17

 翌朝、明智の運転する乗用車の後部座席には、セーラー服姿の範子と父親の桐原光太郎憲兵大佐が並んで収まっていた。

 二人は一言も話さず、各々窓の外を眺めていたが、そっくりな形のつり気味の丸い目は、共に赤みを帯び腫れぼったかった。

 目つきだけでなく、強情そうに引き結んだ唇、時折、うんざりした顔つきでため息をつく様子は、似通っており、確かな血の繋がりを感じさせられた。



 昨晩、明智は範子に付き添い、彼女が父親に犯した罪の一部始終を白状し、頭を下げ、現在陥っている窮地を説明するのを見届けた。

 範子は涙を流しながら全てを告白し、大佐はじっと岩のように押し黙り、娘の拙い謝罪に耳を傾けていた。

 だが、明智が同席していたのはそこまでだ。その後は、無言でそっと中座したため、親子の間にどんなやりとりがあったか、具体的には覚知していない。

 けれども、こうして二人が並んで送迎車に乗り、女学校に向かっていること、互いにそっぽを向いているが、大佐の大きく逞しい左手が隣り合って座る娘の右手を包み込むように握りしめ、範子もそれに甘んじていることなどから、もう他人がお節介を焼く必要がないのは明白であった。




 父子の話し合いは深夜まで及んだにも関わらず、早朝、範子が起床する前に、明智は大佐の自室に呼び出され、任務終了を言い渡された。



「依頼しておいて申し訳ないが、正直、地方人のスパイなんかに務まるのか、最初は不安だったんだ。親の私ですら、あの子をどう扱えば良いのか分からなかったからね。他人である上、独身の若い男にできる訳ないとさえ思った。けど、あの時は藁にもすがりたい一心で、皇国共済組合基金の所長に会ったんだ」



 寝不足の目を瞬かせ、大佐は気恥ずかしそうに本音を白状した。「そう思われるのが普通です」と返すと、彼は苦笑した。



「私は、憲兵大佐としての体面と一人の父親としての情の狭間で、にっちもさっちも行かなくなっていた。そのくせ君らに対し半信半疑だった私に、所長は自信満々に豪語したんだ。『そういうのに一番向いている男を遣わすので、大船に乗ったつもりでいろ』と」



 むしろ一番向いていない男を派遣したくせに、よくもまあいけしゃあしゃあと大ボラを吹けるものだ。明智は皮肉っぽい笑みを浮かべた。しかし、大佐は彼とは異なった見解を持っていた。



「君のお仲間がどんな連中か私はよく知らないが、今は所長が自信を持って君を送り込んできた理由がよく解る。君以外では、あり得なかったとさえ感じている」



「それは買い被り過ぎです。他の連中でもこれくらいのことはできますし、ひょっとしたらもっと上手く立ち回れていたかもしれません。あまり認めたくはないですがね」



 謙遜というよりは、客観的な事実として述べたつもりだったが、大佐の意見はまたしても明智とは異なったようで、鬼の桐原と恐れられる男は穏やかに破顔した。



「自信過剰でいけ好かない奴らだと聞いていたが、君は慎み深いな」



 そして、心中複雑な明智に深々と頭を下げ、「ありがとう」と噛み締めるように礼を告げた。




 女学校に到着し、車を降りると、範子はきりりとした表情で前を見据え、他の女生徒たちに混ざり、煉瓦造りのモダンな門を潜った。一歩後ろに大佐が続く。


 同じ陸軍に所属する大佐とはともかく、範子と会うことはもうないだろう。気高さすら感じさせる確かな足取りで進んで行く、セーラー服の後ろ姿を明智は目に焼き付けた。

 これが運転手兼執事明智湖太郎の最後の仕事であることは、範子には伝えていない。放課後、明智の代わりに顔なじみの憲兵が迎えに来たのを見て、彼女はどんな反応をするのか。かわいそうにも思えたが、仕方がない。

 彼女には自分のことなんて、さっさと忘れ、将来は父親の部下でも兄の友人でも、まともな仕事の男と結ばれ、幸せになって欲しい。さよならも言わずに消えた不実な執事として、嫌悪感と共に忘れられるのが明智の望みだった。



 親子が来客用の玄関へと消えていったので、車を桐原邸に返しに行こうと運転席に乗り込もうとした矢先、彼は背中に突き刺すような視線を感じ、ドアに掛けた手を止める。


 ドアミラーに映る、紺色のスカートから伸びる小枝のように細い足の持ち主は憎悪、否剥き出しの殺意を明智の背中にぶつけていた。

 視界には入らないが、きっと彼女の愛らしい顔は、妻の間男を睨みつける旦那の如き、鬼の形相をしているに違いない。



「私はもう二度と範子様の前に姿を現しません。だから、私なんぞを殺して更に罪を重ねるような馬鹿な真似は止しなさい」



 振り返らず、ドアミラーの中の彼女に語りかけると、低く押し殺した声が返ってきた。



「偉そうに説教するな。お前みたいな男、私、大嫌い。死んじゃえばいいのに」



 全く酷い嫌われようだった。でも、彼女の中では、自分は親友を誘惑し、寝取った悪漢なので当然だった。



「放っておいたって、いつかは死にます。私もあなたも。あなたがすべきなのは、大嫌いな男をぶち殺すことではなく、大好きな友達と、素直な気持ちをぶつけ合うことではないですか? 最も、それで元の関係に戻れるかは、私の知るところではありませんが」



 鏡に映る足は踏ん張るように立ち、わなわなと怒りに震えていた。彼女は不自然に取り澄ました調子で、啖呵を切った。



「お前なんかに言われなくったって、それくらい分かってる。馬鹿にすんな!」



 言うや否や、小さな体はドアミラーに映る景色からフレームアウトし、鉄砲玉の如き勢いで、のろのろと睦み合いながら登校する女学生たちをかき分け、昇降口の方へ駆け抜けて行った。



 小型台風のような娘が去った後、彼女が立っていた場所を振り返ると、夏の太陽を反射し、攻撃的な光を放つ千枚通しが落ちていた。

 明智は深く嘆息し、物騒な獲物を回収してから、改めて車に乗り込んだ。

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