第43話 『The Black Sun』

 黒い。何もかもが黒い。自分が何を考えているのか、何を見ているのか、何を聞いて、何を感じているのか。空間も時間も、自身の存在すら、認識できない。





 悠久だったのか、一瞬だったのか。少しずつ、少しずつ。覚醒する意識は黒い世界に紅い雫を垂らし始める。





 俺は…………ククク、そうだ。俺は…………





 徐々に膨れ上がる殺意は俺の存在を確固たるものとし





 やがて黒い世界は、真っ赤に染まった





 第43話 『The Black Sun』





 殺す。



 殺す。



 殺す。





 ころころころころころころころころころころす!!


「あ゛ア゛嗚゛ア゛あ゛A゛あ゛ア゛昂゛あ゛唖゛呀゛荒゛あ゛翕゛逅゛あ゛ああああアアアアッッッッ!!!!」


 そうだ! 殺す! お前を殺す!! お前の全てを破壊してやる!! お前の全てを否定してやる!!





 俺はその為にまれてきた!!





 それは喜びの雄叫びか。それとも悲しみの遠吠えか。本当のじぶんを受け入れ、変貌したその姿はあまりにも、あまりにも、馴染んでしまった。


「ルオオオオオオオオォォォォォォォォ」


 振り下ろされるタイタンの巨腕。幾重にも束ねられた鉄骨のような、殺意に満ちる意思は突如として現れた存在を消し去ろうと猛威を叩きつける。

 しかし接触の直前、目にも留まらぬ赤黒い線が縦横無尽に駆け巡り、タイタンのその剛堅極まりない腕を粉々に寸断した。

 崩れ落ちる瓦礫の中、微動だにしないままだったリオの瞳が隻腕と化したタイタンを捕え、柔和に、妖しく、禍々しく微笑む。彼と共に歓喜に震える破力は殻を突き破り、混沌とした産声を上げながら周囲を奔流し、リオの本能さついのカタチと成る。

 剣、大剣、長槍、戦斧、斧槍、大鎌、鉾、鉞、銛、曲刀、薙刀、大包丁、大手裏剣、三叉戟。枚挙に遑がない膨大な数の刃達は宙を舞い我先にとタイタンへ襲い掛かる。高速で飛び交う実体化した破力に鈍重なタイタンでは為す術がなく、今迄一度として傷付けられる事の無かった肉体を斬られ、裂かれ、刺され、抉られ、削がれ、両断され。いとも容易く、いとも呆気なく、哀しいほど憐れに死を迎えた。





 弱い! よわいよわいよわいよわいよわいよわいい!! 死は醜い! 死は穢い! 死は究極の害悪!! 抗え!! 抵抗しろ! 死に立ち向かえ!! 死に逆らい立ち上がる者こそ美しい!! 恐怖を乗り越える姿を見せてみろ!!





 俺はその為にまれてきた!!





 深淵体アビスは殺戮本能に従い行動する。それが彼らの存在意義である。生きとし生けるものを滅ぼす事に理由等無い。故に殺害という行為に感情を持たない。

 しかしその肉体は生命と同じ知性を持ち、痛みを伴う。享楽欲望の無い深淵体アビスが唯一、その身に抱く感情は、恐怖。

 タイタンは抗おうとした。同種でありながら命を持つ、得体の知れない小さな存在が放つ喜びさついに。瓦礫の山へと変わり果てた同胞の亡骸を掴み投擲。小さな城にすら匹敵する巨体を利用した加速器は攻城砲の如き威力を持って、大岩の散弾銃となり、リオへと襲い掛かる。

 またも黒い刃が空を駆けるが、大岩の全てを切り裂くには至らず、一抱え程ある大礫が直撃する。床に叩きつけられ、タイタンの餌食となった者共の砕けた骨や歯が肌へと突き刺さり、骨粉を巻き上げながら死人の浜をリオは転がる。


 余りに致命的な、絶命寸前の攻撃に痙攣する身体。少々動かすだけで叫び悲鳴を上げる骨々。皮膚から砂へと垂れる血液、その色は黒。リオはそれらを笑みを持って歓待した。





 殺せ。殺せっ。殺せ! 殺せ!! 俺を殺してみせろ!! このどうしようもない俺を!! 死んでも死にきれず怨霊に成り下がった俺を! 世界の異物を破壊しろ!!





