終章

エピローグ



 1



 戦いは終わった。

 戦死者〇人、重軽傷者ほぼ全員という、ヒトの戦争としては異例の記録だったらしい。餓死や衰弱死をした者もおらず、本当の意味で誰も失うことなく終戦したのだ。

 だが、それで全て丸く収まるわけではない。

 決着を付けに行かなければいけない。かばんとヒトの戦争を、本当の意味で終わらせるために。

 それは、かばんから言い出したことだった。


「サーバルちゃん、ボクは、ヒトと話さなきゃいけないんだ。今回の戦争で負けたのはボクで、勝ったのはヒトだから。……そんな顔しないでよ、大丈夫だから。それに、ボクもこのままパークに逃げ帰ったって思われるのは嫌だからね」


 だから今、かばんはヒトと対峙している。

 即効で作られた舞台の上だ。壇上にはオールバックの男が立っており、観客には老若男女のヒトが並んでいる。観客の中にはサーバルが知っている顔もちらほらあった。因みに、サーバルに出番はないため壇上の端っこで待機中だ。

 ……観客から声が聞こえる。サーバルはそれが多少気になったものの、今はかばんたちの方へ意識を向けた。

 オールバックの顔は険悪だった。それもそのはず。かばんに理由があったとはいえ、元々侵略する側とされる側なのだ。どんな事情があったとしても、かばんがやったことはヒトにとっても、フレンズにとっても簡単に許して良いものではない。

 かばんは笑いこそしなかったものの、どこか冷たい雰囲気になっていた。


「なるほど。貴方が代表者ですか」

「まぁな、お陰様でここに立てている。にしても皮肉なものだよ。お前のおかげで、元々目指していた地位に立てたのだからな」

「それはまぁ、おめでたいことで」


 戦争の敗者らしからぬ態度ではあったが、あれがかばんがヒトと接する時に見せる『顔』なのだろう。

 相手によって態度や対応を変える。ヒトとはそういうものらしい。


「さて、敗者としての罰は受けるつもりではありますが、その前にいくつか質問しても?」

「言ってみろ」

「あの男はどうなりました?」


 あの男。おそらくかばんが拳銃を突きつけていたヒトのことだろう。

 確かかばんがとどめを刺す前に、彼はどこかに逃げていった。今までにない殺意が宿っていたことから、あのヒトが指名手配などの首謀者なのだろう。


「……拘束した。フレンズやサンドスターへの対応はともかく、動機は不純なものだったからな。どの程度の処罰を受けるかはわからないが、おそらく今の地位ではいられないだろう」

「フレンズとサンドスターへの対応については?」

「今はノーコメントだ」

「……はい、分かりました。それでは貴方たちの番です。下らない問答は後でも出来るでしょう。本題からどうぞ」


 オールバックの男はかばんの対応に苦笑いをしていたが、それでも一度区切りをつけてこう切り出した。


「お前がしたことは許されることではない。化物を一度完全停止させたからといっても、はいそうですかで今までのことが帳消しになるほど、この世界は甘くない」

「えぇ、そうでしょうね。分かっています」


 だが、と男は短く区切り、


「お前は、その理論自体は歪んでいても誰一人殺さなかった。だから私たちにお前は殺せない。これがどういう意味か、分かるだろう?」

「貴方たちが考えているほど、ボクは綺麗ではありませんよ」

「分かっているさ。しかし牢獄に叩き込んでも、アンタの知性を持ってすれば簡単に出られるだろう。それこそ、牢獄全てを焼き払ってでもな」


 するしないは問題ではない。

 出来る出来ないが問題なのだ。

 出来るのにしないのは自戒であって罰ではない。となれば、懲役なんて生温いものになってしまうだろう。自分の意志次第で逃れられる程度の罰では、この罪は清算できない。

 かばんもそれを分かった上で、僅かに首を傾げた。


「……じゃあ、どうするんですか?」

「あぁ、だから──」


 オールバックの男は、最後まで笑わなかった。


「大切な親友を裏切ってでも目を逸らしたかった不完全な世界。それを、正していけ。どれだけ否定したくてもお前は私たちと同じヒトなのだからな。これを、我々人類からお前だけに贈る罰とする」

