幕間 『Yayva』
「クカァー……クカァー……クカァー……んが?」
カーテンの隙間から伸びる陽光の帯は徐々にくっきりと浮かび上がる。唇の端から垂れる唾液を煌めかせ、目蓋を照らし、夢の世界を漂っていたヤイヴァを起こした。何時もならば物音立てず入室してきた使用人達の気配を感じ取り目が覚めるのだが、その時間にはまだ早く、小鳥のさえずりだけが聞こえる。
「…………。あちぃ…………」
少し肌寒い季節ではあるが、何やらヤイヴァの周りに熱気があるらしく、そこから逃れようと体を起こしたが、何かが両腕に巻き付き彼女の逃走を許さない。
「ん~……? あぁそうか。そういやそうだった」
昨晩は幼い双子の王子と王女と共に、二人の兄であるリオから字の読み書きを習っていた。学ぶということに貪欲、というより、兄と共にいられる時間を引き延ばそうとする双子に付き添い、勉強疲れで知らぬうちに寝入ってしまったのだろう。
「…………。何も思い出せねぇな」
ヤイヴァは字を扱う事が出来ない。それは字そのものを忘れ去ってしまったか、全く別の言語を習得していたか、もしくはその両方が当てはまる。とはリオの談だった。
どちらにしろ生活する上で人の作り出した偉大な発明を利用しない手はない。と断言するリオに、ヤイヴァは全くもって同意だと字を覚えることにした。もしかすれば、遠い過去の記憶を浮かび上がらせる切欠になるかもしれない、という思惑もあったからだ。
地頭が良いからか。思い出せないだけで実は知っていたのか。何の苦もなく一度読み聞き書いた字は全て頭の中へすんなりと染み込み、昨日だけでもかなりの字を覚えたヤイヴァ。だがそれらは彼女の失われた記憶に、何の刺激ももたらさなかった。
「メンド臭ぇ」
何百年と眠りについた理由。自身の軌跡。それが大切な事だったのかどうかすら分からない。
ヤイヴァは過去の行動、思い出に一切の興味を持たない。だが明らかに普通でない出自は、そう遠くない未来に厄介事をもたらすだろうという推測を立てつつも直ぐ思考の隅へと追いやり、今は一先ず双子を起こさずに抜け出す方法を思案した。
幕間 『Yayva』
「あ゛~~~~~~~~」
「なんだその風呂に浸かる瞬間の爺のような声は」
「その例え言いえて妙だぜ~。こう、肌からじわ~っと広がって、全身に染みわたる感じだ~」
両肩に置かれたリオの手より流し込まれる破力。下着が見える事を厭わず椅子に胡坐をかいて座り、ヤイヴァは体内を巡る破力がもたらす痒みにも近い感触に身を悶えさせていた。
全ての人が生まれつき備えている魔力。枯渇すれば眩暈や倦怠感を伴い、行動に支障をきたすことが認知されている。しかし日常的に活動している限りでは食事や周囲から自然と吸収し、魔術等で放出しない限り魔力は体内から無くなることはない。
例外に当てはまるのはリオという
その破力によってヤイヴァは目覚めさせられたが、代償として破力以外の力、つまり、生命の礎と言っても過言ではない魔力を受け付けない体となってしまった。こうしてリオの手を借り定期的に補給をしなければ、剣の状態のまま人型に戻ることが出来無い上に、その間は完全に意識を失う。
「もうちょいもうちょい……いいぜ、満タンだ。いつもすまないねぇ、相棒」
「それは言わない約束ですよ、って何言わせんねん」
ヤイヴァがリオと共に城で過ごすようになり二年。気心が知れる、というよりも互いの考えていることが読み取れる程彼らの波長は合い、相手の心内で知らぬとこなど無い既知の仲であった。
一心同体。運命共同体。ヤイヴァが意識を保つ為に、また自分の快楽を満たす為にリオへ寄生しているだけとはいえ、切っても切れない不可思議な関係は、天寿を全うするまで続くだろうとヤイヴァは思っていた。
「お待たせしましただぜ王子様。
工業街の宝石店店主であるオレーシャが客席で待たせていた二人に小箱を渡した。中には彼らアスタリスクのシンボルである、中心から六方向へと放射状に伸びる星をペンダントにした物が収められている。丁寧に研磨された表面は鈍い銀色の光沢の中に、幾つもの雪の結晶のように分離した成分が浮かび上がっている。
