第09話 『The Place I'll Return to Someday』

 グランディアマンダ国には唯一の竜人が住んでいる。竜人族は誇り高く気難しい種族であり、立ち入るには困難を極める、竜人族の性格を体現したかのような、高く険しい岩山の頂を住処とし、他種族との交流を持たない。

 故に、彼のような街中に住む竜人は非常に珍しい。明るく人柄もよく、どんな者にも分け隔てなく接する彼を、竜人だと聞かせられれば誰もが驚くだろう。それほどまでに、彼の性格や行動は、他種族が竜人族に抱く印象から逸脱していた。

 そんな変わり者の彼は、中央街という人の往来が多い場所で、『居眠り竜の足跡』という名の小料理屋を営んでいる。常連客から一見客、老若男女問わず。どんな者でも足を運びやすい開放型の明るい外観に、必要以上に飾らない内装。経年劣化により幾度も改装拡張を続けつつも、昔と変わらない店内の雰囲気は、彼のこだわりを感じさせる。

 そんな中年変竜人の店に、最近三人組の幼い男児がよく訪れるようになった。カウンター席の端が彼らの定位置で、店主の竜人と談笑している姿が度々見られた。気になった常連客がそれとなく三人について聞いてみると、彼らは古くからの知人の息子達ということで、ちょっとした恩もあり贔屓にしている、とのことだった。言われてみれば確かに、子供達のうちの一人は魔人族だ。長寿である竜人と魔人なら深い繋がりもあるだろうと、客は納得するのだった。






「どうだいヴァンちゃん! スコル坊! 今日の牛乳は一味違うだろう!」


 屈託のない笑顔を振りまく快活な店主の名は、ベルス。はきはきと良く通る彼の声は耳に心地よく、店の楽し気な空気の源は、彼の発する声にあると言ってもいい。顎が二つに割れた厳つくも人懐っこい顔に、筋肉質でがっちりとした肉体の中年男。年季の入った前掛けと帽子は、彼のこの道の長さを感じさせるが、それ以外に特徴らしい特徴がない彼を、竜人だと知る者は少ない。それは、彼が高度な魔法技術を備えていることに他ならない、という事実に気付くのは、この大国でも一握りであろう。


「はい! とっても美味しいです! いつもより濃くて、それでいて甘いですね」


「そうだろそうだろ! なんてったってそいつはこの国一番の白桃牛を飼育してるハイメ印の牛乳! しかも今朝子供を産んだばかりの親牛から絞った、栄養豊富で新鮮な牛乳なんだ。運が良かったなぁ二人とも。良く味わって飲みな」


 無邪気で真っ直ぐな感情を表に出し、上品な味に感嘆するヴァンに、ベルスは笑顔を綻ばせる。対照的に無言のスコールだが、一心不乱に牛乳を飲むことに全神経を傾けている姿を見れば、いかにこの牛乳の味を気に入ったかを言わずとも語っていた。


「オッス店長。今日はまた随分と珍しいモン仕入れたんだな」


 盛り上がる三人に気さくに近づいて来たのは、美しい赤髪の少年。ヴァンやスコールと同じ年頃の子供のように見受けられるが、あどけなさを感じさせない青年のような表情に、落ち着きとふてぶてしさを纏ったその姿は、とても少年とは思えない雰囲気を醸し出している。


「よう大将! こいつはハイメからの厚意で貰ったもんさ。品として出すにゃもったいねえし、おめえさんらが一番喜んでくれると思って取っといてたんだよ。大将も飲むだろ? 今注いでくるからちょいと待ってな」


 赤髪の少年の返事を待たず、ベルスは店の裏へ小走りで引っ込んだ。ベルスはこの少年に大層入れ込んでいた。それは、少年の立場に関わるものでなく、長い時を過ごしてきたベルスの心を揺さぶる程に、純粋に少年に魅了され、何よりも“自分と同じもの”を感じ取ったからであった。





第09話 『The Place I'll Return to Someday』





「おはようリオ。今日は遅かったね」


「おはよう」


「おはようさん。部屋を出たら親父達に呼び止められちまったよ。まつりごとは嫌だっつってんのに」


 二人へ挨拶を返しながら、すっかり特等席となった椅子に座る。大した時間を取られた訳でも無いのに悪態をついてしまったのは、それだけヴァンとスコールに会うのを楽しみにしていたからだろうか。どうも精神年齢が肉体年齢に引きずられている気がする。刹那的に生きているとはいえ、感情に振り回されるのはよろしくない。本音をポロンと口に出すほど、二人に心を許しているとも言えるが。

