第28話 『The Unparalleled Unique Power』

 アスタリスクがディヴァイダーを倒した日より三日目。冒険者として活動する彼らの知名度は知る者ぞ知る、と言った程度であったが、国がディヴァイダー討伐の功績はアスタリスクにあると公式発表したことにより、一躍国中に名を馳せた。


 曰く、チビッ子冒険者達。

 曰く、天性の才を持った子供の集団。

 曰く、国が極秘利に開発した人造兵士。

 曰く、子供の皮を被った悪魔達。

 曰く、深淵体アビスすら泣き叫ぶ化物の童。


「僕達もう人として見られてないんだけど」


「しっつれいしちゃうわ。一体誰よ。本人の預かり知らないとこで根も葉もない噂流してんのは」


「噂には尾ひれが付くものと言えばそれまでですけど、まさか悪魔なんて言われるとは思いもしませんでした」


「……」


 ヴァン、ティア、アリンの三人は活動拠点である基地にて、持ち込んだ物品の片付けを行いながら、アスタリスクの存在を常識から逸脱させるような噂話に、不満を漏らしていた。

 一人自分らの噂に一切関心を抱かないスコールは、黙々と大きな背負袋に荷を詰めている。彼にとって噂は噂でしかなく、その噂によってアスタリスクに興味を持ち周辺をうろうろされ、実害を被る可能性の方を気にしていた。どうやら今日もアスタリスクに用があるのか無いのか、今一つ判別しづらい他人が外をうろついているらしく、気配を感じ取ったスコールは窓から外をちらりと覗く。自分達より幼い子供達が民家の影に半身を隠し、基地をじっと眺める姿が見えた。

 

「でもこう言っちゃなんだけど、リオとヤイヴァって英雄とか勇者とかより、悪魔って言葉の方がしっくりくるかも」


「確かにそうね。この間の戦いの時だって、あわよくばディヴァイダーに大穴猫食べさせようと企んでたんでしょ? 信じらんないわ」


「冗談か本気か、分からなくなるときありますよね」


「あの二人が言うと冗談に聞こえないわよ。男の癖にアタシも嫉妬しちゃうくらい綺麗な顔を、まさしく悪魔みたいに歪めて笑いながら口にするのよ?」


 ティアは悪魔二人の鋭くニヒルな笑顔を真似るが、元々の可愛らしさが抜けきらず少々蠱惑的な相貌になってしまい、アリンは似てないですねと漏らしクスクス笑った。


「スコールもそうだけど、リオも案外普通の笑顔見せないんだよね。もう僕もスコールも五年以上リオと一緒にいるけど、片手で数えるぐらいしか見たことないなぁ」


 記憶力に自信のあるヴァンは過去の記憶を遡りリオが笑う姿を辿ってみたが、どれもこれも内心何か企んでいる、もしくは常識から外れるようなことを思いつき、悪どく顔を歪ませているばかりだった。


「……この基地に来てからも、五年経つんですね」


 うんと頷いたヴァンはスコールがいなくなっていることに気付き、何処に行ったのかと外を見ると、庭でくるくると回る遊具のように小さな子供達を体にぶら下げ、一緒になって遊んでいた。子供達は笑い声を上げ楽しそうな様子をみせているのに対し、スコールがどことなく寂しそうであることを、ヴァンは寡黙なスコールの無表情から感じ取った。

 

「もうすぐこの場所とお別れなのね……。何か、あっという間だったわ」


 千年祭が開催されるまであと一週間という日。『千年祭が終わり次第この国を発つ』と彼らアスタリスクの中心人物であるリオより命じられた。無論そのことに反対も文句も不満も何一つなく、躊躇いなど存在しないと覚悟を決めてはいたが、いざその日が近いとなると、なんとも言えない寂寥感が心を包むのだった。


「いつか帰る場所……か」


「なあにそれ?」


 ヴァンのぽつりと呟いた言葉にティアは反応した。おそらくこの場にいる全員は同じ思いをしているのだろうと思っていたのだが、ヴァンだけがこの場所を違う視点を持っているように見えたからだ。アリンもヴァンの言葉に込められた様々な感情に気付き、作業を中断しヴァンへと体を向けた。二つの視線にヴァンは聞こえちゃってたかと恥ずかしそうに頭を掻き、かつて自分に送られた理想の人からの言葉を、心の中で反芻しながら語りだした。