「死にゆく星が流した涙が空に溶けずに残ったもの……ねぇ。脚色付けすぎじゃねえの? そもそも星って落ちるもんなのか?」
以前彼らアスタリスクがとある依頼をこなし帰宅する最中、アリンが砂利道に落ちていたおかしな模様をした石を拾い持ち帰った。アリンの義両親であるリヴァノヴァ夫妻に見せた所、それは星涙石と呼ばれる空から飛来したとされる希少な石であったことが判明した。しかし所詮ただの不純物の入り混じった石ころであり、異常に硬度が高く取り扱うには難があり宝石とするには輝きが弱く、石集めでもする物好きな好事家でもない限り、その価値はほぼ無いに等しいものであった。
「その表現でほぼあってるぞ? そもそも星とは何なのか、落ちるとは一体どういった現象なのかっつーとな……」
小難しい話をし始めたとオレーシャは『次の仕事残ってるから』と裏へ引っ込み逃げ出し、興味を持ったヤイヴァは質問を交えながらリオの語りを最後まで聞くことにした。
「……ってな訳だ。空に溶けず残ったってのは、高速で接近する隕石が大気との摩擦熱で燃え尽きずに地上まで引っ張られたと言い換えられる」
オレーシャの店の中から基地への道すがらまで通し語るリオ。星という存在だけでなく物理法則や発生原理まで多岐に渡る説明は、吸収力のあるヤイヴァと言えど一朝一夕で理解しきれるものではなかったが、すらすらと語られる宇宙の法則に嘘偽りなど感じられず、ヤイヴァはすんなりと世界の仕組みを受け入れた。
耳を傾けながらも途中からヤイヴァの興味は話の内容そのものではなく、それだけの知識を持つリオへと移った。
「なぁリオ。オレは記憶がねえから説得力に欠けてっかもしんねえけどよ。落ちるってのは引っ張る力の引力だとか、この世界も星の一つで、大なり小なり空で光ってるあれらも全部同じようなもんだって、知ってるやつなんかこの世界に絶対いねえよ。頭がいいからで済む話でもねぇ。明らか知ってっから言える事だろ?」
普通の人とは持っている知識が一線を画していると指摘するヤイヴァに、リオはくつくつと小さく笑う。ヤイヴァの指摘を肯定しているようであり、自虐するかのような笑いでもあった。
「俺にはちょっとした秘密がある。墓ん中まで持ってくつもりのな。だがお前らになら話してやってもいいと思っている。機会があればそのうち教えてやるさ」
ちょっとと言いつつ墓まで持っていくという、重要なのか大した事のないのかいまいち判断しづらく、お前ら……アスタリスクならば知ってもよいという程度の秘密。その秘密は、恐らく一生リオに着き纏い、身内以外の他人に知られればどんな結果を招くのか想像し難いものなのだろうとヤイヴァは推察した。
(オレの無くした記憶みてえなもんか)
国の直接管理下に置かれた地下の空洞に封印されていた理由。唯一知ると思われる初代国王アークは口にすることはなかった。それを知りたいならば天の咢の向こう側に行くしかないとリオは言う。
自らの秘密を知って抱えるリオ、知らず抱えるヤイヴァ。似た者同士の異なる記憶の中で、共通する点があるとするならば、
(オレもリオも、その秘密でぶれることは絶対にねえってことだな)
「え……これ、アタシが貰っちゃっていいの?」
「ああ。感謝は見つけたアリンにな。俺はただオレーシャさんのとこに持ってっただけ。それによ、隕石っつったら流れ星の事だ。ティアにぴったりだろ」
俺は何もしていないと主張するリオではあったが、ティアはペンダントを与える相手が自分だったということが嬉しくあり、頬を染めながら首へと通し、黒いレザースーツの上に銀の星を輝かせた。
ティアの胸元で光るペンダントを見つめ、ヤイヴァは気が付く。それは自分には無いものであった。自らに欲望が生まれれば即行動、即口にするのがヤイヴァである。
「オレだけ首飾りしてねぇ。なんかくれ」
