幕間 『鳴世遊慈』
今日は比較的温暖なグランディアマンダにしてはやたら寒い日だ。ここの安定した気候に慣れている体は寒さを訴えるので、余り使ったことのない基地の暖炉に火を入れ、俺が作った余りもののケーキをつまみながら、仲間達と共に寒さを凌いでいた。
「あ! その白桃牛乳のチーズケーキアタシが狙ってたのに! スコールは少し自重しなさいよ!」
「早い者勝ち」
「意味わかんねえよ。明らかに口よりデカいもんが一瞬で吸い込まれてったぞ」
「この果物が沢山乗ったケーキ。甘酸っぱくて、色んな味がして食べてて楽しいね」
「お茶のおかわりが欲しかったら言ってください」
昨日はアストとルーナの誕生日だった。出来損ないの俺とは違い、盛大に祝われる二人の誕生日には参加者が多く、違う方面へのやる気が湧いた俺は、裏方でただひたすら大量のケーキを焼いた。自由の女神、ビッグベン、東京タワーやらスフィンクスやら、一部自主規制したダヴィデ像を再現した巨大な焼き菓子達。それにさる有名な芸術家が心撃たれたらしく、ぜひお目通り願いたいと料理長に懇願する場面もあったらしい。
いや、それにしても張り切り過ぎた。真夜中から日付が変わるまでぶっ通しで作業し、閉会後の片づけも手を抜かずにやり遂げた時には日が差していた。こんくらい体力のある亜人なら大した事無いはずだが、やけに目蓋が重い。壁に背を付け寄っかかるとかなり冷たくなっており、ひんやりと冷気が肌に伝わる。そんなに外が冷えてんのかと外を見りゃ、なんと雪が降っていた。この世界に来てからは初めてだな。珍しいこともあるもんだ。
誕生日と雪とくりゃ……おいおい、そんなこと考えながら寝ちまったら、絶対夢に見ちまうぜ? 遊慈…………
幕間 『鳴世遊慈』
ホワイトクリスマス。街はまっ白な綿菓子のように軽く柔らかな雪に覆われて、それでいて決して消えることない生活の光と鮮やかなイルミネーションが世界を照らし、街はクリスマスムード一色に瞬いていた。ぼくは両手を父さんと母さんに引かれ、一緒に光の溢れる街中を歩いていた。
「ほら父さん! やっぱり七はラッキーセブンの七だよ! 誕生日もクリスマスも一緒で七歳のぼくはラッキーがいっぱいだ!」
「ははは。遊慈がラッキーじゃ無い日なんか無いさ。鳴世遊慈。世界を鳴らし響かせ、慈しみ遊ぶのが遊慈だ。いつだって世界は遊慈の為にあるし、遊慈は世界の為にあるんだよ」
「ふふ。アナタ、遊慈にはまだ難しいわよ。ねえ遊慈、今日は何が食べたい? 何でもいいわよ。お寿司でもステーキでも、好きなモノなんでもいいからね」
「ラーメン!! 父さんと母さんと一緒に食べた、赤いぐるぐるが屋根についたラーメン屋さんがいい!!」
折角の誕生日なのにと笑う父さんと母さん。理由なんか無かった。ぼくはただ、美味しいと家族で笑い合いながら食べた物の中で、最初に思いついたのがそれだっただけだ。
「そら遊慈っ、ジャンプだ!」
「うん!」
父さんと母さんは僕の願いを叶えてくれた。それどころか、家に帰ればもっと凄いものがあると言う。ぼくの思う凄いもの。少し前に買ってもらった本は読んでいてとても楽しかった。姿形の違う人々が、不思議な力を使って世界を守り、壊し、皆を守るために戦った主人公達。あれより楽しいものだろうか。そう思うと心が躍った。
両手を掴まれブランコのように揺すられて、母さんが重くなったと嬉しそうな声で言って、父さんはもっと大きくなるんだぞと頭を撫でる、最高に幸せな誕生日だった。
「ん? 遊慈、さっき遊慈が当てた旅行のチケットどうした?」
「え? ずっと手に持ってるよ? あ、あれ? 無くなってる。あ! あそこにあった!」
