第45話 『Change The State Of Affairs』

 ファランの表通りに構える古びた料理屋。隅の小さな二つの席で、二人の年若い男女が食事を取っていた。目立つ席ではないというのに、他の客達は珍妙な二人の姿に気を取られた。ファランでは見ない服装であるから、というのも理由の一つではあるが、その男女が見目奪われる麗しい容姿をしている事が原因である。

 更には、二人の様子を観察していると、何やら想像を駆り立てられる修羅場の様なのだ。女性の方は普段なら美しい流線を描いているだろう眉を、山あり谷ありに顰め明らかに不機嫌であり、男と顔を合わせようともしない。男の方は、そんな女性に呆れているのか、台に片肘を乗せ、じっと女性を見つめてる。恋の痴情のもつれか。すわ犬も食わぬ若夫婦喧嘩だ。いやいやあれは貴方の子を身籠ったと男に告げようとうんぬんかんぬん。

 勝手な妄想に話を膨らませる周囲の小声にリオは辟易しながら、出された料理を沈黙を保ったまま凝視するティアを急かした。


「睨んでたって減るもんじゃねえんだから。冷めない内に食っちまえよ」


「…………。~~~~っ、はむ! ……~~っ、~~~~っ!!」


 ティアは意に決し口へと放り込んだ。嫌悪感を隠さず数回の咀嚼のみで胃に収めたのは、クレイルゴという食用蝸牛。植物油に丸一日漬したものに、香辛料をまぶして焼いたファランの郷土料理。リオが啜るのは長芋と根菜の煮込み塩のみで味付けをした簡素なスープである。


「~~~~ぷはっ。うぅ、何でこんなもの食べようなんて考えられるのかしら」


「そんなに大味なのか? どれ……触感は柔らかい貝類って感じだな。変な臭いも癖も無いし、別に悪く無いだろ」


「味は別にいいのよ。ほら、この殻から出す時の黒いデロってした部分が、なんか鼻水を連想させるのよ」


「食欲が減退するような事言うなえ」


 行儀の良さの欠片も無い嫌な例えに萎えるも、食物ならば何でも食らうが冒険者である二人はどうにか完食し、店を出た。

 ティアは大変な健啖家であり、食事とは何事にも代え難い至福の一時の一つ。しかしティアには唯一と言っていいほど苦手とするものがあり、今回口にした蝸牛がそれに含まれる。無難ながらも暖かく胃を満たせそうな料理を選んだリオが恨めしく、ティアは嘔吐きながら不満を漏らした。


「うううう~、アタシがヌメヌメしたの嫌いなの知ってるくせに。でんでん虫だって分かってたなら教えてくれればいいのにぃ」


「だからちゃんと勉強しとけって言っただろ? 字ぐらい読めなきゃ困る事沢山あんだからよ。いい教訓になったろ」


「……いじわるっ」


 リオの悪戯心を非難するティアであるが、半分は自業自得である。店の壁に書かれた料理表に強調され目立つものがあり、字が読めなくともそれがこの店のオススメなのだと理解し、指を指してあれを注文してくれとリオに頼んだ。そのくせ、半分食べてくれ、代わりにそのスープを半分くれと身勝手に押し付けようとした。アスタリスクの姑(自称)と怖れられるリオが許すはずもなく、これ機に反省しろと無理矢理食べさせられたのだった。


「臍曲げんな。ほら、今日は“デート”なんだからよ。こういうのも、二人楽しんでなんぼだ。ほら、手でも繋いでみようぜ」


 そう。今の二人はデートの真っ最中。蝸牛を口に押し込められた事も、ティアの想像とは少しばかりズレていたが、俗に言う、あ〜んというやつなのである。そう思えば、確かにちょっと、いや少し、違うぞとんでも無く嬉し恥ずかし行為ではないかと、ティアのテンションは翼を得て急上昇を始めた。


 眼の前に差し出されるリオの開かれた手の平は、夢想していた世界が現実へと変わる入り口。ティアはその手の平、では無く腕を丸ごと両手で勢いよく握り、思い切り体当たりに近い状態から、両腕を回し抱き込んだ。






 第45話 『Change The State Of Affairs』






 やはりというか何というか。この宿は人を売り捌いて金儲けをする非合法集団の一部だった。最近治安が良くないと兵士が漏らしていたし、アズールに逃げてくる奴もいるしでそれなりに警戒はしていたが、まさか初っ端から引っ掛かるとはな。いや、避けるつもりはさらさらなかったし、むしろ自ら引っ掛かりにいった、が正しいけどな。


