第42話 『Titan Fall Out』
スコールが発見した洞窟への入口は、アズール川上流の水底にあった。岩陰に隠れた裂け目がそれであり、人ひとりがやっと通れるほどの大きさ。裂け目から洞窟までの距離はそれほど長くはなく、一呼吸で辿り着けた。
「ぷはぁ! ふぅ……。まさか、本当に坑道があるとは思わなかったよ。よくまぁスコールちゃんは見つけたもんだね」
洞窟の位置はアズール町を見下ろせる岡の真下あたり。アリンがカンテラに火を灯し高く掲げると、長く先まで続く穴が目前に現れた。
この洞窟の存在、スコールは最近どころか、とっくの前に感知していたそうだ。初めて町を訪れた際にはその存在に気づき、どうにか入れないかと暇な時に侵入経路を探っていたらしい。そして少し前に河川の上流で素潜りで魚を追っかけていた時、アリン達が橋造りで水底に杭を打ち込む音がソナー変わりとなり、入口の存在をスコールの耳が拾った、というのが事の顛末である。
「ほらヴァン君。もう着いたから息止めなくていいよ」
「っ、ぷわっ! ケホっ、ケホ。ジャーダさん、ありがとうございます……」
最後尾で湖から顔を出したジャーダ。そして彼女の背に捕まるヴァン。縁に立つアナベラがヴァンの両脇に手を入れ、陸まで引き上げた。これで全員そろったか。
「ふむ、爬人族は水人族とまでいかなくとも、泳ぎが得意な種族と聞いていたが」
「は、はい。でも僕、昔から泳ぐのだけは、どうも苦手で。ご迷惑をおかけします」
「いや、咎めたつもりはない。寧ろ、しがみついてでも仲間から離れず、共に事を成そうとするその姿勢には好意を覚える」
「ホントにねぇ。ヴァンちゃんの爪の垢を煎じてうちの馬鹿共に飲ませたいぐらいさ」
洞窟探検隊の面子は言わずもがな、俺達アスタリスクに加え、雷花団からボスのクラウ、側近のアナベラ、ジャーダが参加した。
「おおー、ここが“
そして、石ころに変化し俺の懐に潜り込んでいたロンの計十人。
「……構造把握。ティア、もういい」
「~~~~、ケホっ、ケホっ。あ~喉がイガイガする~」
洞窟内の情報収集を行っていたスコールとティア。大穴猫の巣ではアリンの首飾りを利用していたが、今回は慎重を期して超音波を利用しての探知。声を操るのは竜人の十八番だが、声帯が狭い人型の状態では喉への負担が大きいようだ。
「この洞窟は人の手によって掘られたものですね。あちこちにその痕跡が見られます」
昔の探鉱者は掘削面を木柱で支えて掘り進んでいたのだろう。長年人が入らなかったこともあり、腐り落ちた木材が散乱している。崩落の危険性が考えられるが、アリンの見立てでは今のところは大丈夫だそうだ。
「ダーリン、改めて確認するけど、見つけたアズール石は全部アタイらが貰っちゃっていいんだね? ここを見つけたのはスコールちゃんだし、なんか横取りするみたいで申し訳無いんだけど」
「俺達は別に金持ちになりたい訳じゃ無いからな。そりゃ冒険するにはある程度の資金は必要不可欠だが、その為に労働を従事する事も、俺達の冒険の一部だ」
「もたらされた幸運が人生に近道を与えるとしても、それは僕達に不要な道なんだ」
「真っ直ぐ、堂々と、自由に歩く」
「辛い事からは逃げません」
「アタシ達は欲張りで悪食だから」
「良いもんも毒も何もかも全部喰らって笑ってやるのがオレ達アスタリスクだ。イシシシ」
そうだ。それが俺達アスタリスクの……また、胸が疼きやがった。くそ、何を不安がってんだよ。いつもいつも俺を焦燥させるこの感情は何なんだ。
苛つけば破力が顔を出す。頼むから大人しくしてろよ。今はその時じゃねぇだろ。
第42話 『Titan Fall Out』
洞窟内を探索し凡そ半刻。アズール石はかなり深い階層にあるようで、ちょいちょいぶつかる十字路の各道が続く先は行き止まりか、更に下層に続く簡易階段の縦穴があるか。
「アナベラ、そっちはどう?」
「駄目だな。どこもかしこも掘りつくされている」