振り返れば福引で当てた一等の旅行券が雪に軽く埋もれていた。知らずうちに落としてしまっていたようだ。父さんと母さんから手を離し、旅行券まで駆け拾い上げた。溶けた雪で少し濡れてしまったが、ちゃんと使えるのだろうか。
「ねぇねぇ父さん母さんっ。濡れちゃったチケットって使え「危なーーーーい!!!!」
知らない男の人の叫ぶ声が聞こえると同時に、父さんと母さんの立っていた場所へ黒い大きな塊が突っ込んできた。黒い塊はそのまま近くのレストランへと飛び込み、看板と窓を破壊した。
「……あれ? 父さん? 母さん?」
目の前に直前まで立っていた父さんと母さんがいない。この黒い塊、よく見ればトラックだった。クラクションが鳴り続けている。これに吹き飛ばされてしまったのか。急ぎトラックの近くまで寄るが、よく見えない。悲鳴とクラクションのせいで呼びかけても声が聞こえない。入口から店の中へ入り、その場所まで走る。
そこには、辺り一面に砕けた硝子と埃。小さな血の池の中に、父さんと母さんが横たわっていた。
「父さん? 母さん? 大丈夫?」
二人に近づき膝を着いて肩を揺らすが、起きようとしない。よく見れば父さんは頭が歪んでいて右目が飛び出し、裂けた額から赤と透明が混じったマーブル模様の汁を垂らしていて、母さんは顔中に硝子が突き刺さっていて、胸からどくどくと血を流している。
「えっと、えっと、救急車。救急車呼ばなきゃ」
目の前で怪我をした人がいたら、むやみやたらに触らず救急車を呼びなさいと父さんが言っていた。だから呼ばなくては。ぼくはケータイを持っていない。そういえば母さんのカバンの中にあるはず。母さんが肩に背負っていたカバンは近くに落ちていた。中からケータイを取り出したが、画面が割れていて真っ暗で、触っても反応しない。
「どうしよう母さん。ケータイ壊れちゃった。どうやって救急車呼べばいい? ねえ父さん。母さん」
もう一度両親の肩を揺すろうとし、触ってはいけないことを思い出し止める。こういう時はどうしたらよいのだろうか。“死んだ人が目の前にいたのなら”……死んだ?
「……父さん、母さん。死んじゃったの……?」
ぼくの言葉に二人は答えない。当たり前だ。死んだのだから。辺りから騒がしさが遠のいていく。
父さんと母さんは、怪我をした人ではなく、死んだ人なので触っていいはず。
だから、父さんと母さんの手を取って、ずっと握り続けた。二人の手が、どんどん冷たくなっていって、それで……俺は、どう思っているんだ? 悲しいのか? 辛いのか? 目前で絶命した父さんと母さんの手を握り続けて、俺が抱いた感情は……
身寄りの無くなった俺を引き取ったのは、親戚である父さんのお兄さん。俺もよく知る人だった。そのお嫁さんもよく知ってたし、その娘の綾音はもっとよく知っていた。同い年だが俺が早く生まれたからか、俺のことをお兄ちゃんと呼んで、後ろをくっつき歩いては俺の真似事をしている。久しぶりに会った俺を見て、泣きながら胸に飛び込んできた綾音。分かってるさ。とても悲しいことなのだと。誰よりも一番涙を流すのが俺なのだと。だというのに、俺は一滴の涙すら落ちず、胸に風穴だけが空いた。
いや違う。父さんと母さんが死んで、その穴は初めて姿を表したのだ。何をしても埋まらない。まるで底無し沼のようにドロドロで、深く深く何でも飲み込み、どんなおもちゃを入れても、素敵な宝物を入れても、思い出を入れても、両親の死という悲劇があっても、塞がらない穴が。
それからは俺の思うようにやって来た。俺の穴を、俺を満たしてくれる何かを求めて。だが何も、何も俺の穴を埋めてくれない。穴は睨みつけると、もっと大きくなった。
