3

「まずは当麻さん」



「はいっ?」



「先程も申しましたが、あなたが手付かずの菓子折りを、最後に見た時間を教えて貰えませんか? 確か、無残な姿になっているのを見つけたのは、今日の午前中でしたっけ。何時くらいになりかすか? 大体の記憶で構いませんから」



 佐々木は、ごく自然に松田から探偵役を奪い、旭に問いかけた。

 主役の座を取り上げられたにも関わらず、松田は一言も苦情を口にしなかった。

 何に関しても自分中心でないと気が済まない松田も、佐々木の圧倒的なカリスマ性には敵わないと自覚しているようだった。彼が佐々木を敵に回すより、その威光にあやかった方が得だと考えている節を、明智は日頃から感じていた。



「えっと、昨日の夕飯を食べ終わった時、昨日の夜7時半くらいには、まだ夕方置いたままの状態でした。確か。で、朝ご飯の時は、今日は寝坊をしてしまい、慌ててご飯をかきこんで、すぐに出勤してしまったので、お菓子がどうなっていたかは分かりません……。ゴミ箱に捨てられた空箱を見つけたのは、10時くらいです。その時間にお客様との約束があって、時間通りにいらしたので」



 無番地の王者に話しかけられた旭は、妙に硬い声で質問に答えた。

 4月の大失態を気にしているのか、或いは偉大すぎる部下を持て余しているのか、彼女は佐々木を畏怖しているきらいがあった。佐々木も佐々木で、頼りない上司に積極的に親交を深めようとすることもなければ、あんな女が上司なんてやってられないと愚痴をこぼすこともなく、淡々と自分のペースを貫いていた。

 2人の間に横たわる微妙な溝は埋まることなく、7月も半ばとなっていた。



「となると、犯行が行われたのは、昨日の7時半から今日の朝10時までの間ですか。結構広いですね」



「すみません、朝食の時にもちゃんと見ておけば良かったのですが……」



「……昼10時にゴミ箱の中に空箱を見つけたということですが、ゴミ箱は今も同じ状態になっていますか? どんな状態だか見てみたいのですが」



 佐々木の提案に、明智の背中を冷や汗が伝った。千里眼を疑う程、洞察力が優れている上に、付き合いが長く明智の性格を熟知している佐々木なら、几帳面に畳んだ箱や包み紙が念入りに押し込まれたゴミ箱を見れば、誰がやったか見破るなんて朝飯前だ。

 さらに、広瀬に指紋鑑定をさせようなどとなったら、いよいよ危機的状況に陥る。


 まずい。まずすぎる。何とかして思い留まらせなければ。しかし、どうやって止める。不自然な言い訳をすれば、その時点で佐々木はおろか全員から犯人認定されてしまう。



 だが、明智の窮地は、未熟だとあなどっている女上司によって救われた。



「……言いにくいのですが、まさかこんな大ごとになるなんて思わなかったので、焼却炉に捨てちゃいました。代わりに出した羊羹の空き箱とかもあって、ゴミ箱がいっぱいになってしまったので」



 旭に救われるのは二度目だった。助けられたくない相手に助けられるのは複雑だが、一応胸の中だけで感謝の念を表明しておく。すれすれで首が繋がり、ほっと一息つきたかったが、そんな素振りを見せたら最後、松田あたりに目敏く見つけられると厄介なので、無表情を装う。


 旭の返答に佐々木は微かに眉根を寄せ、陶器のように滑らかな眉間に皺が浮かび、すぐに消えた。その一瞬の表情変化にも、気の毒な女上司は震え上がっていた。



「それならば仕方ないですね。では、全員に昨日の夜から今朝10時までの行動を聞かせて貰いましょうか。じゃあ、松田から」



 佐々木は、何事もなかったかのように仕切り直すと、尋問の矛先を先代の探偵役に振った。これには、長い物には巻かれろの松田も不満げに頬を膨らませた。



「ちょっと、何で僕まで容疑者に入っているんですか。僕はお饅頭を1個も食べられなくて、腹いせにこの会議を始めた張本人ですよ」



 やっぱり、単なる嫌がらせだったのか、わがままな子供そのものだ。けれども、彼の抗議を佐々木は顔色一つ変えずにかわした。



「それは松田、あくまで貴様の言い分だろう? 探偵役程疑われない人物はいないからな。犯人探しを先導することにより、自分への疑いの目を外らせられる」



「確かにそうだけど……。だったら佐々木さんも同じですよね。僕から探偵役を引き継いだのだから」



「無論そうさ。だから、僕も自分の行動を報告する。何なら先にしようか?」



 正々堂々、逃げも隠れもしない王者の風格に松田もそれ以上、反駁できなかった。そして、それは容疑者候補の残り6人も同様で、何故か被害者の当麻旭まで、昨晩から今朝10時までの自分の行動を順に申告することになった。



「僕は7時半に夕食を食べた後は、寝室で30分程読書をし、1時間弱くらい風呂に入って、9時頃、食堂で飲み水を貰って帰り、寝室にいた広瀬とチェスをして遊んでいるうちに眠くなったので、大体深夜12時くらいには布団に入ってすぐに寝付いた。広瀬は僕が布団に入っても、暫く雑用をしていたようだけど、寝てしまったので、その後は分からないなあ。朝は7時に起きてから出勤まで、ずっと、便所以外は松田と一緒にいたし、出勤してから10時までの間に寮には戻っていない。饅頭の箱は夜はあったけど、そういや朝にはなくなっていた。以上、こんな感じで松田も、ね?」