「人が生きていくのに大切なもの。家族が待つ家。心の寄り辺。いつか帰る場所。最初にここに来た時に言ったリオの言葉だよ。あの時は秘密基地だ~って喜んでただけで、それ以外何も考えてなかった。この場所が当たり前の集合場所、皆が居る場所だって思ってた。だけど、今なら分かる。これから先、想像以上のとんでもなく長い冒険をして、大人になってからも世界を駆け巡って、皆で最後に辿り着く場所が、ここなんだ」


「リオはとっくの昔に、ここを始まりでも、終わりでもある場所に決めてたんですね」


「そうだね。それと、もう一つ気付いたことがあってさ。リオは逃げ道とか、逃げ場所なんか自分にも、僕らにも絶対口に出さないから内緒だよ? アスタリスクを結成した時に『後悔したり諦めたりするんなら切り捨てる』って言ったでしょ? それって、もし本当に冒険を続けられなくなるぐらい挫けた時はここに帰れよって、言ってるように聞こえたんだ」


 ヴァンはリオの真意を読み取ろうと必死だった。物語のどんな主人公より心惹かれるリオという存在に憧れ、彼の様になりたいと願い、彼を目指し、知ろうとした。だからだろうか。滅多に見せないリオの心内の片鱗を、その時だけヴァンは感じ取れたような気がしていた。


「今でも僕の心にずっと深く残ってる。『もっと沢山学んで、それからよく考えて選べ。自分の歩く道を。いつかやってくる選択の時に、お前らの心が出した答えに従え』その選択は、この国を出るって決めた一回だけじゃない。きっと、これから何度もやってくる。その時出した答えに嘘が無いなら、リオは多分反対しない」


「……はぁ。そういう話聞くと、リオがどんだけ遠い奴なのか嫌でも思い知らされるわ。ああいうのを、特別って言うのよね」


 同い年だから人生の経験値も同じなはずだというのに、リオという人物は一つ一つの物事を深く観察し、大きく吸収している。一歩踏み出した時に彼は何十歩も先を歩んでおり、新しい道に一歩踏み出す時も、そこはとうに知っていると言わんばかりに躊躇い無く踏み出す。

 ティアは膨らみ始めてきた胸に手を置いた。体が大人になり始めている。心だって間違いなく成長しているという自覚がある。だというのにリオに追い付けない。強さでも何でもない、もっと人としての根幹に絶対的な差があるとティアは考えていた。


「うん。お父さんも言ってたよ。王族だから特別なんじゃなくて、特別だから王族なんだって。どれだけ頭が良くてもリオみたいには育たないし、何の支えも無いのに悪意にも恐怖にも、孤独にも負けない強い心を持てるのは、本当に特別な人だけだって」


 無能の烙印を押され、同族から嫌われた。それも随分と幼いころからだったという。他人からの無碍な視線は口に出さずとも理解できる。そんな立場に置かれたら、ましてや幼少ならば普通どうするか。家族の優しさに、擁護する想いに縋るはずだ。ところが王子は自身に向けられた人々の感情を全て汲み取り、あっさりと受け入れた。更には世界で最も恵まれた地位に唾を吐き、一人街に降り立っていっぱしの人として何の問題もない生活を送っている。ほぼ毎日隣に友人達はいたものの、思考も行動も全ては王子の独力だというのだから、驚くほかない。


 そんな特別な王子、リオが何故仲間を集い外へと、冒険者として生きる道へと誘ったのか。アリンは自分の愛用武器である短銃を手に取った。作成したのはアリンだが、想像もつかない飛びぬけた設計を考えたのはリオであった。戦闘に関し非力な少女でさえ、ディヴァイダーという凶悪な深淵体アビスを倒すことを可能とする優れた武器。たとえ魔法が使えなくともこれだけの武器を考えつくのであれば、一人でも十二分に冒険者として、狩人としても生きていけるはず。


「リオは『一緒に来い』って言ってくれました。『直ぐに駆けつけてやる』って、この首飾りもくれました。でも……ワタシからリオに何かをしてあげたいと思うのは、おこがましいことでしょうか」