「なあユウジ。今日お前んち遊び行っていい?」
俺の家には綾音一家が住み込んでいる。義父さんは俺を気遣い引っ越しを勧めたが、別に気にしていないし、だと言って一人で住むには広すぎて持て余すし、引っ越しもめんどくさいし、義父さん達にやるよと答えると何とも言い難い顔をし、ならここで一緒に住もうということになり今もそれが続いている。
「いいぞ」
おれもおれもとかっちゃんに便乗する友人達。両親が死んだと知ったクラスメートは余り話しかけてこなくなった中、進級してクラスが変わった際、遠慮なく話しかけてきたのがかっちゃんだった。両親を失って物静かになった奇特な俺に構うような物好きで、底抜けに明るく喜怒哀楽がはっきりしている奴だ。お袋さんが町内会の会長をやってて小うるさいのが玉に瑕だが。
「お? あそこに柿が生ってるぜ」
かっちゃんの指差す方には、丸々と実った鮮やかな朱色の柿が、垣根を越えた枝の先にぶら下がっている。今時庭に柿の木を植える民家があるとは珍しい。
「おれ、柿って食ったことないんだけど、美味いのか?」
採って食ってみようぜとかっちゃんがコンクリート塀によじ上り、俺も後に続いた。柿は手に直ぐとれる位置にあり、簡単にもぎ取れた。
「あむ……あっめーっ」
柿特有のねっとりした甘さが口の中に広がる。おれにもくれよと下で騒ぐ友人達にも落としてやり、俺達はまた一つ、また一つと腹に収める。その時だった。
「こりゃー! そこから降りんかー!」
この柿の木の持ち主か。高切狭を手に持った爺さんが怒りながら近づいてきた。かっちゃんと友人達がやばいやばいと脱兎の如く逃げ出し、俺は一人取り残された。塀から飛び降り、睨み付けるお爺ちゃんに頭を下げる。
「ご馳走様でした」
「ばっかもん! 塀から落ちたらどうするつもりだったんじゃ!」
そっちかよ。怒るお爺ちゃんは軽く俺の頭に拳骨をし、もう二度とするんじゃないぞと俺を諫めた。街の中で柿を育てるなんて珍しいですねと聞くと、お爺ちゃんはそうじゃろうのうと顎髭を撫でながら神妙に頷いた。
「儂は最近この街に越して来たばっかりでの。この柿の木も田舎から一緒に連れてきたんじゃよ。これは婆さん、儂の妻が生まれた頃から一緒に育って木での。婆さんは先に行っちまったから、代わりに儂が面倒を見ているのさ」
結構感動する話だったが、お爺ちゃんはじゃがのうと神妙な顔になり、高切狭で次々と柿を切っては籠の中へ無造作に放り投げた。
「この柿、どうも腹に当たりやすくての。甘くて美味いんじゃが、鉄の胃袋だった婆さん以外は下してしまう。坊主も帰ったらすぐ胃薬飲んだ方がいいぞ? 柿の腹痛は一晩続く場合もあるでの」
その後、お爺ちゃんの言う通り腹痛が襲い、俺達は悶え苦しんだ。家にはたまたまかっちゃんのお袋さんが来ており、出した羊羹が悪かったのかとおろおろし始めた。だが症状が現れているのは俺達だけ。友人の一人が原因に気付き、さっきの柿を食べたからだと言いだそうとする。
もし柿が原因だとかっちゃんのお袋さんが知れば、間違いなく大問題となる。と言うかされる。あの木を除去しろ。切り落とせと言いかねない。PTAで取り上げて何が何でも潰そうとするだろう。
あの柿の木は。あのお爺ちゃんの嫁さんの大切な木だ。俺達のせいであの木が無くなると思うと……よく分からないが、それは許せない。だから俺は、罪を被ることにした。
「下剤って、こんな風になるんだ」
俺の一言にかっちゃんのお袋さんが発狂した。友人も、かっちゃんも、とんでもないことをしてくれやがってと怒り、俺は絶交された。