「なーなージャーダー。アズール石はー、元々海で採れた宝石だってホントかー?」
「本当かどうかは分からないけど、古い言い伝えが生まれ故郷にあるの。『
ジャーダはその伝承に出る石を探す為にアズールまで旅をしてきたそうだ。故郷はアズールからかなり遠い位置にあって、三年以上掛けてここまでやって来たらしい。
「単身で三年もの旅路を経験したんですか。ジャーダさん、結構強かったりします?」
「ううん、そうでも無いわ。わたし、【
「あの上位隠遁魔法を……だからあの時スコールもヴァンも探し当てられなかったんですね」
「【
「竜人の特性と明らか相性悪そうだしな。オレとリオの破術じゃ再現なんか論外だし」
和気藹々と語り合う仲間から距離を取り、先頭を務めるのはスコールと俺。別に女性陣からハブられている訳ではない。少し確かめたいことがあるからだ。
「スコール。普段のお前は見ず知らずの他人に少なくとも一週間は警戒を解かない。だが雷花団の面々に関しては初日だけだった。荒くれ者共という事前情報があったにも関わらずな。どうしてだ?」
「誰も悪意が無かったから。遊ぶこととスケベなことばっかりだった」
そこまでお馬鹿な連中だったか……いやいや、突っ込むとこはそこじゃない。
何故言葉も通じない相手の考えを読み取る事が出来るのか。以前からその片鱗をチラつかせてはいたが、こうしてはっきりと言葉に表すのは初めてだ。
「他人の考えていることが、理解出来るんだな」
「うん。集中すると、“心の声が聞こえる”」
やはりか。自覚症状があるということは、完全に覚醒したということだな。狼人族に代々受け継がれる特殊能力、『
だが、スコールの場合は行動ではなく思考を読み取るようだ。先天性であるはずの特殊能力が後天的に、少々変わった形で発現したのは、スコールの生い立ちに理由があるのだろう。
「……幼い頃の記憶はどうだ?」
「全部じゃない。でも、この力が無かったから、本当の父ちゃんに出来損ないって言われて殴られた……んだと思う」
本来、狼人族が優れている器官は、耳では無く鼻だ。詠魂は狼人の嗅覚と連動し、微妙な魔力の動きと流れ、そして体臭から得られる情報から、より正確に相手の未来を把握し、心理戦、肉弾戦に生かされる。
ところが、ファンレロ夫妻の話によると、スコールの嗅覚は獣人以下であるそうだ。日常生活に支障をきたすほどでは無いが、狼人族最大の長所が生まれつき弱い上に、特殊能力を引き継がなかったスコールに一族は激怒し、匿ったファンレロ夫妻共々一族を追われたという。
「……リオ、大丈夫」
っと、そうだそうだ。今のスコールは他人の思考が読める、いや聞こえるか。俺の心の中に留めて置いてもしょうがないな。それに今は
「ボスー、
「じゃあアタイがやろうかね」
張り切るやいなや石ころへと変身したロンをクラウが掴み、闇の中へと勢いよく投球。ガンガンカツカツと壁面に衝突する音が反響し、
「何するつもりなんだ? なんも見えねえ中にチビ助放り込んで大丈夫かよ」
「変化魔法は数々存在するが、自らを無機物に変えられるのは精人族のみの特権だ。【
「ヤイヴァも精人族ならそれくらい知ってるでしょ?」
「変身しようがしまいが嬉々として
「ヤイヴァ、あなた絶対おかしいって」
俺含めたヤイヴァの頭がおかしいのは既知の解決不可問題なので置いておき、目を閉じ魔法陣を展開したままじっと構えるクラウを観察する。
「見~つっけた。さぁ、黒焦げになりな! 【
青白い閃光と共に射出された小さな電子の塊が暗闇を切り裂き、完全にクラウの視界から外れてもなお洞窟内を駆け巡る。暫くすると遠くで何かが弾けるような音が鳴り響き、クラウがどんなもんだいと腰に手を当て胸を張る。
「い、今のどうやったんですか? 視認領域外にありながら、何故目標座標を設定出来るんですか?」
「【
ぷ~んと飛んで来て俺の頭に着地したロンがからくりを教えてくれた。
「オイラの見てるものを別の人に見せる魔法なんだー。目が繋がってる間はオイラがどこにいるかも分かるからー、距離と位置も測れるんだー」
