第六章 勇者編

第44話 『A Bolt Out Of The Blue』

 よく踏み均され、車輪の跡も真新しい土道がくっきりと横切る、なだらかな丘を二つ三つと乗り越え、四つ目に差し掛かるとファランと呼ばれる町の全貌が見えてくる。赤煉瓦で拵えた赤褐色の家と低木が太い通りに立ち並び、各民家の窓や玄関横には様々な製法を用い作られた鉢に活けられた花々が町を彩る、実に華やかな町である。


「そのファランに予定なら昨日到着してたはずなのに。だから森の中突っ切るのは反対だったんだ」


 ファランより未だ遠く離れた薄暗い森の中。木々の隙間から見える赤い空が一日の終了を告げ、アレスという少年は大きな溜息をついた。


「以前はあんな所に関所など無かったのだがのう。大人しく通行料を払ってしまうのも手じゃったが、ちと割に合わん」


「…………」


 大きな荷から四つの木器の水飲みを取り出した翁、アーロンはそれぞれに干し肉と乾燥野菜を千切って入れ、革袋から水を注ぎ【瞬騰火スパーメ】で温める。一つを大きな外套を地面に敷き腰を落としたアレスへ渡し、もう一つを同じく地に足を横に崩して座る、微笑むだけで物言わぬ女性、ヴァネッサの手に握らせた。更にもう一つをヴァネッサの膝に頭を置き、静かに寝息を立てる少女の鼻元に近づけるが、少女は大剣を握りしめたまま全く起きようとしない。その様子を見て頷いたアーロンはゆっくりと離れ、集めておいた薪に火を灯した。


「安心なされ、アレス殿。吾輩がいる限り、何人たりともアンジー様の安眠を妨げる真似はさせん」


「そこは毛ほども心配してないから」


 近くの木に腕を組み寄りかかる甲冑は強い意志を込め、自身を律する意味も込めて宣言するが、アレスは暑苦しいと言わんばかりに流した。このノヴァディアと呼ばれる種族性別不明の謎の甲冑に関しては長い道を共にしながらも謎に満ちた部分が多々あり、しかしその実力は折り紙付きである。アレスは周囲を見渡した。

 死屍累々。獣の形をした死体もあれば、巨大な昆虫の死骸もある。焼け焦げ原型が残らぬもの。頭部が見当たらぬ死体。これら全てはノヴァディアと、その隣で共に戦っていた少女の手によるもである。


「世界の秩序と安寧を乱さんとする魔神を、撃ち滅ぼす神の天剣。こんな大業な役目押し付けられてさ。よく投げ出さないでいられるよね」


「……神の血を引けた唯一の存在なのだ。だからこそ、アンジーにしか成し遂げることはできん。儂らはただ、この子の行く末を最後まで支え続けるのに徹するのだ。全ては、アンジーが独りで乗り越えねばならんのだからの」





 第55話 『A Bolt Out Of The Blue』





 セット地方は大きく七つの領土に分かたれており、各領土は全て普人族が統治している。

 ヴィラガ村、アズール、そして今、ファランと練り歩いてきたが、これらは“クライティーズ”という領土に分類される。


「ふむ……荷から見るに、お前達は冒険者か。まだ年若いようだが、何処から来たのだ?」


 ファランの外壁はグランディアマンダと比べると小規模で、結界も無いが堅牢そうである。貿易町と言うだけあって、経済力はクライティーズにおいて王都に次ぐ。


「こっから北東にある名前もない小さな集落だ。四年前に亜人に滅ぼされて、俺達だけが生き残った。それからは各地を転々として、ほそぼそとやってる」


「む、それは、失礼な事を聞いたな。すまない。この町に来たのは居住が目的か?」


「いや、ただの観光だ。なんだかんだあったが、揃いも揃って根を張らない生活が気に入っちまってな」


「大したものだ。「おい、特に怪しいもんも無いし、通していいぞ」お、入町許可が降りたな。ようこそ、ファランへ。宿屋は最初の通りに面して入口に黄色い花を並ばせた大家に行くと良い。安いし、我々兵士の巡回経路にも含まれているから安全だ。飯屋と並んで平行営業している宿もあるが、かなり値が張る。あまりお勧めは出来ないな。銭を稼ぎたいなら、そのまま通りを真っ直ぐ歩いた先にある広場に行け。何か依頼があればそこの掲示版に張り出されている。あとは……最近、景気が落ち込んでいるからか、狼藉を働く者共が散見される。勘違いされない為にも、余り人目のつかない場所は彷徨かない事だ」