 こうして三人でつるむようになり一ヶ月が経った。示し合わせたかのように中央広場へ集まり、日が傾くまで街を駆ける。それが今の俺の過ごし方だ。


 リンドヴァーン・エイスクレピア。礼儀正しく、善悪を考えて行動出来る模範的な真面目っ子爬人。少々押しに弱かったりするところがあるが、納得するまで自分の意見は曲げない頑固者でもある。物覚えが良く、医者の息子というだけあって魔法に関する知識もそこそこ豊富だ。


 口の周りに牛乳で白い髭をたくわえている子獣人は、スコラウト・ファンレロ。表情と言葉が乏しく、普段はぽけっとしていて何を考えているのかいまいち読み取りづらいところがある。が、口に出さないだけで、案外思慮深く物事を見ているようだ。多分。


 生前に比べて娯楽の少ない世界ではあるが、それでも俺の、俺達の好奇心を満たすに十分な景色がこの街にはある。毎日が新しい発見に溢れ、刺激に鈍くなってしまった俺の心も明るさを取り戻していく。自分で思っていた以上に、死という体験は俺を蝕んでいたのだろう。二人と共にいることは、生前の幼き頃の追体験であり、失った俺の生を徐々に取り戻すことになる

 ……なんてな。ナイーブな考えは持たない主義なのでそれとなく思っただけだ。この程度で揺らぐような心なら、もっと賢い生活を送ってるはずだ。


「へいお待ち大将! 昼にゃ早いが簡単な軽食も作ったぜ。勿論ヴァンちゃんとスコル坊の分もな」


 出されたのは香草を練りこんだ生地を、野菜と肉を煮込んだ汁に浸し、綺麗な焦げ目がつくまで焼いたフレンチトーストのようなもの。簡単とは言ったが、下ごしらえに時間をかけた立派な料理だ。

 この気立ての良い竜人の店主、ベルスさん。実は親父より年上で、かなり昔からグランディアマンダ国で生活している。二週間前、商店街を散策していた際にベルスさんとすれ違い、その時俺を一目見て国王の息子(目尻がそっくりだとさ)だと分かり、更に俺を警護する連中の気配と様子が、俺を王子だと確信させたそうな。やはり見る人が見れば、俺の正体は筒抜けになってしまうようだった。いやまあ別にばれたっていいんだけどさ。それはそれで、面白い展開が待ってるかもしれないし。


「ありがとうベルスさん!」


「おいしい」


「いつも悪いね、ベルスさん。お代は出世払いで頼むよ」


「がははは! 大将が出世って、これ以上どこに行こうってんだい。世界征服でもしようってのか?」


 言われてみりゃ確かに。この国どころか、周辺諸国含めてこれ以上の地位なんてないわな。だとしてもだ。小遣いなんて望まずのも噴水の様に湧いてくるが、出来るだけ自分で稼いだ金でやりくりしたい。目標を成す為の条件を満たすのも、俺自身で楽しみたいからな。


「っと、そうだそうだ。支払いとは別だが、これをベルスさんに受け取ってほしい」


 俺は手提げ袋から、白い雫型に赤い螺旋模様が描かれた陶器を取り出し、カウンターに置いた。


「んん? こいつは……まさか、『まほろば』ですかい? おいおい大将、とてもじゃないがこんなの受け取れねえよ。大将がこの店を買うってんなら、話は変わってきますがね」


「……お酒」


「え? お酒? まほろばって何?」


「まほろばってのは、スコル坊の言った通り酒なんだが、そんじょそこらの酒じゃねえ。ここから北西の方角。てっぺんが見えねえほどの、俺たち竜人族でも近寄るのを躊躇う“天のあぎと”って呼ばれる大岩山がある。そこの窓から見えるだろ? あの山の中腹に、百年に一度湧く泉があってな。その湧き水で作った酒が、このまほろば。天の咢周辺の森に住んでる、精人族の“最初の魔王”への献上品だ」


「……珍しいお酒なんですね」


「珍しいの頭に、超が三つ付いちゃうぐらいだぞ、ヴァンちゃん。城下街の一番高い家が買えちゃうぐらいの、珍品の中の珍品だ」


「……お酒、嫌い」


 ベルスさんとヴァンが盛り上がっている横、スコールはまほろばに、嫌悪感に満ちた視線を向けていた。どうやら、酒そのものが駄目みたいだ。何か嫌な思い出でもあるのか?