「クライティーズ王国の軍が監査とやらで近くに駐屯してるって話だが、町は取り締まりの要請をするつもりはねぇみてえだな」


「分け前でも貰って黙認してるんだろう。亜人の売買行為はともかく、普人族まで奴隷扱いすればトリスフィア教教義に反する。まぁ、俺らにゃ関係ない話だが」


 因みに、俺達を襲撃した四人は聞き出せる情報を拷問で全て吐き出させた上で、首を跳ね飛ばし店の床下に埋めた。破力による恐怖に飲み込まれた店主は俺の支配下にある。宿代、飯代は全て無料にさせた。俺のような奴に手を出したのが運の尽きだ。

 今日は町を見て回ろうということで、目的を定める為に昨晩調べ上げた情報を再共有しているのだが、様子がおかしいのが二人。

 一人は俺の惨殺行為に吐きはしなかったが気が滅入ったヴァン。初の殺人は感覚的には深淵体アビスを殺すのと特に差異は感じず、自分の手で気に入らんものを破壊出来てそこそこスッキリした。だが余り愉快ではなかったな。誰一人、俺に抗ってくれる奴はいなかったからだ。


「ヴァン。さっさと気持ち直せ。具合が悪いなら宿で一人寝てろ、なんて甘い事言わねえからな?」


「死体が埋まってるとこで寝るなんて僕だってゴメンだよ……。それに、思ってたよりも気持ちは落ち着いてるから」


 撒き散らされる吐瀉物と排泄物、飛び散る生暖かい鮮血と内臓の独特の臭い。道中野生生物を狩って食う俺らには慣れっこだ。ただ、人を殺すという点においてヴァンは気が引けているだけで、俺らに危害を加えようとした以上、非は向こうにあると頭の中で理解はしているようだ。


 で、もう一人の方だが、こいつは上の空で話を全く聞いていない。時折顔が溶けたチーズの様にとろけてある意味不気味な笑みを見せ、その瞳は完全に別世界へ向けられている。


「……おい、ティア」


「ひっ、ひゃいっ!!」


 声をかければ素っ頓狂な返事をあげ飛び上がり、俺の顔を見てバツが悪そうに視線を逸らした。

 朝は何時になく早起きだったし、朝食も取らず部屋に篭ってるから二度寝かと思いきや、中でゴソゴソと動き回っていた。汗汚れを落としていたようではあるが、いつもより異様に長く、髪にも櫛を通した様子が見られる。部屋から出てくるのを見計らい声を掛けても妙に余所余所しく目線を絶対に合わせようとせず、どうしたんだと尋ねれば何でも無いと番場歩きで逃げていく。

 昨日ヤイヴァが意味深げな事を口にしていたから、正直分かり易いと言えば分かり易いのだが……俺にどうしろと?


「町の探索なんですけれど、六人ではちょっと多いですし、二手に分かれましょう。ヴァンとスコール、ヤイヴァとワタシの四人で。リオはティアと“二人です”。それでは行きましょう」


「え? 情報の収集するなら僕とリオが組んだ方がってうわわ、待ってっ、どうしたのアリン? お、押さないでっ。すぐそこ階段だからっ」


「……? ……。…………(こっくり)」


「つーわけだ。お二人さん、楽しんでこいよ~」


 あれよあれよという間に、アリンはヴァンの背を押し部屋を出て行き、スコールも何を納得したのか頷いて後に続き、最後にヤイヴァが嫌な笑みを零して出て行き、部屋には俺とティアだけが残された。

 ……そういう事かい。いい加減進展しない俺らにアリンはご立腹なのだろう。何でそんなにくっつけたがるのかはイマイチ理解出来ないが……まぁいいぜ。俺としても、今の関係のまま放置しておくつもりはないからな。


「さて、俺らも行くか。今日はデートだ」


「そ、そうねっ。……でぇとってなに?」


「男女が町を歩いたり、外食をしたり、店を見て回ったり。二人だけの日常を共有して楽しむことをそう言うのさ」


「それって……あ、逢引の、こと?」


「逢引か。少なからず、というか当て嵌まる部分は多々あるにはあるが……」


 何を想像したのか、俯いて頭から湯気をポッポポッポと吹くティア。そういう事をし合う仲になるかどうかは、考えても仕方ないさ。真正面に立つと、少し体を震わせ、上目遣いに不安に満ちた瞳で見つめられた。


