Vulgar.

雉男石吏

第一章 感染者──一項

一、


 頭の先からつま先までを鋭い激痛が駆け抜けて、男は目を覚ました。脈を打つぼやけた視界に写るのは、穴の開いた黒い天井と濡れた窓ガラス。外は雨だ。地を揺るがす轟音をたてて、鉄砲玉のような雨粒が窓を殴りつけている。

 男は苦痛に声を漏らしながら、ゆっくりと小柄な身体を起こした。相変わらず視界はぼやけたままだ。頭の中で鐘が繰り返し鳴り響き、耳の奥では金属が悲鳴をあげている。吐き気を催すほどの具合の悪さだった。込み上げる胃液の匂いに眉を顰めながらも辺りを見回してみれば、すぐ手元に眼鏡が落ちているのが見えた。シルバーテンプルの細身な縁なし眼鏡。紛れもなく己の眼鏡だった。壊れてはいないらしい。男は痛む腕を伸ばしてそれを拾い上げ、しっかりと掛け直して目をしばたく。


「落ちて──気を失っていたのか」


 ぼやけていた視界が一気に輪郭をはっきりさせて、彼が居るこの湿気た空間の全貌を写し出した。ぐずぐずになったコンクリートの壁と錆びきった医療用ワゴン、移動式の簡易ベッドと置き去りにされた拘束具。薬品が入ったボトルが転げられたままの薬品棚。一目瞭然、ここは廃病院の一室であった。

 首を捻って天井を見上げれば、大きな穴が縦に三つほど連なって口を開けていた。どうやら彼はこの穴のいちばん上から落下してきて、ここで伸びていたようなのであった。薄れた落下前の記憶を思い起こしているとまたあの激痛が全身を打ちひしいで、思わず唸り声がこぼれる。

 男はひとまず、痛む身体に一通り目を通す。そこまで目立った怪我は無いようだが、黒革のグローブを嵌めた右手と違って素手である左手は切り傷と擦り傷だらけで出血があり少々痛々しかった。それを除けば、身にまとったフォーマルなグレーベストも、その下の黒いワイシャツも僅かな汚れ以外は無事であり、まさに奇跡といったところ。これだけの高さを落ちてきた人間が所々の痛みと手の傷だけで済んだのは不幸中の幸いであった。

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