「ああ、分かった」


 鉄の格子門が太縄で半分ほど持ち上がる。気を使ってくれた門兵に軽く会釈し、俺達はファランの町へ入った。





「……上手くいきましたね」


 ほっと一息の付いたアリンが、悪戯が成功して喜ぶ子供のように笑った。


「あの兵士、リオの嘘に同情してた」


「ジャーダさん様々だよ。【透過暗隠形メタクロシス】教わってなかったら、この魔法は完成させられなかったからね」


 各地を冒険するに際して、俺達にとって最も障害となるのが、この亜人としての容姿だ。派手な髪色。同じく自己主張の強い瞳。ヴァンは体表の一部が鱗に覆われているし、スコールは獣の耳に尻尾。町に入らなければそれで済む話ではあるが、いつまでも普人族の目を避け続け冒険出来る訳も無し。情報を集めるにも最高に不便だし、何より目の前に未知のモノがあって入らない理由があるだろうか。いやない。

 という訳でヴァンとヤイヴァが二人、ここに来るまで毎朝毎晩頭を四苦八苦悩ませながら、魔術の改造式を組み上げた。【透過暗隠形メタクロシス】を元に造り上げた、【片身騙態ハーフミミクス】。指定した箇所の彩度を半分に落とし、一部を透過させる魔法だ。効果の如何に関しては、上出来と言えるだろう。

 しかしながら当然、破力がある俺には魔法効果が通らない。よって、髪はヴァンの調合した黒い染料で染め、耳は……


「にしても随分思い切ったな? 先っちょだけとは言え耳ぶった斬っちまうなんてよ」


「でも見てて痛々しいわ。布で覆うとか、髪を纏めて隠すとか、他にもやり方あったんじゃない?」


「万が一ってのがあるからな。ヴァンの見立てじゃ二週間程度で再生するっぽいし、別にいいだろ」


 腹を貫通させたり、全身の骨ボキボキにしたりしても再生する、ゴキブリ並みの生命力が俺にはあるのだ。耳くらいどうって事ない。


「んじゃまず宿屋を「リオ、スコールがあそこがいいって」……酒を取り扱って無いとこ選んだな」


 出来りゃ防犯に強そうなとこにしたいんだが……別にいいか。





「らっしゃい。飯か? それとも泊まりか? 両方利用すんなら一泊二食で安くしとくぜ」


「それでいい。料金は?」


「一人四スルヴ。六人なら……少しまけて22でどうだ?」


 手持ちの金額をアリンに確かめさせると、五日間は宿泊出来る金額。あの門兵の言う通り、確かに高いな。まけてくれるのはありがてえが……ざっと店内を見渡す。

 店内に古臭さは感じられない。飯を食ってる奴は三人で、肉を使った炒飯とスープ。身なりがあまり良くない割にゃ良いモン食ってんな。そんで、お手伝いさんと思われる中年のおばさんが二人。この人数で飯屋と宿屋を両方?


「まけはいい。ただ周辺地域の事を色々教えてくれ。来たばっかりで疎いんでな」


 ヴァン、スコールと三人で残り、アリン達には先に部屋を見といてくれと二階へ行かせた。部屋は個室だと言う。他に使ってる客はいないから二部屋使ってもいいらしい。夜は営業しておらず、飯は日が落ちる前に言ってくれとの事。酒を扱ってないのはその為か。


 ……怪しすぎだろ、どう考えても。








 店主の勧めを断り角の一室へと入ったアリン達。一般の宿所と比べ布団は土台があり掛けられた毛布は壁蝨だにのみも湧いていない。三脚並べられた椅子は背凭れ付き。脇机には明かりを灯す燭台まで置いてあり、一般的な宿よりもかなり質が良い。というのを、喜ぶ様子は一片も無い。


「アリン、どうかしら?」


「天井ですね」


「天井ね。いよっ……隠し通路はっけ~ん」


「アリン、寝台持ち上げっからそっち持ってくれ。どっこいせっ。おっ? こりゃ薄くなってっけど血痕か」


「床板も一部交換した形跡が見られます」


 冒険者として活動するアスタリスクが宿泊施設を利用するのは一度や二度ではない。彼等が寝泊まりした宿は殆どが見知らぬ他人と横になる大部屋であり、寝藁があればそれだけで十分。衛生環境は何処も劣悪である。それが当たり前だという認識があり、長年の冒険により培われ、研ぎ澄まされた警戒心がこの宿の胡散臭さを見逃すはずもなかった。