 言われたままの物を作り、誕生日の時のように予想もつかない贈り物をすればリオは喜ぶ。だがそれらはリオ一人でも成しえる程度のもの。実際、リオはアスタリスクを結成したその日に言った。『まだまだ小さい、満足していない』と。


「分からない。僕達がいなくたって、リオは何でも自分で手に入れられる人だから。でもリオはこのアスタリスクの紋章を僕達にくれた。ただ一緒にいるだけじゃない。皆で輝くんだって。だから考えなくちゃいけないのは、何をしてあげたいとか、皆一緒じゃなきゃいけないとか、そういうことじゃないんだと思う。リオはこの紋章にきっと、ううん。絶対、凄く深い意味を込めてる」


「その意味、ちゃんと知ることが出来たのなら、リオは綺麗に笑ってくれるかしら……」


 旅立ちの日は近い。彼らは改めて、リオという旗頭の存在の大きさを再認識した。





 第28話 『The Unparalleled Unique Power』





 城の北にある小さな門からそのまま真っ直ぐ、一刻程歩いた先にある山々。奥深くの一角に王族他ほんの一握りの者しか立ち入ることが許されない、王家直轄管理下に置かれた特別区域がある。そこには幾千、幾万と時を過ごし見送った木々が生繁っており、それ以外の生物は存在しない。いや、存在できない。

 訂正しよう、立ち入ることが許されないのではなく、そこで生きることが許されないのだと。


「毎度毎度ここに来るたびに思うけどよ、まるで別世界だぜ」


「まさしく別次元の存在が住んでるからな。知らずに近づきゃ御陀仏だ」


 唯一存在する、と言うには語弊があるか。“それ”がいるからこそ他の生物がこの場所に干渉できない。生物、つまり俺達人にも害を与えてしまうが故に、こうして隔離されている。そうしなければならないほど超越した強さを手に入れてしまった、世界で最も神に近い者。

 獣道すら無い草地を通り、見えてきたのは小さな木造の平屋。まるで古い日本家屋のようだ。そこに住む者の地位と功績を考えるのであれば、とても釣り合わない住居。

 少々荒れた庭を横切り裏手に回ると、縁側……と言っていいかどうかは分からないが、それらしい場所でにび色の綿入れ半纏に似たものを羽織った、少し色の抜けた赤髪の老人が、背を丸めて胡坐を組んで座っていた。


「おはよう、曽爺ちゃん」


「おっす大魔王のじっちゃん」


「…………うむ」


 初代グランディアマンダ国国王、魔人族初代族長。アーク・グランディアマンド。この人を知らぬ者など存在しない。世界最凶、天変地異、大災厄という悉く悪に塗れた言の葉を欲しいままにした深淵体アビス、カオスディアマンドをその手で葬った偉大な英雄。生きる伝説。彼を神の如く見上げ信奉する者は世界中に存在する。


「これお土産の今年取れたばかりの茶葉。こっちは俺が作ったお茶請けの蜂蜜ういろう。今淹れてくるよ」


「…………うむ」


「オレはテキトーにその辺の草むしりしてっから。じっちゃん、蔵に置いてある鎌借りるぜ」


「…………うむ」


 言葉遣いは荒いままだが、あのヤイヴァですら敬意を払う。実際、曽爺ちゃんの規格外というか、神懸った強さは俺もヤイヴァも身をもって経験している。それを見れば誰であろうと、決して消えない存在感を本能に刻まれるだろう。


 無意識に放出される魔力だけで周囲を圧迫、下手をすれば圧殺してしまうほどの超弩級魔力を秘めている曽爺ちゃんだが、これ程までに強くなってしまったのは理由がある。

 それは、曽爺ちゃんがディヴァイダーと同じ特殊能力、『魔力吸収』を持っているからだ。それも同じと言っても吸収効率に雲泥の差がある。ディヴァイダーは心臓を喰うことで初めてその生物の魔力を吸収できるが、曽爺ちゃんは生物が無意識に垂れ流す魔力も、周囲を漂う自然の魔力をも吸収し、果ては周辺に死体があると根こそぎ奪いとる。これらは曽爺ちゃんの意志とは関係なしに無差別に行われる。故に誰も近づけない。安易に近づけば全ての魔力を奪われ、死に至るからだ。

