第37話 『God Bless You』

 辿り着いた天の咢のいただき。球技が出来そうな程に広いな。空気は少々冷たいが、雲も届かないこの場所は直射日光が当たり暖かい。溶けかけた雪があちこちに水溜りを作っていた。そうか、雪どけの時期だったか。凡ミスにも程がある。普通なら気候も考慮するだろう。夏を過ぎた後の中間期に登るべきだった。

 今更か。思い立ったが吉日という言葉もある。今はこうして仲間と共に、誰一人として欠けることなく、この天の咢という試練を乗り越えたことを喜ぼう。


「い~~た〜〜い~~まだズキズキする~~」


「魔力はリオの傷治すのに殆ど使っちゃったから、この沈痛薬飲んで休んでてね」


「ヴァン、ワタシにも一つ貰えますか?」


「はいはい」


 既にティアとアリンは目を覚まし、破力の副作用による痛みに呻いている。あれだけ騒げるなら問題は無いか。エイスクレピア印の薬はどれも効果抜群だ。ヴァンもスコールも飲んですぐ動ける程に回復したし、ティアとアリンも、そう時間を置かず痛みが引くだろう。

 ……正直、腕の一つや二つが無くなってもおかしくなかったとは思う。断界という環境下では無理があり過ぎたというのもあるが、フォービドゥンロックは“爺ちゃん”が唯一仕留められなかった深淵体アビスだ。ひたすら隙をついて逃げ回り、そして……


「おーいっ! とんでもないもん見つけたぜーー!!」


 ヤイヴァとスコールが何か見つけたようだ。ほぼ真反対の方でこちらに手を振っている。痛みが落ち着いたティアとアリン、ヴァンを伴い二人の元へ向かった。





 第37話 『God Bless You』





「これ……墓標、かしら?」


 破力でしか砕けない筈のこの天の咢の岩盤にどうやって刺したのか。錆だらけでボロボロに、触れれば朽ち果てしまいそうな大剣が、真っ直ぐ突き立てられている。

 剣身に名前が……そうか。遠い異国の地と言っていたが、こんな所にあったのか。


「……アウロレラ・サフィアイナ。ここに眠る」


「! オクタクリムゾンの家系っ。リオ、この人は」


「あぁ……爺ちゃんの妻。俺の婆ちゃんだ」


 今でも世界を巡る旅をしている爺ちゃん。だがその冒険は、当の昔に終わっていた。この場所が、爺ちゃんの限界だった。


「この天の咢を最初に踏破したのは、爺ちゃんと婆ちゃんだったのさ。……そして、爺ちゃんは諦めた――





 脱走王と呼ばれていた前魔王、リベルタス。こっそりと国を抜け出し、世界を駆け巡っていた。全ては初代魔王、アークの故郷を見つけ出す為であった。

 野を駆け、川を渡り、山を超え、海を巡る。ひたすらに、天の咢の向こう側を目指すため。だが何処まで行っても見えるのは死の影。無理に横断しようとし、死にかけた事もあった。

 やがてリベルタスはサフィアイナ家の長女、アウロレラを妻として迎え入れる。子を授かり、国王としても父親としても忙しくなる時期。だがそれでもリベルタスは向こう側を目指した。誰も知らぬアークの今なお抱き続ける想いを、何としても叶えたかったからだ。彼の望みをアウロレラはよく理解しており、その行為を一切咎めず、しかし寂しく、そして羨ましく感じていた。

 何故なら、アウロレラは魔法の才に非常に恵まれていながらも、生まれつき体が弱く体調を崩しがちで、滅多に外出しない虚弱な体質であったからである。何十年、何百年経とうとそれは一行に快復する様子は無く、出産を終えた翌年、珍しい病に罹ってしまい、死期が早まった。

 もう手に負えない状態であると、周囲の者は薄々感じていながらも、決して口には出さない。故に、リベルタスはアウロレラの最後の願いを聞き入れた。


『ねえねえリベル、私を外に連れてって』


『な、何を馬鹿な事を。更に寿命が縮まるぞ。この国だけで無く、各国までアウルの病を治そうと総出になって特効薬を探しているのだ。今飲んでいる皇帝の雫は延命措置に過ぎず、まだ女王蜂として若すぎるレインでは作る量に限界がある。僅かかも知れないが、治る可能性を信じて……』