 俺はその為に転生まれてきた!!





 この攻撃が有効だと学習したタイタンは大岩を握り絞め、再び投擲する。しかし、先程よりも遥かに高速で飛び回る刃が死骸に群がる蝿のように覆いつくし、大岩を“消滅させた”。

 小さな力では消されてしまうならば、もっと大きな力で、大きな物質で圧し潰してしまえばいいと、一体のタイタンがその巨体を更に大きく広げ、部屋ごとリオを圧殺しようと倒れる。

 血を滴らせながら起き上がったリオの元へ刃達が集い、中空に円を描く。唇から垂れる黒血を指で拭い、握りしめ、ゆっくりと開かれたリオの手の平に黒い焔が踊る。その焔をリオは空へと燈した。放たれた焔は刃の円陣に辿り着くと波紋を響かせ、波紋に触れた刃が焔を巻き上げる。燃え盛る幾つも刃の焔が伝播し、繋がり、白い砂浜に黒い虚を作り出した。

 突如として地に現れた黒い太陽にタイタンは避ける術は無く、そのまま太陽に飲み込まれ、僅かに逃れた手足のみが砂塵を舞わせた。









 こんなにも、こんなにも。天上天下有象無象天地万有森羅万象の者共を破壊したい。嗚呼、その先に何がある? 多分それは俺の心を満たしてくれるモノなんだ。だから見せてくれ。だから殺してくれ。俺は俺を認められないから。人の可能性を信じているから。


 意味有るモノを、破壊してしまう前に、俺を……


『僕、リオみたいになりたいんだ』


 俺はこんな奴だったんだぜ、ヴァン。どうだ? 失望したか?


『今日は、あったかかった』


 スコール、その温もりは俺の欲望の焔だ。近づき過ぎると消えちまうぜ。


『前のワタシが、情けないのが、嫌だったんです』


 俺はアリン以上に情けない男さ。俺に自信なんか微塵もないのさ。


『その人の願い、叶えてあげるわ!』


 叶えてくれ、ティア。お前ならきっと、最高に輝けるはずだ。


『オレを殺してくれ』


 だがヤイヴァ、てめえのせいで俺は簡単に死ねなくなっちまった。この俺に先手打ちやがって。


『俺達の家族名はアスタリスク。俺達の名を世界に、天に輝かせよう』


 こんな俺だけどな、あるんだよ。願望が。


 俺は、俺を認めたい。格好良く、潔く、全力で生きる俺を、認めたい。


 この胸の穴を埋めたその時、きっと俺は俺を認められる。だから歩み続ける。世界を鳴らし、慈しみ、遊びつづける。





 恨むなよ? 俺と共に歩く事を選んだんだ。何時の日か、俺が因果の酬いを受けて終わるその時まで。





 俺と共に、世界を見よう。









「こんなにボロボロなのに、今までで一番生き生きした顔してるね」


「でも、まだ満足はしてない」


「ワタシ達もです」


「まだまだ先は長いのよ? 早く答えを出しなさいよ」


「そうそう。人として失格さんよぉ。これからどう生きんだ?」


 深淵体アビスになっちまった俺に怖気づくこと無く、そして気遣いも全く無い。容赦も無い。いいんだけどさ、別によ。俺自身もう気にしてねえし。こいつらも気にしてねえみてえだし。でももうちょっとこう……なぁ? 労ってくれたっていいじゃん? 形だけでもよぉ。結構ショックなんだぜ。自分がマトモじゃ無いってさ。

 まぁ、そんでもぜってぇ曲げらんねぇ信念はある。


「……失格だろうがなんだろうが、俺は人であることを捨てた覚えは無えし、自分から死ぬつもりも無え。誰に指図されようが否定されようが、俺が俺である限り、俺という存在は絶対に消えはしない」