 特別行事等で下山する際は厳重な警備を布く。表向きは曽爺ちゃんの護衛。実際は周辺への被害を抑えるため。それでも魔力を吸い取られはせずとも、曽爺ちゃんの発する魔力にあてられ倒れる者は続出する。


「おまたせ。アリン、草むしりは中断してお茶にしよう」


「…………うむ」


「おう。手洗ってくるわ」





 葉擦れの微かで清亮な音が聞こえる。野鳥の鳴く声はここまで届かず、昆虫すらいない。時折茶を啜る音が響き、それだけがここに命があることを伝えてくる。ここは本当に不思議な場所だ。浮世離れし過ぎていて時が経つことすら忘れる。神殿というものが存在するならば、きっとこういう場所のことを言うのだろう。


「この菓子……ういろう、っつーんだっけ? 変わった触感だな。蜂蜜餅とはまた違う歯触りがする」


「…………うむ」


 縁側でちまちまと俺が再現したういろうを齧りながら静かな時を送る。もっぱら喋っているのはヤイヴァだが、その声は囁かで、俺と曽爺ちゃんに話しかけているというより、語っているような口調だ。曽爺ちゃんが思ったことを代弁しているようにも聞こえる。


「曽爺ちゃん」


「…………うむ」


 呼びかけると空になった湯呑を渡してきた。注ぎ直し返すと、一口ういろうを齧り、また茶を啜った。曽爺ちゃんは『うむ』しか喋らない。どんな面白話をしても、どんな出来事を語っても、どんな質問をしても、帰ってくるのはそれだけだ。


「さて、俺は前に雨漏りしてたとこを直してくる」


「オレもこれ食い終わったら草むしり再開するぜ」


「…………うむ」


 こうして曽爺ちゃんと一緒にいられる奴は限られる。爺ちゃん、親父並かそれ以上に、多少吸い取られても支障ない程ずば抜けた魔力を保有していなければならない。八咫紅オクタクリムゾンですら半刻でギブアップ。そこそこ耐えられるのがお袋、もう少し長くいられるのがティアの爺ちゃんである竜王。俺が知る範囲ではそんなもんだ。

 無制限で活動可能なのは、俺やヤイヴァのように魔力が無くとも生きていられる変わりもんだけ。だから曽爺ちゃんに会いに来たときは時間が許す限り一緒に過ごす。曽爺ちゃんが寂しがっていたり、人恋しく思っているのかは正直分からないが、俺自身曽爺ちゃんが隣にいると、落ち着くからそうしているだけだ。





 腐った屋根板を引っぺがし、倉庫に保管していた予備の板を張り付け藁を被せる。それだけ。手を抜いてるように見えるだろうが、元々が単純な造りの家。改修しようにしても大工は来れない。曽爺ちゃんが下山した際に補修だけ行っている。いっそのこと建て直してしまえばいいと思うのだが、どうやら曽爺ちゃんはこの家を気に入ってるらしいと、以前爺ちゃんが教えてくれた。


 一仕事終え、ふと視線を上げれば木々の隙間から天の咢が見えた。……あの向こう側に、“曽爺ちゃんの故郷”がある。そして……


「おーいリオー、終わったんならこっち手伝ってくれよー」


「あいよー」





「ふう、終わった終わった。毎度毎度しぶてぇ雑草どもだぜ」


「雑草とはその美点がまだ発見されていない植物である。人が勝手に害だと判断しているだけで、実際はその一つ一つが逞しく美しいもんだって詩にした奴はいるけどな」


「ヒヒ。つまりどんだけのモン持ってようが邪魔な奴は邪魔ってこったな」


 情緒もへったくれもねえ。だがその答えは俺も一緒だ。そして俺自身もこの雑草と変わりない。どれだけの力を持っていようと、魔力こそが唯一絶対。生えてきた場所がたまたま王族の庭で刈られなかっただけ。しかし俺は根無し草だ。この国に根を張って過ごすつもりは無い。