「さっきも言ったが、互いが楽しむ事が重要なんだ。男女というのを、そんな深く考えなくていい。互いを想う気持ちがありゃ、地獄の散歩だってデートになる」


「互いを、想う……リオは、アタシでいいの?」


「ティアしかいない。ティアじゃないと許さん」


 雲の隙間から差した光に照らされた花のように、ティアの頬はほんのりと赤く染まり、金色の瞳が輝いた。


 アスタリスク。俺にとって唯一の、心から許せる特別な家族。だがティアだけは、仮初ではなく、本当の家族になる日が来るかもしれない。


「ここで二人、じっと時を過ごすのもありなんだろうが……違うよな?」


「っ、そうね! こんなに空が晴れてるんだもの! 外に出ない理由なんか無いわ!」


 全く、こんな良い女が俺みたいな野郎の言葉に一喜一憂しちまうんだから、世も末だ。


「そうと決まれば、早速出掛けますかね」


「うんっ!!」









 朝の極度な緊張は適度に心地良く感じる程にまで解され、ティアは少しの気恥ずかしさが混じる多幸感に包まれていた。打つたびに響く彼の言葉、その全てが自分だけに向けられている。それだけでも十二分に満たされるというのに、今日は一日中共に過ごすと言うのだ。勝手にニヤけだらし無く溶けそうな頬を懸命に抑えても、舞い上がり跳ねる心臓迄は止められそうになかった。

 だがしかし、なのか。やはり、なのか。定かに出来ないが、その場の勢いに飲まれ、乗ってしまう元来の性格は、折角の機会の殆どを羞耻心で埋めてしまう。


「急に黙りこくってどうした? さっきの飯がそんなに気分損ねるもんだとは思えんが」


「そ、そうじゃないわよ。これ……思ってたより、ずっと、は、恥ずかしいわ……胸も、当たるし……」


 より密着する体制は少し歩きづらく、周囲の視線の一つ一つが気になってしまう。これは自身の乳房に男の腕を押し付けるはしたない女性に見えているのでは? と思うと余計に体が縮こまり、更に密着感が増す。


「だろうな。別にそこまでしなくとも、普通に手を繋ぐだけでもいいんじゃないか?」


「駄目よっ! そ、そりゃ確かに恥ずかしいけど、だからって逃げるのはアスタリスクの流儀に反するもの。ここまでやったら最後まで続けてやるわ。女は度胸よっ」


 強がりのように捉えられるが、離したくないのも事実だった。直接抱いた腕から体全体に伝わる温もりは感動すら覚える程。人肌がこんなにも心地良く、またリオへの愛おしさが際限なく滲み出ているようで、この魅惑の甘露を逃がすものかと、ティアは羞耻心を追いやり胸を張った。


「クックック、いいな、その前向きな姿勢。俺も乗ってやろうじゃないか」


 手首に添えていた手をリオが握り、指は互い違いに絡まりあい結ばれる。自分を受け入れてくれた。認めてくれた。ティアは今すぐにでも竜化し、空へと舞い上がりたい気持ちに駆られたが、リオの手を強く握り返すことで逸る感情を抑えた。





「どうかしら? これなんかいいんじゃない?」


「それだと色合いが重いだろう。こっちの方がいい」


「そう? じゃ、それにするわ。おばちゃんっ、この服を一日借りるわっ」


 せっかくだから服装も変えようとリオに連れられ、ティアは町娘姿へと変える。その場でくるりと回り、裾を摘まんで瞬きをすれば、服がティアに負けているとリオが漏らし、二人は笑い合う。


「あの頃から五年も経ったのよ? 綺麗になったな~とか、大人っぽくなったな~とか、あってもいいんじゃない?」


「そんなありきたりな感想で喜ぶお前でもないだろ? だが、そうか。俺らが出会って約五年か。早いもんだ」


「そうね。リオ達と出会ったあの国から始まって、随分遠くまで来たわ……」


 もう懐かしいと言えるほど、月日が経っている。平和に満ちたグランディアマンダでの日常は、既に遠い過去。

 冒険者として過ごす日々。足が地に着いた生活からは程遠く、こうして普通の娘として暮らすことなどは、二度と無いだろう。だからこそ、アリンはあんなにも急かしているのかと、ティアは昨晩のアリンとの会話を思い返した。





