8

「よく食うな。明智は酢昆布が好きだったのか」



 怒りに任せ、半ばやけくそになり、酢昆布をむしゃむしゃと食べている明智に、微笑ましいものでも見るように目を細め、山本は呑気に話しかけてきた。


 住宅街の一角にある小さな無人の神社の石段に腰掛け、2人は買ったばかりの駄菓子を食べていた。


 別に好きじゃない。鼻の奥にツンとくる人工的な酸味も、どろどろと口の中に残り、歯の裏に張り付く昆布の欠片も、全然好みではない。

 無視をして、食べ終わった酢昆布の箱を分解し、折り畳み、菓子類を出した空の紙袋に力任せに突っ込んだ。

 紙袋はガサガサと大きな音を立て、明智の苛つきを如実に表していた。

 のほほんとしていた山本も、不穏な空気を感じ取り、神妙な顔をした。



「まだ怒ってるのか? 足りなかったなら、俺のもやるが。晩飯を奢ってやっても良いぞ」



「詫びなんて要らないから、俺は貴様に可及的速やかに、任務完遂に戻り、意味のある調査をして欲しい。さっきも言ったし、貴様も感じ入っていたのではなかったのか? やっと、調査に戻れるのかと思ったら、今度は駄菓子屋で買い物。馬鹿にするのもいい加減にしろ」



 馬鹿になんかしてないのだが、と太くしっかりとした眉が困ったように下がる。



「じゃあ聞くが、貴様はあの駄菓子屋で、今回の任務に関する情報や手掛かりを何かひとつでも手に入れたか? 入れてないだろう?」



「ああ。買い物しただけだからな。しかし明智。あそこに行くまでの間の街並みにおかしな点はないかとか、怪しい人影がないかとかは、歩きながら調べていた。暫く留守にしていたとはいえ、この辺の地理に俺は明るい」



「後付けの言い訳は聞きたくない」



 ピシャリと吐き捨てると、山本は聞き分けの悪い子供の相手にほとほと疲れた教師のような、何となく上から目線の混じった困り顔をした。その表情は、明智のバカ高い自尊心を傷つけた。



「ろくな情報も持っていないのが殆どの市民に、片っ端から話を聞いたり、どうせ何も見つからないであろう場所の床板を剥がしたり、土を掘り返し、地面に這いつくばっての繰り返し。最初から、あの浮浪者の情報屋のところに行けば済んでいたものを、ぐるぐる遠回りだ。これを無意味と呼ばずに何と呼ぶ」



 かなり頭に血が上ってしまったため、明智は舌鋒鋭く山本のやり方を全否定した。勿論、自尊心を傷つけられた腹いせも多分にあったが、実際、彼は山本の捜査手法を、無駄の多い愚かなやり方だと見下していた。



 棘だらけの批判を投げつけられ、山本の顔から表情が消えた。けれども、痛いところを突かれて、呆然自失しているような面持ちではなかった。

 単に、自分の考えが理解されない状況に飽き飽きし、虚しくなった。そんな感情の現れに見えた。



「捜査の基本は現場百遍。必要ならば、地べたに這いつくばり、ドブをさらう。靴底を擦り減らし五感を研ぎ澄まし、どんな僅かな綻びも見落とすな。安易な思い込みで大事な証拠を逃す程、愚かなことはない」



 経でも唱えるが如く、抑揚のない声で山本は語った。



「例え手足がもげようと、泥だらけの血塗れになろうと、前進し、真実を掴み取れ。俺はそう教えられて、実践してここまで来た。一応、自分のやり方には自信がある。無駄足に付き合わされて、腹が立っているのだろうがな。でも、捜査とか調査というものは、往々にして石炭の山からダイヤモンドを探すようなものだ。莫大な量の石炭を精査し続け、たったひとつのダイヤモンドを見つけ出す。貴様は面倒がり、嫌がっているようだが、俺たちの仕事でも必要不可欠な作業だぞ。それが嫌なのに、何でこんな仕事を選んだ? そして続けている」



 強靭な意志を秘めた瞳に真正面から眼光鋭く見据えられ、明智は怯んだ。論点をずらすなと議論を打ち切ったり、適当な嘘や誤魔化しを言ったところで、あの瞳は許しはしないだろう。追い詰める方とられる方、立場が逆転しかけている状態に焦りを感じた。



「……それを今聞くか? まあ、せっかく聞かれたから答えてやろう。俺は、任務で困難に直面した時の緊張感や、乗り越える度に味わえる達成感が堪らなく快感なのだ。それに所長は、誰よりも俺たちひとりひとりの実力を正確に把握し、適正な評価をくれる。こんな恵まれた職場、早々ない」



 内心の動揺を隠し、薄笑いすら浮かべ、高慢な態度で自分が諜報員をしている理由を述べた。ここまで話せば、反駁されるようなことはないだろうと自信を持っていた。

 しかし、山本は明智の返答を一蹴した。



「それは貴様ではなく、他の誰かの受け売りだろう? 佐々木か、松田か。否、満島あたりが一番言いそうだな。あいつは、自尊心が強い割に、自分の生き死にに無頓著なところがあるから。明智、貴様は違うはずだ。貴様はもっとまともな、普通の人間だろう?」



「なっ……。何で貴様にそんなことを言われなくてはならない。俺は本当にそう思っているから……」



 いいや、違う、と強く否定された。



「自分で分かっていないようだから、教えてやろう。貴様は単に、佐々木のすぐ後ろを走りたいだけだろう? ずば抜けた才覚を持つ、何をしても1番の太陽のような存在の友人に置いていかれたくない。けれども、どう頑張っても、追い越したり、肩を並べることはできないから、せめて常に2番を死守したい。それだけじゃないか?」



