第三章

進め、敗北のその先へ



 1



 その『けもの』は夢を見た。


「あれ?」


 真っ黒な空間でただ一人、立ったままの状態で目を覚ました。

 何も掴まず、直立のまま寝て目を覚ますというのも口に出せば妙な状況だが、事実そうなっているのだから否定のしようがない。

 しばらくの空白の後、その『けもの』は口を開く。


「誰かいるの?」


 暗闇の奥に、誰かがいる。

 背中に何かを背負っているその誰かは、何処か虚空を見つめているようだった。


「かばんちゃん?」


 近付いて、歩み寄って、ようやくそのシルエットが誰なのか見えてきた。

 短い黒い髪。赤いシャツに短パンを履き、黒いタイツと手袋を身に着けている。

 その頭にかぶせられている帽子には、ふわりと揺れる羽が付いていた。


「かばんちゃん! かばんちゃん!!」


 必死に足を動かして、その少女のもとへ走る。

 直後、暗闇だった景色が晴れるように切り替わる。

 熱く照りつける太陽。風にそよぐ草原や低木が立ち並んでいる大地。

 懐かしさを覚えるその場所は、間違いなくサバンナだった。

 彼女はそこである少女と過ごすことが出来ればいいと思っていた。

 求め、焦がれ、手を伸ばした理想。

 だがその理想は、いとも簡単に打ち砕かれる。











「…………サーバル

「えっ」











 呼んだ。少女はこちらへ振り返り、無表情のまま見つめている。


「なん────」


 何で、と問いかけたかったのだろう。しかしその言葉は続かず、一陣の強い風によって掻き消されてしまった。

 あまりの強さに、思わず目を背ける。

 そして再び目を向けた時、その光景に言葉を失った。


 誰かが、いる。

 自分に似た誰かが、少女の横で笑っている。

 少女も楽しそうに笑い返し、二人はとても輝いているように見えた。



『オオオオオオォォォォーーーーー!!』



 咆哮。

 後ろを振り向けば、巨大な黒セルリアンが群れの如くそこにいた。


 少女たちの方へ向き直り、助けを呼んだ。

 ──しかし誰も応えなかった。


 絶えず咆哮は轟く。

 変わらず少女達は笑っている。


 そして。

 そして。

 そして。











 ──その『けもの』は夢を見た。



 2



「………………………………みゃっ!!」


 全身を気持ち悪い汗が蝕んでいる。

 ズキズキと痛む箇所を見てみれば、体の至るところが血で滲んでいた。

 痛むところを抑えながら体を起こし、周囲を見渡していく。

 何も、ない。自分たちと、傷ついたバス以外。

 不自然なほど静まり返っていて、一緒に来た博士たちが同じように地面に倒れ伏している。

 厚い雲を通り抜け、地平線の下へ太陽が沈んでいくのが見える。もうじき夜が来るだろう。

 地平線に沈んでいく太陽が見えるほど、建造物は消えていた。

 当たり前だ。かばんが業火とも言える炎で焼き尽くしたのだから。

 そして少しずつ、何があったのか思い出していく。

 やがて、瞬時に悟った。




 自分たちは、黒サーバルに負けたのだ。




(…………みんなは)


 落ち込むのも、小さなことに悩むのも後回しだ。この先のことを考えるためにも、サーバルはまず仲間たちの安否を確認することにした。



 3



 結論から言えば、全員同じように気絶していただけで命に関わるほどの大怪我はしていなかった。黒サーバルの最後の攻撃による負傷で全員所々怪我をしているが、それでも動けないわけではない。

 そして、問題はここからだ。


「…………ダメだな。全部潰されてやがる」


 自分たちより更に後方にあったバス。直撃は免れたようだが、走るために必要なタイヤは全て潰されていた。しかし、空を飛ぶための機構は生きていたため、飛ぶことに関してなら問題無いようだ。


「でも、空を飛ぶと……」

「隠れる場所が少ないからセルリアンたちの格好の的になるだろうな。あのヤロウ、バスの機能を制限することで暗に帰れって言ってるんだろうよ」


 少し苛ついた口調でツチノコは黒サーバルがいた場所を見ている。

 すると、博士がバスの荷台から何か取り出してきた。

 肩幅程度の四角い箱。その上面には緑色の十字が書かれており、その下には何やら文字が書かれている。


「博士、それなに?」

「ヒトが作った救急箱と言われるものなのです。かばんのこととかは一旦置いておいて、取り敢えず怪我の治療が先なのです。アライグマ、お前は手先が器用なので手伝うのです」

