第36話 『Agito Of Heaven』

 天の咢、その麓。足元は動物達の死体、骨で埋め尽くされ、死臭が耐えない場所である。荒々しい割に滑らかな岩肌は草木が根を張れず、ぺんぺん草すら生えていない。


「こっちだ」


 踏破に挑戦した際に利用した登山ルートは確保してある。中腹までは三回。断界に挑んだのは二回。苦い思いを二度もさせられ、俺以上に怒り狂う破力を抑えるのは中々に難儀だった。


「死体があること以上に、嫌な感じのする場所ね。心が落ち着かない。体が勝手に警戒しちゃうわ」


「見られている……んでしょうか? 狙われているような感じがします」


 断界は魔力に直接作用する。奪っているのか、もしくは壊しているのか。命の危機に直結する見えない力に、体が無意識のうちに反応してしまっているのだろう。


「死体の殆どは鳥類。これを狙いに肉食動物、腐肉食動物がやって来る。その動物達も、ここで息絶えてる。この死に方は断界によるものじゃない。深淵体アビスに殺られたんだね」


 少し離れた場所でヴァンが死体を観察している。冒険者にとって大事な情報収集は主に俺とヴァンで受け持っている。スコールは索敵役だ。今も周囲を警戒し、大きな岩石に飛び乗り周囲を見渡している。


「思ったんだけどさ。アタシが断界の縁ギリギリまで飛んで行くってのはどう? 少しは体力が温存できると思うわ」


「いんや無理だぜ。何度もリオとここに来てっけど、断界は潮の満ち干き見てぇなのがあるみたいでよ。きっかりおんなじ空間が断界になってるとは限んねえ」


「おまけに見えねえからな。目測誤って突っ込んでったら強制的に竜化が解除されてこの固え地面に落されるぞ」


 厄介ですねと呟くアリンに全くだぜと同意するヤイヴァ。俺とヤイヴァは特に断界による影響を受けないが、それでも不快なものは不快だ。

 何より破力が意志を持ったかのようにざわつく。故に断界内では破力の制御が難しくなる。前回来たときは一回破術を使っただけで均衡を失い、意識を呑まれかけた。今回は四人への破力供給に殆どのリソースを割くから、一発も使えないだろう。


「さて……ここが一番平な場所だな。今日はここで一夜を明かすぞ」


 俺が荷を置くとアリンが素早く野宿の準備を始める。ヴァンがポーチからチョークを取り出し、地面に魔法紋を描き始めた。結界魔法の【透通騙視トランスペアレント】。陣、又は紋の内側にあるものを外部から視認出来なくさせる魔法だ。肉食動物、特に深淵体アビスにも効果が期待できる。


「よいしょっと」


 ティアが大きな肉の塊を取り出し、それをスコールと二人で切り分ける。明日は体力と根性勝負。限界まで性をつけないとならないからな。


「お、なんかでけえ鳥が落ちてきた。あれも食おうぜ」


 落下したエメラルドグリーン色の鋭い嘴をした大鳥は、小さな鳴き声を上げながら体を引きずっている。ヤイヴァは近くの大岩によじ登り、そこから跳躍して剣に变化して大鳥に突き刺さりトドメを刺した。


「ヴァン、あの鳥どっかで見た事ある気がすんだが、覚えてっか?」


「だいぶ前にライオネリウスの国境付近で見た、クチハナリョクショウって名前の珍鳥だね。嘴は宝飾品として取引されてるけど、身は好物のオリバの実ばかり食べてるせいか、油っぽくてあんまり美味しくないらしいよ」


「油なら最高に体力つくじゃねえか。アリン、こいつも調理してくれよ」


「分かりました」





 日が落ち、辺りはすっかり暗くなる。腹いっぱいに満たした肉を血へと変える為に、仲間達は毛布に包まれ既に就寝中だ。スコールだけは時折耳をピクリと動かし、半無意識で周囲を探っている。