「加えて、アタイは生粋の雷系統魔法の使い手だからね。なんだかよくわかってないけど、電気の波みたいなもんを見て感じ取れるから、こんな狭くて暗い場所でも空間が把握できんのさ」
ロンの魔法はほぼ推測通り、視界伝達と相互位置共有だったが、いやクラウすげえわ。どうやら電磁波を視認することが出来るらしい。電気使いだから、じゃなく特殊能力の一つじゃねえかとは思うが。
「そういうことだったのかぁ。ねぇロン、その魔法教えて欲しいな」
「ワタシもお願いできますか?」
「いいぞー」
「視界の提供は確かに便利だが、提供される側に不利な点もある。幾つか教授しよう」
「どっちが自分の視点かこんがらがっちゃう時があるからねー。自分の動きと合わなくてこけそうになったり、頭痛くなったり、なんてね」
会話を聞く限り、【
「あ? 何こっち見てんだよ。なんか言いたいことあんだったらさっさと言ったらどうだい?」
「……。さっきの雷魔法。荒々しいように見えて、安定してたわ」
「お褒めに預かって光栄だね。で、突然持ち上げるなんてどういう風の吹き回しだい? アタイのこと、気に入らないんだろ?」
「気に入らないと聞かれれば、気に入らないけど。それはお互い様でしょ?」
褒めているのか、貶なしているのか。どちらとも取れるぶっきらぼうなティアの態度は当然不仲なクラウの神経を逆なでし、喧嘩を売ってるのかと口を開きかけたクラウを遮るように、自分の弱点を吐露し始めた。
「アタシの魔法、ヴァンみたいに無駄なく綺麗に発動できないのよ。十の力を使って、その内の二が乱れて出てくるのは八、みたいな。でもあんたがさっき使った魔法。ぶれてるのに十の力が散らないで、そのままを保ってた。……コツがあるなら、教えて欲しいのよ」
こりゃまた思いもしなかった光景だ。ティアの強がりは緩和したとはいえそれはあくまで俺達身内に対して隠さなくなっただけで、他人には一切合切弱みを見せなかった。それがどうだ? よりにもよって現時点ティアの人生史上最も不仲なクラウを相手に教えを乞うている。
「お前がダーリンを諦めるんだったら教えてやっても……なんてね。そこまで性根は腐ってないよ。今回はダーリン、いや、アスタリスクにアズール石タダで譲るって言い張られて、こっちはモヤモヤしたもんがあったんだ。いいよ、アタイに教えられることなら教えてやるさ」
「ありがとう。……でもリオは譲らないから」
「それこそお互い様だろ?」
なんつうか、こうしてみるとティアとクラウは喧嘩するほどなんちゃらな姉妹って感じだな。その喧嘩も全て俺が原因だし、俺がいなけりゃきっと波長の合う仲のいい友人同士にでもなっていただろう。
「あうあうっ、目が、目がしぱしぱしますっ。くっきりとぼんやりが重なって何も見えないですっ」
「そう? おかしいなぁ、上手く発動してると思うんだけど」
「式は間違ってないぞー」
「あれじゃね? ヴァンの視力半端ねぇから、送られる視界情報量が多すぎてアリンが処理しきれないんだろ」
「なるほど、確かにそれはありえるかもしれんな」
「アリンちゃん、全部を見ようとしないで、送られてきたのを流し見るようにするの」
「ふ~ん、なるほどねぇ……年の割には結構おっきいわね」
「ちょっ、どこ見てんのよっ!? 陣を見なさいよっ! 魔法陣をっ!」
しかし中々どうして有能な魔法を手に入れた。これで戦略の幅がかなり広がる。元々俺達の連携技能は高い方だと自覚はあるが、それでも限界はあった。意志疎通無しに互いの位置と死角を補完出来れば、状況を有利に進められる。ティアが常々漏らしていた自身の魔法の粗っぽさも、クラウの矯正によってより効率的に運用できるようになるだろう。
いい感じだ。あとはこいつらの精神面の強化を図って、咄嗟の判断能力を鍛えれば……またか。ああ畜生っ、流石にいい加減イライラしてきたぞ。破力てめぇ、勝手に顔だすんじゃねえよっ!
