第03話 『Don't Hold Out(On Me)』

 三日前の凄まじい高熱と倦怠感は、まるで夢だったかのように翌日にはきれいさっぱり無くなり、今日も実にすがすがしい気分で目覚める事ができた。一過性か、慢性的な病か。あるいは風疹、水疱瘡のように、子供にかかるこの世界特有の病かは判断がつかない。

 まぁ、例え命に関わるような病だったとしても、他人を慮って生きながらえたいとは思わないけどな。あの時終わった筈の人生が、幸か不幸か自然の摂理を捻じ曲げて存続しているのだ。今更どうなったってかまいやしない。


「いかがいたしましたかリオ様。こちらの本はお気に召されませんでしたか?」


「ううん。今日はいい天気だし、外で日向ぼっこでもしたら気持ちいいんだろうな~って」


「そうでしたか。しかし、先日リオ様が体調を崩されたことをグラウィス様もレティシア様も大変気に病んでおられます。暫くはお部屋でゆっくりと療養なさってください」


「わかったよ」


 気になるのがこの状況。俺の周りの連中の態度だ。意識が戻った際に顔が合った親父とお袋は、俺の様子を見て安堵してはいたが、悲しみが混じったなんとも複雑そうな顔をしていた。あれはフィロメナの言ったように、体調を崩した俺を労わっているような表情ではないように思える。まるで、なにか期待していたものが手に入らなくなってしまった時のような、落胆や喪失感に近いものを感じる。

 二人だけではなくミランダ達も微妙によそよそしい。蒼天の空は大窓いっぱいに広がり、暖かい光が部屋を照らして実に良い陽気だというのに、どことなく張り詰めたような居心地の悪い空気が漂っている。それが三日も続いているのだ。鬱陶しくてしょうがない。

 思えば、体調を崩したのだから安静にしろ、と言い張るには妙な点がいくつもある。俺が倒れた際、医者らしきものに掛かった様子は無いようだし、療養中だと言うなら経過観察の為に診療ぐらいするだろうに。外に出たいと主張すれば部屋に籠ってろと言う。感染症が原因で隔離している、とは何時もの様に俺を世話する使用人達の接触量からは考えにくい。

 現状把握できるのが、皆俺に言い出せないような隠し事をしている。俺を部屋に閉じ込めなくてはならない理由がある。フィロメナがどうも何かを警戒しているようにも見えるので、第三者の介入や侵入を恐れている。ぐらいだが……結局のところ憶測の域を出ないし、考えるだけ無駄か。


 いい加減、この生活にも飽き飽きしてきたところだ。そろそろ我慢の限界だし、暴れさせて貰おう。





 第03話 『Don't Hold Out(On Me)』





 フィロメナ・ベレンセはリオの専属使用人の一人である。彼女もまた他の使用人達と同じように魔人族を敬愛し、使用人長第二補佐として長く仕えている。つまり彼女は王族への奉仕者として、かなりの経験値を積んだ玄人である。

 だが、急ぎ足で不自然にならない程度に廊下を歩んでいるつもりの彼女の足運びには若干の焦りが隠せておらず、表情は固い。遅めの昼食をかき込んで早々にリオの元へ戻るフィロメナは、今の時間だとリオの傍に控えているのがミランダだけ、ということに不安を抱いていた。

 城には“不穏な噂”が拡がっている。それはリオに関わる噂であり、リオの倒れたその後を気にする者達の懐疑感の表れでもある。

 リオの身に何が起こったのかは城の全ての者が周知しているのだが、“結果”に関しては一部上層の者だけが知り、広報されていない。箝口令を布いている訳ではないのだが、それも前例が無いだけに、どう対処するか上役の者たちが頭を悩ませているからだった。

 いずれにせよ公のものとなるのは避けられないのだが、フィロメナは少しでもリオの傍に長く控え、不安要素を近づけさせないようにと気を張っているのだった。

 呼吸を整え、部屋の前まで近づいたところでフィロメナは異変を感じた。扉から隙間風が吹いていた。


「リオ様、失礼致します」


 専属とはいえ王族の住む部屋の扉を叩かず入室するのはご法度だが、今は別だとフィロメナは扉を開け放つ。案の定、清掃時以外開放厳禁である大窓が全開になり、朱色の長い窓掛けがたなびいている。バラバラに散らばった本の山。半刻前、フィロメナが食事休憩を取りに部屋を出る直前に見たリオが読んでいた本が、無造作に投げ置かれ、中の用紙が折れ曲がってしまっている。


