第39話 『HatRed Hair』

 破力とは、文字通り破壊の力。この力を他者や他生物が殺気と感じるのは、自らが破壊される事、つまり死を恐れるからであるが、とうとうこの力は相手の精神に直接作用するまでに至った。相手の思考、感情、果ては本能までをも破壊する事が可能となった。

 ダークコングは俺の声に乗せられ伝播する破気により深淵体アビスが元々持つ殺戮衝動を壊され、存在目的を失い、恐怖のみを抱いた木偶人形と化し、俺の殺意に同調し自らを殺した。


「破力、前より強力になったわね。もう脅しじゃ済まないじゃない」


「こんなに無差別じゃじゃ馬な力じゃなかったんだがな」


 日に日に増す効力に比例し、制御も難しくなっているのが分かる。半年間の修行は長時間放出し続ける為に行ったものだが、どちらかと言えば破力が俺の支配下から逃れ暴れようとするのを抑え込む方が困難だった。本当に扱いづらい力だ。


「○××○□△※※※」


 後ろから聞こえるゆったりとした異言語に振り返れば、テリムの傍らに立つ少し腰の曲がった目尻の低い白髪のおうなであった。どうやら俺に話しかけてきたらしいが、全く持ってさっぱりだ。

 チンプンカンプンやねんという思いが伝わったのか、老婆は頷くと手に見た事の無い式の魔法陣を展開し、直ぐに閉じた。……なんか、読めはしなかったが、何となく不自然な式だったな。


「“この言葉を話すのはかなり久しぶり”だが、ちゃんと聞こえるかい?」


「!! お婆ちゃんの言葉がエウスル語になってるわ! 一体どんな魔術を使ったの?」


「うんうん、問題無さそうだねぇ。さて……先ずはお礼を言わせておくれ。わたしはここヴィラガ村の長。みなを代表し感謝するよ。もしあなた方がいなければ、わたし達は皆殺しにされていただろう。本当に、有難う御座います」


 呆気に取られる中、村長は近くにいた村人Aに何かを告げ、俺達に着いて来なさいと、テリムを伴いゆっくり歩き出した。


「……切っ掛けどころか、今最低限欲しい情報の殆どが手に入りそうだ。スコール、俺とティアは先に行ってるから、ヴァンとアリンを呼んでこい」





 第39話 『HatRed Hair』





 案内された場所は村長が住む小屋だった。基本的な日用品や家具が置かれている以外には、特にこれといった物品は無い。木製の引き違い窓からは時折村男達が覗き込み、入口からも何人かの呟き声が聞こえ、歓迎ムードからは程遠い雰囲気が漂っている。

 最近は膝小僧が特に痒く疼くでのと村長はボヤき、膝まわりを擦りながら肘掛け椅子に腰掛けた。

 

「ふぅ……。大変申し訳無いけど、助けてくれたあなた方恩人様に、失礼を承知で言うが……」


「『俺達はさっきの深淵体アビスを狙ってここまでやって来た。この村には何も無いと言ったら興味を無くし出て行った』とでも村の連中には後で伝えといてくれ」


「……魔人様は魔力だけでなく、人の心を読む力もあるのかの?」


 深淵体アビスを倒したからか多少は和らいだが、村人の俺達に対する警戒心は高い。村長はそんな彼らの意思を尊重してやり、村という一つのコロニーが乱れるのを抑えなければならない。こうして運良く出会えた貴重な疎通者だ。なるたけ好印象を与えておき、引き出せるだけの情報はケツの毛まで毟り取っておきたい。


「ねぇねぇ、おさお婆ちゃん。さっき使った知らない人と会話出来るようになる魔術、教えて欲しいなぁ」


「え、そんな便利な魔術があるの? だったら僕も知りたいよ」


 ティアとヴァンは身を乗り出し可愛くおねだりするが、長老はホッホッホと笑い、そんな術は無いよと二人の期待をへし折った。


「この言語はわたしがむかーし、幼い頃に使ってたものさ。わざわざ術と見せかけたのは……そっちの魔人様なら、気付いてるんじゃないかい?」


「この辺りでは禁じられているか、若しくは村人が嫌う連中が扱ってる言語だからだろう。それを長がホイホイ扱ってるぞと村人が知れば、長に対する不信感が生まれる。だから魔術を隠れ蓑にし、俺達と会話出来るのは魔法のおかげと思わせている、だろ?」


 それと同時にこの村で村長以外に魔法が使える者、詳しい者はいないという事も判明したがな。先の戦闘から分かっていたことではあるが、下位魔法すら扱えないのは逆の意味で驚いた。