「……そうですか。えぇ、確かにそれは……とても残酷な罰ですね…………」


 大嫌いな者との共同作業。

 ある意味で、昔の鏡を見ながらやるのと同じ行為。

 その皮肉と残酷さを込めた罰に対し、それでも、かばんは少しだけ笑っていたのだった。



 2



 そして、これらは蛇足の物語。

 サーバルは顔も名前も知ることすらなかった、かばんとの敵対者の結末を。



 3



 そこは病院だった。

 誰も殺さないという制約上、かばんは治療するための施設は残したまま、制圧だけで済ませていたのが功を奏したのだ。

 最低限確保された治療室と病室に、その男はベッドの上で仰向けになっていた。


「……、」


 その目は虚ろで、虚空を見つめている。

 男は、自分が望むもの全てを手に入れていた。

 地位も、名誉も、権力も、財力も、愛する家族も。

 今思えば、あの満ち足りた日常が、彼にとっての幸せと言えるのだろう。

 だが、全部失った。

 一人の少女の手によって、地位と権力は意味をなくし、名誉は踏みにじられ、財力もこの状態では紙くずも同然だろう。

 そして何より、信頼していた妻に裏切られ、愛する娘は失った。

 もう、彼には何も残っていない。

 これからどうするか、それもまだ決まっていないのだ。

 自分が正しい行いをしてきたなんて思ってはいなかった。でも欲望を抑えきれなくて、手に入れるもの全てを手に入れたいと思うようになり、気づいたときには、男は『獣』になっていた。

 あの時、男は僅かにでもヒトに戻れたのだろうか。だが、結局何をしたら良いのかわからない。

 ただ無気力に天井を眺めていると、不意に扉がノックされた。

 無意識に生返事でもしたのだろうか。相手は失礼しますと一言だけ言って、扉を開けた。


「…………お前」


 裏切り者が、そこにいた。

 その女は、申し訳無さそうに目を逸らしている。それで、あの少女の言葉が嘘でないことを証明させた。

 顔を見るのすら嫌になって、視線を天井に戻す。


「帰れ。裏切り者に掛ける言葉なんてない」

「えぇ、分かっています……私は貴方を裏切った。だから本当は、顔向けできる立場なんてないんです」

「分かってるならさっさt

「でも!」


 突然の大声に驚いてその女にもう一度視線を向ける。命乞いや下らない詫びの一つでも言うのだろうかと推測を立てていると、女はこんな事を言ってきた。


「でも、貴方にはちゃんと真実を知ってもらいたくて……」

「真実……?」

「えぇ。ほら、入っていいわよ」


 その言葉の直後、誰かが病室に入ってくる。

 服はボロボロだ。ホコリまみれでところどころほつれているし破けている場所もある。

 でも。

 それは、大人ではなく子どもであり。

 それは、男ではなく女であり。

 見間違えるわけがない。

 それは。

 それは……。


「な、んで……」




「……………………………………………………………………




 そこにいたのは、あの少女によって焼かれたはずの、娘の姿だった。

 ポタリと、男の目から静かに透明な雫が落ちる。


「どうして、……だってお前は、あいつに……」

「わたし、なにもされなかったよ。ただね、あのおねえさんにいわれたの」


 きっと、目の前の幼い少女も今から言うことをきちんと理解してないのだろう。

 ちょっと困ったように、微笑んだ。


「『貴方の父親はとんでもないロクデナシですが、ヒトは生まれながらにして悪人はいません。だから貴方は真っ直ぐ、純粋に育って……いつか他の誰かを正しく導けるヒトになってください』って。それでわたしのあたま、なでてくれたんだよっ」


