第一章 感染者──三四項

「──わかっていると思うが、あれから世界の状況は着々と悪化の一途を辿ってる。感染者を感染区域ごと隔離するために造られたあの“壁”だって、空気感染の前じゃ何の役にも立たないからな。あくまであれは感染者そのものを物理的に囲い集めておくためだけの気休めだ、どうやったって感染経路自体を遮断するには成り得ない」


 雷路が大きくため息をこぼした。首を時計回りと反時計回りにひと回しずつ、ついでに肩もひと回し。彼の話の中ほどから、やけに真剣な面持ちをしていたギデオンがそうか、とだけ呟いた。雷路はもう少しだけ続ける。


「壁にある唯一の出入り口には、UNから直々に命令を受けて監視任務を遂行する警察隊やら軍やらが置かれてるんだよ。突破は出来ない。あいつらは化け物より化け物ってくらいに訓練されてやがるからな。同職以外の動くものなら何でも殺すのさ。俺は感染者よりやつらのがおっかないよ」


 喉の奥であの独特な尾を引く音が鳴る。彼の乾いた笑い声を遮って、ここまで大人しかったナチが痺れを切らしたような声を上げた。


「ねえ、そんなことはいいから、教えてよ。あんたたちは何者? さっき──結構前に言ってた、ってなんなの? わたしをここから出そうとする理由は?」

「んなあ、ひとつずつだひとつずつ。物事には順番ってものがあるだろう。まずは座れ、また少し身の詰まった話になる」


 言葉に熱を込めるうちについ立ち上がってしまったナチを宥めて座らせ、雷路が再びゆっくりと瞬く。隣で眠たそうにこくこくと頷いていた淑慰が、ふと目を覚ましてこちらを向き直した。


「ギディにはもう伝えたが、今一度、自己紹介をしようか。雷路だ、細かいことはこれから話すが、遂行者エージェントという役職にいる。それから」


 淑慰、と優しく一声、雷路が手で頭の装飾を退けるようジェスチャーをすると、淑慰は指示通り己の顔を覆い隠すレースをひらりと持ち上げる。現れた顔を見て、ギデオンとナチが目を見張る。


「こいつが淑慰、俺の相棒バディだ」


 ──影のとばりの内ですら強かな光を反照する、緩やかなうねりを伴う白髪。柔らかに跳ねた毛先が彼の引き締まった頬をふわりと包んでいる。軽く結ばれた薄い唇は血色のいい薔薇色に熟れ、筋の通った鼻がその上にすっきりと収まっていた。何より目を引くのは、深い眼窩の奥からこちらを見据える濃密で閑雅な紫を帯びた双瞳。総じて、平々凡々たる人間の顔に飾られるパーツとしてはあまりにも出来すぎたというか、気味の悪いほどに整っているものばかりなのであった。


「わあ、何と言うか、私の人生で君のような人間と出会う日はまたと無い、そんな気がするよ」

「あ、有り得ないわ! どんな悪漢顔をしているのかと思ってたら、まさかこんなに……」

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