「…………」


 後ろを振り向くと曽爺ちゃんが立っていた。片手に鞘に納められた剣を持っている。今日も俺達の相手をしてくれるようだ。


「なあヤイヴァ、今日はどんだけ保てると思う?」


「ん~……四半刻……もまだ無理か。スコールの目の前に肉ぶら下げて待てして我慢出来る時間ぐらいじゃね?」


「じゃああんま持たねえな。まあ気張るとしますかね」


 剣へと変身したヤイヴァを持ち、曽爺ちゃんに全神経を集中させ構えた。









 商店街にある八咫紅蓮オクタクリムゾンの居住、オウパリオ家の館にて当主である母とその息子が激しい戦闘を繰り広げていた。使いの者達は全員巻き込まれないよう外へと避難し、ある程度能力のある者は館の周辺を結界で覆い、住民への被害を抑えようと努めているが、当主の扱う魔法が放たれる度に砕け散る。その魔法が一般民家へ飛んでいきませんようにと、その場を見守る全員が祈った。


 居間は既に凄惨たる様相であり、代々受け継がれていた先人達の遺品は溶け、家具はその殆どが破壊され、凍った炎が天井を貫き、部屋の三分の一が炭化しボロボロと崩れ落ちている。

 当主、プエレルア・オウパリオは脇腹に刺さる紫水晶の棘を引き抜き床へ捨て、乱れた髪に指を通し絡まる木くずやら氷の破片やらを払った。途中、毛先が少し縮れているのに気付き、指先に小さな魔方陣を開いて小型の【飛刃斬スプリット】を人差し指を跳ねさせ飛ばし、毛先を切った。


「これでいっかなぁ~。あ、こっち枝毛になってんじゃん。はぁ……もういいわメンドクサイし。後で美容室行こっと」


 プエレルアは頭を振って髪を後ろへ回し、目の前で仰向けに倒れる息子、カリタスを見下ろした。先にプエレルアが抜いた紫水晶の棘が全身の殆どに突き刺さり、まるでサボテンのようである。その姿に胸を痛めるでもなく、フンと鼻を鳴らしたプエレルアはカリタスの頭の方へ回り込み、【相対滅中和デトキスィフィケーション】でカリタスの体内へ潜り込んだ酸を中和させたのち、側頭部をつま先で蹴った。


「おら起きろ馬鹿息子」


「ぐっ!?」


 頭部に鋭い痛みが走り、気絶した状態から強引に覚醒させられたカリタスは揺らぐ焦点を何とか抑え、母プエレルアの呆れかえった顔を見た。


「……相変わらず下着の趣味が悪いですね」


「あんただって似たようなもんでしょうが」


 軽口を叩いたカリタスは再び頭部を蹴られ、またやられてはたまらんと上半身を起こした。


「……そんなに八咫紅蓮オクタクリムゾンをやりたいならやれば? そんだけ魔力があれば十分よ。だからやればいいじゃない」


 プエレルアの言葉にカリタスは口を結んだ。


 自分に八咫紅蓮オクタクリムゾンとしての資格があるのか否か。現オウパリオ家当主であり八咫紅蓮オクタクリムゾンであるプエレルアにカリタスは問うた。事務仕事を部下に丸投げし、居間で寛いでいたプエレルアは息子の唐突な質問に暫し悩み、見てやってもいいと答えると魔法陣を展開。カリタスへ容赦ない氷の雨を降らせた。やはり強きことこそが八咫紅蓮オクタクリムゾンとして必要な要素なのだと取ったカリタスは応戦し、全力を尽くした。

 結果は惨敗。服を一部と髪の先を焦がし、隠し玉だった【紫陽酸晶雨ハイドレインジア】は一欠けらのみが腹に刺さっただけであった。

 技の悉くはいなされ、返され、魔法を使えば使うほどに自身が傷を負う。プエレルアの対魔術戦法は深淵体アビスに対して効果は薄いが、同種である魔人族に対しては絶大な効力を持っていた。だからこそカリタスはその戦法を打ち破ることによって強さを証明しようとしたのだが、まるで未来を読んでいるかのように扱う魔法を見破られ、お見通しだと合間に蹴りまで入れられる始末だった。