「その通りだよ。そして魔人様の口ぶりから察するに、あなた方は相当遠い地から来たようだね。この村にこの言葉を扱える者も、知る者もおらんから、今は気にしなくともいいが、他所では控えなさい。何をされるか分からないからねぇ」


 そこまで抑圧されてんのか。早急にこちら側の言語を習得しなくては。ほらティア、此の世の終わりだと言わんばかりにがっかりしたって無いもんは無いんだ。諦めてしっかり学べ。


「長様。ワタシ達はあの大岩山を乗り越えてここまで来ました。ですのでここ村周辺だけでなく、周辺地域に関しても全くの無知なんです。よければ、お知恵を授けてくれませんか?」


 天の咢を越えやってきたというのは長老にとって青天の霹靂だったようで、信じられないものを見る目付きでしげしげと見つめられた。信じたのか否かは分からないが、神妙に頷き椅子へ深く座り直す村長。


「あなた方は、この村を救ってくれた恩人様。わたし程度の知識が役に立つなら、お好きなだけ持っていって下さいな」


 どうやら快諾してもらえたようなので、まずは大ざっぱに三つの情報を教えてくれと頼んだ。


 ・村人達の種族について

 ・魔人族他亜人達の迫害について

 ・天人族という種族について


「あなた方の土地には普人族はいなかったのかい? 数だけは多いから、何処にでもいるかと思ってたんだけどねぇ……


 普人族とは、突出した能力、特性、外見を持たない、何の変哲も無い種族。肉体は弱く、潜在する魔力量もごくごく平凡。稀に優れた魔力を持った個体もいるが、ほんの一握りである。社会形成においては身分出自や血筋が重視され、国と呼ばれる規模になると貴族、王族と呼ばれる特権階級を持つ者達がいる。個々の持つ文化は住む各土地に大きく左右され、普人族全体として一律した性格的特徴は無い。

 ……魔力以外地球人とそんな変わんねえじゃねえか。


「面白味のねぇ種族だな。弱えくせに数は多いって、あれか? 万年発情期か? 頭ん中桃色花吹雪子種吹雪か?」


「ヤイヴァ、下品」


 確かに人とは性欲旺盛で季節気候関係無しに繁殖できる生物ではある。加えて知恵知識という重荷にならない力を手にし、地上において生物の頂点を勝ち取った訳であるが、それは普人族だけの特権ではない。より優れた種族が他に存在するのに、どうやって繁栄したのか。それは、天人族という強力なバックが存在するからだ。


「まぁ、あなた方にとっては、矮小に見えるだろうねぇ。事実、わたし等は弱い生き物さ。……だからなのかも知んないよ。自分の弱さを認められないから、他の種族を陥れるような決まりを作ったのは……


 獣人、爬人、竜人、巨人、その他多数の、身体に大きな特徴を兼ね備えた種族を普人と区別し、総括して亜人と呼ぶ。“トリスフィア教”において、亜人は正しき人の形から逸脱した存在であり、全生命の主たる神の創った世界の異分子である。彼らは卑しい下等生物の為、人として扱ってはならない。


「……トリ、スフィア教?」


「宗教団体、よね? 名前だけだと活動内容がさっぱりだわ」


「オレ達にとっちゃ非常に性質たちの悪い宗教ってぇのは分かるけどな。うざってぇ宗教だぜ」


「宗教を利用した思想、世論誘導ってやつだ。生活基盤の一部とも言える教義に従う民衆を煽動し、政治戦略において有利な状態を作り出すのさ」


 広めたのは天人族か? だったら気になるのは、普人族を支配下に置いた理由だ。数が多く力が弱いからか? それだけでは理由としてしっくりこない。天人族の勢力圏を拡張させる為に利用しているのは間違い無いだろうが、普人族に一体どんなメリットを見出した?


「難しいことは、わたしにも分からないけどね。とにかくそういった亜人を否定する考えが、大昔から人々の間に浸透しているんだよ。大きな所では奴隷の亜人が沢山いるよ」


 それが広まり始めた年代は、さすがに長でも知らなかった。何百年とかけて人々の間に浸透させた教えは、出元を辿るのもほぼ不可能だ。


「それで、魔人様達についてだね。彼等は……彼等は、大昔の大戦で、天人族の手により滅ぼされた、と言われている」


「滅ぼされた、ですって……?」


「あの化物じみた魔力を持つ魔人族がか? にわかにゃ信じらんねえな」


「言われている、という事は、まだ生き残りがいるんですか?」


「何人残ってて、今は何処いずこにいるのかというのは知らないがね。だがわたしは幼いころ、とある魔人様に拾われ育てられ、その時に言葉と魔法を学んだ。だから今でもどこかで生きていると思うのさ」


