第一章 感染者──二二項
淑慰の大きな手の中で大人しく収まっているモルターの核を一瞥して、雷路は小走りに部屋の出口へ急いだ。強烈な腐敗臭についに耐えかねたのだった。廊下の空気も決して綺麗なわけではないが、埃ならば袖越しに呼吸する分には差し支えない。兎にも角にも、一刻も早くこの地獄のような噎せ返る臭いから遠ざかりたいのだ。
「さあ淑慰、その手に持っているものを処分して、次の仕事に行くぞ。あとひと踏ん張りだ、もう少しだけ頑張ってくれ」
「うん、わかった。頑張る」
「いい子だ」
握っていた核を地面に転げ捨て、淑慰は片足をぐいと高く持ち上げる。核のど真ん中に狙いをつけて、力を込め、そして勢いそのままに──踏み抜いた。彼の脚力で踏まれた核は、ぺしゃ、という軽快な水しぶきの音を立てて破裂し、体液と血液だけを残して跡形もなく潰れてしまった。これを守っていた外側が強固過ぎるだけで、核自体は露出さえしてしまえばひどく脆いものなのだ。
淑慰は事の顛末をしっかり見届けてから、雷路を追って歩き出した。時折右の脇腹を気にする素振りを見せるが、やはりモルターから貰った一撃が響いているらしかった。普通の人間であれば即死は免れない、人離れした高威力の打撃。それをこの程度の影響のみで受けきる淑慰という男は、本当に訳がわからないほど強靭なのである。
「ねぇ、らいじ、次は何をするの?」
「少女をまだ見つけていない、これからそいつを探して保護しに行く」
「そういえばそうだったね」
スーツの汚れや些細な乱れをしきりに気にする雷路と、返されたナイフを仕舞いながら少し具合が悪そうに側頭部を抱える淑慰。並ばぬ肩を並べたふたつの背中は、荒廃した地でギリギリを生きる
四、
「──!」
閃光筒の明かりも尽きて闇に逆戻りした短い廊下の端、赤錆びた檻で此方側と隔てられた閉鎖病棟、入り口脇。
目を閉じ、長いことじっと耳を澄ましていたギデオンの元へ、金切り声の断末魔の断片が飛び散ってやって来た。日々をこういった場所で過ごす人間であれば、とうに聞き飽きた音だった。化け物と化した感染者たちが意識も理由もなく互いを殺しあった末、いずれどちらかが上げる声。生きながらにして死んでいる者の、最期の“生”が引き裂かれる瞬間の声だ。ギデオンはこれを、あの
「……なんてこったい、本当に生き延びたのか首輪付きたちは?」
地下迷宮のその先に一体どんな化け物が潜んでいるのかギデオンは知りもしなかったが、
だが今日は違った。ついに地下から生還者が現れたのだ。化け物の巣窟から這い上がる、生きた人間が。
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