幕間 『Aryneia Livanova』

 煌々と夕焼けの様に燃える炉。アリンは正座姿でその火の色をじっと観察していた。火は生きており、呼吸をしていると祖父ヴィクトルは言う。ふいごで空気を送り込むと、それが欲しかったのだと火は大きく吸い込み、更に燃え上がる。僅かに変化した色を見極める為に熱波を耐え、額の汗を拭い続け、アリンは早朝からずっと火を眺め続けた。

 燃え盛る炉の中に火鉢を入れ、赤熱した鉱石を取り出し金床に静かに置く。アリンの作った火を纏った鉱石は仄かに光り、耳を澄ませるとチリチリと小さな音が聞こえる。金槌を手に取り何度も叩く。鈍い金属音が響いたのを聞いたアリンは、再び炉の中へその鉱石を戻した。この色では駄目だったと再び火を睨み、ふいごを掴んだ。


 固く、それでいながら柔軟な金属を生み出すにはそれぞれに合う火を作り出す必要がある。ほんの僅かな差で金属は強くも弱くもなり、それを知るには膨大な経験と根気、小さな変化を確実に掴み取る執念深さを求められる。

 理想の火は何なのかと、アリンは炉を見つめながら考えた。理想の色、温度、大きさ。赤く輝く火を見るうちに、それはとある人物と重なった。

 赤い髪の魔人族の中でも、一際美しい髪を持つ、一番最初に友を名乗った男の子。もっと幼いころに読み聞かせられた物語の登場人物が、そのまま現実に飛び出してきたのではと思うほどに眩しく見えた。実際に彼は王子であり、まさしく雲の上のような、アリンにとって一生関わるはずのない者。ところが彼は強引に手を引き、アリンを外に連れ出した。アリンの日常を明るく照らし、襲い掛かる闇を殴り飛ばした。初代魔王は神様と呼ばれるが、アリンにとっての神はリオだった。

 だが彼は自身を無能と卑下している。しかしそのことに絶望することはなく、仲間の為と言い自身を鍛え続けている。

 アリンの理想は彼にある。彼のような強い火を。彼のような輝く火を。彼のような決して消えない火を。彼のような皆を暖める火を。


 もう一度炉から鉱石を取り出した。彼の為に、仲間達の為に、金槌を振るう。今度は、全く違う音が響き渡った。





 幕間 『Aryneia Livanova』





 八年前。気候が荒れることが少ないグランディアマンダでは珍しく、その日は雷雲が轟き、大粒の雨が国中に降り注いでいた。


「今日は雨がよく降るなぁ。リーマスさんも剣を取りに来ないし、火は落としてしまおうか」


「そうですね。……あらあら、また外が光りましたよ」


「お天道様は随分とお怒りのようだ……おや? 何か聞こえないか?」


 雨が降る音に混じる別の音。リヴァノヴァ老夫妻は気になり、音の出所を探してみた。どうやらその音は外から聞こえてくるらしく、扉を開くと雨風と共に泣き声が家に入り込んできた。玄関の直ぐ足元に、毛布に包まれ籠に入れられた赤ん坊がそこにいたのだ。


「あんれま驚いたよ。誰だいこんなところに置いたのは」


「可哀想に。ずぶ濡れじゃないかい。早く中に入れてあげましょう」





 次の日から老夫妻は赤ん坊の親を探し国中を回った。赤ん坊は特徴からして同じ岩人族と分かっており、伝手を辿っていけば直ぐだろうと二人は楽観していたが、何故か一向に生みの親が見つからない。身ごもっていた女性はみな一様にうちの子ではないと首を横に振った。とうとう赤ん坊の両親は見つかることはなく、里親を名乗ってくれる者も出なかったので、二人はその赤ん坊を引き取ることにした。リヴァノヴァ夫妻に息子、娘はいない。夫のヴィクトルか、妻のアルテナイのどちらかに問題があるらしく、子を授かることが出来なかったのだ。なので赤ん坊は夫婦にとって、孫よりも娘のように感じられた。

 アリネイアと名付けられた娘はすくすくと育った。一度も病気にはならず、丈夫な体ではあったがかなり内向的な性格で、滅多に外に出ることはなかった。家では常に祖父か祖母のどちらかにくっつき歩いて、夫婦の仕事を黙ってじっと見て過ごす毎日。子育ての経験が無い二人はこれでよいのかと疑問を抱きつつも、アリンの思い通りにさせていた。

 とある日の早朝、ヴィクトルが炉に火を入れに工房に立ち寄ると、扉の取っ手と錠が無くなっていた。そうだ、昨日調子が悪いから取り外して整備をして、その後取り付けようと思っていて忘れていたのだと思い出しつつ、扉を開くと、工卓に座り、取り外した錠一式をいじるアリンの姿があった。ヴィクトルの存在にまったく気が付かず、一心不乱に鍵穴へ針を入れ動かしている。昨日の私の真似事をしているのかな? とヴィクトルは微笑ましく見守っていたのだが、なんとかちゃりと杭が飛び出した。鍵穴から差し込んだ針金のみで、鍵を開けてしまったのだ。驚いたヴィクトルだったが声には出さず、そっと扉を閉め工房を後にした。その出来事をアルテナイへ話し、アリンの今後の事を二人で考えた。


「アリンには特別な才能がある。アリンが望んでいるなら、それを伸ばしてあげましょう」


 次の日からヴィクトルは工房へアリンを毎日連れ、作業風景を見せ続けた。その場では見るだけで何もしないアリンだったが、早朝や夜遅く、あるいは昼間の二人がいない時間を見計らって工房に入り、ヴィクトルの作業の真似をしていた。火や刃物に触れて怪我をしないかヴィクトルは不安ではあったが、アリンはそういった危険なものが分かるのか、近づくことは一切ない。棚に置かれた工芸品を眺め、或いは箱に閉まってある鉱石や宝石を開錠して取り出し、いつまでもずっと見つめている姿をヴィクトルとアルテナイはよく見かけるのだった。





