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 翌日の午後、道場で一人寒中稽古を終え、水分補給をしようと食堂に行くと、厨房で山本が夕食の仕込みをしていた。



「あけましておめでとう。新年から稽古か。貴様は本当に真面目だなあ」



 見事な包丁さばきで、生魚をさばきながら、彼は清々しい笑顔を見せた。

 手元を後ろから覗き込むと、桜色の艶々とした鱗が眩しい高級魚が、粗末なまな板の上に鎮座していた。



「鯛か? よく手に入ったな」



「静岡の漁港で手に入れた。今朝水揚げしたばかりだから新鮮だぞ」



「静岡?」



 山本の故郷は会津だと前に聞いた気がしたが。古の武士のような顔立ちにぴったりだと妙に納得したが、偽の経歴だったのだろうか。

 明智が首を傾げているのに気づいた志士顔の男は、軽い口振りで補足をした。



「会津の実家は元旦に出て、静岡には恋人の墓参りに行ったんだ。長旅で尻がまだ痛い」



「……そうか」



 何と返して良いか分からず、神妙な面持ちで頷くしかなかった。だが、本人はゲラゲラと笑いながら、空いている左手で豪快に明智の背を叩いた。



「そんな暗い顔するな! 正月から辛気臭いな。尻は痛いが、久し振りに彼女に挨拶できたし、飯は美味かったし、気候も暖かくて最高だった」



 最愛の恋人という存在がどれほどのものなのか、明智は未だ知らない。故に、山本がどんな心境で、死んだ恋人の墓前を訪れたのか、全く想像がつかなかった。しかし、分からないなりに、早々簡単に、山本が負った傷が癒えるものではないと思っている。こうして今、楽しそうに話しているのも、無理をしているように感じられ、困惑した。



「いっぱい色んなことを話したぞ。貴様のことも勿論話した。真面目すぎて、スパイのくせに女の扱いがド下手だと言ったら、『あなただって、最初は酷かったわよ』と言われた気がした」



 水晶のように透き通った肉を、器用に一口大に切り分け、大皿に盛り始める。黙々と手を動かしつつ、無番地一の料理上手は、話題を変えた。



「明智、貴様はこれからどうする? 俺は残ることに決めたよ。当麻さんを信頼しているのもあるが、当麻さんや先代の所長が目指している世界は、実はあいつが夢見た世界でもあるんだ。守ってやれなかった罪滅ぼしなんて、いくら何をしても到底無理だろうけど、それでも所長に救われたこの命が果てるまで、俺はあいつと一緒にこれからも夢を追いたい」



 相変わらず山本の精悍な眼差しの奥には、静かな悲しみが横たわっていた。けれども、死んだ恋人と共に生きると語る横顔は希望に満ちていた。

 偉大な所長が失踪し、残された半人前の新所長を支えながら歩む道は、決して楽なものではないだろうに、何故か先の話をする時、同期たちは皆一様にきらきらと目を輝かせて語る。困難な道だとは百も承知だが、それでも尚、周囲に望みを抱かせる何かを、当麻旭は持っているのだろう。



「俺も残るよ。残って、当麻さんを支える1番の副官になりたい。彼女の思想や夢は、理想主義的だが賛同できる。夢見がちな大将を悲観主義的な俺が補佐する。存外うまく均衡が取れるのではないかと自負しているのだが。副官役なら、佐々木の下で10年近くやってきたしな」



「そうか。お互い頑張ろうな」



 また、『芯がない』と苦言を呈されるのではと、危惧したが、山本は柔和な笑みを湛え、相槌を打っただけだった。

 言わないだけで、内心はそう感じているのではないかと不安になり、真意を問うた。



「貴様には、俺はまだ自分の頭で考えない、自分の行く先を他人任せにする馬鹿者に見えるか? そう思っているなら、はっきり教えてくれ」



 すると、同期最年長の男は調理の手を止め、こちらに向き直って断言した。



「いいや、そんな風になんて見えていないさ」



「でも、当麻さんを支えたいとか、彼女と共に夢を叶えたいって、究極、彼女ありきの決断にならないか? 佐々木が当麻さんに変わっただけなのではないかと、密かに気にしているのだが」