それから一月が経ち、かっちゃんは親の仕事の関係で引っ越す事になった。のこのこと見送りに来たことが余計に腹に据えかねているのか、かっちゃんはむすっとした表情で睨んでくる。
「ほら克己。行くよ」
俺を見たかっちゃんのお袋さんは相当根に持っているようで、さっさとかっちゃんの手を引き車に乗り込んだ。エンジンが掛かり、出発しようとする瞬間。かっちゃんが助手席から身を乗り出し、俺に向かって大声で叫んだ。
「この……この! 嘘つき野郎!!」
かっちゃんは……何故か知っていた。俺が嘘をついた理由を。あの木を切らせない為に、俺が悪者になったことを。
「かっちゃん……かっちゃんっ」
走り出した車に追いすがる。かっちゃんに何か言ってやりたかった。だが何を言えばいいのか分からない。嘘をついてごめんなのか。黙っていてくれてありがとうなのか。俺は名前を呼ぶばかりで、何も言葉にならない。
「馬鹿野郎!! 馬鹿野郎!! ユウジのばかやろーーーー!!」
かっちゃんが泣きながら俺を罵倒し続ける。車が見えなくなるまで、かっちゃんは俺に馬鹿野郎と叫び続けた。
かっちゃんは、ホントに良い奴だった。両親のいない俺をずっと気遣い続けていた。俺の考えを知って、秘密を守り続けてくれた。かっちゃんのその暖かな優しさ。かっちゃんの本質が、美しさが、心の輝きが、俺の穴をほんの少しだけ埋めた。
月日が経ち、俺は地元から近い桜岡高校へ入学した。奇麗な校舎ではあるが、あまり偏差値は高くない、普通の高校だ。だからやってくる連中にはいろんな奴がいて、綾音も俺と同じ高校を選んだ。義理の兄妹ではあるが、同学年だ。
「お兄ちゃんならあそこの進学校に行けたのに、どうしてここにしたの?」
「バスで片道一時間半とかやってられるか」
何故目標も無くやる気も無い奴が進学校に行く必要があるのか。俺は将来の為でなく今の為に生きているのだ。
「……お兄ちゃんって、いっつもそうだよね。我儘ばっか言ってるけど、それが自分の為だったこと、あんまりないの。ここに入ったのも、わたしの為なんでしょ?」
長く一緒だったせいか、見抜かれている。確かにその通りだ。綾音は今でこそ明るいが、可愛い顔をしているからかよく男子に苛められ、その度に俺に泣きついてきた。当然苛めた連中には俺が直々に天誅を下し、問題児として取り上げられるほど暴れた。
「その通りだ。俺は泣けねえが、お前はよく泣くからな。すぐ助けに行けるようにここにしたのさ。俺はお前のお兄ちゃんだからな」
入学理由なんかそれだけだ。別にシスコンという訳では無い。それしか理由がなかっただけで、他に理由があれば別の学校を選んでいた。
恥ずかしがって俺に軽く体当たりする綾音を甘んじて受けながら坂を上り、校門に差し掛かると、隅の木陰で怖い顔の金髪頭が涙目になっている女の子を慰めていた。
「うう、コウにい。ホントに行っちゃうの?」
「い、行っちゃうって。あのなぁ、俺は高校生で、お前は中学生なんだから、学校は別々になって当然だろ?」
ヤンキーみたいな顔と頭をしている癖に、泣き続ける妹やらを優しく諭していた。これが所謂ギャップ萌えってやつか?
「いつも喧嘩ばっかりしてて、傷だらけで、家にもあんまり帰ってこないし。何も言わないし。コウにい、一緒に居なきゃすぐどっかに行っちゃうんだもん。凄く心配だよ。お願いだから、あたしがいなくても喧嘩しちゃ駄目だよ? 隠れて泣いてるなら、隠さないで言ってよ?」
「……俺は平気だ。俺は泣かないから、お前が泣いたらすぐ呼べ。俺はお前のお兄ちゃんだからな」
俺の台詞と一緒だった。だから、俺はコイツのことが気になった。
チャック開きっぱよ(はぁと)
歯ぁ食いしばれやっ!!