 いったい、あの少女はどこまで想定していたのだろうか。

 いや、そんなことよりも。

 あの少女は一つの問題を浮き彫りにした。それは時限式で爆発する、爆弾のようなものだったかもしれない。

 結局、男は自分のことしか考えていなかった。家族だ娘だと口にはするが、突き詰めれば利己的な部分が大部分を締めていたのだ。

 だから。


「ごめん、ごめんな……」

「パパ?」


 抱きしめていた。

 小さな少女の存在を確かめるように。

 己の罪を恥じ、もう一度やり直すために。


「パパ、頑張るからな……悪いこともやめて、みんなに頭下げて……またお前と笑える日々が取り戻せるように頑張るから……」


 大人というには些か無邪気さが表に出た笑顔で。

 そのヒトは、目の前の大切なものに向けて決意した。


「だから待っててくれ。全部終わらせたら、また一緒に暮らそう」

「うんっ、まってるね。パパ!」



 4



 それとはまた違う病室の一室。

 そこには数人の男が全身を包帯でぐるぐる巻きにされて寝かされていた。


「相手を間違えたなぁ……。おかげでミイラじゃん、俺ら」

「だなぁ」


 男たちが悪に手を染めたのはこれが初めてではない。寧ろ数えきれないほどの罪を重ねており、今までどうにか逃げおおせてきた人間だ。

 ヒトから見ても、彼らは罪人だった。おそらくそこに目をつけられたのだろう。

 もしかしたら自分たちは助かるかもしれない。

 そんな浅知恵であの少女に挑んだのが間違いだった。結果はご覧の有様だ。

 男たちのほとんどが失笑に近い笑いを浮かべている中、窓際に位置する男だけは何かを決心したような面構えをしていた。

 そして、ゆっくりとその口を開く。


「……俺さ、足を洗おうと思うんだ」


 度肝を抜く、とまではいかなくとも、多少は衝撃的な発言だった。

 男たちから笑みが消える。

 少し目を細めた後、天井を仰いだ。


「へぇ、何でまた?」

「俺さ、今までお前たちと一緒にクソみたいな人生を送ってきたから、もう戻ることなんて出来ないって思ってた。きっと、今まで失敗しないでなんとかなってしまったからなんだと思う」


 窓から外を眺める。

 そこには軽症で動けるヒトが、復興のために働いていた。


「でも、あの時俺たちは明確に失敗した。たった一人の少女に嵌められて、いいように弄ばれた。今までにない経験をしたんだ。だから、それをきっかけに別のことをしてもいいんじゃないかって思うんだ」


 批判されると思っていた。

 戻れるわけがない。そう言われることが想像できた。


「……はは」

「──?」


 だから、そのどこか嬉しそうな笑いと、次に続く言葉は想像していなかったのだ。


「何だ、

「は? え?」

「やっぱり腐れ縁ってやつなのかな。それ、考えてるのお前だけじゃねぇよ。俺もそう思ってたし、多分反応的にみんなそうなんじゃねぇの?」


 思わず周囲を見渡す。

 誰一人として異を唱えるものはいなかった。

 それ対し、男は胸を撫で下ろす。自分以外の仲間が同じことを考え、感じていたことに安心したのかもしれない。

 思わず吹き出して、多少の笑いが漏れる。

 そんな時だった。ガラガラガラっと、病室の扉が開く。


「話は聞かせてもらったぞ」

「え、誰?」


 そこにいたのは男の二人組だ。

 どちらも軍服に身を包んでいるところから軍人だろうか。


「足を洗ってやり直すとすれば、受け入れ先が必要だろ? 俺はこれでも軍の中でもそこそこの地位にいるから多少は顔が利く。この戦争で今や軍も人手不足だ。この機会を逃すわけないだろ」