 エウスル語を流暢に話せるのはそういうことか。……ん? 今更だが、世界を天の咢が隔てているのに、何故公用語であるエウスル語がこちら側にもある? 元々はこっちの魔人族の言語で、曽爺ちゃん達が広めた? いや、そんな話は聞いたことが無い。俺が昔暇つぶしに読んだ文献が正しいなら、千年以上前から変化がないはずだ。

 ……こっち側と向こう側で、交流があった? いやまさか、うーん……今は保留にしておくか。


「魔人様は、どの種族も関係なく、全ての生命を平等に見ていた。そして、どんな時でも、悪しきものを挫き、弱きものを助けるためにその身を捧げた、素晴らしく尊い一族様だった。わたしがこことは違う小さな町にいた時は、誰もが魔人族様の方々に感謝し、崇めていた。わたしを助けた魔人様も、まさに理想を貫く強いお方だったよ。今でもはっきり思い出せる。昼と見間違う程の閃光が、夜に燃える家々を貫き、何もかもを破壊する中で、逃げるわたし達を背にして両手を広げる魔人様の姿が……」


 遠い記憶を掘り返しているのか。黙祷し、口を紡ぐ村長。俺としてはその魔人を葬った奴の方が気になるが、今聞くのは野暮か。


「もう誰も信じてくれない。皆口々に言うのさ。魔人は世界の仇敵。神に仇名す最も愚かな一族。破滅への導き手、とな。……この村と、周辺を見て、どう思う?」


 またもヤイヴァが明け透けもなくつまらん場所だと言い、しかし村長はそれに気分を損ねることなく、だが悲しげに静かに頷いた。


「ここはもっと緑あふれる豊かな土地だった。暖かくなれば薄紅色の花々が辺り一面に咲き、実りの時期になれば風鈴草ふうりんそうの音色と共に虫達が踊り、豊作を祝いあった。だがそれも、今では昔のこと。見る影すらない。いくら苗を埋めようど葉は枯れ、雑草すら根を張らない。いつしか鳥の囀りは消え、虫達の合唱も無くなった。お天道様がいるのに。肥沃な大地があるのに。暖かなそよ風、透き通った小川のせせらぎがあるのに。命が生まれない。命が育たない。みな枯れ果て死んでゆく。全ての原因は、生命の源である魔力を、私利私欲を満たすために魔人族が奪ったからだ。誰もがそう信じて疑わない」


 これはまた、魔人は存在そのものが咎人なのだといわんばかりだな。


「そんなの……言いがかりです。魔人族の方々は、皆さんから魔力を奪ったりするような人達ではありません。……リオを馬鹿にする不埒な者はいましたが」


「でも最後はベルスおじさんとの闘いで信頼を勝ち得たわ。お爺様が言ってたもの。魔人のみんながリオを褒め称えてたって。手の平返しはちょっと気にくわないけど」


 おい、話がズレてんぞ。俺の評価なんぞどうでもいい。今はこの地域における魔人族の対外的評価が知りたいんだ。長老に魔人族は力という観点において恐れられているのかどうかと聞くと、当然だよと誇るかのように頷いた。


「『もし見かけたらすぐ教会へ駆け込むがよい。悪魔共は善良な心につけ込み汝を地獄へ誘う。決して近寄るべからず』耳にたこが出来るかと思うぐらい、聞かされたよ。いつだったか、誰かが教会に告げたその日すぐに、物々しい白金の鎧を着た大勢の兵士が隊を成して出て行った。本当に魔人様が出たのかどうかも分からないのにだよ?」


 天人族との大戦に負け、残党と化した魔人が魔女狩りのような扱いを受けている。徹底的に根絶やしにするつもりか。


「なぁリオ。グランディアマンダで魔人が表に出せねえような事故とか禁忌を犯したとかねぇのか?」


「いや、そういった記録も噂も一切無い。筋金入りのお人好しで利他主義な連中ばっかだからな。だが……魔力を奪っているというのは、あながち間違いではないかもな」


 封魔殻破。生まれてから千日目を迎えた赤子が起こす体内残留魔力の爆発現象。周囲の魔力を吸収し、環境に適合するためと言われている。それが魔人族では群を抜いて吸収量が多い。曽爺ちゃんは立ち会った魔人族の命すら奪う程の吸収率だった。謂れの無い疑いだと言うには、実例がある以上否定は出来ない。それが自然界にも影響を及ぼすかどうかまでは分からないが。