「……リオ様? ミランダ?」


 呼びかけても二人の姿が出てくる様子は無い。彼女の背中を冷や汗が伝う。視線を巡らせると、リオが羽織っていた厚手の上着が見つかる。慌てて拾い上げ広げると、肩口から背中辺りにかけて裂けていた。考える事すら憚れる最悪の想定が、徐々に現実の物となるにつれてフィロメナの足下は覚束なくなり、昏倒しそうになったが強引に踏み留まった。とにかく長に報告しすぐさま捜索隊をださなければと、フィロメナは扉を壊さんばかりの勢いで廊下に飛び出した。


(今は一瞬の時すら惜しい。蟻一匹の情報も逃さない!)


 無意識に彼女の内からは“魔力”が溢れだし、それは変質して彼女の周囲をバチバチと音をたてて駆け巡る。感覚を極限まで研ぎ澄ませ鋭敏になった彼女の耳が拾ったのは……鼻歌だった。一大事だ天変地異だこの世の終わりだというこんな時に、鼻歌なぞ歌う愚者が居やがると彼女が怒りの視線を向けると、こちらに駆けて来るのは、本来ならこの時間リオの世話をしている筈のミランダ。両腕に重そうな本を大量に抱え、笑顔をほころばせている。傍にリオがいるようにも見えない。それは、ミランダはリオを一人きりにしてしまい、絶対に起こしてはならない事態が発生してしまったということだった。フィロメナの怒りは沸点を振り切り、他階に響く程の大声と共に爆発した。


「ミランダ!! リオ様がお部屋の何処にもいらっしゃらないわ!! 一体どういこと!? あれ程リオ様の傍から離れないようにと言ったじゃない!!」


 フィロメナの凄まじい怒号にミランダは全身の毛を逆立て驚き本を滑り落としたが、『リオ様がいない』という言葉に何よりも反応し、すぐさまリオの部屋へ飛び込んだ。彼女が部屋を出る前は寝台に寄りかかり本を読んでいた筈のリオの姿はどこにも無く、無造作に開かれた本だけが残っていた。大混乱しつつも一先ず居なくなったリオの“力を探知”しようと尾に意識を集中させたが、彼女が望んだ反応は帰ってこなかった。困惑と疑問がミランダの思考を掻き乱し、大慌てで廊下に飛び出し駆けだそうとした瞬間、最近城に流れているリオの噂に思い至り、悟った。王子の傍を離れてはならないという命令は、こういった場合の対処が非常に困難であるからだということに気付いたからだった。ミランダは放心し膝を付く。それは自らの失態を嘆いているのではなく、リオが今まさに危険にさらされているということに恐怖したからだった。


「私は、私はただ、せめて、リオ様のお気を軽くできればと……」


「言い訳は後にしなさい!」


 わなわなと声を震わせ、懺悔するかのように虚空へ向けて呟くミランダに見かねたフィロメナは、両頬を挟むように叩き、怒声を叩きつける。


「何の為に私たちがリオ様のお側にいるのかあなたちゃんと理解してるの!? 自身を犠牲にしてでも御守りするためにいるの! 昨日今日だけじゃない、いついかなる時もよ! 今もそれは変わらない! 呆けていないで立ちなさい!」


 フィロメナの一声一声に呼応するようにバチバチバチバチと周囲に閃光が走る。周囲の壁や床に焼き痕が付きそうなほどに迸るそれは、突如急接近してきた影に呑まれ消えた。それに気づいたフィロメナが顔を上げると、そこに立っていたのは赤い短髪に切れ長の赤眼、フィロメナ達と同じ使用人服を纏った、小柄な魔人族の女性。ミランダやフィロメナよりも明らかに年若く見え、ともすれば少女にも見えなくはないその女性は、見た目通りの年齢をしていない。長きに渡りこの城を裏手から守り続けてきた使用人たちの長、アローネ・サフィアイナだった。