唐突なヤイヴァからの要望に、彼女を除いたアスタリスク一行もそういえばと首から提げたそれぞれの首飾りを手に取った。リオは両親から貰い受けた指輪と翼のレリーフ。ヴァンは六人全員の名前が刻まれたドッグタグ。スコールは基地の入口を開ける鍵。アリンはホイッスル。ティアはたった今付けたアスタリスクのペンダント。何をするにも六人一緒だった彼ら。特にヴァン、スコール、アリン、ティアは一人が何かしら欠けることを嫌うこともあり、直ぐにヤイヴァの首飾り探しをしようと立ち上がった。
「あーっと、言っといてなんだけどよ、そんな大層なもんじゃなくていいんだ」
妙に気合を入れた四人にヤイヴァは控えめに付け加える。リオの様に目を見張るような非常に価値の高いものが欲しい訳でも無く、スコールやアリンのように思い入れが強いものでも無く、ヴァンやティアのようにアスタリスクにちなんだものでなくてよい。一緒ならそれで満足だと言うヤイヴァに、それはそれで難しいと四人が頭を悩ませ、それならばとリオが思いついたように呟いた。
「手作りでもすっか」
「…………」
「ダメダメ、ズレちゃう。ズレちゃうわ……」
「あ、失敗したし。もういいや。べた塗りしちまえ」
リヴァノヴァ家の工房にて、彼らは焼き上がった磁器に着色作業を行っていた。小指程の長さしかない細く丸い円柱の単純な磁器に、それぞれ思い思いの模様を描く。細かな作業を苦手とするスコールとティアは四苦八苦し、ヤイヴァはミスを気にしていなかったが大きくずれてしまい、修正するのも面倒だと黒一色に染めた。
対して残る手先の器用な三人。リオは真っ赤な着色で炎を表現し、ヴァンは魔法に扱われる文字を小さく幾つも書き、アリンは琥珀色の花を描いた。
「リオは器用で多才ですね」
「器用さならアリンの方が断トツで上だろ。字はヴァンの方が丁寧で綺麗だしな。もう一種の芸術だ」
「お褒めに預かって光栄だよ」
描き終えた磁器の端にアリンは渦状の針が取り付けられた工具を使い、小さな穴を開ける。間に同じく穴を開けた硝子玉を挟み革紐を通し、首飾りは完成した。
「お。いい感じじゃん。気に入ったぜ」
首に通し手に取り、仲間達の手製の飾りを見つめるヤイヴァ。胸の内に溢れる感情に任せ、自然と言葉が零れる。
「へへ、ありがと」
「ヤイヴァ……?」
ティアの小さな呼び掛けにヤイヴァは顔を上げた。不安げな、ヤイヴァを心配するような表現。ヴァンとアリンも同様であり、スコールは首を傾げ、リオが難しい顔をしていた。
「な、なんだ? どうし……」
仲間達の憂慮する態度に戸惑っていると、不意に手に落ちた暖かく濡れた感触が落ちる。ヤイヴァはもう一度首飾りに目を向けると、水滴が付いていた。また一つまた一つと増える水玉に、ヤイヴァはそれが一体何なのかを理解し、誰よりもそれに動揺した。
「なみ、だ…………?」
冷たい風が一人城壁に立つヤイヴァに吹き付く。月には青い輪がかかるほど空気は澄み、城下に広がる街へ青白い光を落とし、その輪郭をくっきりと浮かび上がらせていた。
「解せねえ……解せねぇな」
目を閉じいくら記憶の海を見渡しても、そこにあるのは何もない虚無ばかり。昼間流した涙の意味はここにあるはずとヤイヴァは手を伸ばすが、空を切るばかりだった。雲を掴むようなどころでなく、何もないものを掴むなど出来る訳がないとヤイヴァは目を開く。
「記憶によるもんじゃないならオレの純粋な感情? いや、それはねぇな」
仲間達からの贈り物。それは確かに嬉しくあるが、感涙するほどではない。首飾りを手に取りじっと眺めるが、何度試そうと体にも心にもなんら異変は起こらない。
「どうだ?」
近づき呼び掛ける赤い影。そろそろ来るだろうと感じ取っていたリオであった。
「駄目だ。切欠にすらなんなかった。余計謎が増しただけだぜ」
そうか。と、そんな気がしていたと彼は予想していたのだろう。抑揚の無い返事を呟き、城壁から足を投げ出し座り込む。その隣にヤイヴァも腰掛け、二人は月を見上げた。
「別に気にしちゃいねえんだ。ただ、いざって時に今日みてえな事があったら……折角のお楽しみ真っ最中に水を刺されんのは御免だ」