『治らないわ。何となく分かるの。それに例え治ったとしても、今までと変わらないで、ずっと城の中。それなら、今ある少ない命を思いのまま使いきりたい。リベル、私外の世界が見たいの。世界で一番愛してるリベルが見た世界を、私も見たい』


 リベルタスはアウロレラを外へと連れ出した。アウロレラの妹、アローネも二人の旅に同行したいと懇願する。せめて愛する姉の最後を看取りたい想いがあったからだ。だが当時まだ若かった王子、グラウィスをリベルタスから託され、アローネは置いて行かれた。更にはリベルタスが帰ってきた際、アウロレラの姿は何処にも、遺品すら何一つなかった。アローネが今でもリベルタスを恨んでいるのはその為である。


 では旅そのものはどうだったのかと言えば、やはり長くは続かず、アウロレラはますます衰弱していく。だというのにアウロレラはそれを感じさせない程に生き生きと、笑顔が絶えなかったという。






 ――爺ちゃんと婆ちゃんはこの天の咢を踏破した。恐らく、婆ちゃんの命を、代償として」


「……代償って、どういうことよ?」


「天の咢は魔力を削る。だがそれでも大量の魔力があれば、理論上は登り切る事が可能だ。しかしそれには絶大な量の魔力が必要。今の曾爺ちゃんに匹敵するか、それ以上のな」


 だがそんな魔力をどこから調達するのか。舞燐で大地から吸い出された魔力を加えても足りないだろう。しかし、それを可能にさせる魔法、正確には魔法剣がある。親父は会得出来なかったみたいだが、爺ちゃんは出来てたんだろうな。


「魔法剣奥義、【絶極滅天崩剣アドヴェントディアボロスライザー】。行使者の持つ全てを倍加させるこの技は、魔力をも増大させる」


「……それでも、足りなかった?」


 スコールは大凡察したようだ。なんだか、特殊能力がちょいちょい見え隠れしているな。やはり……いや、今それはいい。


「ああ。だから爺ちゃんと婆ちゃんは、この奥義の持つ別の増大方法を使用した」


「まてリオ、それ言っちまっていいのか?」


 別に構わんさ。お前らなら絶対口外しないし、こんな場所で聞き耳立ててる奴なんかいたら口から心臓飛び出るぜ。


「……【絶極滅天崩剣アドヴェントディアボロスライザー】は、使用する際に組み上げる増幅装置に生贄を捧げることによって、その贄の魔力を増大させ、かつ術者に還元することが出来る」


「り、リオ。もしかしなくても、それって、禁手魔法タブースペル、だよね」


 生命への冒涜。倫理観に抵触するからと、犠牲魔法は昔から忌み嫌われている。元竜王テールがカラミティディヴァイダーを倒す際に使用した術も同様のものだ。竜王の死というあまりにも大きすぎた犠牲が、禁手魔法タブースペルに対する忌避感に拍車を掛けている。人前でふざけて口にすればまず間違いなくぶん殴られるほどだ。


「……ワタシ達が昔、ヤイヴァと出会ったあの地下にあった物も、同じなんですか?」


 気が付かない訳が無いよな。そういや、あの赤い結晶柱の中に人がいると一番最初に気付いたのはアリンだった。構造物に対する好奇心と貪欲さは、アリンにあの柱の異常性を気付かせていた訳か。


「その通りだ。あれは、初代八咫紅蓮オクタクリムゾン達の成れの果て。国を守る為に、その身を捧げたんだ。カオスディアマンドの亡骸によって朽ちる事の無くなった彼らは、半永久的に【八紅金剛封陣ディアマンドヴェール】を張り続ける」


「ここにカオスディアマンドの亡骸なんて見当たらないわ。……アウロレラ様のご遺体は、無くなってしまったのね」


「そうだ。これはただの墓標。婆ちゃんの肉体は全て魔力に還元されて、何一つ残っていない」


「で、でも、それだけの犠牲を払ったんだったら……」


 少なくとも、何かを得ただろうってか? 残念ながら、爺ちゃんは何も手にすることは無かった。いや、天の咢の向こう側にも、確かに世界があったと証明出来ただけでも快挙と言えよう。