「リオ、大丈夫」
おっと、感情が顔に出ちまってたか? それとも俺の心を読み取ったか? 不味いな、大人げない所を見られんのは……恥ずかしくはねえが、こんな負の感情をお前らに見せる訳にゃいかねぇ。早えとこ何とかしねえと。
「大丈夫かだって? べ、別に俺も女の子達とキャッキャウフフしたいって思ってる訳じゃないんだからねっ!」
「……」
滑った。スコール相手にはこの手のギャグが聞かないのを忘れるほどぶれちまってるようだ。ああああ穴があったら入りたいっ。
「……。リオの不安、今日で無くなる」
「……あ?」
俺の、不安……だと? いや待て。俺自身いくら心理考察しても原因不明で、糸口すら見つからねぇこの感情を、解決する手段があるってのかよ。
「この洞窟、リオの為に見つけた。もうすぐだから、待ってて」
……スコール、お前は一体、俺の心の何を聞いたんだ。俺が理解出来なかった不安って、一体何なんだよ……
「痛っ」
「どうしたジャーダ」
「壁に触ったら手切っちゃった。何かしら」
横穴の一つに体を滑らせ内部を探っていたジャーダが痛みに手を抑え下がる。様子を見に来た全員がジャーダが触れたという壁面に注視すると、細く白い植物が壁一面に張っており、所々がカンテラの光を照り返している。それは薄い半透明の、爪の長さほどある金属質の棘が生えた蔓であった。
「これが有刺鉄蔓ってやつかい?」
「棘って言うより、小剣って感じだなー」
「鉄蔓と言うだけあって、結構固いですね」
「何を栄養にして成長してるのかな? 有機生物じゃ無いみたいだし、どう思うリオ?」
それぞれが蔓の特徴を探り首を傾げる中、物静かなリオの様子に訝しく感じたヴァンは、反応を見ようと問い掛ける。
しかし本人は心非ずといった様子であり、眉を顰め、視線は振り返るヴァンを透過し、虚空を睨みつけている。近しい者でのなくとも気付けるほどあからさまな苛立ちを滲ませており、しかしそれを出来うる限り表へ出さないようにと、口を一文字に結び歯を食いしばらせていた。
「だ、ダーリン?」
クラウはリオから今までにない圧迫感を感じ取り、半歩後退った。普段ティアとの諍いを窘める際に見せる怒りとは全く別種の、凶器にも感じられる程の力。深く濃い、触れればその刺激で突沸してしまいそうな、怒気という活火山は小さな一石が落ちるだけで噴出しかねないと、クラウだけでなく、アナベラ、ジャーダ、そしてロンも、いつ爆発してしまうのかと粘着く生唾を飲んだ。
「ほら、リオってば」
そんな彼に躊躇い無く近付き腰を叩いたのはティアであった。空間が戦慄し軋みすら聞こえる中、リオは自らを叩いたティアへと焦点を当てる。真っすぐと向けられた自身の映る金色の瞳をじっと見つめ、視線を外し仲間の顔を一人一人ゆっくり見渡したのち、ジャーダが触れたという蔓をなぞった。
「……棘が鉄並みの硬度を持ってるのは、岩肌に食い込ませて自身を支持する為。ヤイヴァ。……水分が含まれてるな。それに少し塩っ辛い。棘は塩の結晶に加え色々と金属成分を含んで、それが強度を上げてる要因になってんだろう」
剣へ変化したヤイヴァで蔓を斬り、断面に吸い付き唾と共に吐き出す。冷静で、淡々とした分析。何時もと変わりが無いよう振る舞っているだけのリオの態度に、ヤイヴァは直ぐ様人型へと戻り、繋がったままのだらりと下がるリオの手を振るが、意に介そうとしない。
「塩や諸々の金属が溶け込んだ水で成長しているってとこか。黒三日月の親戚みたいなもんだな。ジャーダの話だと、アズール石は海の鉱石の可能性があんだっけか。案外、なんか関わりを持ってるかもな……」
そのまま無言になり、蔓が這う先の暗闇へと足を進めた。スコールも沈黙を保ったままリオの後に続き、更にアリンが二人の元へと駆けていった。
その場に残された者達は半分が安堵、半分が憂慮の面持ちで遠ざかるリオの背を見送り、ティアの大きな溜息によって張り詰めた空気は弛緩した。
「かなり、酷くなってるわね」
「煌霧の森で修行を始めたころから、ね。自覚はあるみたいだけど」
「……だから甘ちゃん野郎が、つってんだよ」
元々彼らはリオが時折おかしな様相をちらつかせていたことに気が付いていた。子供のようでいて大人でなく、大人のようでいて子供でなく。冷静で在りながら柔軟で、飛びぬけていながら慎重なリオの行動が、少しずつ、少しずつ歪んでいたことに。それを最近リオ自身が自覚したことも当然彼らは察していたが、ただ静観を続け、歪みが解決することを待っていた。
