第一章 感染者──六項
「あの窓から一旦中に戻るか」
進路に迷いは無かった。するすると腕を伸ばし、時に飛び上がり、片腕で自身を支えたりもしながら男は最短ルートで目的地へ近付いていく。雨は一層冷たさと粒の大きさを増して容赦なく彼に降り注いだ。それでも彼は止まらない。止まったところで、今さら退くことも出来ないのだから。
初めに出て来た場所から向かってやや左上の、三階廊下に面する窓辺。下階とは違ってひたすらにずらりと窓が並ぶここは、男の予想通り白い建造物との連絡通路が繋がれた踊り場でもあった。硝子が抜けた枠を潜って屋内へ戻ってきた男は、ひとまず頭を振って水気を払い、眼鏡に付着した水滴を勢いよく息で吹き飛ばした。このフロアは一階とは打って変わってひらけた空間で、男がたてる音はどれも申し分なく反響した。彼は特に気にかけていないようだったが、もし付近に人がいれば男の存在を察知してしまうだろう。
「拍子抜けだな、本当に誰もいないのか。この際あぶり出してやろうと思っていたんだが、つまらないな」
低く地底を這いずり回る大蛇のうねりのような声。男は不満そうに顔をしかめて鼻を拭い、ぽっかりと口を開けた連絡通路の入り口と対峙する。入り口の扉はとっくの昔にどこかに持ち去られた後であり、あるのは両脇を白い壁に挟まれた暗い通路そのものだけ。踊り場に設置された窓の数の内、幾つかをこちらに付けてやれば陽の光も射し込んだであろうに、と男は思う。対岸はまさに暗黒であり、あちらから誰かが迫ってきたとしても恐らく気付くことは難しい。
「……これはあれか、
遠くで吼える雷鳴が聞こえる。男は耳に入った水を抜こうと首を何度も傾げながら、ゆっくりと先を目指して歩き出した。警戒心など無さげな仕草とは裏腹に、その透き通った艶やかな蜂蜜色の双眸は鋭く前を睨みつけたままで揺らがなかった。時々、ころころとした舌打ちのような音を発し、壁に手を触れる。聴覚で探っているのだった。
「跳ね返り方が変だな。……
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