「あのさ。二年前、リオ様にちょっかい出した時言われなかった? そんなんだから八咫紅蓮オクタクリムゾンになれないんだ~みたいなこと」


 何故それをとカリタスが勢いよく顔を上げると、やっぱりねとプエレルアは大きな溜息をついた。


「あのねぇ、八咫紅蓮オクタクリムゾンに成る為に必要なのって魔力だけよ。崇高な理由とか正しい人道なんか無い。要はやる気があるか無いかだけ。まさかとは思うけど、魔人族は優れてるから他の種族を護る義務があるとか、そんな下らないこと考えてた訳じゃないでしょうね?」


 下らない。一兵士として国民を守る為に振るってきた力を否定され、カリタスは眉をひそめた。力があるならば、他者の為に使うのが美徳であると教えられ、ディアマンド隊へと入隊したのちもその教えは変わらなかった。第一、隊を統括し八咫紅蓮オクタクリムゾンも兼任するドゥーカス将軍もそう説いている。にも拘わらず同じ八咫紅蓮オクタクリムゾンであるプエレルアはその心構えを一蹴した。

 焼け残った椅子を起こして座り、背もたれに大きく寄りかかりゆらゆらと揺らしながら、プエレルアは淡々と魔人族のその在り方を語り始めた。


「魔人族に文化が無い理由、知ってる? 魔人の数が少ないからってのも理由の一つだけど、根本的な理由じゃない。そんなもの、必要ないからよ。何だってできる魔法を沢山使える。大勢の人を助けることだって、逆に殺すことだって簡単。それだけ凄い力をいっぱい持っているのが魔人族。しいて言うなら、強い魔力こそが魔人族の文明。でもこれだけの力を持ってるのに、大昔の魔人族は繁栄しなかった」


 寿命も長く、生殖も他の種族と変わらず、生存能力が高いはずの魔人族の人口は少ない。それは自然要因ではない。魔人族の生き方、在り方を追い求めた古の先祖達という多くの犠牲。


「皆自分で決めたのよ。このどうしようもなく強い力で何が出来るのか、みーんな考えたの。ここに建国する以前の先人達は、人を救う事が正しいことだと信じて、たとえその先に待ってるのが死だとしても、それでもって言い続けて、他人を、他族を助ける為に魔法を使った。今あんたが兵士やってんのも同じ理由よね。先人達も皆一緒。率先して魔法を、剣を振って、そして深淵の焔で呪い死んでいった。文献や記録なんて何一つ残ってないし、まだ私が小さかった頃のお爺ちゃんお婆ちゃん達は、昔の事を詳しく話してくれなかったけど、相当大きな戦があったことも絡んでるわ。多くの魔人の屍を積み上げて、長い時をかけて、この地に来て平和を手にして、リオ様が生まれて、ようやく分かった。こんな力、あってもなくても一緒だって。私達にとっての唯一無二を守れればそれでいいんだって、ね」


 プエレルアはその態度から周囲に軽く見られがちではあったが、伊達に八咫紅蓮オクタクリムゾンに名を連ねている訳ではない。彼女は自分の役目、役割を誰よりも理解していた。


「私達の唯一無二は……王族。正確には魔人族族長。他の種族は王の血筋が入れ替わったりしてるけど、私達の族長は何千年間ずーっと一緒。アーク様はその力で絶対生命と呼ばれたカオスディアマンドを討ち滅ぼした。リベルタス様は世界を渡って多くの種族を纏め上げた。グラスはその力で種族間の壁を取り払った。そしてリオ様は幼いながら私達に人の可能性を見せた。魔力が無い事は欠点じゃない。人が持つ本来の力は魔法をも超越する。皆知らないでしょうけど、リオ様はそのお知恵だけで大勢の人を助けたの。……本当に、化物なのよ。だから王族。特別なのは魔人族じゃなくて彼ら。私達八咫紅蓮オクタクリムゾンは、王族と言う化物を死なせないためにいる。国民はついでに守ってるだけ。どうだっていい連中。王族さえいれば、それでいい。魔力なんて王族を守護する為の手段の一つでしかない」


 だから王族以外は眼中に無い。今の騒ぎで国民に多少の被害が出ようと気にしない。こうしてカリタスに説いているのもただの気まぐれであり、いつまでも成長しない息子に対する僅かな情けだった。









