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「俺は……残りたいと思っている」



「そうか。小泉たちや近藤も松田も残ると言っていたし、取り敢えず一安心だな。問題は、当麻さんのことを知らない訓練生や海外赴任組か」



 佐々木はベストの胸ポケットからたばことマッチを取り出すと、火を灯し、美味そうに一服した。浮かない顔をしている明智の出方を伺っているようにも見えた。



 年末最後の勤務日、旭が例の宿題を出した直後、松田は挙手し、「僕は残ります」と宣言した。

 困惑し、正月休みの間、熟考してから答えを出して欲しいと頼む新所長に、彼は正面切って拒否の意志を主張した。



「僕はわがままで自分勝手で、世界で一番、自分がかわいいクソ野郎です。友達なんて一人もいません。仕方のないことなんです。僕にはわがままを言っても許される実力がありますし、本当に世界一かわいいのだから。でも、僻み根性だらけの世間は、僕のわがままや自己本位的な言動を許してくれない。好き勝手やらせてくれるのは、実家と無番地の皆さんくらいだ。だから、僕には他の組織や全然違う職場に移る選択肢はありません。辞めて実家で高等遊民も悪くないとも思ったのですが、このご時世です。あっという間に赤紙が来てしまう。無能な威張り腐った軍人の下で働かされ、死ぬなんて悪夢です。その点、ここにいれば一応、身分としては陸軍の特別職として、兵役と同様に扱われる。ね? 正月休み費やして悩むようなことでもないでしょう? 僕はお正月は楽しく過ごしたいので、面倒な宿題は先に提出しちゃいますね」



 にっこりと愛らしい笑顔で、だが威圧感たっぷりに笑いかける悪魔に、旭もそれ以上何も言えなくなってしまった。


 続いて、近藤も「俺も考えるまでもなく残留だ。ここにいれば、でかいことができるし、宴会で脱いでも叱られない」と意志表明をし、その日は解散となったのだった。



「なあ、佐々木」



「ん?」



 天井を仰ぎ、細長い紫煙を吐き出している親友を呼び掛けた。

 彼にこの話をするべきなのか、今この瞬間も分からない。話せばきっと、親身になって考えてくれるだろうし、適切な助言もくれる。

 しかし、それを鵜呑みにしてしまっては、自分は何ら変われない。


 悩むだけ悩んで、結局、2番手のまま、厳しい言い方をすれば佐々木の腰巾着のままで終わってしまう。

 よって、前置きをしてから話すことにした。



「俺は一高に入学し、貴様に出会い、初めてどう頑張っても勝てない人間がこの世にいるということを知り、結構な衝撃を受けた。けど、同時に貴様と友人となって、貴様の圧倒的な能力や、1番であっても鼻にかけない謙虚さ、井の中の蛙だった田舎者の俺に付き合ってくれる優しさに触れ、勝てなくてもいいと思うようになっていた。追いつけないけど、せめて2番手として、貴様の一番の友人として、すぐ後ろを走れればそれでいいと思っていたんだ。しかし、それじゃ駄目だって、最近、ある男に指摘されて気づいた」



 夕日に照らされた山本の深い悲しみを閉じ込めた瞳が脳裏に過ぎった。

 知らず知らずのうちに思考停止し、流されて生きていた昔の彼を、具体的にどんな事件が襲ったのかは知らない。

 でも、その事件のせいで、彼は恋人も職を失い、未来を閉ざされたのだ。一度は死ぬ寸前の状態だったようだから、余程酷い目に遭ったのだろう。

 だからこそ、明智には同じ轍を踏まないよう、経験者として厳しい言葉で忠告してくれた。

 今思えば、所長は明智の主体性にやや欠ける部分を見抜き、それを自覚させるため、山本の補佐を命じたのではないかと推測している。



「だから、今回は貴様の助言はいらない。聞いたらきっと、俺はまた流されてしまうから。ただ、今、俺が考えていることを聞いてもらうだけでいい」



「……何だか色々、僕としては反論したいことだらけなんだけど、いいよ」



 彫刻のように整った顔に真顔で見つめられると緊張したが、考えないようにし、自身の想いを吐露した。



「俺は当麻さんのやり方や考え方に賛同するし、ここに残り、彼女を支えたいと思っている。でもそれは、貴様の次でいたいと考えていた頃から、何ら進歩していない気がしてならないのだ。貴様が当麻さんに変わっただけで、結局、俺は自分の決断をするにあたり、理由を他人に求めているのではないかと思えて仕方がないのだ」