なんやかんやあったが、俺はコウとつるむようになった。コイツの風体はどうも血の気の多い連中に目につくらしく、コウが喧嘩っ早いのもあってすぐ騒ぎになる。中学生の頃から暴れていたコウは喧嘩仲間が多く、隣にいる俺もとばっちりをくらい、一週間に一度は拳を振り回していた。
「木刀パンチ!」
「ぶべらっ!!」
「木刀キック!」
「ぐわらばっ!?」
「木刀置きっぱなし式ブレーンバスター!!」
「ひでぶっ!!?」
これで十人目だ。股ぐらを抑え膝を付き、上半身を倒し痙攣する主犯格のロン毛の頬を踏みつけ、ぐりぐりと靴底を押し付ける。
「どうだ? さっき道端の蟻さん達をジェノサイドしつくした靴で踏まれる気分は」
「あ、あ、あし、たは、雨……が、降る、ぞ」
「股間蹴っ飛ばされたのにそんなギャグ言えるとは、お前大物だな」
しかし足癖が悪いと俺の喧嘩の仕方を指摘するコウ。それは身体の構造上、腕力より脚力の方が強いからよく使っているというだけだ。だが綾音が真似して下半身が強化されてしまったのは誤算だった。今その脚力はサッカー部にて猛威を振るっている。
胸に突き刺されたバタフライナイフを抜き取り、畳んでポケットにしまう。後で処分しておこう。
「……ナイフで刺されたってのに、顔色一つ変えないのな。痛くねえのかよ」
「痛えに決まってんだろ。ただ不意に受けた痛みじゃなく、自分から受けにいったからな。ナイフの刃は縦向きなら肋骨に当たって内臓に届かない」
このロン毛も脅しのつもりだったようだ。笑いながらナイフを受け入れるキチガイがいるとは、コイツも予想外だったろう。近くに倒れていた阿呆一人のブレザーを剥ぎ取り、羽織って傷を隠す。煙草臭えなこれ。
「こらぁ!! またお前たちか!!」
そして目ざとく生活指導の鈴木教諭が現場を発見し、俺達にくどくどと説教を始める。その矛先は殆どコウの方へと向き、俺はあまり責められない。俺の境遇を知っているのと、喧嘩の原因は全て相手にあると知っているからで、コウの場合はその派手な金髪やシャツを外に出したり靴の踵を踏んでいたりと見た目が風紀上宜しく無いからだ。
「いい加減恰好戻してもいい頃なんじゃねえの? 結局親父さんも酒飲み過ぎて身体壊したんだろ? 素行不良っつー抵抗も虚しくな。一応家族なんだし、申し訳程度に労わっておいてやれよ」
「ユウジにそれ言われっと弱いな。いやまぁ俺もそろそろ普通になっていいかなって思ってたんだが、慣れちゃったってのもあるんだよな。うーん……うん、そうだな。元に戻すか」
そうと決まればと校舎を抜け出して髪を染め直し、変に改造されていた制服を買い直し、靴も新品のものへ履き替え戻った。教師達にとってはかなり衝撃的だったらしく、その日の授業はどれも教師からの突っ込みから始まった。
枕元に置かれたスマホがムームーと唸る。誰だ俺の安眠を妨害する愚か者はと、表示された名を見ればコウからだった。通話ボタンを押し、口を近づける。
「お客様がおかけになられました電話番号は、現在使われていない可能性が微粒子レベルで存在します。ピーッという発信音の後に、お名前とご用件をいい、次に申し上げる口座番号に五万円以上をお振込みください。オレオレ」
『なげえよ!? 言ってっことも滅茶苦茶じゃねえか! つーか花火大会始まってんだぞっ。何やってんだよっ』
花火大会? それは明日じゃなかったか? カレンダーを見れば今日は二月二十九日。大会は明日のはずだ。日が早まったのかとコウに問えば、この抜け作アナログ野郎とご褒美を頂いた。
『それ去年のカレンダーだろ! 現代っ子ならスマホで確認しろ! 今日は何日だ!?』
三月一日ですね。機械は嘘を付かないから間違いない。
「今から行くわ」
花火大会の開催場所は郊外で、集合場所は穴場である河川敷だ。親父の形見のバイクを乗り回し、コウ達らしき影の近くへと寄せる。
「お待たせ」
「遅えよっ。もう花火終わったし!」