 手本にしろとばかりに、佐々木は先頭を切って詳細な行動報告をした。次いだ松田も彼に習って、細かく昨晩から今朝にかけての自身の行動を語った。



「僕も夕飯は佐々木さんと同じで、7時半に食べ終わりました。その後は寝室に一瞬だけ寄って、図書室から借りていた本を取ると、このビルの図書室に向かいました。図書室では明智さんが勉強していたので、面白いのでちょっかいを出して遊んでいたのですが、9時前には飽きて寝室に帰りました。それからお風呂に入って、食堂で水差しに入れる水を貰って帰ったのが9時半過ぎ。その時、食堂には近藤さんと山本さんがいました。二人が饅頭を食べている様子はなかったです。寝室に帰ると、佐々木さんと広瀬さんがチェスをしていたので、見物していましたが、段々つまらなくなったので、11時頃には布団に入って寝てしまいました。朝は明智さんがうるさくて5時半に目が覚めてしまい、腹が立ったので、明智さんの通勤鞄の中に集めておいた蝉の抜け殻を入れ、7時の起床時間まで二度寝です。後は佐々木さんの話した通りですね。僕も出勤してからは、昼ごはんまで寮には戻っていません」



 咄嗟とっさに明智は、机の下に入れていた鞄を慌ててひっくり返した。が、中身を出し、逆さにしても何も出てこない。

 その様子を松田が無表情に見下ろしていたので睨み付けると、彼はにたりと笑って言った。



「嘘ですよ、バーカ」



 実にむかっ腹の立つ男だ。摑みかかろうと立ち上がりかけた肩を、近藤に押さえられ、座らせられる。



「落ち着け。貴様の朝の日課が迷惑なのは、全員の総意だ。これくらい許してやってくれ」



 全く納得がいかなかったが、明智は渋々、従った。


 その後、判明したのは、近藤と山本は、深夜12時過ぎまで食堂で飲んでいたが、菓子には手をつけず、解散後、近藤は風呂へ直行、山本は麦茶作りと朝食の下拵えをしてから風呂に入り、共に深夜1時頃に眠りについたこと。

 翌朝、山本は朝6時40分頃に食堂で朝食の準備を始めたが、菓子折りは見当たらなかったこと。朝食後は、起床時間に起きてきた近藤と広瀬と共に片付けをし、出勤したこと。

 広瀬は夕食後すぐに風呂に入り、暫く寝室で新聞を読んでいたが、佐々木とチェス対決をした後は、佐々木や近藤、山本が話した通りであること。

 小泉と満島は、勤務終了時間の5時半を過ぎたと同時に、夜の街に繰り出し、寮に帰宅したのは、深夜2時頃。食堂で水を飲んでから、風呂には入らず、眠ってしまい、朝食後に慌てて朝風呂を浴びてから出勤したことであった。


 明智も、饅頭を食べたこと以外の事実は正直に話した。



「誰でも犯行可能な時間があったということですね」



 全員の証言を聞き終えた佐々木は、物憂げにため息をついた。



「あまりやりたくなかったのですが、念のため、寮にある各自専用のゴミ箱の中も調べてみますか。饅頭をその場で食べずに持ち帰り、寝室で食べた人もいるかも知れませんし」



 自分で言い出したものの、明らかに彼は各自の持ち物へのガサについては、消極的でありたいように受け取れた。こういうところが、ナンバーワンの余裕なのだ。松田だったら、嬉々としてゴミ漁りに行くに違いない。



「ねえねえ、今思い出したんだけどいい?」



 不意に小泉が挙手した。



「どうぞ」


 促されると、彼は嫌味なまでに純白の歯を輝かせ、新たな推理を披露した。



「そういや明け方、便所行った時に、俺、藤吉ふじよしに会ったんだ。何か忘れ物取りに来たみたいでさ。あいつ、今日から暫くカイロだろ? 長い船旅の共に饅頭持ってっちゃったんじゃないの?」



 9人目の容疑者出現に、執務室内は俄かに騒ついた。

 藤吉とは、二期生の諜報員で、旭とは訓練施設で机を並べた同期にあたる男だ。訓練施設を卒業すると、通常1年は修行期間とも言うべく、主に国内外の潜入任務に専従するため、二期生が寮や皇国共済組合基金ビルに顔を出すことは滅多にない。



「なるほど、藤吉か。カイロじゃ饅頭なんて食えないし、あり得るな」



「あいつ甘いもの好きだし」



「藤吉ってことにしておけば、丸く収まるよな」



「餞別って思えば、諦めがつきますね」



 小泉の推理は、一番誰も傷つかない着地点として、多数の支持を得た。真実かなんてどうでもいいのだ。解決さえすれば、和平さえ成立すれば、冤罪だろうが、スケープゴートだろうが何でも使ってやるというのが、無番地の諜報員たちの考え方だ。


 しかし、折角の妥協案に異を唱えた者がいた。



「ちょっと待ってください! 藤吉君はそんなことする子じゃありません! 皆さん、いない人に罪をなすりつけるなんて、酷過ぎます!」



 鬱陶しい程、素直で純真で、真っ直ぐな旭は、必死に哀れな同期を庇った。



「でも、藤吉ってことにしておいた方が、みんな心穏やかに過ごせますよ」



 正義感の強過ぎる女上司を松田が言い包めようとした時だった。



 今まで、殆ど発言をしなかった山本が、おもむろに立ち上がった。彼はズボンのポケットから財布を出し、中から数枚の札を取り出し、旭に差し出した。



「これで足りますか? もう自分が食べたってことでいいです」



 背が高く、見事な逆三角形の体型をし、侍のような古風で凛々しい顔立ちに、どこか憂いを秘めた雰囲気が魅了的な無番地最年長の男の、大人の余裕たっぷりの申し出に、室内は水を打ったように静かになった。

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