 目前で聳える天の咢。もうお前には怒りの感情しか湧いてこない。いっその事、全開の破力でたたっ斬ってやろうか。そんな気にさせられる。出来やしないだろうが。


「リオ……寝ないの……?」


 知らぬうちにティアが俺に近づいて来ていた。珍しいな。普段なら一度寝れば天変地異が起きても目を覚まさないんだが。直ぐに寝るさと答えれば、寝ぼけているのか俺の腹にしがみつき、頭を乗せて寝息を立て始めた。


 ……最近、ティアの女性としてのアピールが露骨になってきた。その矛先は全て俺に向けられている。言葉無くとも、俺を好きだという感情が伝わってくる。ヴァン達はそれに歓迎的だ。アリンなんかはとっととくっつけと言わんばかりである。

 ヤイヴァは……俺に告白らしきものをし、俺もそれを承諾した。だがあれは特別だろう。恋人同士のあれこれじゃない。互いの歪んだ性格が招いた、常識外れの契約って奴だ。


「すぅ……すぅ……んぅ……」


 胸板に頬を押し付けるティアの頭を撫でる。容姿は文句のつけようが無く、体付きも既に同年代の女子よりも凹凸がはっきりしている。起伏はあるが明るく、女性特有の可愛らしさ、そして男勝りの芯の強さを持っている。

 確かに魅力的な女だとは思う。だが俺の心が下す判断はそこまでだ。それ以上は無い。肉体が成長すれば、多少は女性に興味を持つだろうと気にしていなかったのだが、生前から相変わらず。他者からの好意に疎く、思春期なら誰もが持つ、抱くはずの恋愛感情は鳴りを潜めたまま。


 俺達は家族だ。世界を見ようと集った同士達。俺の一部。俺のようなろくでなしであろうと好きだと言うのなら、それに答えてやりたい。

 だが……受け止める事しか出来ない。与えられるもんが、与えたいという想いが、俺には無い。何でも飲み込む心は寄越せとざわめくだけ。守ろうとか大切にしたいとか、無償の献身はしたことが無い。全ては俺の欲のまま。

 

 現状を破壊し、今ある全てを失ってでも、求め続ける欲望の穴。滅多な事では微動だにしない心は、穴を埋める為にお前の全てを見せろと俺を突き動かす。

 もう一度、天の咢を見上げた。同族嫌悪って奴なのだろうか。こんなにも、このたかが岩山に怒りが湧いて来るのは。


 お前おれさえいなければ、おまえはもっと普通に、静かに過ごせたのにと。





 第36話 『Agito Of Heaven』





「風向きは北北東。南西方向上空に雲は無し。空気は乾燥してる」


「周囲に敵影無し」


「荷物は必要最低限十分です」


「肉体、精神共に異常なし。何時でも行けるわ」


「出すもんは出したし、後は登りきるだけだぜ」


「よし。四人共そこに並べ」


 ヴァン、スコール、アリン、ティア。順に【覆黒血痕イロウションスティグマ】で破力を纏わせる。最初は顔を歪める四人だったが、破力という力の高揚感が影響し、喜びの笑みを浮かべた。


「ふーん……ふふっ。何かよく分からないけど、楽しくなってきたわ。これが破力なのね」


「クスクス。暴力的な感情が生まれてきます。確かにこれは危険ですね」


 鉄爪を展開し、意味なくぶんぶんと振り回すティア。アリンは両手をさすり感情を抑え込んでいる。


「私達には過ぎた力だ。感情を飲み込まれる前に素早く登りきるとしよう」


 スコールはドーピングモードの時と一緒か。以前ディヴァイダーとの戦闘の際にいたぶり殺していた事を考えると、スコールは暴走しやすい。本人もそれが分かっているから急がせているのだろう。


