第一章 感染者──二五項

 *


 ギデオンは地下に降りてすぐの、埃まみれのコンクリート床で突っ伏していた。小声で身体の痛みを訴えながら懸命に起き上がろうとするが、転倒した際の打ち所の悪さ、あるいは捻った足首やプラスチックの破片で切った掌の鈍痛のせいで中々上手くいかないでいる。自分の背丈分ほど先で横になって割れているランタンが、情けないなとこちらを呆れ顔で見ているような気がした。食いしばった歯がキリリと音を上げる。焦っていた。それは今に始まったことではない。あの憎たらしいランタンを引っ掴むよりももっと前から彼は焦っていたのだ。財団の遂行者らが地下に入った時──いや、それでは少し言い過ぎか。つまり、漠然とした表現で厳密を語るとすれば、。口と頭はそれを阻止するべく決意を語っては自身を鼓舞するが、どうにも身体と心にこの熱意が伝わってくれないのだった。諦めているつもりではなかった。わかってしまっているだけ。抗ったところでどうせはそうなるとわかっている運命などに、果たしてわざわざ食らいつく必要はあるのか。そんな気持ちがギデオンの内側で胡座をかいているのは事実だった。


「……無理だ、不可能だ。私にあの子は救えない、私にあの子は守れないんだ。だけれど!」


 あちこちで神経が痛みを訴える上体を勢いよく反り上げて、ギデオンは鋭く前方の闇を睨みつけた。手前に転がったままのランタンが、おや、と興味津々に彼を見上げる。


「私には、あの子の傍に、居てあげる、義務がある!」


 ギデオンは床に両手を着いたまま今度は腰を浮かせ、体の内側に寄せた片脚をバネとしてまさに疾風のごとく駆け出した。乱暴に拾い上げたランタンは驚きながらもいつもと変わらない光量で彼の行く先を照らした。ギデオンにはルートが見える。毎日のように通う道であるから。明かりなどあってもなくても彼には影響を及ぼさなかった。これを必要としているのは少女の方だ。特別な力も、頭脳も魔法も持たない普通の少女である“あの子”が、ギデオンの来訪を知るための手段。迫り来る感染者とギデオンとを区別するための、目印。


「友よ、親愛なる友よ、君との約束を守れない私を許してくれなくてもいい。しかし最後まで必ずあの子の傍に居て、君の迎えのその時まで、ありとあらゆる刃を受け火の粉を被る盾となろう!」


 少女のいる最奥部までは遠い。入り組んだ迷路と瓦礫の山、不潔な小動物の群れ、それらを幾つも越えた先だ。今はまだ地下へ降りてきて間も無い場所。急がねば、スーツの男と黒づくめの男があの秘密の部屋へと辿り着いてしまう。焦りだけは収まることを知らなかった。ギデオンの脚は何度も縺れ、その度に視界がぐらりと傾いた。だが手は着かなかった。前傾した身体を持ち直し、強く速く前へと進み続ける。


「どうか、私を、置いていかないでくれ……!」

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