第一章 感染者──九項

 二、


 本館東棟。案内されるがままにやってきたのは、今しがた降りかけた階段とは真逆、向かってちょうど裏側にある古めかしいこぢんまりとした方。地下一階、閉鎖病棟へ通じるらしいこの階段を下っていくふたり分の靴の音が、吹き抜けを上へ下へと跳ね回る。先導する正体不明の探索者、ギデオンが呑気に奏でる“ロッカバイ・ベイビー”の鼻歌がそれを追っかけて、先程までの静寂はどこへやらといった和やかな雰囲気が流れていた。

 陽気なギデオンから段差二段ほど離れた後ろ。スーツの襟やネクタイのズレを気にしながら、至って寡黙に付いて歩く男。未だ警戒心を解くことは無い。幸いにも、ギデオンが絶え間なく雑音を発してくれているお陰で近くのマップは細かいところまで隈無く把握出来ているが、逆に言えば自分たちの位置を激しく周りへ発信していることにもなっている。なぜこんなにもギデオンは無防備であれるのか、それが男にとって一番気になるところであった。


「♪“Rock-a-bye baby, on the treetop,

 When the wind blows, the cradle will rock、、、”」

「……歌ってるところ悪いがギディ、ここは比較的安全な区域なのかね」

「何を言っているんだい探索者! 安全なんて今やの向こうにしか無いのは知っているだろう?」

「それなら尚更、そんなにやかましくしていて平気なのか」

「平気も平気さ、どんなに騒いだところで、ここの連中は私のいるところへ寄ってこないから」


 地下一階のフロアへ降り立つと、ギデオンは足を止めて後ろの男が降りてくるのを待った。ご丁寧に足元への注意まで促してくれる優しさが、男にとってはあいにく余計な訝しさの種となってしまう。


「……あんたはここの何なんだ。一体俺をどうしたい」

「どうってそりゃ、探してる目的地まで送り届けたいだけさ。後ろめたいような理由なんて何も無いよ、そんなにピリピリしないでくれ」


 表情こそ見えないが、ギデオンは身振り手振りで男に対し敵意がないことを伝えているらしかった。装飾品か金具か、はたまた武器か、金属製の所持品が慌てふためくようにカチカチとぶつかり合っている。男は首をひと回し、そうか、とだけ低く返す。


「私は本当に、ただのしがない探索者野良犬だよ。善意も良心も残ってる。この手で人を殺したことも無い」

「ただの“野良犬”か。……むう、よくわかった。さてはあんた──」


 男が闇の中で眉をひそめる。ギデオンには見えていない。口角が吊り上がるのも、舌先が下唇を撫でるのも、白い犬歯が強く噛み合うのも、全部。


「──俺が探している、大嘘つきだな」

「私が? どこが嘘だと?」


 黒いカーテンの向こう、ギデオンから陽気さが失われていくのが手に取るようにわかる。急に大人しくなったというか、語調から感情の抑揚が消えたというか。男はそれを聞き逃さなかった。喉の奥で良くない感情が渦巻いたのを感じてはいたが、表にこぼす訳にはいかない。強く嚥下して、代わりに言葉を繋ぐ。


人間は自分らを野良犬という蔑称で呼ばれることを死ぬほど嫌っている。そもそも野良犬なんて呼び方は、あんたらが一番知ってる憎い奴らがあんたらを見下すために始めた、権力誇示の戯れ事だ。そんなもの、真っ当なら嘘でも自己紹介の肩書きに使わない」

「はは、そうだね。そうだろうよ──」


 遠く頭の上で、雷が腹を鳴らした。窓のない地下には届いてこないはずの眩しい稲妻が一閃、ギデオンと男の間に瞬く。


「──だって君、“財団の探索者飼い犬”だろう?」

「その通りだ、俺はあんたに用があって来た。正確には、この病棟の何処かにいる訳ありの少女と、その世話係の元職員あんたに、だ」

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