「はぁっ……はぁっ……はぁっ……はぁっ……」


 切れるかどうかすら怪しい錆だらけのナマクラ剣を構える曽爺ちゃんに対し、俺が出来る唯一の行動は……ただ意識を飛ばさないよう歯を食いしばり、耐え続けることだけ。

 震える足を強引に踏み出そうとし、膝を切断された……ような気がした。鉛の様に重い腕を気にした時、両腕を切り飛ばされた……ような気がした。乾くことも厭わず、視線を逸らさずにいた瞳に汗の雫が垂れ瞼を動かした瞬間、頭から股にかけて一刀両断された……気がした。

 曽爺ちゃんは別に何もしていない。ただ構えているだけだというのに、俺は動き出すことが出来ない。あるか無いかのほんの僅かな一挙手一投足を見せる度に、強烈な死というイメージが強引に頭に叩き込まれる。俺の脳内に作り出された幻が俺を殺す。


「はぁっ……はぁっ……、ぅぐっ」


「おいっ、リ……オ……」


 無意識の内に出てしまった破力。ヤイヴァごと全身を粉微塵に切り刻まれた……ような気がし、そこから記憶が途絶えた。


 目が覚めた時、俺は縁側で横になっていた。隣で額に玉のような汗を作ったヤイヴァが寝ている。体を起こすと、ここに来た時と同じ姿勢で、曽爺ちゃんが茶を啜っていた。

 

「……曽爺ちゃん、そのお茶冷めてるだろ? 淹れなおしてくるよ」


「…………うむ」

 

 まだまだ遠い。勝ち負けとか一太刀だけでもなんてもんじゃない。だが何としてもモノにしてやる。曽爺ちゃんの“魔剣技”を。最初に見せてくれたあの“技”を、必ず修得してやる。









「あんただって身に染みて分かったでしょ? リオ様の異常な成長速度。更に付け加えるなら、あんたと決闘した日だけど、リオ様が初めて剣を握った日だから」


「……!?」


 リオの剣技は確かに型が荒々しかったが、多少なりとも大剣の扱いを心得ているような剣捌きだった。体を軸とし独楽こまのように回転させ、大剣特有の重量攻撃を活かした太刀筋。持ち味の剛さだけでなく、受けた刃を剣の腹の上を滑らせるような柔らかさもあった。一朝一夕で身に付けられるものでは無い。

 王族という底の見えない得体にカリタスは身震いした。だから特別だって言ってんでしょと、プエレルアは手に取る様に分かりやすい感情を見せるカリタスに答えた。


「とんでもない才能だけど、リオ様はそれに甘えたりしない。常に可能性を模索し続ける。対してあんたは常識を決めつけ、思考を懲り固め、自分から可能性を潰している。だからリオ様に馬鹿にされて、負ける筈の無い決闘で負けた。ここまで言えばもう分かるわよね。リオ様の本当の力は、可能性を生み出す力。零を一に。無から有を作りだす。不可能を可能にする、常識を打ち破る力」


 プエレルアは椅子から立ち上がり、崩れ落ちた壁から外を眺めた。見る者全てを圧倒させる、荘厳であり威圧的であり不気味でもある、天の咢がそびえ立っている。


「リオ様はもうすぐこの国を発たれてしまう。本来なら一族総出でも止めるべきよ。王族がいなくなることは私達魔人族にとってとんでもない痛手だから。ましてやリオ様は“太陽”の名を背負ってる。リオ様がいなくなることは、太陽が、光が無くなることと一緒。……でもグラスは、私達は、そのリオ様の可能性を生み出す力に、リオ様自身の可能性に賭けた。諦めていた限りなく零に近い望みを、リオ様なら掴み取れるかもしれないから」


 そしてプエレルアは、誰も語らない、知る者も僅かな王家の願いを口にした。遠い昔、親友であり、初恋だった人が諦めていた願いを。





「天の咢の向こう側にある、私達の本当の故郷を奪った、魔人族の宿敵。“天人族”を滅ぼして、真の平和を手にすること。それが、代々続く族長達の悲願なのよ」




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