 その後一通り不審な箇所を探り当てた三人は思い思いの場所に腰を落ち着け、さてどうするかと思考を巡らせる。少し長い沈黙が続いたのち、口火を切ったのはアリンであった。


「一つ、とても……とても重要な懸念事項があります」


 わざわざ硬い床に正座をし、背筋を見事に真っ直ぐ伸ばすアリン。その板についた姿勢に伴い、目を瞑り神妙な口調で話し出した彼女に、ティアとヤイヴァが何事かと視線を寄せる。


「ちょっと大袈裟じゃない? 夜中にアタシ達を狙って忍び込んできた奴らを懲らしめればいいだけでしょ?」


 彼女らを含め六人は夜襲への対策を怠った事は一度として無い。椅子に足を組んで座るティアは鉄爪の刃を指先で叩いた。逆襲に際しての自信と自負の現れである。


「どんだけの奴かは分かんねぇが、まずこっちがられっことは無いだろうな。それとも、他に何か不安要素でもあんのか?」


 布団に肘枕を作り寝転がったアリンが臀部を掻きながら話を促した。確かに自分らがここで命を落とす可能性など微塵程度しかないが、厄介になるかもしれない芽ならば予め潰しておきたい。大胆でありながら緻密に作戦を練るのがアスタリスクの行動規範である。

 そうでは無いと無言で首を振り、わざわざ間を置いて口にしたアリンの言葉。それは二人、特にティアにとっては青天を超え、宇宙の霹靂と言っても過言ではないものであった。


「リオとティアの仲が一向に進展していません」


 ピシリと固まる空気。茹だる鍋に放り込まれた甲殻類のように、肌を鮮やかな赤色へと変色させるティア。そっちかよと内心突っ込みながらも、こりゃ見物だとヤイヴァは歪んだ笑みを浮かべ、成り行きを見守る側へと回った。


「正直に話して下さい。リオと何処までいきましたか? 少なくとも接吻を交わすぐらいの仲にはなって欲しいのですが」


「ちょっ、ちょっと待って! ちょっと待って! アリン、落ち着いて!」


 どうして夜襲対策から急転直下、恋愛話に移されてしまったのか。彼との仲など四六時中共に行動する全員がよく知っている。わざわざ確認を取るまでもないだろういや取らないでくれ。と、アリンの暴走を阻止するために椅子から跳び出した。


「ワタシは至って冷静です。それで? その様子ですと手を繋ぐ事もしてないのですね? 寝惚けた振りをして抱き着くぐらいしか出来ないのですね?」


 ちょうどアリンの腕に触れかけた所でティアは石像と化した。確信犯とも言える身に覚えがある行動。その何れかをアリンに見られていた。あれか、それともあれか。一体どれだと記憶を漁るティアに、アリンは畳み掛ける。


「睡眠癖が酷い事にかまけ、狸寝入りでリオに背負われたり、目が覚めてしまったと装って胸にしがみついたり、雑魚寝でリオの隣を陣取り寝返りをうって体を密着させたり「イキャアアアアアアッ!!?」


 竜人族ティアの奇声が部屋の空間目一杯を振動させるが、予見していたアリンとヤイヴァは耳を塞ぎ回避する。ティア自身は巧妙に隠していたはずだった初心赤裸々な、内緒の幸せが全て見抜かれている。恥ずかしさは限界を振り切り、ティアはアリンの膝下へと蹲った。その姿は許しを請い懺悔するかのようであり、事実、この時のティアには、アリンが全てを見通す神のように思えた。


「二人きりになる機会は幾らでもありました。夜のアズールでリオに声を掛けに行ったのに、何もせず戻って来た時は正直呆れました」


「だ、だって、その時はリオ、沐浴してたから……さ、流石に、ね? 裸を見られるのは、男の人でも嫌がる……でしょ?」


「最初に雷花団の方々と会った時、リオは平気でさらけ出したと話を聞きました。アズールを出る時も全裸で川を渡ったんですよ? それを考えるならリオが裸を見られる事を嫌がるとは到底思えません」