「王族の住まう廊下で騒ぎを起こすとは何事です」


 淡々と告げるアローネの言葉は、抑揚はなくとも静かに憤りが伝わってくる。城の規律、風紀、安寧を乱すことは、もはや城の一部と言っても過言ではないアローネの怒りを買うことと同等である。発見された時点ですぐさま粛清されてもおかしくないのだが、力を放出した人物が長く務め技術も腕も確かなフィロメナであり、ミランダの様相がおかしいことに気付いたアローネは事情聴取を優先した。


「リオ様のお姿が見あたりません。行方不明です。窓から何者かが侵入し連れ去ったと思われますが痕跡が無く、発見にも至っていません」


 フィロメナは今現在分かっている情報だけを端的にアローネに伝え、手に持つ裂けたリオの上着を見せた。明らかに異常事態、それも重度の事件にアローネは眉を顰めた。こうならない為にも保険として通行経路、他外構周辺を密かに増員していたのだが、疑わしき報告は挙がってきてきていない。しかも城全体を把握できるフィロメナとミランダの探知に掛からないということは、リオを連れ去った者は、フィロメナ以上の実力者か、内部の者の犯行。既に範囲外へ脱出し更に捜索困難な状況に陥っている可能性も考えられた。


「ちょっとフィロメナ。アンタの魔力、城中に響いてたわよ。一体どうしたの?」


「穏やかではないですね。何があったのですって、それ、リオ様の……」


 フィロメナら以外の王族専務使用人まで集まり、廊下は騒然となった。ここだけではなく下階でも力に鋭敏な者は警戒したり訝しく感じたりしているだろう。もはや形振りを構っていられないとアローネは右手を低く掲げ、騒めく使用人達を黙らせる。


「よいですか皆さん。落ち着いて聞きなさい。リオ様が何者か誘拐されたようです。早急に捜索をすべきなのは無論ですが、大きな問題があります。件の噂は貴方たちも聞き及んでるかと思いますが、それは事実です」


 アローネは一呼吸おいてから全員を一瞥し、城に広がる動揺と噂が虚言ではないことを確認させた。ミランダはさらに消沈し、他の使用人達も顔には出さなかったが、内心複雑な感情を抱いているのだった。しかしミランダは若輩のせいか、自身を制することが出来ず、その胸中に重く疼いていた言葉を吐露してしまった。


「なら……なら本当なんですか? “リオ様には魔力が宿っていない”というのは、本当なんですか!?」


 その言葉には深い悲しみが込められていた。敬愛するリオが、余りにも深い業を背負わなけらばならないという事実に、ミランダは堪えることが出来なかった。しかし悲しんでいる場合では無いのだと、アローネが捜索命令を出そうとしたその時、聞こえない筈の声がその場にいる全員の鼓膜を揺らした。


「なるほどね。何を隠してたかと思えばそういうことだったのか」


「っ! リオ様!?」


 なんと、誘拐されたと思われていた本人が、すぐ隣の部屋の扉に腕を組んで寄りかかっていたのだ。外傷も無く落ち着いている様子に、アローネはしてやられたと目を閉じこめかみを押さえた。


「リオ様……? リオ様ーーー!! ご無事でいらっしゃいましたかああふええええん!!」


 リオの大事無い姿に安堵したミランダは、リオに泣き顔で駆け寄り傅いて頭を下げる。他の使用人たちは、リオの言葉に騒動の原因が含まれていることに気付き驚いた。老年の翁のように落ち着き払い、悪戯もせず毎日大人しく過ごしていたリオがこのような騒ぎを意図的に起こすとは思いもしなかったからだった。


「ミランダ、抱っこ」


「グス、グス……え、抱っこですか!? は、はいっ!」


 フィロメナがリオの部屋へ戻る十分程前……







 太陽が中天にさしかかる。使用人達は減り、俺の食事を用意するために更に減ってミランダと二人きりになった。チャンス到来。ここでミランダを引き剥せば俺は一人だ。


「退屈だな。ねえミランダ、今日もずっと部屋にいなくちゃいけないなら、せめてもっとおもしろい本が読みたいな」


「うぅ、今こちらに置いてある本ではご不満ですか?」


 俺の背丈でも届くようにわざわざ作ってもらった背の低い本棚にはみっちり。学術書や歴史書、フィクションノンフィクションとジャンルを問わない本が所狭しと並べられている。流石に専門用語とかは完全習得した訳ではないので読破できていないものもあるが。


