第一章 感染者──四八頁
部屋の中は至って閑散としていた。扉の向かいに格子のついた窓ひとつと、壁に寄せられたシングルベッド、その枕元に簡素なテーブルと椅子。天井に埋込み型の照明、床には毛足の短い絨毯。あるのはそれだけだった。雷路に言われるがまま、ベッドへ腰掛けたナチは部屋を見渡してぼんやりと、表はあんなに豪華絢爛な空間だったのにな、などと考える。家具まであの雰囲気に統一するのは難しかったのだろうか。それとも、端からそんなつもりなどなくて、これが初めから正しいものとして造られた部屋なのだろうか。
「直に係が来る。それまで幾つか話を聞いてもいいか」
「······ええ、構わないけれど」
少しばかりしおらしくなったナチの隣に、雷路がゆっくりと腰を下ろす。二、三度首を回して、気怠気な蜂蜜色で見つめてくる。ナチは何となく恥ずかしくなって、肩を竦めて俯いた。
「わかる範囲でいい。大人しく話が出来るな?」
「······うん」
「いい子だ」
車の中で、雷路とギデオンが話しているのを聞いていた時に、この男は自身の年齢を十九と言っていた。それが本当だとすると、ナチとは五つしか違わないということだ。だが話している時もそうでない時も、雷路からはこれっぽちも相応の若さを感じない。そう見えるのは肌の張りくらいなもので、あとのことといえば、嗄れた声も堅い言い回しも、態度も仕草も何もかもがやたらと貫禄を孕んでいるのだ。
とはいえ、まだ同じ十代なのは確かなのだ。妙な気持ちがナチの腹の底でのたうち回る。この違和感、この感覚。情報が欲しい。雷路という不透明な男の情報が。
そんな彼が
「あの場所に閉じ込められてどれくらいだ。少なくとも、世界崩壊宣言の後だろう?」
「そうよ。大体······七年くらいかな。まだわたしが六歳とか、七歳とか。そんな頃から。ギデオンも一緒に」
「他に誰かは?」
「閉じ込められてたわけじゃないけど、パパが時々、本当に時々、会いに来てくれてた」
「パパ?」
雷路が目を細める。疑問がそうさせたのか、単純に眼鏡を外して低下した視力がそうさせたのかはわからない。ナチはひとつ頷いて、脚をぱたぱたと遊ばせ始める。
「パパよ。わたしのパパ。クレイグっていうの」
「ギデオンがそんな名前を呟いてたな」
「ギデオンとパパは友だちなの。軍人さん同士。パパは今も軍にいるわ。ギデオンはわたしを守るために、軍をやめてあの場所に、わたしと」
鉄格子の向こう側で小鳥が一羽、歌を歌いながら飛び回っている。射し込んでくる朝陽がつくったあたたかな陽だまりに影が写し出される。
「じゃあ、今日までの間、ずっとふたりで生きてきたんだな」
「そうよ。ギデオンが全部なんでもやってくれてた。感染者と顔を合わせずに済んだのも、あの人のおかげ」
「そうだな」
雷路が眼鏡を掛け直す。脚を組み上げたその上で手指も組み合わせて。今度は前に後に首を倒し、調子を試しながら。
「処女か?」
「──え、なんですって?」
ナチは目を見張って勢いよく振り向く。真ん丸に見開かれた目玉の中で、瞳孔が焦燥に揺らめいていた。雷路は眉を顰めてナチを向く。彼女の頬は鮮やかな薔薇色を灯していた。
「処女か、と訊いたんだ」
「ちょ、ちょっと! 急に何を──」
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