「爺ちゃんは俺に、俺達に託すってよ。世界を暴れまわれ回るついでに見つけて来いってさ。だから悲観する必要は無い。背負う必要も無い。俺達は今まで通り、アスタリスクのあり方を貫くだけだ。……お? 雲が晴れるぞ」


 雲が風に流され、朝日に照らされた向こう側の世界が、俺達の前に姿を現した。

 その光景に、言葉を失う。聞かされた以上に、いや、誰もがこの瞳に映されたモノを、幻だと言い、夢であったと言うだろう。どれだけ写実的に描こうと、たとえ投影魔法を使用しようと、これは他者に説明など出来ず、共感など得られない。


 荒れ果てた大地。黒煙を上げる活火山。白く輝く氷山も見え、海と見間違うほど大々規模な湖。これら大自然の脅威が思うがまま牙を剥く森羅万象の中で、それらを超えたずっと先に見える、ここ天の咢に匹敵するのではと思わされる巨大な物体。

 快晴の空よりも純粋で透き通り、まるで生命を吹き込まれたかのように踊り舞う輝きが何処までも続いている。光の届かぬ深海ですら一切合切を照らしてしまうだろう。太陽の様に温もりがある訳でも無く、月の様に優しく柔らかな光でも無い。私が唯一無二、唯一絶対、唯一存在だとその美しさを誇張させ、見る者全てを跪かせる強烈な圧倒。


 超巨大な燐光樹が、そこに鎮座していた。









 長く無機質な白い廊下に硬質な音が反響する。壁に一定間隔で空けられた窓からは花緑青色の光が差し込んでいる。時折虹色に輝いても見えるそれは、この廊下だけで無く、この廊下が続いた先も、この建物そのものも、この国も、大地全てに降り注いでいるものだった。

 悠然と歩く切れ目の美女には表情が無い。これだけの艶やかな光に包まれてもそれは変わらず、ただ機械的に歩き続け、白礼装だけが揺れる。

 流れるような金糸の髪、壁と同化した無垢で何も無い蒼い瞳。彼女を歓迎し揺れる光に応えるのは、その背で静かに揺れる二対の純白の翼。外光を取り込み周囲に溶け、光と一体化していた。

 やがて辿り着いた場所は不可思議な空間であった。天井は吹き抜け、先程女が通っていた廊下と同様の、だがそれ以上に色濃い光が零れ、足元には床が無く、白い奈落の様だった。目前には大きな白い円卓と、それを囲い並ぶ同じく白い椅子が七つ浮かんでいた。

 女が宙へと足を踏み入れる。何も無い筈の場所を踏み、ふわりと宙を歩む。そのまま静かに一つの椅子へと飛翔し、音一つ立てず着座した。


「……何故なにゆえ、天蓋門が空いている?」


 感情を全く感じさせない無味乾燥した声で女が問い掛けた。よく見れば彼女と似通った容姿をした者が各々椅子に着いており、ただ彼とは違い座り方に個性が出ている。


「天蓋門を含めた全ての扉を開けておけ。と、“あの方”よりお達しがあった。全く、何を考えているのやら」


 両腕を組んだ荒い髪の女性が質問に答えた。襟が高く口元が隠れており、少々くぐもっていながら、それでいて半分呆れたような声音であった。


「あれだよ、あーれ。“魔神”とやらがあの方の予言通り復活すっからだ。全知全能で在らせられるあの方は、こっからその姿を見てやろうって算段なんだろう?」


「え~何? ホントに魔神が復活すんのぉ? ていうかさ、魔人族の奴ら、まだ生き残ってんだ。とっくに根絶やしにしてやったと思ってたのに」


「しぶとい。害虫並」


 両足を円卓に投げ出し横柄な態度を取る顔中傷だらけの少女。彼女の軽口に答えた隣に座る整った顔立ちの女性は同年代と思われた。反対側に両足を抱え膝に顎を乗せて座る小柄な少女も同様であろう。


