幕間 『Skollaut Fenrero』

 朝靄は視界をぼんやりと遮る。瞬く星は時間と共に溶け空を曙色に染めつつあり、後数刻もすれば太陽が顔を出すだろう。少年の震えと緊張は白い吐息となり、霧に混じって色濃くなった。

 少年のような種族にとって、この程度の薄ら寒さは気に留める程でも無いのだが、先ほどから霧に潜む影が少年の心を圧迫し、その胸中を押し出していた。

 別の感覚が少年の頭をくすぐる。視線だけをそちらに寄せると、隣に立つ男が大きな手の平を頭に乗せているのが見えた。その温もりに少年は安堵したが、男の行為が自分を安心させる為ではないことは分かっていた。

 視線を戻した少年は、霧の中で今も蠢く存在に意識を集中させる。内から湧きだす力は不可視の波となり霧の中へ放射される。打ち寄せ返る波動は少年の耳を揺らし、確かな存在を少年に伝えてきた。


「何匹だ?」


「三……と、後ろに一」


 男の問いかけにすぐさま答える。無駄なやり取りはしない。単純に、簡潔に、正確に。散々教え込まれてきたことだった。


「後ろを仕留めろ」


 温もりが消える。少年は走り出し、霧の中へ一瞬で消えていった男に続く。

 空を切る音が聞こえ、何かが大地へ落ちた。男の背中が見えた時、影が頭を切り飛ばされた。近くの影に細い銀線が走り、もう一つの影の眉間に深々と剣が刺さった。

 少年は真っ直ぐ最後の影に迫る。影……灰色狐は、仲間が一瞬で殺されたことに躊躇い遁走を図ろうとしたが、すぐ目の前に銀髪の少年が現れ、攻撃するか否か迷い、隙を見せた。

 少年は左拳に魔法陣、【加流射カタパルト】を発動させる。彼の腕力ではとても生み出せない速度で伸びる拳に、灰色狐は何をされたのか理解出来ないまま、延髄に強烈な打撃をくらい、絶命した。





 幕間 『Skollaut Fenrero』





「まだ少し荒いが、だいぶ上達したな。一撃で仕留めるとは思わなかったぞ」


「小さいし、動き鈍かった」


「だとしてもだ。お前と同じ年で同じことをできる奴はそうそういない。誇っていい。よくやった、スコール」


「……ありがとう、父ちゃん」


 スコールは自分の頭を撫でる感触が、先程とは違う温もりと優しさを含んでいる事が嬉しくあり、また誇らしかった。

 スコールの父、リーマス・ファンレロはグランディアマンダでかなり名の知られた狩人。銀色の髪と剣筋が流れ星のように一瞬だけ煌めき、獲物を仕留める姿から閃銀流星せんぎんりゅうせいという異名を持つ。国一番の部隊であるディアマンド隊にも一目置かれる程の人物であり、王から感謝状を授かったこともある。

 そんな父親の背中を見て育ったスコールは、手解きを受けながら狩の腕を少しずつ、少しずつ上達させていく。別にスコールは狩人になりたい訳では無いのだが、リーマスが外に出る度に必死に追いかけているうちに、自然と身についてしまっていたのだった。リーマスとしてもスコールに自分と同じ職についてほしいとは思っていないのだが、家を出る度に悲しげな表情をするスコールに根負けしてしまい、せめて最低限の技術だけは覚えさせようと、あれこれ教えているのだった。





 街に着いたファンレロ親子は報酬を受け取る為、集会館へ向かった。その途中、大通りを行き交う人々が、誰も彼も酔っていることにリーマスは気づいた。まだ歓楽街の入り口付近だというのに、なぜこんなにも酔っ払いが溢れているのかとリーマスは疑問に思い、直ぐ近くの、まだ会話が成り立ちそうな顔の赤い男に話しかけた。


「失礼。今日は何か祭りを催してでもいるのか?」


「おぅおぅへっへっへ~。今日はフェデリーゴの火酒の解禁日さ~~。み~んなみんなあっちこっちで飲みまくってるのさ~うぃっく」


 男はそう答えると手に持った小樽を呷り、ぷはあと濃い酒の匂いをばら撒いた。リーマスは不味いなとスコールを見れば、案の定その顔を歪めて不快感を露わにしている。無意識に額の傷を撫でているその手を握り、リーマスは歓楽街から離れることにした。