「うん、知ってる。さっきあそこの廃ビルの屋上でやっちゃんイカ食いながら眺めてた。いやぁ、綺麗だったなぁ」
呑気な俺にコウはガックリと頭を落とす。紫の浴衣を着た三咲ちゃんがハハハと苦笑いし、橙色の浴衣の綾音が呆れてため息をついていた。
それから……知らん女の子が三人いた。誰だ? 俺が首を傾げていると、コウが耳に口を寄せてきた。
(こいつら、お前目当てで来たんだとよ。綾音ちゃんが連れてきたんだ)
成る程な。それで俺が来てから胸元軽く開いてアピールしてんのか。下品な女だ。俺が蔑むような目をしたことに綾音が気付き、その子に注意を促すと、いそいそと着直した。
しかし気分が悪い。夜通し昼までかけて造り上げたボトルシップは進水式に失敗してタイタニック号と化したし、ふて寝をしていれば起こされ、いやそれは俺が悪いからいいとしてだ。俺とコウ、綾音と美咲ちゃんだけの筈が余計なもんが居やがる。コウは知らなかったようだし、美咲ちゃんも面識が無さそうだ。綾音はまめな奴だから予め一言言っておくはず。押し切られ、断れなかったのだろう。
「あ、あはは。そういえばこの後の予定決めて無かったね。あっちで露店沢山並んでたから、見に行きましょうよ」
「じゃあわたしも。こう兄、あっちにあった駐車場にユウジさん案内してあげてきて」
「了解。後でな」
綾音と美咲ちゃんが頭にハテナマークを浮かべる三人組の背を押して坂を上って行った。残された俺とコウ。コウは俺をちらりと伺い、ポリポリと頭を掻いている。
「あー、その、な。悪かった。ユウジは嫌がるんじゃねえかとは思ってたんだけどよ。お前、全然女っ気ないし、余計な世話だと感じるかもだけど、恋人でも作れば、少しはユウジの笑顔も増えっかなってさ」
「そういう気遣いなら全然構わねえさ。だけどな、ああいった他人の都合とか好みとか押しのけて、ずけずけと踏み込んでくる奴は論外だ。コウも見ただろう? あの悪びれもしねえ態度をよ」
恋人だの彼女だの好きな奴だの云々以前の問題だ。恋に浮かれて多少強引に、必死になるのは別にいい。だが相手の気持ちを慮らず、一方通行で押し付けてくる奴ほど浅ましいものはない。それは恋する相手ではなく、自分に浮かれているだけの勘違い野郎だ。
「軽い気持ちでーとか、フレンドリーな気持ちでーってのは駄目か?」
「どちらにしろついて回る切れねえ繋がりが出来ちまう。彼氏彼女っつー関係のな。あっちが何をどう思おうが、俺は興味がねえから無視し続ける。そうなりゃ何が待ってるかなんざ、火を見るより明らかだ」
俺は恋というものに一切興味がない。考えたこともない。好きなやつはいるが、それは家族として、友人として好きなのであって、それ以上は無い。恋をしたところで、この胸の穴が塞がるとも思えない。もう塞ごうとも考えていないが。
「なぁコウ、少し付き合ってくれ」
バイクの後ろにコウを乗せ、夜道をかっ飛ばす。ギャーギャーと二人意味なく騒ぎ、止まっては空を眺め、また進んで止まって海を眺め、知らない街で怪しい店に入りゲテモノ料理を食い、また走り出す。気づけば県を一つ跨いで、どこかの岬に辿り着いていた。くたびれた高台が海を臨むように建っており、錆て欠けまくっているがかろうじて読める看板が道を塞いでいる。
「老朽化の為、危険ですので入らないで下さい。お邪魔しまーす」
「うお、すげえな。ゲームのダンジョンみてえだ」
蔓が壁を這い伝わりカーテンのように階段を遮り、主のいない蜘蛛の巣が風に揺れている。全身が汚れることも厭わず上り続け、大して高くない高台のすぐ屋上に達する。ちょうど日の出の時間だったようで、太陽が顔を出し、空に夜と朝の境界を作り出していた。
「……ユウジ。俺、最初はお前のこと、両親が死んじまった悲しい奴だって、そんな漠然とした印象持ってたんだけどよ。全然違った。お前は……とんでもない我儘野郎だった」
何だ今更気が付いたのかとからかえば、やっぱ最初っからふざけた野郎だったかとコウは言い直し、すっかり顔を出した太陽を見つめながら、再び話しだした。