「こらこら三人共。言葉遣いがなっていませんよ。“天聖七燐セヴンスヘヴン”としての自覚を持ちましょうね」


「……」


 慈愛に満ちた微笑みを零す豊満な乳房の女性。隣に座る性別、容姿の判別が出来ない、片目部分のみくり抜かれた仮面を被った者がそれに頷いた。


「……まあいい。次の舞で計画は最終段階に入る。だがここに来て生まれた不安要素。言うまでもないが、魔神の事だ」


「そいつを皆で殺しに行けばいいのかしら?」


「そのつもりだったんだが、予定変更だ。魔神討伐の役目は、“勇者”に一任する」


 勇者という単語に一同が反応し、胸中を半分驚き、もう半分を好奇心で満たした一人が身を乗り出した。


「え? 何々? あの子そんなに戦えるようになったの?」


「なんだ知らねえのか? 中々どうしてやるもんだぜアイツ。年が十超えたあたりから急に伸び始めてよ。俺の顔に傷一つ増やしやがったぜ」


「へー凄いじゃない。でも元々傷だらけだからどれがあの子が付けたのか分かんないけど」


「……何で、勇者に?」


「“普人族ふじんぞく”の王達からの推薦だ。国民の信仰は全て我々に一極集中している。我々に権力者としての地位を乗っ取られるかもしれないと恐々しているようだ」


「それであの子に戦わせて普人族に箔をつけようって訳? 自分達は安心安全なとこで踏ん反り返って? なにそれ、だっさーい」


「普人族ってのはどいつもこいつも大きな力を握りゃ執着しやがる。元々力がねえから尚のことよぉ」


 表情の無い女性からの返答に、二人の少女が怒りを顕にした。それは普人族と呼ばれる種族への反感情では無く、勇者という者が彼らに利用された事に対するものであった。


「仕方がありません。元々人とは往々にして儚き生き物。強き力に縋りたくなる気持ちも分かります。その臆病な気持ちが行き過ぎて、大切な事を忘れてしまっているのです。ならば力ある私達こそが、彼らを導き手を取って差し上げましょう」


 胸に手をあて、先程から微笑み続けている女性が擁護する。優しく胸にすんなりと入り、しかし有無を言わせず納得させるほどに強烈な意思を孕んだ言葉に、二人は溜飲を下げ怒りを収めた。


「魔神討伐を勇者に任せるのなら、何を危惧している?」


「魔神の復活により、各地で亜人共の決起が予想される。追い詰められた子獣が剥く牙。侮って計画に支障をきたされては台無しだ。“【新星輪皇槍天生リヴァイヴァルガイア】”の進行は一旦遅らせ、結界を張る準備に取り掛かる」