「あはははっ。崖登りなんて懐かしいなぁ」


 すっかり破力の虜になりケラケラと笑うヴァンも結構危ういな。最後まで持てばいいが。





「よいしょ。よいしょ。よっと。ふっ!」


 木登り、崖登りは爬人族の十八番だ。ヴァンは指を突き立てすいすいと登り、時折調子に乗って体を振り、駆け上る様に高く飛び上がる。


「崖なんていつも飛んで超えちゃって気にもしたこと無いから新鮮な気分だわ」


「この天の咢の岩、ただの岩石じゃないですね。破力じゃ無いと壊せません」


 アリンが後ろ手で器用に小道具を取り出し、岩肌を叩くが傷一つ付かない。どれどれとティアが鉄爪で殴ったが、異様な金属音が響くだけだった。


「断界に入ったよ!」


 先頭を進んでいたヴァンが断界に進入したことを告げた。後続のスコール達も続き、最後尾の俺、そして背負ったヤイヴァも突入する。

 瞬間、目に見える世界が赤く染まる。弾ける寸前の弓を引き絞りギリギリと鳴らすかのような、乾いた麻布を無理やり絞り繊維を引き千切るかのような、無機物の悲鳴のように聞こえる雑音。命を、魔力を削り取ろうとする不快極まりない圧迫感は、べとべとと肌に張り付きゆっくり針を入れらているかのようだ。


「お前ら、体に変調はあるか?」


「ズキズキと痛むが、これは破力によるものか。断界の影響は受けていない」


「むしろ高揚してきたよ。あははは!」


 ヴァンが両足を突き刺し、手を広げ空を仰いだ。やはりスコールの言う通り、さっさと登らないとな。


「これさ、七色丸薬で更に強化出来んじゃね? そしたらもっと早く登れんだろ」


「七色丸薬は血流を増加させて大量の栄養を運び、かつ圧力を高めて筋力を増大させる。それともう一つ、魔力も強化されんだ。これは推測だが、体内の魔力を運ぶ器官は全身に張り巡らされた血管。だから七色丸薬で強化されるんだろう。ということはだ。血の巡りが早くなりゃ……」


「その分破力に侵食される速度も上がるってことか。納得納得」


 結果的には断界と似たような効果を生物に対して破力はもたらしている訳だが、俺の支配下にある以上制御が可能だ。

 これの限界時間が凡そ一日。断界下ではあの四人の破力の面倒を見てやるので精一杯だ。









「止まれ」


 登り続けて太陽が中天に差し掛かる頃。突然スコールが静止命令を出した。何事かと俺含め警戒心を高める。


「良い知らせと……もっと良い知らせがある」


 スパルタスコールさんの言う良い知らせ。碌なもんじゃないだろう。


「くすす。では良い知らせからお願いします」


「風の動きから山頂までの大凡の距離が把握出来た。このまま行けば、夕刻を跨いだ辺りで着くだろう」


 この荒れ狂う雑音の中で風の音を聞き取るとはな。確かにいい知らせだ。思っていたよりもずっと早いペースで登っている。


「んじゃあ、もっと良い知らせは?」


「登るだけの単調な作業に飽いていただろう? 喜ぶがいい。深淵体アビスのお出ましだ」


 まあそう世の中上手くいくわけないか。振り子を片方に寄せれば、もう片方に寄せる力が生まれる。


「とうとう来やがったか! リオっ、多分例のヤツだぜ!」


 この天の咢に苦渋を舐めさせられたのは、何も俺達だけでは無い。俺達の様に何度もこの岩山に挑んだ人がいる。その人はいつもあと一歩の所で“ヤツ”に邪魔され、失敗させられた。


 雑音に混じり、背後から聞こえるのは一定周期で響く岩石のぶつかり合う音。それは羽ばたきであり、揺れる尾同士が打ち鳴らす音であり、殺意を滲ませ顎を鳴らす音である。

 尾は蠍のように先が鋭く、破壊球のように根本まで規則的な棘が生えている。岩盤が一枚一枚重ねられ構成された翼は、羽ばたく度にゴツゴツと硬い羽音を響かせる。長い首までぱっくりと縦に裂け、内側を鋸歯が埋め尽くす大顎。


