第一章 感染者──二六項
*
雷路と淑慰が足を止めたのは、長くうねった白塗りの通路の最奥部、突き当たりに忽然と現れた古い扉の前だった。現れた、というのはあくまでも例えであって、当然ながら扉は今しがたどこかから歩いてやってきたものではないのだが、その扉は何と言うか、本当に現れたような見た目をしていた。
ここまで来る途中に見かけてきた扉は皆、鉄製の格子ばかりであった。それに対してこの目の前の扉はそもそも木製、それも重厚で良質な木材を使用した扉だ。ツーパネルのありふれたデザインはともかくとして、見るからにモノが違うのだ。雷路は二、三歩前に出て身を屈め、ゆっくりと下から上までを凝視していく。少し頼りなくなってきた閃光灯の明かりにぼんやり浮かび上がる扉の存在は、どこか不気味でありながら人の心を掴むような魅力を持ち合わせていた。
「怖いけど、綺麗なドアだね、らいじ」
「うむ。素晴らしい出来だよ、これは。質のいいチーク材が使われている。作られてから結構時間が経っているんじゃないか?」
淑慰も思わず歩み寄り、好奇心のままに観察を始める。油分も水分も存分に含んだ艶やかな濃い赤茶の表面に描かれた、カーブをなぞる木目。くすんだ金色の丸いノブは、回さずに押したり引いたりするタイプのものだ。細やかな研磨技術にしても切り出し技術にしても、これを廃屋の一部に収めるだけのものとして作られたとは到底思えないほど精密に出来ているのだった。
雷路が立ち上がり、ノックをしようと手を伸ばす。扉に背を向けた人差し指の関節が、木を叩こうとした、その時。
「──ギデオン? 来てくれたの?」
可憐で華奢な声が、扉の向こうからそう呼びかけてきた。探していた少女だろうか。想像していたよりも大人びた、澄んだ声だ。語られる英語は流暢だが幾らか早口でもあった。雷路は淑慰に目配せをしてから、言葉を考えて返事をする。
「……いや。ギデオンではない。だがこの通り、感染者でもない。話がある、入ってもいいか?」
「ギデオンじゃない……?」
少女が動揺するのがわかる。足元の金属物に躓いたのか、それがぶつかり合ってけたたましい音を立てた。淑慰が首を竦める。
「駄目よ! ギデオンでないなら入ってはダメ! わたしは本気よ、入ってきたら撃ち殺してしまうから!」
「落ち着け、危害は加えない。ギディなら知っているよ。黒髪の、軍服を着た彼だろう? とりあえず、武器を持っているなら置いてくれないか」
少女の言動からして、銃器を所持しているのは間違いなさそうだ。そして、怯えているというよりは、未知の来訪者に対してむしろ気が立っているようなのだった。感染者だらけの地下空間でひとり、このような窮地にも強気で居られるのは見所のある奴だと、そう雷路は思う。
「ダメよ、口のきける人間が何よりいちばん恐ろしいんだって、ギデオンが言っていたの! 信用してはいけないって!」
「そうかい。悪いが、気は短い方でな。言い分は後で聞かせてくれ。……淑慰、入るぞ」
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