しかし日を重ねるごとに歪みは顕著となる。判断を仲間に委ねることが多くなり、後ろで傍観することが増え、旺盛なはずの好奇心は必要とされるものにのみ向けられ、自由と穏やかな時の流れを好む彼が、自らを拘束するかのように町に身を潜める。ヴァンが次の目的地を決める際話し合うも淡々と作業的で、安全や効率を優先するかのような意見ばかりを漏らしたりと、リオ本来の破天荒な性格からかなり剥離していた。
「おかしいわ……おかしいわ、あんなの。有り得ない……」
水人族は命の流れ、生命の源である魔力の流れを読み取る力を持つ。ジャーダも当然、その力を生まれ持っており、だからこそ、大きく歪みリオの意識から乖離した破力が世界から逸脱した力であり、それを体内に巡らせるリオが、如何に生命としてあり得てはならない存在なのかをはっきりと見てしまった。
「この世で生きてるならどんな人だって必ず魔力があるはずなの。それが体の中を巡って、わたしたちの命を繋いでる。ずっとずっと、この世界が生まれた時から、人と世界は密接な関係にあって、それなのに……
「まるで、何だ? 何だっていいだろ」
その先をヤイヴァは続けさせなかった。それはジャーダの推察を遮る為ではなく、一蹴するものである。
「自分が何者かなんてどうでもいいんだよ。オレ達はやりたいようにやってきた。これまでも、これからも。リオが常々言ってんだろ。自分の心が出した答えに従えってよ。そんなの決められんのは自分だけだ。オレ達はアスタリスク。だが所詮一個人の集まりに過ぎねぇ。だけどな……今のあいつは、甘えてんだよ。アスタリスクにな。泥一つ無い単純で綺麗な、理想のオレ達ってやつに。アスタリスクの答えは、リオの答えじゃねぇってのによ」
リオと同じ本質を持つヤイヴァだからこそ気付いていた。リオの矛盾する感情。判断を放棄し目を背け続けているものがあることに。
洞窟を潜り始めたころとは打って変わり、複雑な緊張感を保ったまま鉄蔓を辿る一行。途中、幾度と
しかし、唯一人は思考の海に沈み込み周囲の声を完全に遮断し、もう一人は目的である石に注力しているのか、無言を貫き先導を続ける。
「……行き止まりだね」
「先に道は続いてるぞー」
「迂回するか、この鉄蔓を斬って進むかのどちらかですね」
「オレぶった斬るに一票」
「さっきと違って蔓が太いし刃が欠けちゃうんじゃない?」
障害に当たり各々意見を述べ合う中にあっても、彼は口は閉ざすままである。そんなリオに彼の仲間達はそれをどうすることもせず、いつもの様に和やかな態度を崩さない。リオの力に畏怖し体をこわばらせていたジャーダ達も、アスタリスクの朗らかな様子に緊張は徐々に弛緩していった。
ただ一人、クラウはリオという存在の大きさ。そして周囲に与える影響の大きさが計り知れないことを再認識していた。幼き頃はあちこちの盗賊頭目の下で働き他者を化かし合いながら育ち、今では町一つを統治する彼女は、統治者に必要な素養や能力を身をもって知っている。であるからこそ、他者を見ればそれに値するか否か判断出来る慧眼は、リオが唯の魔人族で無い事を見抜いていた。
「……各層の間隔が狭い。なのにこれだけ彼方此方掘り進めておいて落盤や沈下した様子がない。壁面を這う鉄蔓が洞窟全体を支えていると考えられる。むやみやたらに鉄蔓を斬らない方がいい」
暫く立ち往生にあったが、突然口を開いたリオの意見に満場一致し、彼らは迂回路を探し来た道を引き返した。有無を言わせない的確で確信を抱かせる説得力。周囲の僅かな情報から複雑に絡み合う要因を読み取る洞察力。人の心身を読み取り納得させる声音に裏打ちされた、彼のこれまでの軌跡。それを紐解かずとも、彼が何者なのかをクラウの部下は漏らしていた。王子のようであると。つまり、リオは王家に連なる血筋を持つ者であると。そしておそらくそれは真実であろう。何故なら“自分と同じ人の上に立つ気を感じさせる”と、自らの思い出したくもない生い立ちをなぞりながら、冒険者へと身を落としたリオの心中を量った。
「ダーリンは……自分自身のこと、どう想ってるのかね……」
「どうした、ボス」
「いや、ね……ダーリンってさ、見た目も頭も抜群で、隠してるけど多分良いとこ出の、所謂完璧な人だと思ってたらさ、あれじゃない?」
「ああ、そういうことか。確かに、色々と抱えていることが多いようだ。あれで齢十五だというのだからな。最初に聞かされた時は心底驚いたぞ」
