第一章 感染者──十一項

「ライジ──ああ知っている、よく知っているよその名前は。私だけじゃない、の奴らならみんな知っている! 君が財団の遂行者エージェント、君が“首輪付き”その人なんだな」

「それはどうも」


 栗毛を雑に掻き上げて、面倒そうに返事をするスーツ姿の探索者──雷路らいじは、ニィ、と口角を吊り上げて見せた。首元で艷めく黒革の首輪チョーカーが、腕の動きに引っ張られて襟の隙間から控え目に覗く。小柄な体躯と異様に据わった肝の持ち主は、今にもとろけそうな濃い蜂蜜色の双眸でギデオンをじっくりと舐め回す。


「なるほど。想像していたよりずっと、ひ弱そうな身体をしているな、ギディ?」


 明かりに照らし出されたギデオンの姿は、雷路が耳で見ていた体躯をはるかに超えて細々としたものだった。旧イギリス軍が着用していた黒地の軍制服と白の革ベルトは、どちらも幅が余ってしまっている。やけにこってりとした長い黒髪とそれに巻き込まれてほぼ埋もれている無骨な古い暗視ゴーグル。先程までの暗闇を自由に歩き回れていた理由は十中八九これだろう。とにかく、全体的に東洋人かと見紛うような奥手で謙虚なみてくれなのであった。


「余計なお世話だよ君。で生きる人間はこんなもんさ。君の横のデカブツの方がむしろおかしいんだ、何だいその馬鹿げた筋肉ダルマは。いくらこの崩壊した世界の中でも、そこまでの身体づくりは必要ないだろうに」


 ギデオンの怪訝な眼差しが貫いたのは、雷路の傍らでじっとこちらを見据える、巨影こと淑慰。艶のある黒い装衣と軍用の厚いミドルブーツで全身を包んだ、それはもう大変がっしりとした体躯の男であった。首元どころか顎下まで徹底して完全に防備された装いのなかで、頭部は薄い黒レースで覆われているのみ。深く鼻下まで垂れたそれのせいで顔こそほとんど見えないが、白い陶器のような肌をした顎先が、彼の些細な動きに合わせて覗くのだった。


「しゅくいはらいじのために強くなるの、だから毎日いっぱい訓練してる」

「……なんだお前、ちょっと頭でも足りないんじゃないか?」

「ギディ、口は慎めよ」


 雷路よりも頭ひとつ分ともう少しほど高い背丈に雄々しい体躯。何より、装衣の上からでも易く見て取れる豊満で肉厚な全身の筋肉、それらだけでも非常に目を引く存在であるのだが──この淑慰という男にはまだ特筆すべきものがあった。それは。


「らいじにケガさせようとする人はみんな悪い人だよ。おまえも悪い人だかららいじには近付かせない」

「ん、お利口さんだ淑慰」


 あまりにも独特なその拙い話し方である。声は大人の男のそれであるのに対して、発音や語彙が恐ろしく不釣り合いに幼いのだ。慣れない人間からすれば気味悪いことこの上ないが、雷路は一寸たりとも気に留めていない様子。それどころか、ずいぶんと入れ込んでいるふうである。

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