 いきなり逃げ道を塞ぎに来られ、ティアはビクリと身を震わせた。あの時は年上ぶって余裕を見せていたのに、どうして立場が逆転しているのか。もしや、あの日の夜の行動を見られている? いやそんなはずは無い。尾行には十分気を払っていた。わざわざ遠回りを二回してから向かったのだ。しかしこの年下の少女から発せられる異様な重圧はなんなのだろうか。悪戯を暴かれ叱られるわらべの心境を、ティアは生まれて初めて経験することになる。


「声を掛けるどころか、リオの裸を茂みからじっくりと眺めていましたね? 何を、とは言いませんが、何度も身を乗り出して、穴が空くほど凝視して。全く、呆れを通り越して哀れみを抱きました」


「ティア……お前、そりゃ無いわ」


 現実アリンは非情であった。挙句、非常識な者にまで非常識だと引かれてしまい、羞恥を越え逃避する気力も根刮ぎ奪い去られ、とうとうティアは砂へと還った。







 今、体感で丑三つ時ってとこか。消えた獣油蝋燭の臭いに混じり、僅かな甘い匂いが鼻腔を擽った。部屋に立ち込めるその香りに体は弛緩し、深い眠りへと落ちる。

 と、やっこさんが思い始める頃、扉と天井が音も無く開き、四つの影が暗い部屋の中へと溶ける。影の内の一つは袖から素早く何かを取り出し、俺の腕へと突き立てた。


「ガッ!?」「ムグッ」「ぐぉ!」「ぐふぅ!」


 それを確認したスコールが天井から突撃。四人の人影のこめかみに、中指の第二関節を突き出した握拳が正確に撃ち込まれる。四人は平衡感覚を失い床に突っ伏した。


「ほぉおふへいぇひいえひほふ。あいあいあおうっあほふえぁ?(即効性の神経毒。雷花団も使ってる泥沼蛇の毒か?)ヴヴッ…………よし、消えたな。よっこらせ」


 破力で全身を巡った毒成分を破壊し、布団から起きる。部屋の隅に隠遁魔法で隠れ、同時に幻覚魔法を展開していたヴァンも身を起こした。


「リオ……」


「変な責任を持つのはやめろ。嫌なら耳塞いで待ってろ。口を割ろうが割るまいが、俺はこいつらを殺す。こうして大義名分を作ってくれたしな。クックック、喜びで胸が踊りそうだ」


 是迄の人生で初の人殺しを味わう事になる。破力がじわじわと漏れ出し、四人の男を蛇のように這い、餌だ餌だと湧き踊る。


「……殺すのは出来ないけど、後ろで見てる」


 別に強がらなくたっていいのによ。飯が喉通らなくなっても知らねぇぞ?


「リオもとうとう童貞卒業か。片棒担いでるオレも初めてだがな。イシシシ」


「アリンとティアはどうした? 興味無いってやつか?」


「あの二人は大事な話があるとかでいいってよ。まぁある意味、今からやろうとしてることの正反対だし……イシシシ、楽しみにしておけよ」


 何を楽しみすんだかは知らんが……何を企んでんだ?









「いいですかティア」


「はい……」


 宿泊部屋の隣の一室中心。床に正座をさせられ、未だ釈放されていないティアは、何度目になるか解らない肯定の言葉を紡ぐ。


「リオは我儘です。破天荒です。危険物は刺激物。何が起こっても、笑って受け入れるのがリオなんです」


「はい……」


 反省の色で全身が染まり尽くすティアだが、アリンの怒りにもにた言葉は変わらず容赦が無い。

 下では今頃、リオの手により阿鼻叫喚の地獄絵図が繰り広げられているはず。ヴァンの結界によりそれが外へ漏れることは無いので傍からでは様子が分からないが、恐らく血生臭くも、ある種リオにとって通過儀礼、儀式めいた行為の最中の筈である。

 そんな中、何故こんなにもリオとの関係を深めさせようと躍起になっているのか、とこちらも何度目になるか解らない疑念を再び抱いた。

 どことなく、この年下少女を甘く見ていたのか。いや、甘えていたのだろう。疑念を抱くだけで、次に何を言い出すのか予想をしなかったティアは、今宵一人悶々と眠れない夜を過ごすこととなる。


「だからティア、明日はリオと二人っきりで、遊んできて下さい」


「はい……はっ、はぁ!!?」


 ティアにとって、長い長い一日が始まろうとしていた。




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