「アタイもさ。まさか年下の男の子好きになっちまうなんてね。物言いといい物腰といい、とても年齢通りの精神してるとは考えられないよ」
「そういやどこかの誰かさんも、似たようなものだったな」
十五年前、荒くれ集団の首魁の首を刎ね、クラウは雷花団を組織した。当時の彼女は十を行ったばかりであり、男達の見下す視線、絡みつく卑しい欲情は当然耐え難いものであった。それらを押し切り撥ね退け、全員を屈服させたクラウの手腕。慰み者として虐待を受けていたアナベラが、クラウが自分よりも年下だと知ったのは、救いの手を伸ばされてから数年も後の事であった。
「止めろって。あの頃はああするしか、生きてく方法が無かっただけさ。ただただがむしゃらだったんだよ。正しく生きよう。人の為になることしようって。だから、今のダーリンも同じかなってさ。ダーリンにもダーリンなりの理想があって、きっとその理想ってのはアスタリスクのことであって、でも変えられない部分もある。何でも出来ちまうダーリンだからこそ、その変えられない部分に頭悩ませてんだろうな、ってさ。それが多分、あの力のことなんじゃないかと思う訳よ」
「ああ。……先程見せたのは表層だけだったろうが、それでもかなりの恐ろしさを感じた。あんな力が私に流れていると思うと……もう、雷花団には居られないだろうな」
「でも逃げたところで消せやしない。アタイも一緒さ。物を盗んだ。人を謀った。殺した。理由なんか単純で、頭悩ませたって仕方ないけど……それでも、時々後悔しちまうのさ。自分の嫌なとこなんて受け入れたくないけど、受け入れなくちゃなんない。その時のアタイがいたから、今のアタイがいるんだからね」
「どういうことだい? こんなに深く潜ったのに、遠ざかってるって」
「鉄蔓が徐々に細くなっているんです。アリンの言う通りなら、鉄蔓が細い、若い蔓の周辺は掘りつくされた後の古い採掘跡で、逆に太い蔓周辺は新しい方の採掘跡となってるのが窺えます」
「おー……そうなのかー?」
「アタシには全部一緒に見えるけど、ヴァンがそう言うんならそうなんでしょ」
不安。特定の対象を持たない恐れという情動。大勢の人は敵意や殺意を感じるとまず恐怖という情動を抱く。しかしこれは対象がはっきりとしてる上に、俺の場合は高揚感が芽生える。一般的な感情論から逸脱している以上、万人の意見記録は参考にならない。
「先程、最下層と思わしき場所の壁面を調査したんですが、異常に固い岩盤が地中を広がっていると確認できました。それが殻のように、何かを覆っています。昔の人達はこの岩盤を砕くだけの技術は持っていなかったようですね」
「んでこの鉄蔓を追っかけて掘ることに注力したって訳、か……。ん? アズール石が目的じゃねぇのか?」
しかしこうして不安と言い表せる感情があるのは間違いが無い。不安とは恐れ……未知への恐れ。死への恐れ。喪失、失墜、亡失、遺失……どれも違う。俺という自己の存在が脅かされることに関しての恐れ……それは寧ろ歓待出来る。俺の心を脅かしてくれる程の存在感を……そもそも俺とは何だ? 俺は俺だと強く言い張っておきながら、じゃあ説明出来んのかと問われたのなら。
「最初は下に向かって掘り進めて、でも固い岩盤に遮られたから蔓を追ってって……岩盤の内側にある何かが目的で? どうやったかは分からないけど、鉄蔓が岩盤を貫いているのを知って?」
「アズール石を採掘する目的とは別の思惑が絡んでる、ってことかい。あーあ。アタイ、なーんかキナ臭ささ感じてきたんだけど気のせいかい?」
俺の生前は鳴世遊慈。幼少期に両親を亡くし、達観と諦観を持ち合わせた思考を持ち、それらを否定、もしくは埋めるために常軌から外れる行動を取る、若しくは求める一種の境界性人格障害者。死後リオスクンドゥムとして再生し、生前と変わらぬ奇行を取る……って、これは記憶をなぞってるだけだ。
「表向きは唯の経済活動に見せかけて、裏で何かごそごそやってるってこったろ? その辺の事調べてねぇのかよ」
「もちろん。リオと一緒に町に残された古本全部漁ったよ。このアズール石の採掘に莫大な投資が行われていたのは、当時の記録からみて間違いないんだ。それで、その中に二つのとある大きな商会が絡んでいるんだけど、この二つ商会、敵国関係にある国同士それぞれのお抱え商会で、非常に仲が悪かったんだって。でもこの二つの商会、何故かこの採掘事業だけは綺麗に折半して仲違いすることなく資金援助してたらしいんだよ。お互いの利益が一致したんじゃないの? ってリオに聞いたら、『アズール石の採掘量は少ない。他にめぼしい天然資源がある訳でも無い。アズール周辺を自国領土だと主張する領主が他国のゴタゴタを持ち込まれるのにいい顔をする訳がないし吹っ掛けたはず。互いに割に合わない赤字投資だったに違いない』って」