「フォービドゥンロック。強敵だぞ。俺は破力供給に集中する。お前らだけで何とかしろ」


 指先と言わず腕を、つま先を深く岩壁へ突き入れ、ヤイヴァをアリンに向けて放る。受け取ったアリンは岩壁を斬り、そこへアンカーを打ち込み荷を下げた。他の三人も同様に荷をぶら下げる。


「ギギギギッ、ガガガガガガッ!!」


 ロックは俺に狙いを定めたようだ。大顎を開き、俺目掛け強く羽ばたき急接近する。


「上に他の奴がいんのに下狙ってんじゃねーよバーカ」


 ヴァンが罵倒しながらスコールと共に飛び降り落下攻撃を加える。方翼に重い痛撃をくらい体勢を崩したロックは俺から逸れ、岩壁に衝突する。


「せいっ!」「やぁっ!」


 ティアの向こう見ず真っ直ぐな叩き付け攻撃、アリンの馬鹿力が加わったヤイヴァの切り落としがロックに直撃する。ロックが岩壁に身を擦るように転がり落ちた。


「ヤイヴァ、力任せに振っちゃいましたけど、大丈夫ですか?」


「あんぐれぇ何ともねえから、もっと気合い入れてやっちまえ。じゃなきゃあれ砕けねえぞ」


「流石はフォービドゥン級。尋常じゃ無い硬さだわ」


 ヒットアンドアウェイで直ぐ離れたティア達だが、ヴァンとスコールはロックに張り付き打撃を加え続けている。しかし効果が今ひとつのようで、再び飛び上がったロックから離れ、崖にしがみつき俺達と合流した。


「センチピードなんか可愛いもんだったよ。こいつの岩みたいな鱗、段違いで重なってるから刃を入れる隙間が無い」


「リオ。もう少し破力を送ってくれ。破力を纏った拳でなければあの鱗は砕けん」


「しゃーねえな……ん?」


 スコールへの供給量を増やそうとしたその時、ロックが全身をガタガタと震わせ、おかしな痙攣をし始めた。

 深淵の焔……なら別に問題はねえが、一体何をしようとしている?


「あの堅牢な鱗、剥がれてってるね」


 ボロボロと崩れる岩の鱗。その下から露わになったのは紫掛かった黒い波打つ体表。体積の殆どは鱗だったのか、胴体はやたらと細長い。裂けた嘴からは黒い体液が滴り落ちている。


「無駄に高え防御力を捨てんのかよ。馬鹿かこいつ?」


「……無用の長物、ということか」


 恐らくスコールの推察が正しいだろう。こんな劣悪な足場、環境下でこれ程俊敏に動く獲物は居なかった筈だ。戦闘形態を変えて対処する腹らしい。


「何か仕掛けてくるのは間違い無い。ティアとスコールが前衛。ヴァンとアリンが補助を、っ!!?」


 そこまで言いかけた所で、ロックは体に生え残っていた鱗を俺達めがけ散弾のように飛ばしてきた。顔と腹部辺りに飛んできたのを払い落とす。ロックからは目を離さないよう……速い!?


「きゃあ!!?」「ぐっ!!」「むぅっ!」


 俺を狙い突撃してきたロックの行動はブラフだった。急激に上昇し、顕になった不気味に波打つ両翼でティアとスコールを打ち飛ばし、同じ行動を取ったと読み狙ったヴァンが強烈なカウンターを食らう。翼に打たれた二人は何とか崖にしがみついたが、ヴァンだけが大きく岩壁から引き離された。


