第一章 感染者──三五項

 淑慰はにこりと笑みを見せてレースを下ろす。また彼は全身を黒に包まれた。雷路が前を向き直し、口を開く。


「淑慰は、被験体サブジェクトと呼ばれるだ。被験体とは言ったって、別に人造人間や生物兵器のような大それたものじゃないがね」

「被験体?」

「そうだ」


 ナチが眉間にシワを寄せて雷路の顔を覗き込む。


「……も、もしかして、わたしを連れていこうとする理由って」

「ごもっとも」


 彼女の成熟しきらない表情がみるみるうちに怖気付いて血の色を失っていく。白い唇が微かに震え、声にもならない声を捻り出そうとする。


「なんだって! 待ってくれ、被験体だ? 君たちはナチをどうするつもりなんだい!」

「早とちりはよしてくれギディ、話を聞いていなかったか?」


 言葉すら失って震えるナチを庇うように、ギデオンが彼女の前へ腕を伸ばして雷路から遮ろうとする。まだ話の流れに完璧に付いてこられていないのか、視線が定まらない。


「ギディ、あんたが財団ウチに居た時の機密セキュリティがどの程度のものであったかを俺は知らなんだが恐らく、被験体クラスに直接関わる、または認知する機会になりうるだけの情報公開はあったんじゃないのか。……部外者となった人間には詳しいことは語れないが、あんたが知る限りの被験体の存在意義は、今も昔も大して変わっていないよ」

「誤魔化さないでくれないか、覚えてやいないよ。何年前の話だと思って──」

「──俺は“の可能性を観察するために必要である”と言われてナチの回収を命じられ、ここまで来たんだ。悪いがこれに関しては意味も詳細もまったく伝えられていない。本当ならこの任務内容も機密の内だ、口外することは認められていない。ましてや、“対象を回収するに差し当たって、対象に関係する第三者への説得の為に漏洩する”だなんて、以ての外だ」


 雷路が面倒そうに目配せをして、淑慰に何かを用意させる。彼が腰元の入れ物から取り出したのは鈍い銀に艷めく手錠と足枷、二組。それを見たギデオンが露骨な敵意を目に宿す。


「この状況でそんなこと聞かされて、はいどうぞと差し出す奴がどこにいるんだ! やはり君たちはとんでもない人間だったな、ナチは渡せない、すっかり気が変わった!」

「どっちにしろあんたじゃ止められないよ、諦めるんだギディ。その代わり、あんたも巣に連れて帰ってやるつもりだ。さあ出るぞ、車の中で楽しく話の続きでもしよう」

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