「ああもうっ、そういう頭痛くなる話は飛ばして! ようするにっ、誰がっ、どこでっ、何をしてたのっ?」
「お願いだからちょっとは勉強してね、ティア。……国を簡単に動かせるほどの大きな組織が、自分たちにとって途轍もなく重要なものがこの先にある事を知って、それを商会を通して探ってたんじゃってこと」
まさかアイデンティティクライシスをこんな年になって経験することになるとは。いや、今の肉体年齢から考えればちょうど今に当たる時期か。
……もし“そう”だとしたなら、益々俺という存在が曖昧になっちまうな。
「それがアズール石以上に価値あるってんなら、貰ってやってもいいけどね。まだ残ってんなら、の話だけどさ」
「噴火で生き埋めになった運の悪い連中もいるし、作業続けてたっぽいからまだあんだろ」
「ヤイヴァ、お亡くなりになった方の遺骨でお手玉をするのは不謹慎です」
「うきゃああっ!? 何やってんのよ!! 祟られたりでもしたらどうすんのよ!!」
「ヤイヴァ、死者のもたらす呪いは洒落にならない。ものによっては上位浄化魔法でも祓えない種類もある。すぐ捨ててくれ」
転生者という世の理を外れた異物。魔人族でなく。森人族でもなく。この世界で誰もが持つ魔力すらない。リオスクンドゥムという肉塊にへばりつく記憶は、ただの経験の蓄積であって、何の答えももたらさない。今の俺に残るのは……破力だけだ。
……破力?
「まったくもう……それで? 鉄蔓が太くなってく方を辿るのはいいとして。スコールはどこ目指してるのよ」
「もうずっと歩き詰めですし、そろそろ休憩を設けませんか?」
「そうだぞー。オイラもうずっと洞窟の中で息苦しく……お? 止まったぞー。お休みかー?」
そもそも破力とは?
命の様に必要で、しかし命を否定する。まるで……
「……リオ」
何だ。今もう少しで……これは、何故この付近だけ鉄蔓が避けている? 岩肌の感触も、どこか他と違う。
「ちょっと見せて下さい。……巧妙に隠されてますけど、扉のようです」
「おおー。隠し扉ってやつかー?」
「リオ」
何だよ、そう何度も呼ばなくたって。って、俺を見てねえし。あーっと? これが扉だって? んじゃ向こう側に……向こう側に、何がある? 扉の向こうを見つめ、何故俺の名を呼ぶ? 確か、前にもこんなことがあった。あのときゃヤイヴァがいて、スコールが誤認するほど似通う部分があって、生意気なとこが特に俺に似てるらしくて。
今度は何だ? また俺にそっくりさんが現れんのか? 不安の源がここから湧き出ているとでも言うのか? 上等だ。何が来ても受け入れてやるよ。
「あわわわわわわわわーっ!!?」
「リ、リオっ! 破力が!! もっと抑えて!!」
んな事言われても制御出来ねえよ。でもほら、いつぞやみてえに波紋が一瞬で出来たし。さてさて、鬼が出るか蛇が出るか。ご対面といきましょうかね。
地下深くに隠されていたその場所は、明らかに人為的に造られた空間であった。床一面を白い砂が底床として覆い、円錐状の高き天井中心で巨大な花が花弁を群青色に輝かせ、部屋を明るくも水底にあるかのように演出している。花を支えるシャンデリアのような茎からは鉄蔓が伸び、それらがまるで銀の絵具となり天上から床までの壁面に大小種類様々な回遊魚達を描いていた。
海底から天を仰いだらこんな感じだろうかと、この疑似水族館のような芸術劇場。主演を務めるのは三体。天井にまで届きそうな巨体。金属光沢を持った肉体は鉱石に覆われた天然の鎧。俺達を見下ろし、プレス機のような足を一歩踏みしめると部屋全体が揺れた。
「『宝石に魅了された欲深き者共は、蒼鉱窟最深部を彷徨う暴虐の前に平伏した。』本にあったあれ、
「お? この砂みてえなの全部砕けた骨っぽいぞ」
「おい! 何をしている!? 早くこの場から逃げなくては!」
「逃げる? 何言ってんのよ。折角こんな大物の
「何言ってるのは貴方の方でしょ!? あれは
「入口閉めたら開かなくなっちゃいました」
「こんな所で律儀に戸締りする必要無いと思うぞーっ!?」
「アタイにもとうとう年貢の納め時がやってきちゃったか~」
「リオ」
そう、
