10

「突っ込めねえ。奴らしいな。楽しけりゃ何でもいいのかね、あいつは」



 松田からのメッセージを聞いた近藤は苦笑いを溢した。



「全く。本当に後先考えない、大馬鹿者だ」



 今回ばかりは、近藤の意見に全面同意だった。松田はこの状況すら、楽しんでいるようだ。まあ、テロリストに追い詰められ、顔面蒼白になり命乞いをしている彼なんて見たくないので、不謹慎であることには、目を瞑ろう。



「近藤。作戦変更だ。前照灯を点灯させ、スピードを上げてくれ、出来る限り」



「了解」



 明智の指示に、近藤は前照灯を灯し、制御装置を緩める。暗闇だった辺りが前照灯の黄色い光に照らされ、トンネルの灰色の壁についた染みまでが見えるようになった。のろのろと徐行していた電車はみるみるうちに加速し、線路の上を滑るように進み出す。



「作戦変更って何?! まさか、あんたたち……」



 大きく揺れる車内で転ばぬよう、運転盤の端に掴まりながら、女スパイが怒鳴った。前方に見えて来た煌々と灯りが灯ったレモンイエローの電車を見据え、明智と近藤はほぼ同時に宣言した。



「突っ込む」



 猛スピードで迫ってくる後続電車に気づき、前方の松田たちの乗る車両も、慌てて走り出した。だが、明智たちの乗る電車のスピードは最高速度にまで追い上げて来ている。



「突っ込むとか馬鹿なの? 危険よ!」



 外苑前駅を2台の電車は猛スピードで通り過ぎた。目の前で何が起きているのか理解できずに棒立ちになっている制服警官たちの姿は、あっという間に見えなくなった。



 先行電車と着実に距離が縮まり、既に車掌室の中の様子が目視できる程まで接近していた。あちらの車掌室で、散弾銃らしき銃を持ったテロリストらしき男が窓を開け、銃口をこちらに向けた。



「伏せろ!」



 明智の号令に、3人とも一斉に頭を抱え、運転盤の影に身を隠した。零コンマの差で、数発の銃声とフロント部分のガラスが割れる音が鼓膜を激しく震わせた。小さなガラスの破片が頭上から降り注ぐ。運転盤の影に隠れたまま見上げると、前方のガラスは粉々に砕け、殆ど消失していた。

 先行電車の車掌室では、散弾を発砲した男が実包を詰め替えているようだった。あまり銃の扱いに慣れていないようで、手間取っている。

 明智は立ち上がり、弾込めに気を取られている男を狙い、女スパイから借りた麻酔銃の引き金を引いた。

 何となく心許ない深緑の銃口から、短いダーツのような矢が飛び出し、男の右胸辺りに刺さると、彼は2、3歩、千鳥足でよろけてから、床に倒れこんだ。麻酔が効いたのだろう。



「さすが。貴様、そういや射撃は得意だったなあ」



 いつの間にか、体に着いたガラス片を払い終えた近藤は何食わぬ顔で運転席に戻り、ヒュウと口笛まで吹いていた。



「まあな。一人制圧。敵は残り二人。近藤、頼んだぞ」



「よし、突っ込むぞ! お姉さんは危ないからそのまま床に伏せて、吹っ飛ばされないようにしとくんだな」



「え?! ちょっと!! 本気なの?! きゃああああっ!」



 指示された通り、床に体を伏せたままの女スパイが悲鳴を上げた時には、すぐ目の前に、先行電車の車掌室があった。


 車掌室の中では、学生服姿の松田が連結用の貫通扉を開け放ち、待ち構えている。彼は、先程明智が麻酔銃で眠らせた男から奪ったと思しき散弾銃片手に、こちらに向けて満面の笑顔で手を振っていた。

 その狂った笑顔に戦慄するも、明智は運転盤に片足をかけながら、来たる衝撃に備えた。



「どかーん」



 近藤が間の抜けた擬音を発した直後、明智たちを乗せた電車は先行電車に追突した。一瞬全ての明かりが消え、四方が暗闇に包まれる。鋼鉄で出来た車体同士がぶつかる轟音と衝撃で窓ガラスが割れる耳をつんざくような騒音。悲鳴。土ぼこり。火花。