「職権乱用……」

「おいバカうるさいぞ」


 そんな短いやり取りの後、その軍人は彼らに向き直る。


「で、どうする? 悪いが俺は提案することしか出来ない。決めるのはお前たちだ」


 男たちは一度顔を見合わせた。

 その全員が、同じように意を決した顔をしている。

 そして。

 口を揃えて、彼らはその答えを告げた。


「「「「これからお世話になります、大将!!」」」」



 5



 そんな男たちの声に対し、病院だから静かに、という看護師の声を背中越しに聞きながら、そのヒトは病室の扉を開ける。

 といっても、この戦争で昏睡状態に陥っていた一人だ。外傷はあまり無かったため入院まではいかなかったのだ。

 ……そう、他でもない。かばんと相対し、ある意味で認められたあの研究員だ。

 病室を覗くと、どうやら先客がいたようで桃色の髪が特徴的な女性が室内にいた。

 そして、


「調子はどう?」


 研究員に声をかけられて、病室の使用者が顔を上げる。

 それは、四角い眼鏡をかけていて、黄緑色の髪を後ろで束ねた、女性の姿だった。



 6



 戦いは終わった。

 諍い、人間の醜い側面、欲に塗れた人々。それら全てが消えることはないのだろう。

 でも、世界はこうやって回っている。

 かばんとセルリアンの女王。その二つの脅威に潰されるほど、この世界は弱くなどなかったのだ。

 だから。

 今日もどこかでまた一つ、誰かを待つ明かりを灯す。



 7



 それからは大変だった。

 かばんとサーバルが博士たちと合流して、真っ先に博士から説教が飛んできた。かばんと一緒に青い顔でそれを受け取る。ちょっとだけ傍らの少女を見ると、ほんの僅かに、嬉しそうに微笑んでいた。それに当てられて、サーバルの頬も小さく緩む。