「ううん。でも全部読んだから飽きちゃった。お願い、ミランダ」


 母性本能をくすぐる悲し気な表情と、スクラロースより甘い美声でミランダを攻撃する。俺に対する負い目があるのなら相乗効果も狙える。特にミランダは俺に入れ込んでいるし。


「わ、わわ分かりました! 待ってて下さい! リオ様の為に直ぐにお持ちいたします!」


 効果てきめんだったようで、素早く一礼すると目にも止まらぬ速さで部屋を出て行った。ちょろい。

 さてさて、これで俺が身を隠せば一部の連中はパニックになる筈だ。その度合いで俺の状態の深刻さも判断できるだろうし、俺への隠し事を漏らす奴も出てくるかもしれん。何も掴めなくても、これから騒ぎの原因の発端になるミランダにプレッシャーを掛けて強引に聞き出して……いや、俺を一人にしたということは、俺の鳥籠生活の理由を知らん可能性が高いな。抜け作だし、俺の言うこと何でも聞いちゃうミランダには教えて無いだろう。まあいいや、何とかなるさ。

 俺は窓の近くに予め大量に積んで置いた本を並べ替える。まずはアリバイ工作からだ。時間が無いのでさっとこなす。


 この部屋の大窓は上部にあるフランス落としを持ち上げることで開放できるようになっているのだが、高さ二メーダー半(約二メートル半)の高い位置にある。なので本を階段状に並べ、部屋の隅にミランダが置いていった箒を抱えて登る。んでこいつの柄で持ち上げて開錠完了。後は押し開くだけだが、こんな重たい硝子窓を今の俺の腕力で開けるのは不可能だ。俺は箒の腹を窓の両脇、カーテンを固定する無駄に大きな装飾に当て乗せ、柄の先端を窓の内側に当てがい、引っ張った。こうしてテコの原理を利用すれば非力な俺でも空けられる。然程苦労せず両窓を全開することが出来た。

 羽織っていた上着を脱ぐ。せなかに綺麗な鷲の絵が縫われた、部屋着用のシンプルなものだが、内布は絹の様に滑らかな肌触りで、気心地よさ抜群だ。が、俺は容赦なく犬歯で適当な所に穴を開け、壁面の装飾に引っ掛け気合と共に引っ張った。


「ファイッットオォォォッ!! イッッパアァァァツ!!」


 いくらするかも分からん高級上着は釦が弾け飛び、ビリビリと職人の真心籠った刺繍と共に大きく裂けた。いい破け具合だ。部屋の中心に放り投げておく。

 先ほどまで読んでいた本の表紙背表紙を持って開き、中身を下に向け、裂いた上着の隣に落とす。落ちた衝撃でぐしゃりと中が潰れた。更に積んで置いた本の山を蹴飛ばして崩す。

 入口に立ち、自作自演の部屋の惨状を眺めた。誰が見ても、俺の身に何かあったと思うことだろう。こんなもんでいいか。扉に近づきつま先立ちになればギリギリ届くドアノブに手を掛け、そっと開いて長い廊下を覗き見た。昼間だというのに燭台に火が灯されているが、お蔭で明るく見通しが良いので端から端まで誰もいないことがはっきり分かった。


 思えば城の周辺を(専属警護と)出かけたりしたことはあっても、一人で歩き回ったり特定の部屋内に入ったりしたことはない。偶の庭園での散歩も、お袋や使用人たちが粘着してて、文字通り箱入り息子状態だったからな。

 ……そういえば、一般的な王族とはこんなにも行動を制限された生活を送っているものなのだろうか。いや多少はあるだろうとは思うが、親父やお袋が普段どこにいて、何をしているのかすら把握出来ていない。四六時中使用人がべったり張り付いた、堅っ苦しい生活しか記憶にない。慣れたとはいえ俺の性に合わん。その辺りの事も含めて解決出来りゃ御の字だ。