 そう。俺の生き方を決められんのは俺だけだ。なんと言われようと、俺は俺を肯定し続ける。最後までな。


「それでこそリオだね。じゃあ、最後の一体、リオらしく派手にやっつけちゃいなよ」


「今度はオレを使えよ。真の破力の威力、オレも味わってみてぇ」


「ふーん? 破力で出来たあの黒い剣に嫉妬でもしてるのかと思ってたわ」


「は? 何ほざいてやがんだこの馬鹿姫」


「リオが黒い剣操ってた時、結構動揺してた」


「ばっ!? 勝手にオレの心読むんじゃねえよ!!」


「ヤイヴァ、つんでれはティアと立ち位置が被りますよ?」


「「誰がツンデレだ(よ)っ!!」」


 どんな場面でもいちいち小漫才挟むのはアスタリスクのお約束かね。


「お前ら、長く待たせちまって悪かったな。次の場所へ行く前に、まずはここに一区切りいれるとしよう。おらヤイヴァ、臍曲げてねぇでこっち来い」


 漸く次の場所に行けると諸手を挙げて喜ぶヴァン達。ヤイヴァは半ばヤケクソ気味に悪態を付きながら俺の手の平に飛び込んだ。


 特に意識せずとも、俺の心のままに踊る破力は深淵の焔となりヤイヴァを包む。程無く焔が消え、光を吸収してしまうほど黒く染まった剣身に、赤黒く浮かび上がる幾何学的な波紋が踊る。

 高く振り上げ、空を斬り黒き瘴気をはらうとそこには、破力によって強化されたとはとても思えないほどの美麗な剣があった。高純度の結晶を磨き上げたかのように透明な刃。その中を炎の揺らぎのように七色が零れ舞っている。


「アヒャヒャヒャッ!! こりゃ今までと段違いだ!! リオ! この破力剣ども、オレが貰うぜ!!」


 ヤイヴァの大きな鼓動が破力を鳴らし、未だ宙を漂う剣達を呼び寄せた。俺が操っていた時とは違い、一糸乱れぬ動きで飛び交い、俺の頭上を中心にして太陽系のように公転運動を始めた。複数の物体を動かすにはこれが理想的なんだっけか?


 さて、最後の獲物タイタンだが、全身の関節から深淵の焔を噴き、死骸に浴びせ掛けていた。黒い焔に包まれ溶けた瓦礫にタイタンが手を突っ込み、ゆっくりと持ち上げる。粘土状の鉱石は引抜かれるにつれ形状は大幅に変化し、タイタンの手に収まる頃にはその身の丈に匹敵する程の、超巨大な分厚い剣が握られていた。


「自分の力がリオの破力と同じもんだって学習してパクったみてぇだな。階級と知能は比例するっつーのは、あながち間違いじゃなさそうだぜ」


「たかが物真似。されど物真似。基本は変わらねぇ。本質も変わらねぇ。図体のデカさは破力の性質の前に意味を成さない。だったら勝敗を分ける要因は唯一つ」


 タイタンは大袈裟に、乱雑に、剣技とはとても言えぬ程に剛堅暴虐な一振りを浴びせ掛かってきた。

 読むまでも無い軌道から身を逸らして避けるか? 否。軽くいなしてその巨腕を斬り落とすか? 否。巨体から生まれる剛力を利用してカウンターを撃ち込むか? 否。それじゃあつまんねえだろうが。


 真正面からお前の全てをぶった斬る! それが俺のり方だ! 見せやがれ! 俺とお前の!


「「どっちの殺意が強ぇかだ!!」」


 タイタンの中心に狙いを定め、剣先を正面へと構えたまま、ヤイヴァを持つ右腕を右足と共に大きく引く。大量の破力がヤイヴァへと流れ込み、展開した破術陣に従い圧縮される。破力は互いを喰い合い、強化と凝縮を繰り返す。更に展開された破力剣にも効果は及び、強大なエネルギーを保ったまま、次々とヤイヴァへ吸収された。

 柄から切先まで伸びる一筋の線。相手から見れば唯の紅い点に見えるであろう。しかしそれは果ての無い一点。何処までも何処までも永久に続くそれは、俺の狙う箇所を無限に破壊し続ける。無駄を一切省いた一点集中型の攻撃は、どんな防壁をも貫く最強の矛と成る。

 迫りくるタイタンの剛剣。伸びきり、伸びきり、最も勢いに乗った瞬間を見定め、一気に撃ち抜く!!