 ……そして、それがバレて博士から追加で叱られた。

 戻ってきたのだと思う。

 しかし、足りない。

 一つだけ、いいや、一人だけ。

 その姿だけ見当たらない。


「ねぇ、セーバルはどこに行ったの?」


 その場の全員の顔が、僅かに曇る。

 その中で唯一、ツチノコだけが前に出た。


「死んだ、っていう表現が正しいがわからないけど、消えた。奪った輝きを返して、セルリアンとしての存在を維持できなくなったんだろうな」

「……そう、なんだ……」


 サーバルにとってはショックだったが、かばんは自分の胸に手を当てて何か考えているようだった。

 もしかしたら、サーバルの知らない場所で話をしたのかもしれない。

 そして、ツチノコからかばんへ。

 かばんから博士にとある鞄が受け渡された。

 いや、正確には借りていたものが返されたのだ。

 中に入っていたのは、これといった特別性はもたない、ただの絵本だった。

 題名は読めなかったけれど、僅かに呟いたかばんの声を聞き取ることでその名を知った。

 一匹の黒い雛鳥が美しい白い鳥になる物語。

 心温まる、黒サーバルが大好きだったハッピーエンドの物語。

 博士はそれを見て、何を想ったのだろうか。

 きっと、たくさんの感情が湧き出したはずだ。目に見えた変化は目を細めただけだったけれど、この旅の中でなんとなくだが分かるようになった。

 嫌味一つ言うのかとも思ったが、彼女は何も言わずその絵本を大切そうに鞄に仕舞い込んだだけだった。


「……ともかくパークに戻るのです。この戦いで壊れたものの復旧作業もあるので、一刻も早く帰りの支度を済ませるのですよ」


 かばんが少し苦い顔をする。この惨状を引き起こした主犯だ。おそらく被害がどの程度のものかも把握しているのだろう。

 やることは山積みだ。

 まずはバスを修理することから始めることにした。

 かばんは与えられた罰を受けるためにヒトとの連絡手段を手に入れて、ちょっとだけ修復作業を手伝った。

 そして、沢山のヒトに見送られながら、サーバルたちはパークに帰ってきた。



 8



 片付けなければならないことはこれまで以上に多い。長として、これからの復旧作業での段取りを決めていかなければならない。それをするには一人だけでは心許なかった。


「ここをアライグマにするとどうでしょう? きっと、アレなら上手くやってくれるのです」

「なるほど、確かに言う通りなのです。流石ですね、助手」

「当然なのです。私もこの島の長なので」


 でも、一人じゃない。

 今までも、これからも、彼女は隣で自分のサポートをしてくれるのだろう。

 あの時、明確に一人で戦場に立った瞬間。傍で戦ってくれる存在がいかに大切にしなければならないものか思い知った。

 手放したくないという感情は、ヒトの言葉では何というのだろうか。そんな好奇心が、頭の隅に浮かんでは弾けるように消えていく。


「……やはり我々では限界があるようですね、博士」

「……認めたくないですがそのようなのです……この量は流石に厳しいのですよ……」


 ともなれば、協力を仰ぐ相手は決まっている。


「ではかばんを探しに行ってくるのです。助手はここで引き続き指示を出してほしいのですよ」

「はい。気をつけるのですよ、博士」

「えぇ、分かっているのです。ついでにりょうりも頼んでくるのですよ」


 博士は飛翔し、青い空の下を静かに飛ぶ。

 一度敵対しても、それで縁が切れるわけがない。寧ろお互いに理解し、更に仲を深めるきっかけにもなるのだ。


(確か、それをヒトの言葉では……)


 雨降って地固まる。

 災い転じて福となす。

 晴天の空の下、戦争の爪痕が残りながらも平和なパークを見ながら、博士は柔らかく微笑んでいた。



 9



「ふっきゅうもしゅうふくも、アライさんにお任せなのだー!!」

「意味分かってるのアライさーん?」


 今日も今日とて全力疾走だった。復旧や修復の意味を正しく理解しているのかは正直微妙なところだが、その元気な姿は間違いなく他のフレンズに活気を与えている。

 戦争中に垣間見た、あの暗かった表情はどこにもない。

 自分を責めるのをやめたか、他に理由があったことに気づいたのか、或いは忘れたのか……。それは定かではないが、これといって確かめる必要はないのだろう。

 そのフレンズは細かいことなど気にせず、ただ我武者羅に前に進む。


(それが、アライさんの良いところだからねー)


 目の前で派手にすっ転ぶ姿を見て困ったように笑いを零しながら、今日もその相棒は隣を歩く。



 10



 帰ってきて早々目についたのはボコボコになった平原だった。


「わーお、これはまた随分派手にやったねぇ……」

「うむ、ご苦労だったな、お前たち!」


 こちらもこちらで元に戻さなければならない。まずは空いた穴を埋め、ボロボロでいつ崩れてもおかしくない城を修復する作業がある。その工程を考えるだけで気が遠くなるようだが、やらなければ始まらない。

 後ろを見れば、頼れる仲間が並んでいる。

 戦争が終わって初の共同作業は、心休まる縄張りの復元作業だった。


「よし、それじゃあ始めるよ!」

「全員で私たちの縄張りを修復だ!!」



 11



 約束は守った。

 誰一人失うことなく、全員で帰ることが出来た。


(……つっても、アイツはそんなこと覚えてないかもしれないがな)


 フードの奥で自嘲っぽく笑う。

 頭の中に思い浮かべる顔はそういう性格だった。パークの外に出る前だって、その性格ゆえに散々振り回されてきたのだ。

 熱しやすく冷めやすい。俗に言う飽き性という奴なのだろう。それを持続させていたのは、かばんが敵になり、パークのどこにも平穏がないというイレギャラーがあることが原因のはずだ。

 ともなれば、この戦争が終わったことで胸を撫で下ろし、頭からすっかり抜けていても不思議ではない。考えているうちにバカバカしくなってきたツチノコは、ひとまず帰還の連絡だけ入れてさっさと帰ろうという結論に至った。