「えーー今更!? あれすっごい疲れるし汗かくしいやなんだけどぉ。 そもそもあの方が嫌がってたからやって無かったのに、どういう心境の変化なの?」


「……本当に、あの方は何を考えている?」


 くぐもる声で喋っていた女性が、奥にある、もう一つの開かれた扉へと目を向けた。





 その部屋はどのような形をしているのかも判別は出来ない。広いのか、狭いのか。空気の流れすら存在せず、時間と空間の存在を否定していた。

 その者は宙に腰掛けていた。いや、よく注視すれば、何か椅子のような物に座っている事が分かる。あまりも無色であり、周囲と同化しているのだった。


「我、天の試練を超え、神に挑まんとする者に告げる」


 その者は虚空に向けて呟いた。誰とも言わぬその言葉は一体誰に向けられたものか。


「ここから先、引き返す事叶わぬ。彼の地に未練を有すならば去るべし」


 語りは止まることなく紡がれる。込められた意思は、悠然と、泰然と、厳かとある。


「尚歩むと申すならば心せよ。この先の世界は、お前の全てを否定するだろう」


 肘掛に置かれた右手。自然と開かれた掌の人差し指が上がり、こつりと音を立てて椅子を叩いた。


 あまりも儚い小さな音は、もはや音と思えぬ程に微小になりながらも、部屋を後にし、扉を抜け、外へと飛び出した。









「っ、くうううううう! 来てやったわよ大世界! 隅々まで攻略してやるわ!!」


「今目に見える場所全部巡るのに何十年掛かるかな? はははっ! 本を買い足さないと!」


「凄い光景ですね。あの火山、今も活動しているようです。どんな鉱石が埋まってるんでしょうか」


「っ! っ! っ!」


「イシシシ! やべぇっ、めっちゃ興奮してきた! なぁリオ! いつも以上に笑顔が歪んでんぜ! で、何で中指立ててんだ?」


「クックック。別に何でもねえよ」


 姿は見えねえが、はっきりと感じたぜ。“お告げ”ってやつを。そう慌てないで、もう少し待ってろ。必ず会いに行くからよ。


「さて、こっからの事についてなんだが……これから先は、ヴァン。お前が行き先を決めろ」


「うん、わかっ……れないよ!? ちょっと待って!? 急に何を言い始めるのさ!!」


 素っ頓狂な声を出し、訳が分からないよとヴァンが慌てふためく。他の仲間達もまた変な気紛れ起こしやがったと奇異の目を向けてきた。何かお前ら時々俺に冷たくね?


「いいか? 今までで俺達の敵と言えば、深淵体アビスぐらいしか存在しなかった。俺の魔人かつ王族という強力な立場もあって、どの国でも町でも好意的な連中ばかりだったな。だが今度は違う。明確な人の悪意が、俺達に牙をむく」


 深淵体アビスは殺害を目的とした、単純な暴力の集合体と言える。そこに意思はない。殺戮衝動という本能に支配され、目的が無い。だがそれは純粋だ。思惑や意図などという不純物が含まれていない。


「今見える光景のほぼ全ては、最強と謳われる魔人族を片隅へと追いやった、“天人族てんじんぞく”の支配下にある。つまり、魔人の血を引く俺は生粋のお尋ね者って訳だ。となると死ぬ可能性が高いし、互いがバラバラに逸れちまうことが起こり得るだろう」


 無数の不純物は陰謀という毒と成る。陰謀から生まれる策略。出会った策略同士が生む競争。競争は抗争を生み、そして戦争へと発展していく。これらが残した爪痕は決して消えない。

 つーか爪痕を入れたり入れられたりした奴がまだ生きてるしな。この世界長生きな奴多すぎだっつーの。


「ヴァン、お前は言ったな。何時までも俺に甘えてる訳にはいかないと。だったら俺以上に強くなれ。力も、知識も、経験も、心も、何もかもだ。勿論、スコール、アリン、ティア、ヤイヴァもな。俺達はアスタリスク。離れていても、同じ輝きを放つ。だが俺は欲深だ。お前らが俺以上に輝く所を見てみたい。この俺を超えろ」


「我儘」


「ホントよ全く。要はあれこれ考えるのが億劫だから、面倒事は全部ヴァンに投げるって事でしょ?」


 あ。見透かされテーラ。折角カッコいい台詞で決めたのに。何だよ何だよ。昔は頭脳明晰な俺のお言葉に一喜一憂してた癖に、こんな可愛くない反応しちゃってさ。


「目的地は明確に、正確に決め、出来る限りの情報を持ち合わせなさい。力任せでふわふわと漂っていては、いずれ足元を掬われる。お爺ちゃんがそう言ってました」


「ヴァンの方針でオレ達の冒険が大きく左右されるってこったろ? すぐにとはいかねえけど、やるんならリオ並みの知識と判断能力を身に着けてもらわねえとな」


「う、変に重圧かけないでよ。それに僕はやるなんて一言も言ってないし」


「リオの我儘は拒否不可」


「止めを刺さないでよスコール……」


 こっち側のお優しい連中ばかりが汲んだぬるま湯に浸りきったヴァンには、向こう側の熱湯に慣れず大火傷するかもしれないが、これは決定事項だ。

 色々と過去に問題をちょいちょい抱えている俺達だが、ヴァンだけは生まれてこの方、辛い思いをしたことが無い。未だ純粋で何にでも影響されやすく、心が耐えられる重圧の限界点が見えていない。それが今回の登山で大きく露呈した。ヴァン一人だけ感情のコントロールが出来ず、ヴァンの性格からは考えられない雑言が飛び出していた。相手を卑下、貶すような言葉を使う時は、相手を見下しているか、もしくは自身の弱さを隠す為。ヴァンは後者だろう。それはヴァンの優しく正義感が強い性格でも同じことが言える。それは確かに美徳であるが、正しいことは間違っていない、強い事だと自分の弱さを偽装し、縋るのは駄目だ。正しい模範的な知識、非難されるべき間違った知識。どちらも自身の選択肢を増やす手段でしかない。最終的に決めるのは心、それが絶対だ。