(さて、どうしたものか。今日が解禁日だった事をすっかり忘れていた。歓楽街は明日までそこら中酒臭いぞ)


 中央街北、酒の匂いが届かない場所まで戻ってきたリーマスは困り果てた。背負う四体の灰色狐の死体を持ったまま住宅街へ帰れば、近所の子供達が怖がるだろう。だからと言ってあの酒の匂いが充満する歓楽街を歩いてスコールの“記憶”を刺激するのは論外だとリーマスは頭を振った。一人で帰らせようにも、スコールが離れてくれるだろうかと、リーマスははしゃぐ子供達の集団を、興味がありそうで全くない視線で眺めるスコールの額に残る傷を見つめた。





(この出来損ないがぁ!!)


(やめてくれ族長!! スコールはまだ小さい子供なんだぞ!!)


(黙れ腰抜けえ!! お前も、此奴もっ! “狼人族”の恥晒しがああ!!)


(駄目だ……駄目だ! 父さん! やめろっ……やめろおおおおおおっ!!)





「……父ちゃん?」

 

 “あの時”を思い出す度にリーマスは思った。もう二度とスコールを家族と切り離すことはさせないと。私が代わりに守ろうと。だが、いつかは本当の事を話さなければならない。スコールの唯一だった家族は、“私と妻に変わった”。それを、いつまでも騙し続ける訳にはいかない。真実を知った時、スコールの心を支えてくれる何かを、スコールが自分自身で見つけなければならない。しかしそれは今でいいのだろうか。

 リーマスは悩みに悩み、そして決めた。


「スコール」


「?」


「今日手伝ってくれたお駄賃だ」


 リーマスはスコールに三枚の硬貨を握らせる。スコールは硬貨を見つめ、頭を傾げた。


「父ちゃんはコレを集会館に持って行くから、戻ってくるまで遊んでいていいぞ。そうだな、そのお金でゼンマイ焼きでも食べにいったらどうだ?」


 置いて行かれることに不安げな表情をしたスコールだったが、ゼンマイ焼きという単語に反応し、尻尾を左右に振り始めた。食いしん坊な息子を食べ物を利用して引き離すことにリーマスは胸が痛んだが、少しでも親離れさせなければと心を鬼にする。


「店の場所は分かってるな? この大通りを真っ直ぐ歩けば、左手の方に店が見えてくる。左手はどっちだ?」


 リーマスが問うとスコールは勢い良く左手を挙げた。うむとリーマスは頷き、行ってきなさいと背を押す。スコールは嬉しそうに尻尾を振り回しながら、大通りを駆けた。









 意気揚々と城下街大通りを歩くスコール。頭の中はゼンマイ焼きの事でいっぱいになり、過去に食べた味の記憶を反芻するたびに銀の尻尾がフワフワと踊る。父ちゃんは今どうしてるかなと一瞬孤独感が胸を包もうとしたが、直ぐに肉汁の滴るゼンマイ焼きがスコールの心を不安から引き離した。

 やがて左手側に店が見えスコールは駆け寄る。店の前に到着し、目の前で焼かれるゼンマイ焼きに釘付けになった。焼けた肉の食欲をそそる香りが、スコールの嗅覚を手招くように刺激する。

 スコールは店の看板に書かれた金額を読んだ。一、二、零。百二十ディアム。スコールは握りしめた手を開き、鈍く光る三枚の硬貨を見つめ……消沈した。耳が垂れ下がり、あれほど嬉しそうに跳ねていた尻尾も項垂れた。これでは買えないと、スコールは目前のゼンマイ焼きを恨めし気に見つめ、喉を鳴らした。


「あの……えっと、君、並んでる?」


 突如かけられた声に振り返ると、スコールを怪訝そうに見つめていたのは彼と同じ年頃の、黒みがかった紫の髪の爬人の男(女?)の子であった。並んでいるのかという問いかけに、どう返せばよいのかスコールは再び頭を悩ませる。確かに自分はこの肉汁滴る食べ物が食べたい。だから買おうとお金を出したが“店の金額と一緒にできる硬貨”がない。スコールは手に握る三枚の硬貨に視線を落とした。