 月日は更に経ち、アリンが六歳を迎えるころ。工房から出て居間に戻ろうとすると、知らない男性の声が聞こえ、アリンは咄嗟に隠れた。二日に一度はこうして誰かがやってくる度に工房に逃げ、いなくなるのを待っていた。対人恐怖症はなかなか治ることは無く、ヴィクトルとアルテナイ以外の人物とは一度も会話したことが無かった。


「駄目だったよヴィクトルさん。ドワルゴン国にもアリネイアちゃんのお父さんお母さんを名乗る人はいなかった」


 身を隠そうと工房に再び戻ろうとした時、自分の名前と一緒に出たお父さんお母さんという言葉がアリンを引き留める。アリンは物陰に身をそっと忍ばせ、祖父母達の会話を盗み聞いた。


「そうかい。祖国にもいないとなれば、これはもうお手上げだのぉ」


「アリネイアちゃんを拾った時に、何か手掛かりになりそうなものは無かったんですか?」


「なんにもだ。アリンを包んでいた布も籠も、何処にでもあるようなありふれたものだった」


「アリネイアちゃんには、“血が繋がってない”ことは話したのですか?」


「まださ。いずれは話さなくちゃいかんとは思うが、あの内気なアリンが私達と赤の他人だと知ったら、どうなるか不安でしょうがなくての……」


 血が繋がっていない。アリンにとって唯一心許せる存在であった祖父母は、血のつながらない赤の他人だった。それを知ってしまったアリンはその場を静かに抜け出し、裏手から外へ駆けた。どうしようもない悲しみがアリンを襲い、とぼとぼと裏道を彷徨っていると、大きな塔が目に入った。雑草だらけの庭で人も居無さそうだとアリンは得意の開錠で扉を開き忍び込む。塔を上り、辿り着いたその場所で色とりどりのモノがアリンの瞳を埋め尽くした。街の外には森が、山々が広がり、更に遠くには巨大な岩山がそびえ立っている。いつも飽きることなく見ていた物が、あの森の中で、或いはあの岩山の中で沢山眠っている。アリンの心は踊り、しかし同時に悲しみも溢れ出た。しかしここなら誰にも見られず泣ける。ここなら誰にも見られず世界を見られる。アリンにとって、この場所は心を開ける場所となった。


 それからは幾度と足を運び、アリンは壁の向こう側を眺めた。外の世界に憧れを抱くも、きっと出ることは出来ないだろうとアリンは諦めていた。外には深淵体アビスと呼ばれる恐ろしい存在がいるのを祖父母に何度も聞かされており、怖くてとても一人で外に出る気にはなれなかったからだ。体が震えたアリンは街を見下ろした。自分と同じぐらいの子が、何人も集まり街を走り回っている。これも、アリンの憧れた世界だった。祖父母との繋がりは切れてしまったと思い込んだアリンは、新しい繋がりを求めていた。寂しいという感情と、羨ましいという感情がアリンの心を乱し、とうとう内気なアリンを突き動かしたが……世界は彼女を否定した。


 より内向的になったアリン。祖父母にもその心内は決して見せず、塔の上でだけさらけ出した。今日も酷い目に会った。でもここにいればいずれ落ち着く。不安を、不満を、恐怖を、悲しみを、内へ内へとしまい込み、沈んでゆく。誰もが手を出せないほど沈みきろうとした時、彼は突然現れて、アリンを引っ張り上げたのだ。









「どうしたよアリン、辛気臭い顔しちまってさ」


 アリンの心開ける場所は仲間との居場所になった。今日のお昼はベルスさんのハンバーガーにしようと決め、ヴァン、スコール、ティアが買いに向かい、留守番のリオとアリンは二人で塔に上り、完成させたばかりの魔法具を確認し合っていた。嬉しそうに手の平で魔法具を転がすリオを見て、彼の期待に応えられたかと思うと同時に、以前の頃の自分を思い返し、少し不快になった。それが顔に出てしまったのだろう。リオが顔を覗き込んでいた。その神秘的でいて妖しく美しい紫の瞳は、心を見透かされているような気分になる。実際、何でも知る彼はワタシの考えを見抜いているだろうとアリンは本音を吐露する。もう、隠す必要などないからだ。


「ちょっと、前の事、思い出してました。前のワタシが、情けないのが、嫌だったんです」


 そうかとリオが答え、アリンの首に腕を回し肩に乗せた。その重さが心地よく、アリンは静かに目を閉じてリオの温もりに耽る。もし兄や父がいたとしたなら、彼のような者のことを言うのだろうか。そう考えるも、何となく違うとかぶりを振る。では男としてなのだろうか。色恋に憧れはあるが、それも何となく違うと否定する。リオにはもっと相応しい女性がいい。少なくともティアの方がリオとお似合いだとアリンは思った。

 彼の為に何ができるだろうか。仲間達の為に何ができるだろうか。与えられてばかりで何も出来ない自分が嫌だった。だから自身を作り変える。髪を切り、作法を真似て、話し方も真似て、あのアローネという使用人の長を、影で王達を支え続けるという彼女達を真似て、リオをずっと支え続けようと、アリンは密かに心で誓っていたのだ。リオの存在はアリンの精神を急成長させ、もはや別人と言ってもいい程にアリンを変えつつある。


 友人という枠の中に居ながらも、異性という枠を外れ、憧れすらも超えて、崇拝に近いものをアリンはリオに抱いていた。




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