 それらが狭く暗いトンネルの中に響き渡り、無数の不協和音がいっぺんに入り乱れた。

 この世の終末を思わせる騒乱の後、先行電車の運転手が決死の思いで掛けたブレーキが漸く機能して停止し、続いて後続電車も停車した。これが地上を走る電車だったら、間違いなく脱線・転覆していたような大事故だった。

 もっとも、明智も近藤も、これは地下鉄だからこそ、近藤という名運転手がいたからこそ、松田から『突っ込め』と指示があったからこそ、敢えて選択した大胆不敵な作戦であり、全て想定内だと胸を張れる。


 照明が復活した瞬間、明智は一気に運転盤によじ登り、かつて窓があった穴から、味方なら大変心強い悪魔の待つ先行電車に飛び移った。


 何とか危なげなく、車掌室の床に着地した彼に、松田は普段通り容赦ない言葉を浴びせた。



「やり過ぎ。本当に突っ込む馬鹿いる?」



「松田後ろ!」



 追突のどさくさから何とか復活したテロリストの一人が、客室から学生服の背中に向けて銃口を構えていた。さすがの松田も散弾銃で撃たれたら、命に関わるはず。明智は絶叫した。



「え〜?」



 しかし、おっとりした仕草で松田が振り返った時には、銃を構えたテロリストはガラスの破片が飛び散った床に伏していた。



 見ると、額から血を流してオールバックの外務省の男スパイが肩で息をしながらも、明智と同じ麻酔銃をテロリストに向けて構えていた。彼がすんでのところで、テロリストの発砲を止めてくれたのだ。



「助けてくださりありがとうございます。さて、残るは一人……」



 長椅子型の椅子に背を預け、震えている最後の一人に向かって、松田は軽やかな足取りで近づいて行く。散弾銃を小脇に抱え、バキバキと両手の骨を鳴らしながら。



「た、助けてくれ……。俺は違うんだ。こいつらとは」



 一人無事だったテロリストは、倒れている二人の仲間を指差し、上擦った声で弁明した。けれども、悪魔はろくに耳を傾けようとしない。冷たく、でもどこか楽しげに相槌を打つだけで、学生用の革靴を履いた足の歩みは止まらない。



「そうですね。彼らは賊に襲われても勇敢に戦ったけど、あなたはそこで震えていただけですものね」



「そうじゃなくて……」



「そうじゃなくて?」



 男の前までたどり着いた松田は、首を傾げたが、急に興醒めした顔つきになった。楽しみにしてしながら開封したプレゼントが期待外れだったことを悟った瞬間の子供を彷彿する、無邪気だが露骨で、見ている者の心まで凍てつかせる変化だった。そして、しっちゃかめっちゃかに破壊された車内を見渡し、冷淡な口調で言った。



「みなさん、ベルトを貸して下さい。クズ3人を拘束するので」



 明智も、改めて車内の様子を観察してみる。車掌室と客室とを繋ぐドアの前に転がっているテロリスト、散弾銃を投げ出し、客室中央で大の字になっていびきを立てているテロリスト、松田に怯え、産まれたての子馬のように腰が抜けてしまっているテロリスト、額の傷をハンカチで止血している外務省のスパイ、胸に布製の肩がけ鞄を抱き、丸く埋まっている雑誌記者鳴海眞五郎、運転室で生気が抜けた顔で呆けている運転手と車掌、そして、散弾銃片手に君臨する童顔の暴君。

 正に地獄絵図だった。



「笠原さんっ!」



 女の涙まじりの叫びに振り返った矢先、明智は水色ワンピースに突き飛ばされた。後ろの車両から女スパイが飛び移って来たのだ。ハイヒールでよくここまで来れたと感心する。



「あかり!」



 彼女の声に、ズボンのベルトを外していたオールバックの男が応える。冷徹そうな理知的な白皙が笑みで綻ぶ。抜き取ったベルトを松田に向かって投げると、彼は女スパイめがけて駆け出していた。



 瓦礫がれきの散らばる通路で、二人は人目も憚らず熱い抱擁を交わし、唇や舌が絡み合う湿った音が聞こえてきそうなくらいの濃厚な口づけで互いの無事を喜んだ。

 海外駐在勤務が長くなると、感覚も欧米人寄りになってしまうのだろうか。ハリウッド映画さながらの大胆なキスシーンは奥ゆかしい日本男児には目の毒だった。

 明智は途中から正視できずに目を逸らしてしまったが、散弾銃を持った松田は並々ならぬ程の殺気を発し、外務省のスパイ二人を凝視していた。

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