第一章 感染者──三九項

 進行方向の上空で稲妻が走って、暗い林の中が白光に照らし出された。遅れてやってきた重厚な雷鳴に肺臓が縮み上がる。勢いを増した雨粒が車体を打ち貫く轟音で何もかもが掻き消され、無音とはまた違う孤独感が心を満たした。


「……む、人か?」


 降りしきるノイズで霞む景色の中に、雷路が動く影を見た。人間によく似た姿を持つ、二足歩行の長い影。それは稲妻のちょうど真下辺りで、複数の影と共に立っていたのだった。湖をひとつ丸ごと逆さにしたようなこの豪雨の中でだ。五分も外に居たなら頭のてっぺんに穴があくほどの雨の中。雷路はアクセルを緩め、目を細めて影の正体を確かめようとする。


「淑慰、お前も見たか? 感染者かもしれない」

「しゅくいも見たよ。もしそれならしゅくいがやっつける」

「こんな状況で道は逸れたくないからな。最悪、処理して進もう」


 車を一段と減速させ、念の為ヘッドライトを消す。雨が運んでくる灰色に塗りつぶされた車内で、全員が口を閉じた。人影を見た辺りへ近付いていくにつれて、ナチがソワソワとして落ち着きがなくなる。しきりに周りを気にし、身震いする彼女にギデオンが訊ねた。


「どうした?」

「ねえ聞いて、嫌な予感がするの……。気味の悪い人たちが、この車の周りにたくさん寄ってきているような、そんな気がして止まないの! 気のせいであったらいいと思うわ……」

「なんだって……?」

「ん、おいナチ、今何か言ったか? 雨がひどくてよく──」


 ナチの引きつった声に雷路が反応を示した時だった。突発的でとてつもなく強い衝撃が後方から車体を貫き、四人の体を揺さぶった。リアガラスが割れて、それぞれがカッターナイフの刃よろしく鋭い切っ先を以て車内に飛び散った。ナチがシートの背に打ち付けられて倒れ、ギデオンがその上に転がり落ちる。淑慰は腕で自身を支えフロントガラスとの衝突を避けるが、その横で雷路がハンドルの上部で勢いよく額を打つ。指から転げた煙草が、灰を散らして足元の暗がりへ消えていった。


「ギデオン、重いわ! わたし、死ん、じゃう!」

「ああごめんよナチ……! 上手く動けないんだ、少し耐えてくれないか!」


 唸ったまま顔を上げようとしない雷路の肩に、淑慰が優しく手を掛ける。名前を呼ぼうと口を開いたのと同時、雷路が息を詰まらせながら叫んだ。


「淑慰! 後ろ、何があったか見てくれ……!」

「うん、わかった──らいじ、人だ! 人が立ってる、何人かいる。たぶんだ!」

「いつ回り込まれたんだクソッタレ! 仕方ない、走るぞ!」


 彼に言われるまま後ろを振り返った淑慰が、車の後方数十センチの距離に立ち並ぶ何人かの人影を見た。武器こそ所持していないが、それらにはもう必要のないものであることが見て取れた。崩れた顔、裂けた肉、溢れ出た内臓や突出した骨。知性などとうの昔に無くした、感染者たちだったのだ。

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