「それで大将。俺に何かお願いでもあるんですかい? 畏れ多すぎて、流石にタダで受け取る訳にゃあ、いけませんぜ?」


「タダより高えモンは無ぇからな。だからこそ、モノの価値を決めるのは、社会でなく、人であるべきだ。価値を数値化して、同じ値の物品を交換するってのは、人が定めた素晴らしい制度だとは思うけどな」


「……だとしたら大将。この、“この上なく素晴らしい酒”と、大将が等価値に思う、俺が持つもんってのは何だい?」


「その酒に見合うモノ。それは、ベルスさんが持ってる、“とある場所の鍵”だ」


 俺の言葉にベルスさんはいつもの笑顔を保ちつつも、怒気を孕んだ眼差しを送ってきた。ヴァンとスコール、それに店内にいる連中は、ベルスさんの怒りに気付いていない。


「成程、成程……なぁ、大将。前言撤回だ。“こんなもん”で俺の鍵を手に入れようってのか。確かに、まほろばは非常に価値あるもんだ。なぁ、大将よぉ?」


 ベルスさんが俺に掛ける重圧は、半端では無い。半端では無いが、俺にとっちゃこんなもんだ。一度死んだ人間舐めんなよ?


「ベルスさん。この酒、その名前に、意味があるのを知ってるか?」


「……それがどうしたってんだい?」


「曽爺ちゃんは今でも想ってる。“ベルスさんの親友”も。そして俺も、“いつか想う”ようになる」


「!? おい、大将。冗談にしちゃ笑えないぜ」


 ベルスさんの瞳から怒りが消え、揺らいだ。あんたの事はよく知ってるよ。爺ちゃんが色々教えてくれたのさ。


「ああ。親父と約束したからな。必ず帰って来られるようにって」


「……大将も“あいつ”と一緒かい。その年でそんな考えばっかしてっと、早死にするぜい?」


「それにゃ心配及ばねぇよ」


 もう、既に死んだからな。


「へぇへぇ。全く、最近の子供ってのはどいつもこいつも生意気で、大人に心配ばっかりかけやがる。ゆっくり飯でも食ってて待ってな大将」


 大きなため息をついたベルスさんは、頭をガリガリと掻きながら店裏に引っ込んだ。

 ヴァンとスコールには何が何だかだろう。俺達を不思議なものを見る目で眺めていた。






 ベルスさんから“鍵”を受け取った俺達は、目的の建物がある工業街第三通りを目指す。街を通る道を蜘蛛の巣に例え、中心街から外へ向かって走る道を縦向きとし、他の地区へ繋がる入口から三番目に横に走る道が第三通りだ。


「ねえリオ。ベルスさんが言ってた最初の魔王って、この国をつくった人のこと?」


「イエス。俺の曽爺ちゃんでもあるアーク・グランディアマンドその人だ」


「曽おじいさんがアーク・グランディアマンド様、かぁ。なんかすっごいなぁ」


「経歴は確かに凄いが、見た目はただのおじいちゃんだぞ」


 とてつもなく膨大な魔力を秘めていて、辺りに漏れる魔力だけで耐性の無い人は意識を飛ばしてしまう程らしいが、俺にはよく分からない。そっちの才能皆無だし。


「そりゃあ、リオはその、子供の、子供の、子供の王子様だし? アーク・グランディアマンド様が普通に見えちゃうのは、しょうがないと思うけど。僕達からすれば、神様みたいなものなんだよ?」


「神様……。ずっと前。【共振探知ユニゾーノ】したことある」


「探知? 何処でだ? 曽爺ちゃんはずっと森の中で……ああそうか。三年前の建国記念日ん時か。十数年ぶりに皆の前に姿を見せたことがあったな」


 こっくりと頷くスコール。そんときゃまだ俺は城に引き篭もっていたが、国中が色んな意味で大パニックになったと聞いた。喜びすぎて頭に血が上り失神した奴が大多数。訳の分からん奇声を上げて過呼吸で倒れる奴もいれば、曽爺ちゃんの魔力に中てられて吐いた奴もいると。


「ど、どうだったの?」


「よく覚えてない。“空が落ちてきた”のかと思ったら、いつの間にか家にいた。父ちゃんが運んだって言ってた」


「はえぇぇ……」


 おいおいおい、空が落ちてくるか。それ程に強烈な圧迫感だったってことだろうが、近づかずとも探知すれば気絶するとは危険極まりねえ。山奥で隠居してる理由もその辺が関係してるんだな。もう存在が兵器みたいなもんだ。