結局はそれに尽きるのだった。ひたすらに喜楽を、快楽を求める自身にとって、意にそぐわない感情など邪魔でしかない。感傷や悲哀など懐くことは絶対無いと確信出来る。それはリオだって同じだと、ヤイヴァは月の輝きを受け怪しく美しく映る横顔を見た。
「なぁ、相棒。オレ達、やっぱぶっ壊れてんだな。普通なら、もどかしさに泣きわめいたり、ごちゃごちゃしたもん吐き出したくて叫んだりすんだろうよ」
「それを理解してるだけましさ。正しい人間らしさの定義なんてもんは存在しない。だが知ってるのと知らないのは大きな違いだ。一方通行な視点じゃなく、自分を多角的に見れる。そん中に共感できるもんがあるから、俺もヤイヴァも、壊れていても自分を無くさずにいられる」
ヤイヴァらしく、リオらしく。二人が我儘を貫き続けるならば、他人の意志など障害にしかなりえない。それでも他人と関わるのを止めないのは、他者が二人に抱く見方や思いが、二人を確固たるものにするからだ。
「知ってるか? 最近の俺ら、悪魔みたいだなんて言われてるらしいぜ?」
「悪魔……シシシ、いいじゃねえか悪魔。オレら以外の連中は、オレらを楽しませる為に存在する。邪魔する奴らは容赦なくぶん殴る。
「喜びも悲しみも怒りも恐怖も食らいつくす。全てが俺らを満たし人生を彩らせる。己が欲望のままに他者を引っ掻き回そう。安寧秩序を否定し、乱れることこそ我が望み。なんつってな」
二人が悪魔と呼ばれるには理由があった。恐れる存在が目の前にいたとしたなら、逃げるか、避けるか、或いは勇気を奮い闘うのが人である。だが二人は違った。全てを受け入れ、その存在を噛み締め、そして徹底的に蹂躙する。笑みを浮かべながら。それが二人のやり方だった。
積極的に
「オレもリオも、きっと録な死に方しねぇ。なんせ悪魔だからな。地獄に落ちるのがお似合いだ」
「……案外そうでもないのさ。ククク」
死に行く先には何が待つのか。共感を得られると思っていたリオの返答は、ヤイヴァの予想とは違っていた。まるで、死ぬとどうなるか知っていると言うかのようであった。宇宙の仕組みをも理解するならば、生と死が何なのかも把握しているのか。
それは人知を越えている。人ならざる知を持ち、引き込まれる程に魅惑的で、しかしそれらは全て自身の欲望のため。伝書に残された悪魔がそのまま顕現したのではと思うほど。
「なぁ、リオ。リオが死んじまったら、オレはまた、ただの剣に逆戻りになる。いつか、もし死を悟る時が来たら……オレを殺してくれ」
リオがいなくなることは、死ぬ事と同義ではない。永き眠りにつこうとも、いつか目覚める可能性があるからだ。しかし、ヤイヴァはそれを望まなかった。アスタリスクの一人として経験するであろう未来を想い描いた時、それ以上のものはきっと存在しないと決めつけた。あったとしても、その時隣に立つのが仲間で無いならば、そこに価値など無いと。それほどまでに今の状態を気に入り、好いていた。
冒険が終わるとは、アスタリスクに終わりが来る時。旗頭であるリオが死に絶えた時。そうなる前に命を絶つ。そして出来れば仲間に引導を渡して貰いたい。自刃ではつまらない。
それを頼める仲間は誰か。ヴァン、スコール、アリン、ティア。彼等には荷が重すぎる。となれば、彼しかいない。このような願いも、リオならば叶えてくれるだろう。命を代償に、命を捨てる、悪魔との契約。
「それで、俺には何が残る?」
残酷とも言えるヤイヴァの願いに、リオの返答は理由ではなく、何を得るかであった。やはり本物の悪魔かとヤイヴァは笑う。命を奪ってやる代わりに何かを寄越せと言う彼に、ヤイヴァはこう答えた。
「涙。めちゃめちゃ笑いながら、零してやるよ」
死にゆく
「それは……そんなお前を見ちまったら、ぜってえ忘れらんねぇな」
鋭い
「イシシシ。約束だぜ、相棒」
「ああ。最高の最後を送ってやるよ」
好きな者の手によって死ぬ。それこそがヤイヴァにとって最高の死であり、また初めての、だが歪な愛だった。
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