……そう、だったのか。いや、心のどこかで、そうじゃないかって、時折ふっと思っていたんだ。どうして今まで、目を背け続けていたのだろうか。
「リオ、もういい。我慢しなくていい」
我慢? そうか。俺は、我慢してたのか。スコールは聞いたんだ。俺の心の声を。仲間の為と口にして、仲間の為に抑えたこの力の感情を。
「思う存分、“殺していいよ”」
歓喜に震える破力。いや違う。震えているのは、俺の心だ。いつ以来だろう。こんなにも血が沸き立つのは。
破力は、俺の命。俺の意思。俺そのものだったんだ。
自然と足が
「クックック……悪いな、お前ら。やっぱ俺は、人として失格のようだ」
これから“堕ちる”前に、
本当に、心の底から愛してるぜ、この馬鹿共が。
もし自身の目前に死が迫ったとしたのなら、生物としてどのような感情を抱くであろうか。後悔、絶望、悲哀といった負の感情に襲われ、ただひたすらに泣き叫ぶ者。落胆や覚悟と半ば諦めの境地に達する者もいるであろうし、自身を害そうとするものに怒り抵抗する強者も、少なからず存在するだろう。
しかし、今現在アズールの地下深くでその激流の如き衝動を余すことなく爆発させ、目先の欲につられる愚者のようでいながら、如何様にして扱うかと熟慮する賢者のように、まさしく狂人の笑みを静かにたえる者がここにいた。彼は壊れているのではない。歩んできた経験が育んだものでもない。彼は生まれながらにして、破壊者であった。
世の人々から絶対的に逸脱した力は、彼の世に対する願望と渇望を埋め尽くせんとする情動と、この上ない同調を果たした。彼の欲に力は答え、なすがままに、なされるがままにその猛威を奮う。
しかし彼はその世界から忌避されるべき力を否定していなかったが、同時に肯定もしていなかった。全ては、彼がアスタリスクという家族を手に入れたことが原因である。
彼は家族の在り方というものを知らない。生前の幼少期に失ったまま、義理の両親にも、新たな両親にも愛情を求めず、与えられたことはあっても、それを喜んだ事は一度として無かった。
支え合い生きて行くことこそ人のカタチ。だが彼は全て自分の中で自己完結させる。他者を、仲間を支える事。家族ならば当然だと口にしながらも、支えられる事は望んでいなかった。
孤独であっても困難に打ち勝つだけの力が彼にはある、のではなく、その力は彼の欲望であり、逆境や困難こそ心の奥底から望む状況であって、彼が彼である為に必要としていた。だがその状況は当然、共にいる家族に、アスタリスクにも降りかかる。彼の家族達はみるみるうちに力をつけ、恐怖に抗い困難に立ち向かう力を身に付けた。彼がその事を心の底から喜んでいたのは間違いが無く、だが彼の力は段々と行き場を失う。手を取り合い、共に同じ景色を見ようという決意は彼を歪ませた。将来手に入れる輝かしい光景を、自身の力が犯してしまうのではと恐れてしまった。
彼の力、破力は行き場を求め暴れ始めた。表に出させじと彼は抑え込んだ。それは彼の本質を抑え込むと同義であり、更に仲間の為にと正しく生きようとする行為が、歪みに拍車を掛ける。仲間と共にと願った彼は、とうとう破力を悪しきものだと判断を下した。何故ならその力は、世界から忌み嫌われ、絶対的な害悪として蔓延るあの存在達と、全く同種のものであったからである。
否定はしない。しかし認められもしない。自らの本質を曖昧な場所へ立たせた彼が、不安を抱くのも当然である。その場所は欲を満たせる場所でもなく、望みを叶えられる場所でもない。
その事に気付いた彼が、如何ような判断を下すのか。どちらを選ぶと浮かぶ天秤を、彼は笑いながら踏み砕いた。
そう、彼ならば決まっている。決まり切っているのである。どちらかをではない。これから起こり得る全てにおいて、全てを望み、全てを願い、全てに期待すると。
この世の全てに意味があるのだから。
煌びやかで、威裂でいて、誰もを魅了する宝石のような紅の髪が、どす黒い感情と混ざり合い、今の彼の意思を顕現させるかのように赤黒く染め上げられる。
耳を劈く不快な音が鳴り響き、三千世界を飲み込まんと衣を穿き内へ内へと喰い込まれる。胸部に空いた大きな
太陽が照らす世と月が照らす世の狭間を映す瞳。その中心に起つ異界の黒き太陽は全てを斬り裂かんと真っ直ぐ殺意を振り下ろし、世界に死の境界を作り出す。
世界の異形。人種の異形。生命の異形。
今ここに、全てにおいて混沌に満ちた
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