第一章 感染者──十七項

 問題は、彼らモルターの性質だ。モルターは通常、核が完全に破壊されない限りは生き続け、ウイルスによって過活動を起こし増殖する筋組織を肥大化させながらゆっくりと病を進行させていく。

 この段階に差し掛かった感染者から放出される感染菌の汚染力は全感染段階のうちで最も強い。経路として多いのは血液感染、粘膜感染であるのが普通なのに対して、モルターからウイルスを受け取ってしまう経路では空気感染が割合を占める。接触を避けさえすれば感染のリスクを大幅に減少させられることだけが救いだった該当感染症が、人々を恐怖の谷底に叩き落とした理由はこれであった。故に、活動状態のモルターは発見次第必ず終了処分をする。それが決まりなのだ。


「あったぞ淑慰! 向かって左脇腹に突出してる肉腫の最深部だ。硬い筋組織と骨盤に囲まれている、ぶち抜くのには邪魔になるぞ!」

「わかった、骨盤を引き抜いてから核を取り出すよ。らいじは危ないからちゃんと隠れててね!」

「勿論だ、準備はいいか」


 ──そしてこの怪物、核を破壊しなければ死滅させられないというのに、核付近に刺激を感じると猛烈に暴れ回るのである。それはもう、手の付けようがないほどに、だ。元が人間だったとは思えない怪力で付近の感染者もろとも見境なく殺しにかかる。彼らにとって、厚い鉄板を打ち砕くことなど楊枝を折るように容易い。伸縮する筋組織で形成された肉腫は、ウイルスが自身と宿主を守るために戦闘に特化させた武器なのだ。

 淑慰が己の左大腿へ手を滑らせた。何も無いように見える場所で掴んだのは、装衣と同化していた黒い小ぶりなナイフだった。それを逆手に握り直し、深呼吸をして身体の重心を低く低く落とす。顔のレースの端が吐息でふわりと揺れ動くと、優しく微笑むかのような薄い唇がほんの少しだけ顕になった。


「──れ」


 雷路の地を這う声が耳に届くや否や、淑慰はコンクリートを削る勢いで弾き出されモルターの右脇腹へナイフを突き立てた。ゴリッ、という至極不快な感触を伴って刃は筋肉を断ち切り、核付近を攻撃されたことに怒り甲高い怒号を上げたモルターから一本の肉腫を切り落とした。まともに呼吸をする暇などなかった。不規則に暴れるモルターに振り払われぬよう、隙を見てすぐさま右の手を切断面にねじ込み、ある程度の目星とグローブ越しの感覚を頼りに骨盤を探し当てる。数秒のもたつきが命に関わる状況で、運良くそれは簡単に見つかった。


「えいやあ!」


 むんずと骨を鷲掴み、臆することなく力任せに引っこ抜く。筋組織が千切れてブチブチと音を立てた。神経が幾つも細い配線を飛び出させ、腐敗臭と大量の赤黒い血液が淑慰を覆い尽くした。モルターは堪らずありとあらゆる肉腫部分をしならせ、周囲を手当り次第に粉砕し始める。

 それらのうちのひとつが、雷路が身を隠す棚に向けて振り下ろされた。凄まじい速さでしなる肉の鞭が空気を切る音。気付いた淑慰が焦燥気味な声を張り上げる。


「らいじ、避けて!」

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