「分かったのだ」


 博士が指示を出し、アライグマがその通りに傷を洗って消毒し、細長い布で傷口を覆っていく。しばらくすると全員の治療が終わり、博士は救急箱の口を閉じた。


「さて、先程調べた所、バスに残ってる電池の容量を考えるとパークに帰ることは可能なのです。そしてかばんの発言を素直に受け取るとすれば、パークの黒セルリアンはあれ以上強くなることはないと私は考えているのですよ。つまり、今我々に残された道は二つ。好きな方を選ぶと良いのです」


 残された、という方が適切である選択肢。まるで自分たちを試すかのように、その二つを提示する。


「このまま引き返し、パークの防衛に力を注ぐか。移動手段を失った状態でかばんを追うか。お前たちはどちらを望むのですか? おそらくこれが、最後のチャンスなのです」


 ここで選択をすれば、もう後戻りは出来ない。

 今は鳴りを潜めている付近の黒セルリアンも、しばらくすれば活性化するはずだ。かばんは少なくとも追われることを望んでいないため、今引き返せばすんなり島へ戻れるだろう。


 だから、これが最後の分岐。


 進むか、戻るか。

 立ち向かうか、諦めるか。


 進めばかばんたちと戦うことは避けられない。それは即ち、先程の人型セルリアンや黒サーバルと戦うことを意味している。もしかしたら、情緒不安定になったヒトも敵になるかもしれない。

 逆に戻れば、自分たちは比較的安全になる。かばんの行方は分からなくなるが、少なくとも、攻めから守りに移行すれば耐えきれるだろう。


 進めば地獄。

 戻れば苦痛。


 どちらを選んでも苦しむことに変わりはない。だが、勝てないほどの戦闘力を誇る相手と戦うよりはマシだと言えるだろう。


 だから、賢いのであれば引き返せ。

 失いたくなければ諦めろ。




 でも、それでも。




「さてサーバル、お前はどうするのですか? 私は誰よりもお前の意思を尊重したいのです。かばんに、そしてセーバルに……立ち向かう覚悟はあるのですか?」


 博士は、サーバルに決断を委ねる。あの時と同じように。


「わたしは……」


 そして──、


「わたしは諦めないよ! かばんちゃんを止めるって決めたんだから!!」


 サーバルは高らかに宣言した。


 止まらない。

 止まれない。

 その胸に、固い決意がある限り。




 サーバルの言葉を聞くと、博士はその頬を静かに緩ませた。


「そう言うと思ったのです。さて、そうと決まればこのバスはもう要らないですね。少し準備をするので待っているのです」


 そう言うや否や、博士はバスの後方にあったジャパリまんが大量に入っている袋とは別の、少し小さめの袋から何かを取り出してきた。


「バスが使い物にならなくなった以上、ここからは我々の手で荷物を運ぶしかないのです。というわけでパークからちょいちょいしてきた袋をあげるのですよ」


 一人一つずつ、形が異なる袋を渡していく。サーバルに渡されたものは、何処か既視感のある物だった。


「これ……かばん、だよね?」

「えぇ、というか物を入れる袋のことを全般的に鞄というのです。……あっちのかばんと混同するので呼び方を変えますか。それはリュックとも言うのですよ」


 サーバルは手渡されたリュックをじっと見つめる。その様子から何か感じ取ったのか、博士はこう言った。


「それを持っていて辛いというのであれば私のと交換するですよ?」

「ううん、大丈夫。これでいい……これがいい!」

「……あまり、無理はしないことです」


 各自が渡された鞄を、思い思いにまさぐっている。

 博士曰くそれがバスの代わりにジャパリまんを詰める物らしい。それ以外にも何か持ち運びたいものがあればそれに入れるとの事だった。


 全員がジャパリまんを詰め終わる。

 これで準備は整った。残された問題は一つ。


「でもかばんは何処に行ったんだろうね?」


 ライオンが首を傾げる。彼女の言う通り、かばんはセルリアンと共に飛んでいってしまった。匂いも残っていないだろう。となればやはり振り出しに戻る。地図無しで街を徘徊するのは危険だが、手掛かりが無いのだからそれも仕方がないと静かに思うサーバルに対し、博士がニヤリと笑った。