「アリン!」


「はいっ!」


 アリンはすぐさま荷へと近づき頑強な綱を取り出し腰に装着。同じく落ちるようにアリンの元へ寄ったスコールは綱を掴み、ヴァンの落下軌道を予測し跳躍する。かなりギリギリだったが、上手くヴァンの腕を掴み落下を防いだ。


「だああ! あのビチ糞野郎っ! 絶対ぶっ殺す!!」


「殺す事には同意するが、破力には飲まれるな」


 酷い悪態を叫ぶヴァンをスコールが窘めた。無防備の二人にロックが再び突撃を仕掛けるが、


「こん畜生っ、お返しよっ!」


 ティアが破力で強化した鉄爪で死角から腹部と思われる箇所を切り裂いた。黒い血を吹き上げたロックは攻撃を中断し、俺達から大きく離れ距離を取った。

 こっちも集まり体制を整えるが、ジリ貧だな。四人が暴れれば暴れるほど破力は消費され、タイムリミットが近づく。

 天候も荒れてきた。風が強くなり、まだ小さいが氷の粒が混じっている。


「おいリオ。一瞬でいいから破術剣使えないのかよ。【我昇天破斬ライジングヘリオス】なら離れてたって……」


「ふざけんな! アイツは僕が殺す! リオは大人しくしてろっ、四人は手伝え!!」


 ヤイヴァの提案を全力で拒否し、獲物を横取りされてたまるかと激怒するヴァン。しまいにゃスコール達に命令までする始末だ。


「ちょっとヴァン、その言い方は無いんじゃない? またリオから拳骨貰いたいの?」


「うるさいっ! 何時までもリオに甘えてる訳にはいかないんだよ!」


 ……クックック。いっちょ前に生意気な口をききやがって。嬉しいぜ、ヴァン。


「策があんだろ? 言ってみろ」


「弱点を見つけた。右翼の付け根。アイツの体全体の変な脈動はそこから発生してる。こっちに飛んでくる瞬間に強く脈打つのが見えた。心臓のような力の発生源だと思う。今のアイツにティアの鉄爪が通るんだったら、僕の刀だって通るはず。隙を狙ってすれ違いざま、一撃で仕留める」


「だとよ。今回はヴァンが主役だ。スコール、アリン、ティア、ヤイヴァは脇役。俺は観客。ヴァン、存分に暴れて来い。俺をワクワクさせてみろ」


 黙って頷き、刀を抜き構えるヴァン。スコールとアリンが作戦を立てる為ヴァンに近寄り、ティアもしょうがないわねと溜息をつき三人の元へ。アリンに背負われたヤイヴァはケタケタと笑っている。

 破力で攻撃的になってるのもあるだろうが、自ら重要な役割を買って出るとはな。これでロックを討ち取ったのなら、旅の方針を変えるか。


 さて、ロックの方も狙いを決めたのか、こちらへ大きく飛翔してきた。突撃する最中は翼を閉じていてカウンターは無理だ。ヴァンが跳躍し届く範囲で、右翼を広げさせる必要がある。

 そして行動に移したロックは、無差別か、闇雲か。高速で突撃してきた。


「ギガガガガ!」


 身構えた俺達に深淵の焔をばら撒いた。これは……なる程、目眩ましに利用したのか。目前まで接近していたロックが姿を消した。何処へ行ったか。


「ガガガガッ!」


 殺気を感じそちらを向けば、ロックは顎を大きく広げ岩壁スレスレを飛んでおり、身を乗り出していたティアに喰らいついた。目論見通りに。


「ガッ!!?」


 ティアという餌を食ったロック。大顎から二本の締縄が伸びており、両腕を崖に食い込ませたスコールと、ヤイヴァを突き立て強く握り締めているアリンの腰へと続いている。急激な静止にロックは大きくバランスを崩し、翼をばたつかせた。