「「戴天零濤覇アポログランヅレイヴァー!!!!」」


 剣術で言う突き技。単純であるが故に最速。集約されたが故に最高。手首、肘、肩、腰、膝、足首までを連動させて撃ち出す力はどんな獲物も捕らえ、絶対に逃がさず、絶対に絶命させる。


 突き出されたヤイヴァが風を切る以外何の音も無い。踏みにじり少し舞った砂以外に何の衝撃も無い。タイタンの絶命の声さえも。


 一瞬静寂が辺りを包んだ後、貫き真空状態になった空間に一気に空気がなだれ込み、瘴気を吹き飛ばした。目を覆ってしまうような眩しさに見上げれば、タイタンの胸に空いた大きな風穴から、光が差していた。


「イシシシ。やっと顔を出しやがったぜ。なぁ、太陽さんよぉ」


 人型へ戻ったヤイヴァが嫌な笑みを浮かべながら俺に当てつけ背を叩かれた。俺はあんな眩しくあったけぇもんじゃねえよ。


 まぁでも、こんな風に何にも遮られず、燦々と照ってる方が好きだってのは、俺も一緒かな。









「何よ、一生あの深淵体アビスの姿になっちゃったかと思ってたのに、元に戻れるんじゃない」


「破力一切出してない今はな。気ぃ抜くと……『ズオォー』ほら」


「何だか、拍子抜けですね」


 衝動が治まるとあの状態は解除出来た。全身に破力を漲らせれば何度でも変体出来るようだが、逆に言えば破力を少しでも出すとこの状態になってしまうということだ。街中等でテンション上がって突然ポンと変わってしまうような事がないように訓練しなければ。


「あんな化け物三体も相手取ってやっつけちゃうなんてねぇ。アタイ、ダーリンに惚れ直したよ」


「うむ。先程までとは全く違った。禍々しく危険だと分かっていても思わず見惚れてしまう秀麗な、この世に二つと無い名剣のようだ」


「あの第三階位フォービドゥン級三体が瞬コロだー。破力ってすごいなー」


「世の中にゃもっとやべえ奴がいるぜ? あんなノロマな奴とは違う第三階位フォービドゥン級十体を相手取った夫婦とかな」


「なにその末恐ろしい夫婦。どこの国の人よ」


 フェリクスの両親か。今の俺なら二人に並べるか? ……いや、無理か。ざっと脳内シミュレートする限り、強化ディヴァイダー八体までなら、相打ちで行けるってとこ。おまけにあの夫婦は国民を保護しながら戦闘を行っていた。力は勝るとも劣らないだろうが、技量が違う。


「あれ? 鉄蔓が枯れてってるよ」


 ヴァンの指さした箇所。俺が破術で貫き抉られた鉄蔓から白色化し、ボロボロと朽ちていっている。こりゃ不味ったかな? 何か遠くから崩れるような音が聞こえるし。


「四層目辺り。沈下した」


「四層目は一本道でした。閉じ込められてしまいましたね」


「えーっ! じゃあどうやって外に出るんだーっ!?」


「鉄蔓が洞窟を支えてる説は正しかったね」


「アズール石一個も採れてないけど、どうするの? 帰るならあの穴から飛んで帰るわよ」


「おー、その手があったなー」


「ロン、あなた自分も飛べるの忘れてない?」


 アズール石、か。そういや、この海の中のような空間。アズール石は海で採れる宝石という説と、何か繋がりがあるのだろうか。

 こんな地下深くにわざわざ海を見立てた部屋を造り、タイタン以外には何も無く、ただ一輪の巨花だけがぽつねんと咲いているだけ。昔の連中はこの部屋にある何かを求め、ひたすら掘り進めていた。そして幾人かが辿り着き、タイタンの餌食となり、この白い砂になるまで砕かれた。

 アズール石。鉄蔓。扉。そしてフォービドゥンタイタン。


 ……何だ? この、誰かに誘われ、試されたような感覚は。

 