 頭を鋼鉄で殴られたような衝撃が走り、胃の腑がすうっと冷たくなった。

 食べたばかりの駄菓子や昼に無理をして押し込めたライスカレーが鳩尾から逆流してくる感覚に、吐き気と寒気が込み上げてくるのに、背中や髪の生え際からは粘度の高い汗が滲んできた。


 目眩がする。


 自分では考えてもみなかったことを、逆に言えば、考えるまでもなく、当たり前になってしまっていたことを、山本は的確に指摘していた。


 佐々木が1番なら、自分は2番でいたい。


 一高に入学し、どう努力しても勝てない存在を目の当たりにした10代後半の頃から、ずっと願ってきたことだった。


 それの何が悪いと反論する程、明智も馬鹿ではない。



「貴様は確かに佐々木には敵わないが優秀だ。だが、どうも自分の芯のようなものがあやふやだと、側から見て感じていた。その様子だと、図星だったみたいだな」



 落ち着き払った態度で、山本は続けた。



「他人の俺がどうこう言うのは御節介だと重々承知だが、老婆心として敢えて言っておく。自分の道を決める理由に他人を利用するな。貴様は貴様の頭でしっかり考えて行動しろ。流されるな。そうしないと、大事な物を失う」



 先刻、中学生の少年に言っていた台詞を繰り返し、山本は一息吐いた。そして、幾分表情を和らげ、「きついことを言って悪かった」と謝ってきた。


 未だ持ち直せずにいる明智に苦笑いをすると、彼は唐突に『昔話』を始めた。



「昔々、あるところに、臆病で愚かな男がいた。そいつは愚かなりに頑張って、子供の頃からの夢だった仕事に就き、厳しくも優しい上司とかわいい後輩、暖かい街の人たちに見守られて、愚かだったが、そこそこ出世もした。美しく聡明で、芯が強く、優しい、そいつには勿体無い恋人もできた。何もかもが上手くいって、今の幸せがずっと続くどころか、これからもっと幸せになるものだと、男は信じて疑わなかった。愚かだろう? そのうち、男は仕事で自分の正義や倫理観にそぐわぬことを命令されるようになったが、『命令だから』とか『こういう時代だから』と自分に言い訳し、言われた通りにやっていた。それでも、自分の半径数十メートルの小さな幸せは守れていたからな。だが、見たくないものから目を逸らし、聞きたくないものに耳を塞ぎ、考えたくないことは考えずにいた男は、ある日大きなしっぺ返しを食らう。まあ、具体的には割愛するが、男はその結果、否、生来の臆病さや愚かさのせいで、自分の命より大事に思っていた恋人を守れなかった。そして、彼は初めて己の愚かさや臆病さが罪だったと気づいたのだが、あとの祭りさ。生ける屍になった男は、真冬の大都会の路上で、一人寂しくのたれ死んだとさ」



 馬鹿な話だろう、と笑いかけられたが、笑えなかった。悲しげな笑いに頬を歪め、山本は言葉を繋いだ。



「昔話というのは、往々にして、教訓染みた含蓄を含んでいる。貴様も、精々この男のようにならないよう、いつも目を開き、耳をそばだて、考えることを放棄せず、自分の道は自分でしっかり考えて決めろということだな。俺が言いたいのは。長い上に、最初の俺のやり方の是非とは、大分話がずれてしまった。おまけにちと説教臭い。すまん、すまん」



「……」



 何も口にすべき言葉が見当たらなかった。石段の上で膝を抱え、うずくまりたかった。



「お? 明智、貴様くじ当たってるぞ! 交換に行こう!」



 ゴミを纏めていた山本に明るく快活な声で誘われたが、無駄足云々以前に、気乗りしなかった。



「いい。どうせ賞品なんて、子供騙しのガラクタだろう。要らない」



 いじけた子供のように、そっぽを向いて断ったが、引き下がらない。明智の腕を掴み、無理に立たせようと引っ張る。



「そんなこと言うなよ。陰鬱な顔をしてないで、もっと楽しく生きろよな」



 陰鬱な顔になるような話をしてきたのはどこのどいつだ。誰のせいで、こんな沈んだ気持ちになっていると思っている。自分だけすっきりした面をしやがって。



「そういや、さっきの駄菓子屋の婆さんからは事情聴取をしたのか? していないように見えたが。婆さんから話を聞くなら、もう一度行ってやってもいいぞ」



 せめてもの抵抗で、条件を掲げると、山本は笑顔を引っ込め、声を低めた。



「聞いていない。あの婆さん、ちょっとボケてるから。ああやって、店番して、ちょっとした商売をするくらいは、体に染み付いているから問題ないみたいだけどな。最近街をうろつく怪しい奴とか『新宿の姫』とか聞いてみても、混乱させるだけ。妄想混じりの支離滅裂な話しか聞けないさ。ボケてさえいなければ、一日中店の奥に座って、往来を眺めているし、もう何十年も決められた時間通りに店を開け閉めし、便所や飯も計ったみたいに正確に時間通りに動くから、かなり有益な情報が得られそうなものなんだが……」



 ふと、知事と呼ばれる男が静止した。雷にでも打たれたかのように目を見開き、口をぱくぱくと開閉する。自分の発言に何か閃いたかのようだった。



 そして、閃いたのは明智も同じだった。



「駄菓子屋にもう一度行こう」



 立ち上がり、出発を促すと、山本は心底悔しそうに呟いた。



「姫は姫でも、石長比売イワナガビメか。同じ場所に居座り、街を見守る不老長生の女神。不老はともかく、ぴったりじゃないか」

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