 ――――……ワタシは、リオがいなかったらずっと独りぼっちの、何も出来ない、弱くて情けない人なんです。リオがいるから、ワタシは強くいられるんです」


 そんなことは無いと否定しようとするティアを、アリンは瞳で押し留めた。


「ヴィラガ村のテリムが毎日祈りを捧げているように、ワタシも毎日、心の中でリオに感謝の言葉を捧げています。ワタシにとって、リオは神様。絶対の存在なんです。そんなリオを、ずっと支え続けると決めたのが、ワタシの我儘。リオがもっと世界を楽しめるように。もっと自由でいられるように。ですが……」


 ティアがリオに思慕の念を抱いているように、アリンもまたリオに特別な想いを馳せている。しかし、アリンの望んだカタチは、ティアの望むものとは全く別種のものであった。


「リオは、自分が傷つくことを厭いません。寧ろ、ワザと傷つけている節があります。リオが最も忌み嫌う深淵体アビス。彼等と同種だから、自分の事を好きになれない。だから危険も顧みないし、認められることを良しとしないんです。でも、こうして世界中を旅して、世界の美しさを知りたいと常々言っています。きっと……リオは自分を変えたいと願っているんじゃないでしょうか。世の中の全てに意味があると言っているのも、自分の存在にも意味があるのだと、肯定したいからなんじゃないでしょうか」


 アリンの語り口調は、どこか哀しげであり、確信を射ていながらも、それを否定したいと矛盾する思いに駆られていた。何故なら、アリンにとってリオとは完璧な存在であり、理想の人物であり、絶対だからである。自己を否定するリオを、否定したかったのだ。


「だったら、リオを変えられる、リオが自分を認められるようにお手伝いをと。ですが、リオは独りでも生きていける。何でも出来る。独りで何でも出来てしまうのなら、結局は変わらないのと一緒です。リオは永遠に変わることは出来ません。でしたら、独りでは出来ないことを知ればいい。リオも知らない、人が大きく変われる出来事。それには、恋愛が一番効果的だと思ったんです」


 愛は人を大きく変化させる。自分がそうだったように。ならば、あの人も変えられるかもしれない。アリンは、ティアに一縷の望みを託していた。


「クラウさんでは全く効果がありませんでした。ワタシ達にも隙を殆ど見せないリオですので、当然と言えば当然ですよね。ですが、ティアは別です。ずっとリオを想い続けていて、それをリオは拒絶しようとしません。受け入れようとする素振りすら見せています。だからワタシは、リオの伴侶にはティアしかいないと思っています」


「それは……とっても嬉しいわ。アリンにそう後押ししてもらえて。でも、アリンじゃ駄目なの? アリンだって、こんなにもリオを想ってるじゃない」


「ワタシはリオを愛していますが、愛されたいとは思っていません。ワタシに割く時間があるなら、リオ自身の為に使って欲しい。リオの喜びがワタシの喜び。リオの幸せが、ワタシの幸せなんです」


 ティアに女性としての座を謙遜し譲っているのではない。自分を卑下し諦めているのでもない。嘘偽りなど一切無い、アリンの心からの本心であった。


「そういうことですので、早く子供を作ってワタシを安心させてください」


「アリン、それ、なんか色々間違ってるから」


 肝心な所で丸投げしたアリンに、なるほどこの子は恋人同士では無く兄妹と言った方がしっくりくるわねと苦笑いした――――






 リオとの恋愛成就が夢であることに変わりは無い。しかし務めでもあるのだと力説され、内心複雑な思いがあったティアだったが、こうして後押しされたことによって多少なりともリオとの距離が縮んだことに関しては、心内でアリンに多大な感謝を送っていた。


「ねえリオ? もしアタシが普通の町娘だったとしたら、どうなってたと思う?」


「どうも何も無いだろ。ティアのようなやたら目立つ奴を俺がほっとく訳が無い。無理矢理にでも引っ張り込んで、こうして一緒にいるだろうよ」


 再び腕を抱いて町をゆっくり眺めながら交わす、取り留めの無い会話。素朴でありながら、リオの気がどれだけ自分に向いているのかと、ちょっぴり試す様な問い掛け。返って来るのはあっけらかんとした、身勝手な答え。その身勝手さが、ティアの芯を熱く震わせる。


「運命ってやつ?」


「違う。お前は俺が選んだ。そこにティア以上も以下も無い。言っただろう? ティアしかいない。ティアじゃないと許さないってな」


 体の火照りは、暫く消えそうになかった。





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魔王子様はナマクラ騒子 森 晶 @ToRihada726

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