 ――――――――。





「ん?」


「どうしたのリオ? あ、花が……」


 今のは何だろうか。声? いや、何か意思のような。あの鉄蔓の花が発したのか? 花は輝きを強めながら花弁を閉じて収縮し、中心へと集まった光をぽたりと垂らした。

 光の雫は真っ直ぐと、思わず伸ばした俺の掌に収まり、一際強く発光すると、淡く蒼い色の石となった。


「……アズール石」


 それは誰が呟いたのか。見て直ぐにアズール石だと脳が認識したことに驚く俺達を、部屋全体が轟音を立て現実に引き戻した。


「目的の物も手に入ったし、ここから出るとしよう。ティア、クラウ達を頼む」


「まっかせなさいっ!!」


 竜化したティアの背に有無を言わせずクラウ達をほいほい放り乗せ、最後にアリンが乗った所でティアが飛び立った。


「俺らは落石と深淵体アビスを除去する係だ。足場は破力剣で作っから、適当に跳べ」


「了解っ!」「(こっくり)」


 再び深淵体アビスモードへと身を堕とし、中空に破力剣を生成する。早速ヤイヴァが操り適度な間隔で浮かばせた足場へとヴァンとスコールと共に蹴り上がる。


「【飛刃斬スプリット】っ!」

「【飛刃斬スプリット】」

「「【破術・飛刃斬デヴィル・スプリット】!」」


 跳んで間もなくティア達の頭上から落下する岩盤を三つの飛翔する斬撃で粉砕。スコールが落石をも利用し先頭に躍り出る。ヴァンがティアに並び、魔術を連発。アリンも両手に銃を構え、次々と岩を撃ち落とした。


「全く! ダーリン達におんぶに抱っこでみっともない! このまんまじゃアタイら餓鬼の遠足以下だね! お前らっ! 雷花団の意地、見せてやるよ!!」


「全くだ。これでも狙撃の腕には結構誇りがある。アリンに負けていられない」


「わたしは戦闘向きじゃないけど、岩を弾く防壁ぐらいなら張れるから」


「オイラもオイラもー。ヴァーン、視界飛ばすぞーっ」


 砕き、避け、上昇を繰り返し、繰り返し。興奮に湧き上がる心に破力が再び俺を殺意の衝動へと誘った。大量の深淵体アビスが落下してきたのだ。


「なんだなんだぁ! わざわざオレ達を見送りに来たのかぁ!」


「こんな人っ子一人居なかった所は退屈だったろう? 光栄に思え。一匹残らず“連れてってやるよ”」


 物量で押し込めようと今の俺には物の数ではない。前に躍り出て二体目のタイタンを倒した時と同様、黒焔をばら撒き破力剣に着火させると、ヤイヴァが勢いよく巻き上げた。

 展開された黒い虚は、我先にと襲いかかり、全ての深淵体アビスを喰らいつくした。









 書物と口伝にのみ記されていたアズール石は確かに存在した。アズールの町は昔々の熱気が蘇り、何十年ぶりと長く無かった宴が催された。

 広場の中央に置かれた適当な台座にはアズール石が乗せられ、それを囲うように焚べられた火に照らされ、煌々と深く静かに輝いている。


「これが本物のアズール石かー。何だか見てると不思議な気分になるぞー……」


「そうねぇ。心がスーッと落ち着いて、嫌な事全部許せそうな気にさせられるわ……」


「男のおれでも惚れちまう石がこの世界にあるなんて、思ってもみなかったぜ……」


「まったくだ……。なぁ、これ、売っちまうのか?」


「いや、ボスが売らねえってさ。大金持ちになれるかもしんねえけど、アズール石がまだ採れるって知った外の奴らが、町を滅茶苦茶にしちまうかもしれねえから、だってよ」


「そうした方がええ。こーんな別嬪な石に、人が勝手に価値を付けるなんぞバチが当たるってもんだ」


 石に見とれ、うっとりと表情を零す連中がいる一方、酒に酔い妙ちきりんな踊りを披露し、それに釣られ手を叩きながら、町を笑い声で満たす奴らもいる。


「おいスコール、酒の匂いが嫌ならあっちで食えゃいいじゃねえか」


「へひほほほひゃひひふ(背に腹は変えられない)」


「ん、そへほほあぁいっ(それもーらいっ)」


「あっ! もうティアもスコールも、お行儀が悪いよっ」


「魚に炒った水豆と香草を詰めて包み蒸してみました。お味はどうですかリオ?」


「火の通りも味付けも上出来だ。ただ川魚だけあるな。小骨が気になる。圧力鍋で調理すりゃ骨まで食えんだがなぁ」


 いやぁ、久方振りに暴れられて大満足だ。破力も澱みなく落ち着いてるし、体中痛えがストレスは感じられない。ただ、三大欲求に比肩するほどにかなり強い欲だ。破壊欲とでも言えばいいだろうか。適度に発散する方法を考えとかないとな。