 そう、と佐々木は素っ気ない相槌を打った。それで終わりか、と声を上げたくなり、飲み込む。助言はいらないと頼んだのは、他ならぬ自分だ。単に彼は依頼を忠実に守ってくれているに過ぎない。

 短くなったたばこを灰皿に押し付け、親友は口を開いた。



「何か大層な悩みだね、としか僕には言えない。助言を禁じられている以上、何も言うことはないよ」



「すまない、無理を言って」



「別にいいよ。まあ、これは貴様の事実誤認に対する反論として聞いて欲しいのだけど、僕は貴様が考えているような立派な人間じゃないさ。僕にも知らないことやできないことは沢山あるし、自慢をしないのは単なる世渡りの手段だ。貴様と友人になったのだって、田舎から出てきた訛りが酷く、制服の着こなしは最悪、おまけに謙虚さのかけらもない、変な同級生が面白かったからだ。珍種の生き物みたいで、毎日側にいるだけで、勝手に面白いことをしてくれるから飽きなかった」



 そんな風に思われていたのか。昔のこととはいえ、傷ついたし、羞恥のあまり、身を焼かれる想いだった。上京当時の自分が客観的に見れば、恥ずかしい男だったのは分かっていたが、改めて言葉にして指摘されると、堪えた。



 下を向き、顔を紅潮させている明智を見下ろし、佐々木は言葉を繋いだ。



「でも、一方で僕はずっと貴様が羨ましかった」



「俺が?」



「ああ。ど田舎のでかい家で、ちょっとお節介で騒々しい家族に、愛情を注がれ大事に育てられた坊ちゃんで、生真面目で融通が効かず、計算なんてしないで、真っ直ぐに自分の思った通りに全力投球で生きている貴様が眩しかった。変な奴だと思っていたのに、人として好きになってしまった。僕もあんな風に生きれたらいいのにと思ったし、今でもたまにそう思う。僕は貴様と対等な友人でありたい。だから、貴様に異質な人間みたいな捉え方をされるのは、結構傷つく」



 口の端だけで、微かに笑った旧友の寂しげな表情にはっと息を飲んだ。



「佐々木……何だか申し訳ない」



「いいよ、別に。つまり僕は貴様が思うような完璧な人間ではない。間違えもするし、松田ほど酷くないが、自分勝手だと分かってくれればそれで構わない。貴様の悩みは十分分かったよ。助言はしない。だけど、わがままは言わせて貰う」



 茶目っ気たっぷりに、片目を瞑り、彼は言った。



「ここに残って、当麻さんを支えてやって欲しい。貴様の事情なんて僕は知ったこっちゃない。悩みたいだけ悩め。実はまだ、正式には決まっていないのだけど、僕は年明けから少し仕事を減らして貰うことで話がついている」



「仕事を減らす?」



 佐々木は残留し、無番地で働き続けると今さっき語っていた。なのに、仕事を減らすとはどういうことだ。

 頭の中に疑問符が氾濫する。



「父上からせしめたお年玉を軍資金に、これからちょくちょく、失踪したハゲおやじの捜索に出掛けようと思っているんだ。連れ戻すつもりはないが、あれでも歴戦のスパイだ。繋がりを持っていて損はない。拠点は帝都に置くけど、外に出ている時間の方が長くなる。当麻さんの面倒まで見ている余裕はない。だから、貴様には当麻新所長の1番の副官になって欲しいんだ」



「1番の副官……」



「これはあくまで僕のわがままだ。そうする必要も義務も貴様にはない。好きに悩んで、好きに決めてくれ」



 そう素っ気ない口振りで締めると、佐々木は立ち上がり、寝室を出て行った。


 残された明智は、暫し呆然としていたが、やがて笑いが込み上げてきて、我慢できずに吹き出してしまった。


 やっぱり、佐々木にはどう頑張っても勝てない。


 何枚も上手だ。


 助言はしないと言いながら、ちゃっかり自分の主張を述べていたし、意識していないと、またしても、彼の言うことを鵜呑みにしそうな自分がいる。


 でも、負けたくない。


 10年近く前に封印した闘争心が、じわじわと体の奥底から蘇ってきていた。



 言われなくたって、なってやる。1番の副官に。



 常に自分が1番になってしまう佐々木より、ずっと2番手に甘んじていた自分の方が向いているに違いない。

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