 ヴァンが仲間の作った隙を見逃す筈もなく、崖を走り、ロックへめがけ跳ぶ。羽ばたく右翼の下へ潜り込み、


「シッ!」


 赤黒い一線。そのまま通り過ぎロックの尾を掴んで素早く駆け上がり、大顎の根本を横一線で切り裂く。筋を断裂された大顎が開き、中で防御体制を取っていたティアを担ぎ、ヴァンはロックの頭部を蹴った。


「くたばれ」


 ロックの高速飛翔にも負けぬヴァンの早業。ロックは何をされたのかも理解出来なかっただろう。黒い瘴気をその場へ残しながら、ロックは崖下へと墜落していった。









 夜の冷気を運ぶ風が吹き荒ぶ。三分の二あたりを登ったあたりで飛来していた氷の礫、塊が丸いのは、岩肌あるいは互いに衝突し合い削られていたからだ。高度が上がると角ばったものが目立ち始め、今では巨大な氷柱がそのままの形で飛び、或いは落ちる。


「せいっ!」「ふん!」「はぁ!」


 数十メーダーはある尖った氷塊をヴァン達が外側へと殴り、蹴り飛ばす。そろそろ体力も精神も限界だ。早く登り切らなくては。アリンは既に登るのが精一杯で口すらきけなくなっている。


「っ……不味いぞ! 雪崩だ!!」


 ちっ。ここまで来たってのによ。スコールが雪崩だと言ったものは、雪の硬度を遥かに超え雪崩ではなく圧縮された氷の障壁。広い範囲に及び崩れ、回避する余裕がない。砕くのも無理だ。

 破術を使うか? いや駄目だ。今の俺では技に耐えきれない。一か八かに掛けてふんじばるか? いくらなんでも無茶過ぎる。くそっ、万事休すだ。


「ねえリオっ! ヤイヴァ! アタシの竜化を破力で出来ないっ!? アタシが皆を背負ってあれを飛び越えるわ!!」


「はぁっ!!? 何言ってんだ馬鹿姫! そんなことすりゃ体内に直接破力が流れ込んで体中を巡る魔力が砕かれんぞ! 死にてえのか!?」


「断界でやられるよりはマシでしょ! それにこのままじゃ落ちちゃうもの! それならやってみた方がいいに決まってるわ!!」


「そりゃそうだが……だぁ畜生! リオ! どうする!?」


 ただでさえ【覆黒血痕イロウションスティグマ】の効果でボロボロ。俺もこれ以上破力を放出するのは危う過ぎる。破力の魔力侵食速度は測ったことがないから未知数だ。一体どれだけ耐えられる?


「リオ! ここまで来て僕達を気遣うのは止めてよ!! 僕は引き返すなんて絶対に嫌だ! 登り切ってやろう!!」


「そうよ!! 我儘なのはリオだけじゃないんだから!」


 おうおう、威勢のいいこって。そこまで言うならティアの魔力量、竜人としての頑強さに望みをかけるとしよう。

 ティアに寄り添いヤイヴァを握らせ、暴発ぎりぎりまで破力を流し込む。


「「【破術・竜名解放デヴィル・ドラグナイズMETEORメテオ』】!!」


 術が発動し、ティアが黒炎に包まれた。体長が大きくなり、炎が消え、其処に現れたのは何時もの空色の竜では無かった。鋭い漆黒の竜鱗を生わせ、瞳を俺と同じく紫色に輝かせた黒龍。


「ガ……ガ、ガガ……ヴヴ……」


 様子がおかしい。焦点が合っておらず、おかしな痙攣を起こしている。明らかに不味い状態だ。


「竜化の式なんかちゃんと覚えてねえし即席で構築したから不安定だ! 精神がイカれんぞ!!」


「ヴァン! スコール! アリン! 急げ!!」


 俺達が捕まると、ティアは不安定ながらも飛び立ち、落下する巨大氷壁を危うくも超えた。だがやはり無理が祟った。高度は上がらず、崖に近づくことも出来ず、竜化が解ける。

 素早く縄を二つ取り出し、一つをヤイヴァへと素早く括り付ける。


「スコール飛べ!!」


 俺の思考を“聞いた”スコールが縄とヤイヴァを掴み、俺の腕をばね付きの踏み台のように利用し高く跳躍する。それだけでは届かない。が、スコールがヤイヴァを投擲し、岩壁へと深く突き刺し……氷柱に弾かれただと!?