 素早く廊下に身を躍らせ、直ぐ隣の部屋の扉まで静かに駆ける。目前の部屋は寝室なのか物置なのか……王族の住む部屋の直近を物置にする訳ないか。両開きの立派な扉だし。隙間に耳を押し当ててみたが、特に物音はしない。誰かいる様子はなさそうだ。また背伸びしてドアノブに手を掛けゆっくりと回す。扉に鍵は掛かっていなかった。

 中に入り目に飛び込んで来た光景は、理路整然からは程遠く、雑多に積まれた物々の山。よく分からん紫色のうねうねした陶芸や、どんな独自進化をしたのか、理解不能な群青色の葉を生やす植木鉢。何を素材にしているのか、刃の部分が半透明の金色のカッコいい剣が飾られていたりと、色々なモノでごった返している。やっぱり倉庫だったのかと思ったが、立派な照明に机、ベッドやエンドテーブルがあることから誰かしらの私室であることは間違いなかった。

 誰の部屋だろう……爺ちゃん、かな? いや間違いない、爺ちゃんの部屋だ。何となく確信できる。世界中を旅して手に入れた品がこれらなんだろう。爺ちゃんは脱走王として有名で、被害者の一人である親父はよく悪態をついていたが俺は大好きだ。世界各地の秘境に秘密、心躍る美しい光景に背筋が凍るような体験。爺ちゃんの冒険活劇は聞いていて全く飽きず、何度も好奇心を刺激されたな。ミランダ達のような獣人に、お袋のような森人。巨人に爬人に小人に竜人と、転生してから様々な亜人が存在しているということにも驚かされたが、もっと想像つかないようなモノがこの世界にはごまんとあると。

 城の外に拡がる世界に思いを馳せながら品々を見つめていると、一枚の大きな人物画が変なトーテムポール(のようなもの)に隠れるように飾られているのが目に入った。髭の生えていない爺ちゃんの若いころと思われる人物が、椅子に座る女性の肩に手を添えている。女性はアローネお姉ちゃんをもっと優しく柔らかくしたような綺麗な魔人で、胸に赤髪赤眼の、おそらく赤ん坊のころの親父を抱いて笑っている。爺ちゃんの家族絵だった。


 ……家族か。今の両親、魔人の親父に森人のお袋。確かに俺の家族なのだろうが、俺にはどこか他人のように感じてしまうのは何故だろう。知らず内に、引き継いだ前世の記憶が、俺の心をくすぶらせているのだろうか。それはあるかも知れない。第二の人生を謳歌はしたいが、同時に自分の命を軽く見ているのは確かだ。


「異世界流離う霊魂に、諸行無常の響き在りってな……ぅおう! って何だ、ただの美少年か」


 絵から目を離し、ふと視界の端に人影が見えてちょっぴり驚いたが、よく見ると大きな姿鏡だった。写っていたのは俺だ。なんだかんだあったが、こうして新しい自分の姿をまじまじと見るのは初めてだったな。

 親父と同じ燃えるような魔人特有の紅蓮の髪。お袋譲りだが少し控えめの尖った耳。顔の輪郭や作りはお袋似で、目もとだけは親父寄りか。瞳はどういう遺伝子のからくりかは知らんが、魔人の赤い瞳でもなく、森人の青い瞳でもなく、紫色の中二病全開の色をしている。美男美女から生まれた俺も良いところをしっかり受け継ぎ、立派な美男子に誕生(転生)したようだ。絶対順守の催眠術を掛ける某王子のように色々と気障っぽいポーズをとってみた。催眠術なんぞ掛けなくとも、この甘いマスクだけでドンファンも真っ青のプレイボーイになれるな。俺次第だけど。

 後は歯の数を数えたり、肌のきめ細かさを称賛したり、つむじの位置を確かめたりと下らない事をして時間を潰していると、廊下から騒ぎ声が聞こえてきた。思っていたより早かったな。扉の隙間から様子を観察すると、見知った使用人達が全員集合していた。メイド長であるアローネお姉ちゃんの姿も見える(爺ちゃんの嫁の妹なので正しくは大おばちゃん)。失踪一割、誘拐九割のどちらかで判断するだろうと目論でいたが、誘拐と即断したようだ。周囲の簡易捜索も行わずに断定するってことは、それだけ警戒網広げていたのかね。