「移動手段を失ったとは言いましたが、手掛かりを失ったとは言ってないのです。かばんの匂いは追えなくても、別の匂いを追えば良いのですよ」

「別の匂い?」

「忘れたのですか? あの時、かばんは確かに言ったのです」


 それは去り際、自分たちに向けた言葉ではなく黒サーバルに向けたものだったが、はっきりと言っていた。



『僕は先に向かっています。そちらが片付いたら、セーバルさんも計画通り行動してください。全ての準備が整ったら



 つまり、黒サーバルとかばんは方向は違うが終着点は同じなのだ。だから黒サーバルを追えることが出来れば、自ずとかばんへ導いてくれる。


「アライグマ、セーバルの匂いは覚えていますね?」

「当然なのだ! あのよく分からない匂いはそう簡単に忘れないのだ!!」

「先程までは焦げ臭い匂いで無理でしたが、今の燃え尽きている状態であれば追えることが出来るはずなのです」


 それはかばんにとって誤算だっただろう。力なんて誇示せず、壊滅させたまま留めておけば匂いを追われることはなかったのだから。


 博士は続ける。

 黒サーバルはこちらを諦めさせるつもりで戦っていた。だからバスを一部破壊し、絶大な威力を持ってサーバルたちを倒した。そのため黒サーバルはこちらを撒くために複雑な道を進むことなど無く、こことは別の異質な場所へ案内してくれる、と。


 近付いて、離れて、また近付いて。邂逅しても引き離された。

 だが道が途絶えたわけではない。

 アライグマを筆頭に、サーバルたちは黒サーバルの行方を追う。



 4



 途中、ほぼ瓦礫の山のようになっていたが、まだ原型をとどめている小屋を見つけた。

 掘っ立て小屋のようだが、雨風が凌げる壁と屋根は無事で、中もそこそこ広い。七人入って横になっても充分な余裕があるだろう。


「丁度良いのです。日も暮れてきたので一度ここで休息を取るのですよ。追跡はまた明日から始めればいいのです」


 交代で漕いでいたとは言え、数時間ペダルを漕ぎ続け、壊滅した都市を歩き、黒サーバルとまで戦ったのだ。気持ちは先へ先へと進もうとするが、それでも全身に疲労は溜まっている。

 だがその提案に反対する声があった。


「私が本来活動する時間帯は明け方と夕方だが、サーバルたちは夜行性だろう? それなら夜に追跡をし、昼間休むほうがいいんじゃないのか?」


 ヘラジカだ。今回のメンバーで夜行性ではないのは彼女とツチノコだけだ。ツチノコに関しては昼でも夜でも問題ないらしいが、夜のほうが活動しやすいらしい。そのことも踏まえると、やはり日が昇った後よりも活発に行動できるフレンズが多い夜の方がいいのではと考えていた。


「……いや、オレたちの顔は割れている。かばんのことだから、きっと夜だからこそ発動するトラップを何か用意している可能性が高い。忘れるなよ、相手は最も賢い動物のフレンズなんだ。『自分たちの方が有利だ』と思える選択を確実に潰しに来るぞ」


 その返しは尤もだった。かばんは自分たちのことを熟知しており、考え方や行動を読んで制圧できるほどの相手だ。夜行性のフレンズが多いから夜に行動するという思考を念頭に置かないわけがない。


「そうか……確かにそうだな」

「なんか、嫌な感じだね……全部あの子の手のひらの上で踊らされてる気分だ」


 納得したヘラジカに対し、ライオンは眉をひそめて言った。

 自分たちはかばんの取りそうな行動を読んで裏をかくように行動しているはずなのに、それすらかばんの敷いたレールの上を歩かされているような、そんな気持ち悪い感覚があった。

 その言葉をフェネックが肯定する。


「そうだねー。でもこの先に進めば絶対に休憩だって取りづらくなると思うよー。かばんさんは慎重だから、今のうちに休んでおかないとねー」

「そうなのだ! みんなちゃんと休んで明日に備えるのだ!」

「……私、アライさんに言ったつもりだったんだけどなー?」

「えぇーー!?」


 この二人は相変わらずこの調子だ。

 正反対に見えて、馬の合った名コンビ。

 コントにも見えるそのやり取りに、仲間たちの沈んだ雰囲気は少しずつ晴れていった。

 メンバーの中でも黒サーバルと戦ったサーバル、ライオン、ヘラジカの三人は優先的に休息を取ることになった。残りの四人、特に博士とツチノコを中心に交代で見張りと見回りをする方針で話が決まった。

 小屋の中に入り、三人は思い思いに横になる。

 夜行性のため寝付くには妙な時間帯だが、それでも休息のために力を抜いて目を閉じる。

 かばんが残した帽子を抱きしめるように抱えながら、夜にも関わらずサーバルは深い眠りに落ちていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る