第一章 感染者──四一項

「ひとまずは安心しても良さそうだな。淑慰、グッボーイだったぞ」

「えへへ。ありがとう、らいじ」


 そうしているうちに林を抜けたようで、ひたすら木々だけだった景色が開け、静寂に包まれた荒野と丘に囲まれた広い世界が現れた。荒野を埋め尽くすウェスタンゴースの群集があちらこちらで黄色く色づいた蕾を膨らませている。開花が近いのだろう。ナチがそれを見て興味をそそられたのか、窓へ顔を近付けて食い入るように眺めていた。


「ギデオン、あれは何ていう花? 咲いたら綺麗そうね」

「あれはウェスタンゴースだよ。幼い頃にでも見たことは無かったかい」

「うーん、覚えてないわ。長いことあの病院にずっと閉じこもっていたんだもの、昔の記憶なんて忘れるくらい退屈な場所によ」


 そうだったね、と返してにこりと笑ってみせ、それとなく反対の窓へ顔を向けたギデオンからすぐさま笑みが消えたのをミラー越しに雷路は見ていた。下唇を噛み込んで何かをぐっと堪えた様子の彼の心境は、確かでないまでも何となくわかるのだった。彼はまだ約束の呪縛からは逃れられていないのだ。感染者の群れからも、寂れた廃病院での生活からも逃げ果せたというのに、彼は未だ悪夢を見ている。雷路にはそう感じられた。それが彼の誠実な心が写した永続的な責任感の影によるものなのか、瓦礫の街の救世主メサイアがもたらした一時的で不透明な不安によるものなのか、そこだけは計りかねた。どちらにしてもギデオンは強い男だと思ったのだった。育ちの良さが垣間見える言葉遣いや義理堅さ然り、私情には弱かれど迅速かつ臨機応変に最善を選択出来る冷静さ然り、彼には人間としての強さがあった。今こうして、見えぬ脅威に頬を強張らせている彼も最後は必ず打ち勝つ。雷路にはわかった。それが出来たからこそ、今日までをナチとふたり生き延びてきたのだから。


「……遅くなったがギディ、話の続きをしよう。お前に探索者サバイバーとして財団の人間になる覚悟があるなら、幾つか教えてやれることがある」

「え? ああ、言っていたね。そんな話」

「腹は括ったか?」

「括ったというか……従わざるを得ないよ、私に出来ることはもうそれしかない」

「ん」


 雷路はギデオンに期待しているのだった。誠実で柔軟で明晰な、真っ直ぐな瞳を携えた男。仲間思いで義理堅く、責任感もある。雷路が求めているのはそういった人間なのだ。彼が本当に正しい人間ならばこの先、組織や雷路を裏切るようなことはしないだろう。不手際で迷惑をかけることはあっても、自身で挽回するだろう。そう思えるほどにギデオンという男には見込みがあるのだ。だから雷路は彼を連れ出した。本来であれば処分を遂行する契約で受けた任務条件に盾を突き、個人の判断で生かしたのだ。一度は財団を去った男とはいえ、それが彼を中心とするいさかいを原因にしたものでは無いと信じて。

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