 だからこそ己の心と向き合い、そして知らなければならない。悪意が、悲劇が、喪失が、如何程に選択肢を惑わせ、心に従って歩んでいた筈の道を、混沌とさせるのかを。それに抗うのが、如何に困難なのかを。


 俺はどんな時でも泰然自若としている? 勘違いしちゃなんねぇ。俺の心は抑え込まなけりゃ何でも喰らう。選んだ道の先に死が待つと分かっていようと、喜んで喰らう。俺の選択は全てが正解であり、全てが間違いだ。俺のようにはなるな。

 

「どっちにしろ難事が起こった際は補助役、代役が必要になる。求められるのは豊富な知識を持ち合わせ、素早く情報をかき集め、的確な判断を下せる奴。その適任者は? 俺以外で」


 スコール、アリン、ティアが真っ直ぐ躊躇い無くヴァンを指さした。ヤイヴァだけはコイツだろと親指だが。指された本人は俺に指を向けようとして中途半端な所で静止している。俺以外でって言うたやろ。


「とまぁ満場一致でヴァンしかいない。少しずつでいいからやれ。先ずは今出来ることを言ってみろ」


 うぅ~と不満げに可愛く唸るヴァンだったが、観念したらしく肩を落とし、周囲に目を配らせながら思慮を始めた。物の数秒程度か。大凡の考えは纏まったようで俺に頷いた。やっぱお前は優秀だよ。


「先ずは大雑把でいいから地図を描くよ。ここからなら殆どが見渡せるし、行き先を決めるなら、場所を把握しなきゃいけないから。リオとスコールとアリンはその間に、荷物を紛失してないか、全部揃ってるか確認をお願い。ティアは此処から降りるのに竜化が必須だから、ひたすら休んで回復に努めてて。……こんな感じでどう?」


「悪くねえじゃんか。その調子でいけよ。何かあったらその都度多少は助言してや……!!」


 今の異音は何だ!? 一瞬だけだが確かに聞こえたぞっ。自然界じゃとても発生するとは思えない単調無機質な振動。それに伴って感じた強烈な圧迫感。これは断界によるもんじゃない。


「ちょっとスコールっ!? どうしたのよ!?」


 今の音が原因か? スコールが大量の汗を流し、膝を震わせ、苦悶の表情を浮かべている。何かに恐怖している? ちぃ、早速トラブル発生か。


「何だ何だ!? 今のは一体何なんだよ!!?」


 ヤイヴァにも聞こえたのか。ヴァンとアリン、ティアは気が付いていない。どいうことだ? 何故俺とヤイヴァとスコールだけに聞こえた? 理由があるはずだ。しかし共通点が思い浮かばない。反応もスコールだけが異常だ。

 っ! 今天の咢が揺れた。地震か? いや違う。これは……足場が崩れ出している!!


「うおお!? これよく見りゃ氷河じゃねえか!? 足元全部だぞ!!」


「に、荷物が落ちてしまいました!!」


 一難去ってまた一難かよ! いや、これも“お前”の仕業か!!


「ど、【竜名開放ドラグナイズMETEメテっ、くうぅっ!!」


 ティアの竜化魔法陣が揺らぎ消える。まだ破力の余韻が残っているせいで魔力の制御に支障をきたしている。


「おいおいおい!! スコール!! 踏ん張れ!! って踏ん張れねえし!? 何でこんなびちゃびちゃなんだよ!!?」


 いくら何でもここまで早く溶けるはずがない。その溶け方ですらおかしい。まるで氷と言う塊を細かく分解するかのようで、明らかに何かが作用している。

 底の見えない大穴が更に口を広げ、俺達を飲み込まんとしているのか大気を吸込み出した。


「こ、この氷河っ、全部溶けてって、うわああああああああっ!!?」


「きゃああああああああっ!!」


「もおおおお何だってのよおおおおせっかく登ったのにいいいい!!」


「アッヒャッヒャッヒャ!! もう笑うしかねぇ!! アッヒャッヒャッヒャ!!」


「……っとによ。会うのが楽しみだぜ。“神様”さんよ」


 何処まで続くかも分からない、天の咢の暗い奈落へと落ちた。




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