「言ったことはぜってえ曲げねえし、身内以外にゃ容赦ねえし、誰が何言ってもお前は揺るがないし。俺はお前のダチだからいいけど、他の奴らからみれば、意思を汲み取ってくれない厄介な男さ。でもよ、それが不思議と不快じゃない。それはユウジが何が必要で、何が大切なのか分かってっからなんだな」
個性が無いとも言える。万人が望む結果だけを導き、俺の個性はそこに含まれない。だが俺自身それでも良いと言い切れる。俺が望むのは人の本質。経験も記憶も本能すら超え、たった一つ、その時その瞬間に存在した高純度の心の輝き。
「なぁユウジ。俺は……俺は、お前が羨ましいよ。お前みたいに強く生きられたら、もっと色んなもん、受け止められんのに……」
コウの受け止めたい思いとは何だったのか。いつか教えてくれるだろうかと、その時は漠然と思っていたが、
俺がその思いを知ることは無かった
「…………いちゃんっ! お兄ちゃん!! お兄ちゃん!!!」
綾音の叫び声が鼓膜を叩く。俺の左手を握りしめ、顔に温かい雫を垂らす。でもその感触が、温もりが、俺の意識が、薄い。気を抜けば、簡単に再び失神するだろう。
「ユウジさん!! お気を確かに!!」
「おいユウジしっかりしろ!! 今助けてやっからな!」
美咲ちゃんの顔が見えた。コウが俺にのしかかる瓦礫を持ち上げようと、必死になっている。……無理だ。鉄筋が俺の体を貫いて、床に縫い止めている。どうやっても動けない。
「……コゥ…………ォィ…………コ、ゥ…………」
「コウにぃ! ユウジさんが!!」
「どうしたユウジ!? ってうお!?」
俺は震える腕に力を込め、コウのシャツの襟首を掴み、耳を俺の口元へ強引に近づけた。
「コウ……ありがとよ……お前が俺を、羨ましいって言ってくれたから……俺の生き方は間違ってねえと、俺は……強くいられたんだ……」
他人の光が、俺を輝かせる。コウが俺を羨むとは、俺が出会ってきた奴らが、コウも含めて良い奴らってことさ。それを証明できた。それだけで十分だ。
出来るなら、この胸の穴が全て埋まるほどに、世界を鳴らし響かせ、思う存分遊び尽くし、慈しみ通したかった。そうすりゃ、もっと輝けたと思う。あのお天道様のように。
小さな蝶のブローチを翳す。紫色に染まり妖しく輝く太陽が、縦に砕けた羽の亀裂から、俺を見つめていた……
「……おいっ、起きろってばリオ!!」
腕を激しく揺さぶり、強引に覚醒させたのは、凄えもんが出てんぞとニヒルに笑い、はしゃぐヤイヴァだった。
昔の事を夢に見たせいか、頭ん中が空虚だ。フィルターを通して見ているように、視界に色が無い。動かない俺に痺れを切らしたのだろう。もう片手をティアが握り俺を引っ張り起こし、両肩をヴァンとスコールが支え、アリンが腰を押して、俺をグイグイと塔へと導く。
果たして仲間達が俺に見せたものは、幻想的な世界が拡がる光景だった。雪の結晶が落ちずに宙へと留まり、雲の隙間から覗く夕陽に照らされ乱反射し、その姿を赤から青へ、緑から紫へと変化させ、グランディアマンダに虹色の光をばら撒いていた。
「グランディマンダって結界に覆われた国だけど、天候だけは遮らないよね? だけど時たま僅かに魔力を含んだ雨とか雪が、結界に反応して不思議な動きを見せるんだって」
「雪が降るのも五十年ぶりなんだそうですよ。お隣のヘルマンニさんがそう言ってました」
「きらきら」
「この国にもまだまだアタシ達の知らない光景があるのね」
「イシシシ。これ以上のモンが外にはあるかもしんねえんだ。生きる価値があるってもんだぜ」
俺達は、アスタリスク。他者の輝きが、世界の輝きが、俺達の輝きになる。それは俺の心を満たすもの。俺一人じゃ埋められないこの心の穴も、こいつらが一緒に埋めてくれる。見届けよう。お前らが最高に輝く瞬間を。
それが、俺にとって何よりの、生きた証になる。
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