 食い下がる年下の同期を、山本は苦笑まじりに諭した。



「考え過ぎだ。別に俺は誰かと一緒に何かをしたいと願う気持ち自体は否定していないぞ。物事を判断する時に、その誰かの考えに寄りかかり、思考停止するなという意味で言っただけだ。本当に貴様は生真面目だな。大した思想もなく、佐々木の2番手でいたいという想いだけで、何となくスパイをしていた以前の貴様と、1番の副官になりたいと話す貴様、はっきり言って全然違うぞ。どうせ正月中もずっと仏頂面で悩んでいたのだろう? ちゃんと、自分で考えているじゃないか。それにもう、貴様は自分一人で1番を目指す気概を持っている。たった2月ちょっとでよく成長したよ」



 えらいえらいと生臭い手で頭を撫でられそうになり、慌てて避けた。いい奴だし、頼りになる男だが、どうも人との距離の取り方が自分とは違う。

 前職時代の職業病なのかもしれないが、こいつは、相手の心にある垣根をいとも簡単に飛び越えてくる。そんな性質だから、帝都に暮らすありとあらゆる人々に、今なお愛されているのだろう。



「何だよ、避けるなよ。昔可愛がっていた後輩は、こういう時、喜んで甘んじてくれたぜ」



「俺とその後輩は違う。それに、魚臭い手で髪に触られるのは勘弁だ」



 冷たく拒絶すると、知事と呼ばれる男は、不服そうに眉を顰め自分の右手の臭いを嗅いだ。

 そして、あっけらかんと宣う。



「臭いな、確かに。よく洗おう」



「そうしてくれ」



 山本が手を洗っている横で、コップに水差しから水を注ぎ、喉を潤す。

 頭を撫でられるのは遠慮するが、山本に認められたのは素直に嬉しかった。弟に殴られてまでして、年末年始必死に考えた甲斐があったものだ。



「そういえば、明智。貴様誰に殴られたんだ? 顔」



 思い出したかのように聞かれた。腫れは昨日より大分良くなったが、まだ明智の左頬には痛々しい絆創膏が貼り付けられている。

 どうした、ではなく、最初から殴られてできた怪我と見抜いた上の質問をしてくるのはさすがだ。嘘を吐いても見破られるに違いないので、真実を供述した。



「一番上の弟にな。正月の挨拶をしにきた親戚連中の前でぼんやりしていたら、『長男のくせに、その態度はない』と怒られ、そこから口喧嘩になって、最終的に殴られた。素人だと思って、手加減したらこの様だ」



「弟も貴様と同じで血の気が多いんだな」



「これでも、昔よりは大分お互い丸くなったんだ。奴は医学生なのだが、一応責任は感じたみたいで、手当てはしてくれたし、薬も持たせてくれた」



 山本は、親御さんも大変だねえ、とジジ臭い感想を溢して笑った。




 水を飲み干し、食堂から出て行こうとしたところで、呼び止められた。

 カウンターの中から、激励の言葉を掛けられる。



「頑張れよ。貴様は貴様の道を貫け」



「そっちこそ。帝都中に人脈を持っている貴様には、今まで以上に働いて貰わなきゃならん」



 返事の代わりに、山本は姿勢を正し、挙手注目の敬礼をした。

 目を丸くする明智に向け、にたりと口角を持ち上げてみせる。



「本当は私服の時は、こっちの敬礼じゃないのだけどな。前に貴様がやった猿真似があまりに酷かったから特別だ。これが手本だ。よく見ておけ」



 成る程。本物は指先一本一本に至るまで、高潔な正義感が貫き通されているようで、独特の清廉な美しさがあった。

 職は辞したが、未だこの男の中には、熱い正義と真実を求めひた走る猟犬の魂が、確かに息づいている。そう実感させられる完璧な敬礼だった。



「こうか?」



 早速明智も彼の真似をしてみたが、けんもほろろにこき下ろされた。



「全然違う! 何を見たんだ、貴様は」

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