「ん? どうしたの? 三百ディアムもあるなら買えるよ? 二枚おばちゃんに渡せばいいんだよ」


 少年の指摘にスコールは二枚だと“多すぎる”と思いつつも、少年に言われた通り、二枚の硬貨を店主に渡してみた。すると八枚の小さな硬貨を渡され、はいどうぞと目的のゼンマイ焼きも渡された。

 手の中の硬貨を数える。八十ディアムだ。多く渡せば余分な部分が返ってくるお釣りという存在を、スコールは初めて知った。お金はぴったりでないといけないと思い込んでいたのだ。


「……ありがとう」


「? どういたしまして?」


 スコールの感謝の言葉に、少年は何故感謝されたんだろうと頭を傾げる。少年はスコールが困っていたことに気付かず、また少年の知識で解決できたということも理解出来なかったからだ。


「おばちゃん、僕も一本下さい」


 良く分かんないけど解決したならいいやと少年は袋から硬貨を取り出しゼンマイ焼きを買った。受け取ったゼンマイ焼きに笑顔を綻ばせ、噛みつこうとし、自身をじっと見つめるスコールに気づき固まった。


「えっ……と……食べないの?」


 見詰められたままでは気になって食せない少年は、ゼンマイ焼きを握って立つスコールに聞いてみた。スコールはゼンマイ焼きを見つめ、また少年に視線を戻した。


「う、あ、うーん……い、一緒に食べようか。そこに座ろ?」


 少年が提案すると、スコールは頷き、二人は近くの長椅子に腰かけた。


「僕の名前はリンドヴァーン・エイスクレピア。君は?」


「……スコラウト・ファンレロ」


「あんまり見かけない顔だね。って、僕もそんなに外に出る訳じゃないんだけど」


 ゼンマイ焼きを食べながら、二人が徐々に打ち解けていった。どこに住んでいるのか。普段何をしているのか。お互いがあまり他人と触れ合わない性格だからなのか。好奇心の強いヴァンが質問ばかりし、それに寡黙なスコールがポツリポツリと答えるという凹凸がぴったりと合うからかなのか。二人はすんなりと互いを受け入れた。





 歓談する少年達を、リーマスは遠くから静かに観察していた。やはり息子が心配で裏道を飛ぶように駆け急ぎ店まで来たのだが、今頃ゼンマイ焼きを尻尾を振りながら食べているだろう、という予想は裏切られ、見知らぬ少年と一緒に居る事に驚き、身を隠したのだった。家族以外には一切干渉しなかったスコールが、あんなにも仲良くしている。またと無いかもしれない機会を壊さないようにと、リーマスは二人が区切りをつけるまで待ち続ける事にした。









「じゃあ、僕行くね。スコールは、お父さんがここに迎えに来るんだよね?」


「……(こっくり)」


「なら大丈夫だね。ねえスコール、よかったら明日一緒に遊ばない?」


「……。……(こっくり)」


 スコールはヴァンの誘いに少し悩み、承諾した。何となくではあったが、このヴァンという少年と一緒にいると、不思議と心が落ち着き、両親がいないという寂しさがなくなっていたのに気付いたのだ。


「待ち合わせ場所はここにしよう。それじゃあね、スコール。また明日ね」


 ヴァンは手を振り、雑踏の中を走って消えていった。スコールも手を振り返し、ヴァンの姿が見えなくなるまで見つめ続けた。『また明日ね』その言葉はスコールの心を満たし、尻尾が満足げにゆらゆらと揺れる。


「……待たせたな、スコール」


 視線を上げると、そこに立っていたのは父親のリーマス。いつもなら喜びで尻尾を振り回すスコールだったが、先ほどヴァンが居なくなった時から変わらず、尻尾は静かに揺れている。


「どうしたスコール、なにか“良い事”でもあったのか?」


 リーマスは全て分かっていたが、敢えて聞いた。




 

 スコールは、笑顔で頷いた。





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