第一章 感染者──十八項

 淑慰が声を張り上げるより一足早く、雷路は身を翻して木棚から転がり出ていた。背後を振り返れば、たった今まであったそれは木端微塵に粉砕されて見る影も無くなっている。淑慰の忠告をあの場で聞き終えていたなら、まず間違いなく命を落としていただろう。


「早急にカタをつけろ、長期戦になればなるほど不利に追い込まれるぞ!」

「らいじ、この強いやつ、やっぱりすごく暴れる……!」


 並の人間であれば簡単に振りほどかれているであろう暴れっぷりのモルターにしがみつきながら、淑慰はそれでも虎視眈々と来たるべき一瞬を狙いすましていた。死角など存在しないとでもいうように四方八方を隈無く打ちひしぐ肉腫の動きを一本一本視覚に捉え、追う。下手に腕を伸ばせば叩き潰されてしまうのだ、そう易々と手出しは出来ない。


「淑慰、向かって九時方向、上から二番目の肉腫を切り落とせ! 恐らくそいつが核から直通の“主力”なはずだ!」


 不規則な方向からビュンビュンと降り注ぐ異形の腕を軽々と翻して、雷路が指示を下した。顔を上げれば、確かに彼が言った通り、九時方向上から二番目に位置する太い肉腫が他のどの肉腫より緻密で活動的に動いているようであった。他が感覚頼りで破壊行動をしているとするなら、あれは目的を以って自らの判断の果てに襲う襲わないを選別している。より少ない労力で的確に、必要なものだけを屠り去るために用意された、

 淑慰はモルターの身体を慎重によじ登っていく。逆手に握ったナイフを肉塊に突き立て、触手のように波打つ肉の鞭の根元に足を掛け。途中、背中や脚に硬質な痛みが走った。たまらず奥歯を噛み締める。それでも、成すべきことを成すまでは手を足を止めるわけにはいかないのだ。


「ここから、届くかな……!」


 振り上げた拳の中、不浄の血を滴らせる黒刃が飢餓の獣の眼光にも似た輝きをはらんで、その鋭いきっさきを目標へと向けて静止した。淑慰の手に力が籠もる。心なしか時の流れがこの瞬間を色濃く、鮮明な絵画とした。視界の端で舞い踊る木片や金属の破片が妙にゆっくりとした動きで流れていく。しなる肉腫らが一斉にこちらを狙って襲い来る。軋む奥歯、重力を追い風にへと振り下ろされる拳、切り裂かれた空気が行き場を失くして喘ぐ声。そして、淑慰の手首を握り潰さんと巻き付く、熱を帯びた


「──だ、あっ……!」

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