「そんな神様みたいな人を曽爺ちゃんに持つ俺だが、まったくもって才能の一片すら引き継がなかった。はっはっは」


「そ、それもまたすごい話だよね。僕だって魔法使えるのに、魔人族のリオが魔法全然駄目だなんて、不思議でしょうがないよ」


「城の文献漁った限り、魔人族どころか全種族の歴史上類が無いぜ? もはや人として失格なのかもしれん」


「失格って……」


 自分の欠点をあっけからんと話す俺に、ヴァンは複雑そうな顔をした。そんなことは無いと否定するのも間違っているかなぁとでも思っているのだろう。上手い返しが出来ず閉口してしまう。会って一月のそこそこ知れた仲とは言え、他人を貶める言葉の良し悪しの境界線の区別はまだ難しいか。ヴァンはまだ子供。暫く自虐ネタは控えよう。


「………、………。……………。……………?」


 スコールは無表情で俺を見つめ、大きな耳をピクピクと動かし俺を探知している。頭を右に傾げたり左に傾げたりしているが、予想した反応が無いからか、頭に疑問符が浮かんでいる。そのまま顔を傾け暫く静止し、何を思ったのか俺の胸に耳を当ててきた。


「……生きてる」


 耳を離したスコールが言った。スコールが聞いていたのは、多分心臓の鼓動だろう。生きているのだから動いていて当然なのだが、何やら意味深だ。

 確かに、俺は生きている。だが俺と言う存在は、鳴世遊慈という存在の死の先に続く延長線上に立っているのか。はたまた記憶だけを受け継いだ全く別の存在なのか。証明するすべはない。

 しかしそんな事はどうだっていい。俺は確かに世界ここにいて、俺を突き動かす原動力は好奇心と衝動と、まだ見ぬ想像を超える現世。死ぬことに躊躇いも理由も必要ないが、生きる理由は十二分にある。


「あったりめえだろ? 失格だろうがなんだろうが、俺は人であることを捨てた覚えは無えし、自分から死ぬつもりも無え。誰に指図されようが否定されようが、俺が俺である限り、俺という存在は絶対に消えはしない」


「……? よくわからない」


「えっと、えっと、あの、ごめん。僕もリオが何言いたいのかよく分かんないや」


「…………人が生きていくには、大切なものが三つある」


 何ちょっとアンニュイになっていたのかね俺は。伝わらない俺の人生観は取り敢えずぶった切り、右手に立てた三本の指を二人に見せる。


「まずは衣服。これは体毛が退化し困難になった体温の調節、及び外傷を負いやすくなった人の肉体を保温、保護するためのものだ。現在は見ての通り。種類用途が豊富となり、その者の身分他地位や各文化、各個性を表す役割も担っている」


 薬指を折り曲げる。子供相手に小難しい言い回しをしているのは、恥ずかしさを誤魔化している訳では無い。決して。


「二つ目は食事。これは言わずもがな。食わなきゃ死んじゃうからだ。だが、生きるため食うだけが食じゃない。豊かな食事は生活と心にゆとりを持たせる。特に食文化はその者の成長に大きく影響を与える。美味しいものを食うのはいいが、自分の体にあった物を食うのも大切だ」


 中指を折り曲げる。食に関して喋っている間、スコールの目がやけに真剣だったような気が。


「衣服は問題なし。というか、このご時世で服着られない奴なんかいないな。そして二つ目の食事。さっき食ったベルスさんの飯は、まさに文化の神髄だ。俺達の身だけじゃなく、心も十分満たしてくれる。そして最後が、あれだ」


 残った人差し指をヴァンとスコールの背後遠目にそり立つ塔へと向けた。





 表通りは活気溢れる店員が、道行く人々に自慢の品を見てもらおうと、快活な笑顔と声をばら撒いている。所狭しと並ぶ工芸品に日用品。工業街だけあり織物や装飾品が特に目立ち、若い女性や主婦、外国から足を運んできた者達が多く往来している。俺達が今通る裏道では、汗水垂らす職人達が互いの技術を競って工具を振るい、カネの音色を響かせている。

