくなったサーバルへ、全身を鋼の鎧で身を包んだ自立する兵器が動く。











 ゴオッッッッ!!!!











 とんでもない風圧が来た。

 洒落にならない衝撃が全身を叩いた。

 だが意識は途絶えていない。

 おそるおそる、その目を開けていく。


「無事か……、サーバル……っ」


 それは。

 そこにいたのは。


『ガ……グゥ……ッ!』


 壁に片足をつけ、大きく開かれた巨大セルリアンの大顎を両腕を使って受け止める、ライオンの姿だった。

 その腕で拮抗はしているものの、無数の歯や牙が軸となっている左腕のあちらこちらに突き刺さり、そこから大量の血が流れ出ている。巨大セルリアンが抗おうと僅かに動かす度、少量の鮮血が噴き出した。


「ぅ……ぐっがぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああああああ!!!!」


 その地面に血溜まりを作りながら、ライオンは少し離れた所に巨大セルリアンの頭を叩き落とす。間髪入れず、身動きがとれないように組み伏せた。

 その状態のまま、ライオンは吠える。


「ここは私に任せて先に行け! 時間稼ぎはもう出来ない、このまま戦ってもジリ貧にやられるだけだ!」

「ふざけているのかライオン! その腕でまともに戦えると思ってるのか!? 私も共に戦おう、だから「ダメだ!!」


 ヘラジカと組めば負担は減るだろう。だがそれでは駄目なのだ。

 冷静に、セルリアンの頂点に君臨する少女のことを分析した上でヘラジカの助力を拒絶する。


「あいつがここで終わるもんかよ。絶対にこの先まだ強力なセルリアンをぶつけてくるに決まってる。だからヘラジカ、その時は私の代わりにそいつらを守ってくれ。私はここで、お前たちが進む道を守る!!」


 ヘラジカは何か言いたげだった。しかしライオンの顔を見て覚悟が決まったかのように視線を外した。


「全部終わったら、詫びの印に一勝負してもらうからな」

「はは……そりゃあ大変そうだ」


 それを聞くと、ヘラジカは薄く笑って立ち去っていく。出口とは違う方向に歩いていくヘラジカを、慌てた様子で博士が本来の道に修正していった。

 悔しそうに歯を食いしばりながら、ツチノコがサーバルに肩を貸し、出口に連れて行こうとする。


「ライオン……っ!!」


 今にも泣きそうな顔をしたサーバルへ、ライオンは優しげに口元を綻ばせた。


「言っただろサーバル、これは見捨てるんじゃないんだって。私を信じて。そうすれば、私もサーバルたちのために強くなれるから」


 やがて、ライオンに組み伏せられた巨大セルリアンが低く唸り、その身を捩らせる。それを力づくで抵抗し、関節を封じることで再び動きを抑え込んだ。


「もう少し大人しくしていろ! ……サーバル、必ずかばんに追いつけ! 誰かのためじゃなく、他でもない自分のために! いいか、一番始めに何がしたかったのか、それを忘れるな! それを忘れない限り、進む道は途切れないんだから!!」


 その言葉を言うのが限界だった。巧妙に抑えつけられた肉体を、巨大セルリアンは力づくで振りほどく。離れ際に足払いで転倒させ、サーバルたちに背中を向ける形で着地した。

 最初にここで助けてもらったときと同じ背中だった。大きくて、頼りになって、負ける要素なんてどこにもないその姿を見て、サーバルも決心する。


「分かった。絶対に負けないって、こんなところでやられるわけがないんだって……わたしはライオンを信じてる!」


 涙ぐんだその声を聞いて、ライオンは小さく笑う。進化し、立ち上がる巨大セルリアンを前にしても、彼女の姿は雄大だった。


「だったら早く行け。ヘラジカたちをあんまり待たせちゃダメだよ」


 最後の言葉はいつもの砕けた声だった。百獣の王としてではなく、ライオンという個人としての言葉だった。

 見えないと分かっていてもサーバルは大きく頷いて、黙ったまま肩を貸すツチノコとともにその場から離れていった。


 閉じられた籠の中で一人、ライオンは静かに笑っていた。


(まったく世話の焼ける子たちだね……心配で仕方がないよ)


 その目を開く。黄金に輝き、全身を七色の光が包み込む。


「だから、こんなところで負けるわけにはいかないんだ」

『グルルルル……』


 巨大セルリアンがゆっくりと近付いてくる。硬化した影響で関節部分が上手く曲がらないのか、その一挙一動が覚束ない。

 五メートルはある巨躯。

 溶岩の鎧。

 見えない速度で繰り出される突進。

 それに比べ、こちらは一人。左腕は殆ど使い物にならない状態だ。

 改めて考えても、勝つというビジョンが浮かばない。

 でも、そうだとしても。


「行くぞ、合成獣。百獣の王の名にかけて、お前という獣を打ち倒す!!」

『グオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォーーーーーーーーー!!』





 あらゆる動物の輝きを取り込んだ合成獣セルリアンと、あらゆる動物の頂点に立つ百獣の王ライオン

 極限に達した二つの怪物が、至近距離で交差した。

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