第一章 感染者──二一項
「ハアッ!」
威勢のいい掛け声と共にモルターの身体を蹴って雷路は飛び上がり、空中で大きく仰け反った。モルターを鋭く俯瞰する双眸が、刃を突き立てるべきところを探るように忙しなく泳ぐ。肉腫と本体とをより緻密に繋いでいる筋や血管をなるべく断ち切る必要があった。切り落とし損ねたとしても、せめて組織の修復を出来る限り不可能に追い込むためだ。それには先よりも中よりも、根元付近である方が都合が良かった。本体と最も密接している部分。狙う場所はここ以外になかった。
直後、ワイシャツの可動域ギリギリまで振りかぶった腕に反動をつけ、上体もろとも狙いの肉腫へ斬りかかった。手に伝わってくるのは、骨が砕かれる感触。肉が断たれ、筋は連鎖するように次々と千切れていく。人であったものを無情にも刺し貫いた残酷な感触は、ほんの瞬く間、ポラロイドカメラの閃光のように雷路の思考回路に背徳感を写した。
「嗚呼、クソッタレ……!」
ナイフを突き立てられた肉腫は一度大きく震え上がり、これまでの肥大化と同じ速さで縮小を始めた。最終手段とはいえ、たかが付け焼き刃の瞬間的なチカラなど所詮張りぼてでしかないのは確か。萎んだそれは突如として各所に腐敗を見せ、強烈な臭気を放ちながらどす黒い体液となって腐り落ちていく。
雷路は地へ降り立つと共に咄嗟にモルターから距離を離し、こちらの意識すら叩きのめさんとする臭いから鼻を覆い隠す。それでも何度か噎せるほどの、耐え難い腐敗臭であった。
「淑慰、淑慰! 今だ早く核を抜け! 俺はもう、匂いで、意識が、飛びそう、だ……!」
「うおおおおおおう!」
巨像を挟んで向こう側、淑慰は最後の雄叫びをあげて雷路の呼び掛けに応えた。雷路が肉腫を攻撃したことで怯んだモルターが、命取りとなる隙を見せたのだった。核を守る筋組織が緩み、淑慰の左手を腕ごとずるりと飲み込んだ。指先に固い球体が触れる。間違いなく、それは求めていた核であった。淑慰は躊躇いも無くむんずと鷲掴みにし、勢い良く引き抜いた。
核を体内から失ったモルターは、甲高い悲鳴を断末魔としてゆっくりと巨体を傾げていった。無数の腕も腐り落ちた身体もすべてが等しく本当の死を迎えて、コンクリートの冷たい地面にどさりと倒れ込む。望まぬ感染から望まぬウイルス暴走を経て、望まぬ死へ追い込まれた哀れな魂がまたひとつ、この世から浄化された瞬間であった。あれほどの暴れっぷりからは想像もつかなかった、呆気ない最期。死体から染み出した体液がじんわりと足元を伝っていく広い部屋の真ん中、生き延びたふたりの
「淑慰、よくやった、グッボーイ。それから、ご苦労だった」
「しゅくいね、頑張ったよ……だから、少し、疲れちゃった」
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