「魔人族全員が、善人とは限らない」


「その天人族という者達に色々と酷い目に合わされて、形振り構わない行動を取っている人もいるかもしれませんね」


「そのあたりは追々考えるとしてだ。一つ確認させてくれ。村にテリムを住まわせず、あのボロ屋に押し込めているのはこの髪色が原因か?」


 大人しく部屋の隅に座っていたテリムを一瞥する。俺の事をじっと見つめ、キラキラと目を輝かせている。窓からちらちらと覗く鬱陶しい村男は、睨み返せばびくりと体を震わせそそくさと引っ込んだ。同じ村人でも魔人族に対する認識に大きな違いがあるようだが。


「そうだよ。赤い髪は悪魔の象徴。嫌われ者の証。魔力があろうとなかろうと無関係。だが、わたしはそういう偏見を持たされることは無かったからね。テリムには、わたしが幼いころに聞かされていた、魔人様への祈りの言の葉を教えた。髪が赤いことは、恥でも罪でもない。むしろ誇るべきだと。魔人様のように暖かく、正しく、立派に胸を張って生きなさいと、聞かせ育てたのさ」


 その言の葉とやらを教えて貰う。どうやら魔人族を崇め奉るのを習慣としていた者が大昔にいたらしく、それが伝聞のみ残っているらしい。紅様というのは魔人の隠語で、魔人を信仰していることを悟られない為に言い換えているそうだ。よくもまぁ何百年もそんな信仰が残っていたもんだ。


「魔人族の事情は大方理解した。後は天人族について教えてくれ。一体何者なんだ?」


「天人族……わたしも、天人族の正体はよく知らなんだ」


 そろそろ語り疲れたのか、大きく一呼吸する長老。テリムが立ち上がり、食台に置いてあった水差しから飲水を器へ注ぎ、長老へ渡した。二人の容姿を見比べても、特に共通点は見当たらない。肉親でもないテリムのことを、長老は相当気遣っていたようだ。


「天人族は、神に直接遣える、翼を持った一族。その力たるや強力無比。その神秘さたるや満月の如く。その慈悲たるや大海の揺り籠……と、うたわれる者達らしい。ここを含めた“下層”なんぞに降りるような物好きな天人がいるわけでもなし。誰も見たことがないよ」


「下層、というのは?」


「天人族、そして一部の選ばれた者達だけが住む、天人族が直接支配下に置いている地域一帯が上層。西の果てにある大きな樹を見た事はあるかい? その周辺が上層と呼ばれ、それ以外が低層さ。何もかもが天と地ほどに違うなんて言われてるが、こんな辺境の地に住むわたし達みたいなのがお目にかかるのは、一生ないだろうねぇ」


 当然、天人族の大半が上層で、身分か、若しくは優れた能力持ってる普人族もそこにいるのだろう。





「なぁ長さんよ。この村一帯がもう駄目ってんなら、移住でもしたらどうだ?」


 聞き出せる情報はもう無さそうだと区切りをつけようとした所、ヤイヴァにしては真っ当な提案を村長に出した。だが村長は首を横に振り、静かに、だが悲しげに微笑んだ。


「そうしようにも、在野を渡るにはみな非力過ぎる。護衛を頼もうにも、金が無い。それにの……みな、ここを愛しているのさ。縋り付いているんだよ。あの頃の、豊かな草花が咲き乱れる光景に。わたしもその一人さ。流れ者のわたしがここを安住の地と決めたのも、心打たれたからなんだよ」


 ……本当に、素晴らしい景色だったのだろう。残念でならない。俺も、見てみたかった。


「ここから北西の方角と、北東の山々の先に町がある。 ここよりはずっと人も多くて、拠点にするには充分だと思うよ。次の目的地にしたらどうだい?」








 その後、細かな質問を幾つかし、話は落ち着いた。村長には一言礼を述べ、早々にこの村から立ち去ることにする。もうこれ以上この村に俺達にとって利になりそうなものは無いだろう。


「村の方達の偏見を、改善する事は出来ないんでしょうか」


「問題の根が深く混乱を招くだけだ。それに抜本的に解決するならばあの村だけじゃ無く、種族全体の考え方を直さなければ駄目だ」


 徐々に遠のく村をアリンは何度も振り返る。俺もちらりと後ろを向くと、一人ぽつんと見送るテリムが見えた。

 アリンはどうしても気になるのだろう。とうとう俺の前に立って静止し、向かい合った。ヴァン達も歩みを止め、俺とアリンの成り行きを黙って見つめている。


「なら……テリムだけでも、何とかしてあげる事は出来ませんか?」


 何だかいつになく気に掛けてる様子だ。昔の自分の境遇と照らし合わせているのだろう。何を俺に期待してるんだか知らんが、俺は神でも仏でも、そもそも善人ですらない。救いを求めて手を伸ばされたら、その手を踏み潰すのが俺だ。せめて俺の気に入る供え物ぐらいしろとな。


