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 明智は駅員と水色ワンピースの女に両側を挟まれ、駅事務室まで連行された。すぐに警察に通報されてしまうのかと、戦々恐々としていたが、彼は部屋の隅にある折り畳み椅子に座らせられた。そして、正面に駅助役と名乗る駅員が座り、事情聴取が始まった。


 ちなみに女の方は、明智のいる辺りとは対角線上に位置する応接セットに案内され、こちらも駅員による事情聴取を受けているようだったが、衝立に阻まれている上に、声を潜めて話し合っているようで、何を話しているかは聞き取れなかった。



「うーん、確かにお兄さんの言い分が本当なら、やっていないよねえ」



 40代後半に見える痩せぎすな助役は、明智の弁解を一通り聞くと、ふさふさとした眉を八の字に寄せ、唸った。



「本当ならではなく、本当なんです! 実はこれから予定があるんです。早く行かないと遅刻してしまう」



「でも、本当だって証明してくれる人、いないでしょう? あっちのお嬢さんは確かにあんたにやられたって言ってるし」



「証明する人がいないのは、あちらも同じでは」



 うーん、と助役は首を捻り、もう一度唸ったが、その大袈裟な仕草程、実のところは真剣に考えているように見えなかった。

 決定的な証拠が出たり、さっさと自白するなりしてくれれば、躊躇せず警察に引き渡せるのに、その種のものはなく、厄介だと考えているのだろう。

 彼らも客商売を生業としている。痴漢の疑いを掛けられている客を、最初から犯人だと決めつけ、糾弾した後に、無実が判明すれば、企業としての印象が悪くなる。一般市民としての正義感と勤め人としての損得勘定の狭間で葛藤しているに違いない。



「あんた、身元引受け人になってくれる人いる? 親とか会社の上司とか」



 数十秒考え込んだ後、助役はこう問いかけてきた。



 所長や旭の顔が頭に浮かんだが、任務中にわいせつ犯の疑いを掛けられ、迎えに来て貰うなんて恥ずかしすぎて死にそうだ。旭なんかが申し訳なさそうに、ペコペコ頭を下げながら現れた暁には、羞恥の余り焼け死んでしまう。



「実家は遠方ですし、会社の人には知られたくないのですが……」



 明智の返答に、助役は溜息を吐く。ここで誰かの名前を言えば、丸く収まるのに、何を今更保身に走り、渋っているのだ、面倒くさいと思っているのがありありと伝わって来た。



「そうなると、警察に来て貰うしかなくなるよ。私らじゃ、お兄さんが本当にやったのか捜査するなんてできないしね。それでもいいの?」



 良い訳ない。一刻も早く任務に戻りたいのに、警察に連れて行かれては大幅な時間のロスになる。おまけに持ち物検査でもされたら、最高にまずい。鞄や背広の上着にはありとあらゆる諜報道具が隠されている。それを警官に見つけられでもしたら、ただの痴漢男では済まされなくなる。管轄が生活安全課から特高課に移され、何も知らない刑事たちにより、鳴海ではなく明智自身が敵国のスパイ容疑で取調べを受ける羽目になってしまう。



「……困ります。私は本当に痴漢なんてしていません。どうして信じてくれないのですか?」



「そう言われたってねえ、被害者がそうだって言ってるし……」



 哀れっぽい泣き落とし作戦に転じるしかないと決意した時だった。衝立の向こうで、女に事情を聞いていた駅員が姿を現した。後ろには、帽子を脱いで両手で持ち、俯き加減でしょげかえった表情の女を連れていた。



「助役、その人は無実です。今さっき、彼女が勘違いだったと認めました」



「え? 勘違い? あんなに騒いでいたのに?」



 部下の報告を聞き、助役は露骨に顔をしかめ、女を睨みつけた。

 女は先刻までの威勢は何処へやら、泣き出しそうな顔で、助役と明智に対し謝罪した。



「申し訳ありません。私の思い違いでした。何とお詫びして良いやら……。本当にごめんなさい」



 勘弁してくれよ、と助役が小さく呟いたのが聞こえた。その発言に彼女はさらに萎縮する。



「あの、犯人扱いしてしまい、恥ずかしい思いをさせたりご迷惑をお掛けして、申し訳ありませんでした」



 思いもがけない急展開に困惑している明智に、女は深々と頭を下げて詫びた。居心地の悪さを紛らわすように、手にした帽子についた花飾りを親指と人差し指とで弄っている。



「いえ、分かっていただけたなら構いません」



 これ以上、ここで彼女を責めることはできない。明智は淡々と謝罪に応じた。2人のやり取りを見ていた助役が、仕切り直しとばかりに大きな声を出して宣言した。



「じゃあ、この件は勘違いでしたってことで処理してしまいますね。お二人とも、もうお帰りいただいて構いませんよ」



 何度も頭を下げながら、女は事務室から出て行った。

 自分も事務室から退出しようとした明智に、助役が耳打ちした。



「お兄さんも災難だったね。いや、俺は最初からお兄さんじゃないだろうって思ってたのよ」



 よくもまあ、恥ずかしげもなくこんなことが言えたものだ。嫌味の一つでも言ってやりたかったが、こいつの相手をしている時間はない。




 一礼して事務室を出ると、煌々と電灯の灯る地下道を見渡し、水色のワンピースの背中を探す。

 ハイヒールを鳴らし、堂々と胸を張って闊歩する目当ての背中を、ホームに降りる階段に続く通路で見つけた途端、走って追いかける。


 まだ全容は朧げにしか見えないが、鳴海の一件は当初考えていた以上に、複雑な案件になりそうだという予感と、困難な任務を前に奮い立つ諜報員としての本能に、明智の心臓は高鳴っていた。



「ちょっと待て。話がある」



 追いついてワンピースの肩に手を置くと、女は、機敏な動作で振り返った。

 振り返った時には、既に一分の隙もなく化粧を施した顔に、肉食獣に追い詰められた哀れな小動物のようなあからさまな怯えの色が浮かべていた。



「な、何ですか? 間違いだったって謝ったじゃないですか。まさかお金?」



 震える手で、ハンドバッグから財布を取り出そうとする彼女を、明智は冷めた目で見下ろし、冷徹に言い放った。



「お金じゃありません。まずは、その帽子についたカメラを壊すなり、撮影した写真のフィルムを渡して貰うなりして貰いましょうか、外務省の女スパイさん」

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