「なめんじゃねええええっ!!」


 ヤイヴァが人型へと戻り、手を伸ばして岩壁に付着した氷壁にしがみ付く。この馬鹿がっ。お前には破力を送ってないんだぞ!


「リオっ!」


「言われずとも!」


 ヴァンを踏み台にしスコールへと跳び、更にスコールを中継地点として跳躍し、ヤイヴァの元へ駆けつける。すぐさま破力を流し込み断界の効果を遮断する。


「シ、シシシ。ギリギリだったぜ、相棒。死ぬかと思った」


「ったくよ。流石の俺も心臓バクバクだ」


 ヤイヴァはニヤリと笑うと剣へと変化し、黙り込んだ。気絶したのだろう。


 後ろを振り返ればスコールが、更に後ろで綱にしがみ付くアリンと、ティアを抱えるヴァン。よくやったよお前ら。後は俺がお前らを引っ張り上げてやる。









「ぜぇ……ぜぇ……ぜぇ…………えほっ……がぁ!? いっ……痛ぅ……!!」


「…………っ、…………!」


 山頂に辿り着くと同時、日が差した。ここには断界が存在しない。だが天の咢を攻略したという感慨に浸る余裕もない。竜化が解けた時点でティアは気絶していたが、アリンも俺が破力の供給を経ち、その副作用の痛みで意識を失った。ヴァンとスコールが痛みに悶え、ヤイヴァ意識が戻ったのか人型に戻り、珍しく気遣うような視線を俺に向けた。


「おいヴァン、痛がってるとこ悪いが、急いでリオを見てやってくれ」


「つつ、うん。…………っ!!? リオ!! 大丈夫なの!!?」


 もう痛みを通り過ぎたからどうなってるか分からんが、俺の皮膚はどこもかしこも裂けているだろう。服が血でべちょべちょして気持ちわりぃ。


「なんだかんだで今まで無茶やって生き残ってきたからな。今回も平気だろ。それより……ヴァン、今日のお前、最高にイカしてたぜ」


「え!? えと、えと、その、うん。あ……ありがとう。でもさ、よくよく考えてみればリオがいなきゃどっちにしろ登るのもあそこまで戦うのも出来なかったし、なんか、感情が抑えられなくて生意気なこと言っちゃってたし……」


「いや、あれは間違いなくお前の功績だ。そして俺達を俺以上に信じ、アスタリスクとしての強い意志を見せた。お前も立派な男だ。恰好良かったぞ」


 俺なりに誉めてやったつもりだが、ヴァンは顔を真っ赤にし黙ってしまい、【万能静謐パナスィーア】で俺の裂けた皮膚を繋ぎ始めた。なんでそこで乙女っぽくなっちゃうのかね。


「スコール、ティアに魔力を流し込んでくれ。多少はマシになるはずだ」


 そしてティアも立派に自身の役割を果たした。深淵体アビスの凶悪な攻撃に臆さない度胸。破力に精神を犯されつつも、屈せず俺達を困難から救い出した。勿論アリンとスコールもだ。サポート役に求められる判断能力の高さを、十二分に披露した。


「痛ってぇ。腕が血だらけだ。怪我なんてすんの何年ぶりなんだ?」


「名誉の証だな。土壇場であんな行動とるとは、ヤイヴァも隅に置けねえな」


「イシシシ。今回は何もやる事なかったからな。一度ぐらいオレの見せ場を作っときたかった。どうだリオ、オレもカッコいいだろ?」


 最高さ。お前ら全員な。お前らと一緒で良かったと、改めて感じたよ。




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