「……ねぇ、ダーリン。明日出発するって、マジなのかい?」


 俺の隣で静かに酒を飲んでいたクラウが、今一度確認しようという、静かだがはっきりとした声音で問いかけてきた。ああと短く答えれば、手に持った小樽を一気にあおり、アナベラに注げと押し付けた。


「ボス、これ以上は飲み過ぎだぞ。明日どうなっても「いいから注ぐんだよっ!!」……はぁ、全くしょうがない人だ」


 再び満たされた酒を口角から零れるほどの勢いで飲み干すと、小樽を火の中へ放り投げた。まだ中に少し残っていたのだろう。ごうと火柱が上がり、驚いた雷花団と町民の視線が暴挙に出たクラウに集まる。クラウはよろりと立ち上がり、三白眼で睥睨したのち、最後に俺へと焦点を絞った。


「アタイはねぇっ、中途半端が嫌いなんだっ! モヤモヤすんだよっ! だからっ、白黒はっきりつけたいのさっ!!」


 ……負けると分かっていても、真正面からぶつかるか。いいね、そういう奴は大好きだ。

 立ち上がり、クラウの全身をじっと見据えると、クラウは大げさなほどに深く長い深呼吸をし、翠玉色の瞳を俺の視線と直線で結んだ。揺らぐ瞳は炎のように情熱的でいて、冷たい水面のように憂いを帯びている。


「アタイはっ! リオスクンドゥムが好きだ!! 難しいことは言わねえ! アタイの傍にいてくれ! アタイの旦那になってくれ!!」


 なんと清々しいド直球な告白だろうか。思わず笑いが込み上げクツクツと零れ、自分でも分かる程に歪んだ笑みを浮かべてしまった。

 だが、それまでと言う事だ。タイタンと対峙した時の方が喜びが勝っている。俺をモノにしてぇなら最低限超えて欲しいラインだ。残念だったな、クラウ。お前への返事はたった一言。それで俺の想いは全て伝わる。


「断るっ!!」


「だああああぁぁぁぁチクショオオオオォォォォ振ぅぅぅぅらぁぁぁぁれぇぇぇぇたぁぁぁぁっ!!!!」


「呑みましょうボス!! 今宵は徹底的圧倒的徹頭徹尾酒に溺れましょうっ!!」


「そうですよボス!! 折角の宴なんすから!! 全部忘れてパーッとやりやしょう!!」


「男なんてぇぇぇぇっ! 男なんてぇぇぇぇっ!! こんな超イケメン忘れられるわけないだろうがよぉぉぉぉっ!!」


「さて、アリン。さっきの包み焼きまた作ってくれ」


「僕のもお願い」「シュタッ(手を挙げる音)」「アタシもっ!!」「オレも食いてぇ」


「クスス。ちょっと待って下さいね」


「淡泊っ! アニキ達すっげぇ淡泊!! 血も涙もないっ!!」


「もうヤケだ!! ヤケクソだ!! ヤケ酒だ!! テメェらで憂さ晴らししてやるよ!!」


「うおおおボスがご乱心だ!! 逃げろ逃げろ!! 雷撃が飛んでくんぞおっ!!」


 大暴れするクラウに巻き込まれる雷花団。町人達は遠巻きにやんややんやと囃し立て、宴は日が昇るまで続いた。





 ああ、いい感じの疲労感だ。お日様が黄色い。新しい一日の始まりだ。


「いやっほおおぉう!! 次の町行くぞオラァ!!」


「おいリオ! 荷物荷物! だぁクソっ、オレは背負われる側だってのに!! 水と食料は入ってんのか!?」


「必要な量は確保してありますっ。路銀は二週間分程度を確認しましたっ」


「元気になった途端これだよ! ねえリオっ!! お願いだから服脱ぎ捨てて川泳いで渡るのはやめて!! 戻ってきてー!!」


「水人族でもないのにどう泳げば水の上跳ねんのよっ!? みんなっ、川超えるから捕まって!! スコールもリオの真似しようとしなくていーの!!」


「えー」


 俺達は昇る太陽とアズールの人々との別れを背にし、町を後にした。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る