 ヴァンとスコールは物珍しそうにキョロキョロと、特にヴァンが世話しなく視線を彼方此方に向けている。目新しい光景に、落ち着きが隠せないようだ。


「ここを通るのは初めてか?」


「う、うん。お店が並んでる方の道はお母さんと何度か来たことがあるけど、こういう道は初めて。スコールはどう?」


「ここはない。別の道。父ちゃんの友達がいる」


「スコールの親父さんは狩人だったな。その友達って人は、武器職人か何かか?」


「うん。父ちゃんの剣、いつもその人に研いでもらってる」


 スコールの父親は名の知れた狩人だ。狩猟してくる獲物は大小強弱問わず、グランディアマンダ国周辺に生息する生物なら、何でも捕らえてくる。その腕を買われて、国の討伐隊への臨時参加依頼が来ることもある。そんな人が懇意にするような職人ならば、さぞ腕利きの職人に違いない。機会があれば今度紹介して貰うとしよう。

 談笑しながら先に進むと目的地、前後左右を民家に挟まれる形で立つ塔の元に着いた。雑草だらけの小さい庭に、赤褐色の藁煉瓦造り。外見から察するに大体六、七畳位の四角い豆腐型の小さな家。蔓に覆われた屋根からは小さい煙突が頭を出している。それに合体する、遠目でも見えていた塔。高さは大体三十メーダ前後ってところか。


「もともとは外敵を見張る為の物見櫓件宿直住居だったらしいんだが、見ての通り。街の拡張に次ぐ拡張で、お役御免になったんだとよ」


「そっか。ここじゃ街の外なんて見渡せないもんね」


 納得したと頷くヴァン。スコールは家に近づき、少し高い位置にある煤けた小窓に跳躍し、指を引っ掛け中を覗き見ている。


「誰かいるの?」


 ヴァンの問いかけに、スコールは小窓から降り首を横に振った。


「今は誰も住んでいないぞ。四年前まではベルスさんの知り合いが住んでいたらしいんだけどな。実家に少しの間だけ帰省するはずが、色々あってご両親の仕事を引き継ぐことになって、もうこっちには帰って来ないそうだ」


 長年の雨風ですっかりくたびれた木製の扉の鍵穴に、ベルスさんから貰った黒い鍵を差し込む。ガチリという金属がぶつかる音を立てて扉は開いた。

 室内は埃っぽく、宙に舞う塵が窓から差す光をくっきりと浮かび上がらせる。ペチャンコの焦げ茶色のカーペットの中心に四角いテーブル。引き出し付きの小さな花台。本棚には数冊の本と、基本的な日用品が収められている。部屋を暖めるには十分だろうと思われる小さな暖炉には、空っぽの鍋がくべられ、白い灰だけが残っている。

 長い間使われず、結構埃が積もってはいるがそこそこ整っている。これぐらいなら、小一時間あれば綺麗に出来るだろう。どんな感想を抱くかと二人を見れば、ヴァンは棚にある古びた本を手に取り、しげしげと眺めている。スコールは暖炉を見つめ、何を思ったのか息を吹きかけた。当然、灰と埃が舞い上がり顔に掛かる。スコールは慌てて立ち上がり、涙目でくしゃみをした。何やってんだか。


「さてお二人さん、本命がお待ちかねだ」


 俺は入口扉とは違う扉を開ける。直径二メーダ程度の円形の塔上まで、内周にそって階段が続く。俺が上り始めると、二人が後に続いた。




「うわああ……っ」


「……すごい」


「前から目をつけてた。この塔からなら、いい景色が眺められんだろう、ってな。だが、思ってた以上に大当たりだ」


 高い塔の頂上で、俺達はグランディアマンダ国を、視界いっぱいに収めた。眼下に広がる街並みは何処までも続き、国の大きさを思い知らされる。少し遠くに見えるグランディアマンダの巨城が一望でき、絶好の展望台と言えよう。


「人が生きていくのに大切なもの三つ目。それは住処だ。家族が待つ家。心の寄り辺。いつか帰る場所」


 ヴァンとスコールが俺を見る。無垢な瞳を向ける二人に、ニヤリと笑って提案する。


「ここを俺たちの秘密基地にしよう。どうだ? 悪くねえだろ?」


 俺の言葉にヴァンは目を輝かせ、スコールは尻尾を激しく振った。


「賛成っ! 大賛成だよっ! こんなに綺麗な所が秘密基地だなんて、何だかとってもワクワクするねっ!」


「……秘密基地。内緒。三人の、場所」


 喜ぶ二人に俺もつられて顔が綻んだ。久々だな、こんな風に自然と笑顔が出たのは。


 親父。あんたが守るこの国。マジで奇麗だ。アンタが言った、俺の帰る場所。こんなにも美しい景色が帰る場所なら、俺は何処までもいける。だから刻もう。いつか、今まで走った道を思い返す時、始まりはこんなにも素晴らしかったと笑う為に。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る