 そして、いた。遊園地にも図書館にもいなかったからどこにいるのかと思ったら、地下迷宮の奥で鼻歌を歌っている。


「よお。戻ったぞ、スナネコ」


 彼女は鼻歌をやめて、ゆっくりと振り返る。ツチノコの姿を認めると、今まで見たこともない、そう、例えるならそれはまるで、帰ってきた子どもの無事に安心するような微笑みを浮かべていたのだ。


「……おかえりなさい、ツチノコ」

「あぁ」


 そこからは説明作業だ。

 かばんの目的は何で、ヒトのちほーでは何が起こって、サーバルたちがどのように乗り越えていったのか。それを、スナネコにも分かるように説明した。

 ……無論、その中にはあの無限の『世界』は含まなかったのだが。


「──とまぁ、こんなところか。理解出来たか?」

「なんとなく? ですかね?」

「だろうな」


 一度にアレだけのことが起こって、それを説明するのは骨が折れる。だがどれだけ分かりやすく説明したところで、完全に理解できるのかと聞かれたら答えはまた違ってくるものだ。

 半ば呆れながらも、まぁそんなものかと考えていた。


「……、」

「……なんだよ」


 スナネコが何も言わないまま、ただじっとツチノコの顔を覗き見ていたのだ。あまり見られても気分がいいものではないし、どちらかと言えば苦手意識を持っているツチノコは我慢することが出来なかった。

 一方、当の本人と言えばそれでも視線を外さないまま、口を開く。


「……………………………………………………なんか気味が悪いですよ、ツチノコ」

「あ、……アァッ!?」


 何故か罵倒された。

 続けて、スナネコは言う。


「らしくないです。もっとわーぎゃーうるさくて、好きなものは聞いてもないのに早口で説明して、いつも見てて面白い方がツチノコらしいですよ?」

「オ、オマエなぁ……ッ!?」


 らしくないと言われた上に散々な言われようだ。ツチノコはこめかみに青筋を立てて、小刻みに震えながら拳を振り下ろそうとするのを必死に堪える。少しでも気が抜ければゲンコツを落としそうだった。

 そんなツチノコに怯むことなく、スナネコは歌を歌うようにこう続けたのだ。

 知ってか知らずか、ツチノコからその力を抜くような言葉を。


「もし、戦争がツチノコから『らしさ』を奪ってるなら、もうその必要はないんですよ。戦争は終わったから、いつもどおりに戻っても良いんです。ね? ツチノコ」

「…………、」


 見てないようで、よく見ていると思った。

 自分らしさなんてどんなものかは分からないけれど、言われてみれば確かにらしくないことをしていたような気もする。それも結局、『そんな気がする』程度の認識なのだが。


「では色んな話も聞けたので、私は帰りますね」

「おう、気をつけろよ」


 スナネコはその場から立ち上がると、自分の縄張りに戻っていく……はずが、少し歩いたところで立ち止まった。


「どうした?」

「帰り道、どっちでしたっけ?」


 そのあまりにも突拍子で想像を絶する疑問に、思わずツチノコは叫んでいた。

 或いは。

 その絶叫にも似た激昂こそが、彼女ツチノコらしいということなのかもしれない。


「何で自分の縄張り忘れられるんだよオマエはァァァァァああああああ!!??」



 12



 帰ってきてからもずっと謝罪回りだ。

 パーク中色んな所に行ってフレンズに頭を下げた。理由を話し、許さなくても良いとも言っていた。中には許さないと明確に口にするフレンズもいたけれど、それでもかばんは受け入れているようだった。