「仮にテリムへの偏見を払拭する手段があったとして、それを実行した事への責任が取れるのか? テリムはそれで幸せになれるのか? テリムはそれを望んでるのか?」


 こうして説教臭いことを口にするのは久方ぶりだ。物覚えも吸収も早いこいつらには口にする機会がそれほど無かったというのもあるが、最近見せなかった俺の態度に、アリンは萎縮し身を縮こませた。


「情けは人の為ならず。巡り巡って返ってくるのは、絶対に俺達にとって利があると口に出来るか? 深淵体アビスを倒したのは、善良な思いでやった行為だと胸を張れるか?」

 

「……いいえ」


 勿論、アリンにも色々と思うところがあるだろう。だが俺の言うことに反発はしない。俺の言っていることは、正しいのだと思い込んでいる。物事に臆さなくなったのはいいが、自己主張が弱いのは相変わらずか。口を噤み、視線を落とし、完全に反省モードに入ってしまっている。


「それでもと言うのなら、その時は俺達全員でやり遂げる。それだけの思いがアリンにあるならな」


「……我儘を言って、申し訳ありませんでした」


「このお馬鹿ちゃんめっ!」


「あぅっ!?」


 せっかく助け船を出してやったのに、アリンは自己嫌悪に陥ったままのせいで見落とした。【額貫手デコピン廉価版ちーぷえでぃしょん】でお仕置きをし、涙目になったアリンの頭を撫でてやる。


「その場その時に生まれた感情を全て否定してはならない。それはアリンの真実の想いだ。貫くぐらいの気概は持て」


 誰かに何かを与えるのならば期待はするな。施しをするならば責任を持て。そしてそれら全ては俺達全員が背負うものだ。迷惑だと思う奴などここにはいない。俺の言いたいことをようやく理解し、こっくりと頷いたアリンの頭をもう一度撫でる。


「テリムだけでも連れてくか? もしかすれば赤髪でも差別されない町があるかもな」


「……いいえ。よく考え直しましたが、自己満足なだけだと分かりました。今のワタシ達は、他人に気遣う余裕はありません。これ以上、荷を増やす訳にはいけません」


「そうだな。だが、他人を助けたいという気持ちは、決して悪い事じゃない。都合上その感情を抑える事になるのは仕方ないにしても、捨てる事はないようにな」


「はい」


 アリンの瞳に憂いが無くなったことを確認し、改めて周囲を見渡した。太陽の動きからして、北北西の先に見える大きなブロッコリーが天人族の城。あそこまで行くには何年もかかるだろう。最終目標地はあそことし、現時点で動ける範囲の見切りをつける。


「北西の方角、この荒れ地を二晩歩いた先にある町は流通がそこそこ。もう一つは北東の方角に見える禿山を三つ越えた先。こっちは荒くれ者共が集う治安の悪い町、か」


「まずはこっちの言葉を覚えることが最優先。でも僕達が腰を据えて学べるような場所になると……」


「荒くれ者の町一択。イシシシ、なんか一悶着ありそうな気がするぜ」


「ヤイヴァはそういう問題を作る側でしょうが。不本意だけどまた長い逗留になるんだから、面倒を起こすような真似はしないでちょうだい」


「御飯食べられれば何でもいい」


「お金を稼ぐ手段を確保しないといけませんね」


 飯と寝床だな。旅の途中は自給するとして、町に入ってからの行動も慎重に調べておかなくては。

 露銀にしてくれと村長から渡された緑青の付着した数十枚の銅硬貨。こちら側の一般通貨で、俺達六人が二日分過ごせるだけの価値はあるらしい。この地方の物価をはっきりと把握するまでは、使うのを控えるつもりだ。





 目指す町は一体どんな場所なのか、俺達は期待を膨らませ荒野を歩く。談笑する仲間達の中で、俺の心にほんの少しだけ不安が過ぎった。こいつらが、人の悪意に耐えられるのだろうかと。アスタリスクが穢れた光を浴びた時、俺の心の穴は、どうなってしまうのかと。らしくもない自分の中に生まれた感情を、俺は捨てる事が出来なかった。




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