『……件の噂は貴方たちも聞き及んでるかと思いますが、それは事実です』


 お? 噂とな? 俺の耳に入ってこないってことは、やっぱ意図的に隠してたんだな。


『……なら本当なんですか? リオ様には魔力が宿っていないというのは……』


 ……。魔力を持たない、ね。そりゃ容易に話す訳にはいかないわな。下手すると王族、いや魔人族の沽券に関わる。俺は聞き耳を立てるのを止め廊下に出た。





「なるほどね。何を隠してたかと思えばそういうことだったのか」


「っ!! リオ様!?」


 フィロメナが驚いた声を上げ、全員の視線が俺に向いた。アローネお姉ちゃんはこめかみを押さえている。ごめんちゃいね。


「リオ様……? リオ様ーーー!! ご無事でいらっしゃいましたかああふええええん!!」


 ミランダが俊足で駆け寄って俺の足元に土下座した。今回の件で一番の貧乏くじ引かされたことには気付いているのかな?


「ミランダ、抱っこ」


「グス、グス……え、抱っこ!? は、はいっ!」


 取り敢えず俺を抱かせて、ミランダに対する追及の防壁になり、彼女に罪は無いということを周囲にアピールする。いやホントは俺から目を離したんだから処罰の対象なんだけど、ミランダの性格を利用してる俺が悪質だからな。これぐらいはフォローしないと。


「僕が居なくなった時の皆の反応を見て、僕の身に何が起こったのかを知ろうとしたんだ。三日前の事が原因だとは思ってはいたけど、間違いなかったね」


 俺の言葉にメイド達は少しバツの悪そうな顔をし、アローネお姉ちゃんは眉をほんのちょっぴり曲げ、俺を非難してきた。


「リオ様……その、我々に非があることは重々承知していますが、お戯れが過ぎます」


「そういう物言いをするってことは、今回の件、僕の“異常”が特殊すぎて持て余していたってことだろ? アローネお姉ちゃん」


「それは……」


 不動天秤と呼ばれるお姉ちゃんが言葉を詰まらせるとは珍しい。それだけ皆にとってショッキングな事件だということだ。当事者である俺に話せない程に。逆に言えば、俺はかなり期待されていたのだろう。だが事が事だけに、難しい判断を迫られたはずだ。


「そう、僕を生かして利用するか。明るみになる前に早々に処分するか……」


「リオ様!! そのようなお言葉は王族の御方々に忠誠を尽くす私どもには些か冷厳が過ぎますっ!!」


 アローネお姉ちゃんが激高する。とんでもなく心外だと言わんばかりの表情だ。普段包帯少女のように沈着淡々としてるお姉ちゃんが、ここまでとはね。確かにちょいと言い過ぎたか。ミランダは瞳を震わせ大きな雫を垂らし、俺を抱く力を強めた。ホント、皆忠誠心が高いねぇ。


『アローネの言う通りだリオ。あんまり皆を虐めないでくれ』


「「「「「!!」」」」」


 突如親父の声が何処からともなく響き、アローネ達は背筋を正した。周囲を見渡し、近くの燭台に目が留まるとそちらへ体を向けピタリと動かなくなる。同じく姿勢を正したミランダに抱えられたまま俺も燭台を見ると、三本ある蝋に灯る真ん中の火が他より微妙に色濃く、揺れが不自然だ。親父の野郎、監視カメラみたいな魔法使って俺をずっと観察してたな?


『リオ、聡いお前のことだから薄々感付いているのではと思っていたが、確証に変える為に行動に移すとまでは考えが及ばなかった。まず最初に謝らせてくれ。責は父である私にある。本当にすまなかった。皆の者も、要らぬ苦労をかけてしまった。申し訳ない。後は私が預かる。下がってくれ』


 揺れる灯りに一礼し、俺を抱えたミランダ以外は無言のまま離れていった。


「降ろしていいよ、ミランダ」


「リオ様……」


 俺を床に立たせつつ、不安げな視線を送ってくる。俺は何も言わず頷き心配ないと伝えると、ミランダは少々逡巡したのち深く頭を下げ、皆の後を追っていった。


『……来なさいリオ。お前の身に何が起こったのか、全て話そう』


 灯りがふわりと蝋燭を離れ、更に赤く色濃く染まりながらソフトボール大の球体になった。俺を誘うように廊下を浮かび進む。俺は後を追った。




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