 そんな、大慌ての毎日の合間の時間。

 サーバルにはもう一つ、絶対に解決しなければいけない諍いがあった。


「かばんちゃん、話しておきたいことがあるんだ」

「……分かった。ちょっと待ってて」


 軽作業をしていたかばんが作業道具の整理をしてから、地面に座るサーバルに近付いていく。その横に腰を下ろすと、膝を抱えて問いかけた。


「それで、話って何? サーバルちゃん」

「うん、その、ね……あの戦いでわたし、とんでもないことをしちゃって……」


 絞り出すのは大変だった。

 それを話して、拒絶されるかもしれない恐怖から逃れられなかった。

 脳裏を過ぎるのは、思い出すだけで吐き気を催す『暗黒世界』での殺し合い。

 でも、かばんは罪から逃げていないのだから、サーバルも罪から逃げるわけにはいかない。

 だから。


「わたしは……わたしはね?」


 告白する。

 かつての過ちを。

 あの無限地獄の『世界』で、かばんを殺したという事実を。





                                     」




 言った。

 きちんと言葉になっているかは、はっきりとしないけど、それでも。

 それを静かに聞いて、かばんは困ったように笑った。


「やっぱり……そうだったんだね」

「え?」


 膝を抱えるのをやめて、かばんは地面に手を付けて顔を上げる。そこには青空が広がっていた。


「ボクもね、同じことをしようとしたんだ」

「……え、え?」


 今度は、かばんが告白する番だった。


「色んな可能性を見てきた。サーバルちゃんみたいに、過去の分岐までは見る必要がなかったから実際の歴史だけだけど、未来についてなら本当にたくさんの可能性を見たよ」


 どこかその目はガラス玉のように見えて。

 もしかしたら。

 あの『世界』を見終わった自分も同じような目をしていたのだろうか。


「それで得た最善は、あの日、あの時、あの場所で……サーバルちゃんを『殺す』ことだった」

「……、」

「何度も何度も考え直して、一から前提を変えたりしてみたけど、全部ダメ。ボクが目指す理想に辿り着くには、サーバルちゃんっていう存在はどうしても邪魔になる要素だったみたいなんだ」


 だから、かばんはああ言っていた。

 傷つけたくなくて、諦めさえすれば手に入るのだから。

 サーバルをわざわざ殺すと表現したのも、おそらくは気遣いと真実、どちらも兼ねているのだろう。

 そうだ。

 少し考えれば分かることではないか。

 あの、『神』を名乗る存在は、間違いなくかばんの業から生まれたものだ。

 元の在り方を否定し、本来の自分であることから外れる罪の一つ。

 であるならば。

 かばんは同じ能力を持っていたとしても不思議ではない。

 そう、例えば。

 頭の中で、アレと同じ地獄を見続けていたのではないだろうか?


「そんな顔しないで、サーバルちゃん。これはボクが望んでやったことなんだから、キミが悲しい顔する必要はないんだよ」


 かばんがそっと頭を撫でた。

 温かくて、心地よい。

 でも。

 本当は、二人は分かっている。

 もし仮に、かばんも同じ地獄を見ていたとすれば。

 それは一つの可能性の話。

 あの『神』が最初に見せた、誰も救われない地獄。

 次の驚異は、かばんでも、ヒトでもないのだ。


「でも……そっか、サーバルちゃんが敵になる未来……どうしようかな」


『神』は言っていた。

 これは訪れる未来だと。

 この戦いに勝った先で訪れる、最悪の結末だと。

 だけど。

 もう違う。

 そんなふうにはさせない。

 だってここには、それを知っている自分と、一緒に戦ってくれるトモダチがいるのだから。


「きっと、変えられない未来なのかもしれないけど……そのときは、また二人から始めようね、サーバルちゃん」


 変わらないものがそこにある。

 神であろうと引き裂けない絆がそこにはある。

 歪な『神』は、絶望の未来しか見せなかった。

 逆に言えば、あれは最悪の形であって最善がないとは言ってないのだ。

 何もかもが不確定な、曖昧な未来。

 その先にあるものは希望か、絶望か。


 ──きっと、それは自分たちが作っていくものなのだ。

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