第一章 感染者──十四項

 三、


 閉鎖病棟の内部は窓ガラスはおろか換気扇すら無く、比喩などではない真の石窟であった。入り口の狭さに反比例して箱自体の大きさはだだっ広く、このフロアだけで他の棟の全病室分を上回る空間を保有していそうなほど。コンクリート壁で雑に仕切られただけの個室と針金のように細い鉄柵の扉、迷路とも言える複雑に入り組んだ冷たい廊下。雷路が叩きつけた壁から得られた情報はたったこれっぽちなのであった。


「む、尋常でなく広いな。それに埃まみれで呼吸もまともに出来ない」


 この病院が閉鎖されたのもかなり昔のこと。換気口の無い密閉された地下空間ともなれば、塵や埃の滞留量も地上より破格に多かった。上から流れてくる湿気を吸った重く粒のあるそれらは侵入者の立てた空気の動きに舞い上がっていつまでも気中を徘徊した。

 雷路が幾つか咳き込んだ。尾を引く特徴的な咳の音は辺りへ響くかと思いきや、とんでもない量の埃に吸われて呆気なく消滅するのだった。一歩、また一歩、時折指を打ち鳴らしたりもしながら奥へ奥へと確実に歩みを進めていく。

 慎重ながらも急ぎ足に石棺の中を歩くこと数分、入り口から四つ目の角を曲がりかけた時だった。不意に、ずっと遠方、今彼がいる場所の対角方向から、発狂した人間の雄叫びに似た激しい慟哭が発せられた。それも最悪なことに声は次々と連鎖して、最初の慟哭を上げた個体とは別の個体らも続々と目を覚ましたかのように輪唱を始めた。突然意味もなく吠え出しただけとは到底思えない、不可解なタイミングでの一箇所に集中した混乱のパンデミック。雷路にはその理由がわかっていた。


「──よくやったぞ淑慰、グッボーイだ」


 先にこの闇の中へと飛び込んでいった相棒、淑慰が恐らく感染者の群れと鉢合わせたのである。普通であれば致命的な状況だが、雷路はこれをまたとない好機と捉えた。目処のない迷路マラソンに付き合わされずに済み、加えてターゲットたちが固まってくれているならこれ以上に好都合なことは無い。

 雷路はすぐさま感染者の咆哮の残響を拾い、目的地への最短ルートを算出する。現在の進行方向は突き当たっているらしく、淑慰の元へ行くには別ルートを辿る必要があった。しなやかに身体を反転させ、間伐入れずに全速力で両の足を走らせる。一定の距離ごとに指を高く打ち鳴らせば、暗闇の中でも常に昼間の陽の下の如く視界は良好であった。


「一匹も逃がさずに引き付けておいてくれよ」

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