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「はい、出来たよ。鑑定結果も貴様のにらんだ通りのものだった。全く、同じ雑誌探すの大変だったんだからね。どの古本屋に行っても、あの号だけ品切れでさ。結局、定価の3倍の値段で買わされた。まあ、探したのは近藤だけど。後で金は返してくれよな」



「ありがとう。別に構わないが、経費で落ちるだろ?」



「さあ? うちの台所事情は相当厳しいからね」



 明智の乗る乗用車の車体に寄りかかり、広瀬は後ろ手で窓から、書類入りの茶封筒を差し入れた。今日は真夏さながらの快晴で、2人の額にも薄っすらと汗の粒が浮いている。


 明智は、渡された封筒を開封し、中身を確認する。

 うん、上出来だ。

 これなら、奴を揺さぶる証拠としては十分だろう。


 書類の中から、範子の部屋で撮影した写真だけを取り出し、予め準備しておいたメモ用紙と共に、これまた自前の封筒にしまい、広瀬に手渡した。



「ついでにもう一仕事頼む。この封筒を、ある生徒の下駄箱にこっそり入れて来て欲しいんだ」



「まだあるの? 本当人使いが荒いなあ」



「期限の30日までに、今日を入れて登校日はあと3日しかない。礼はちゃんとする」



 切迫した事情を説明し頭を下げると、彼は渋々了承してくれた。

 件の生徒の名を確認し、渡された封筒を白衣のポケットに押し込める。



「終わったら、すき焼き奢れよ。近藤たちや当麻さん誘って行くから、貴様は金だけ出せば、それでいいから」



「貴様らと一緒なんて、折角の肉が不味くなる。構わないさ」



「ふんっ、強がっちゃって。本当は当麻さんのこと好きなんだろう?態度でバレバレなんだよ」



 仕事中であるのも忘れ、かあっと頭に血が上った。

 声を荒げるのだけは、何とか我慢できたものの、顔が真っ赤に染まってしまったのを自覚し、腹の中でどす黒い怒りがグツグツと湧き立った。



「そんな訳あるか。あんなおぼこ臭い女好かん。今度言ったら、殺すぞ」



「はいはい。まあ、期限まであと少し。正真正銘のおぼこのお守り、頑張ってね」



 おざなりな返事で、その場を濁すと、広瀬は窓から腕を差し入れ、紅潮した明智の頬にひんやりと冷たい何かを押し当てた。



「?」



 突然のことに、目を丸くする明智に、彼はツンと澄まして告げた。



「これ差し入れ。こんな暑い日に車の中で張り込みとか、堪えるだろう」



 受け取って見れば、紙箱に入ったアイスクリームだった。



「わざわざ買って来てくれたのか? 高かっただろう?」



 予想もしなかった同僚の気遣いに感激していると、根っからの科学者である同僚は、いたずらっぽく微笑んだ。



「いや、暇だったから実験室で作ってみた。だから、市販のものより大分安いし気にしないで。箱は前に買った奴の空き箱だしね。はい、これスプーン」



 広瀬のお手製と聞き、俄かに不安になる。



「……これ、食べても大丈夫か? 自白剤とか下剤とか入っていないよな?」



「そんなもん入れる訳ないだろ。失礼だな。じゃ、僕は次の授業があるから行くよ」



 広瀬が去った後も、明智は暫くアイスクリームには手をつけられずにいたが、うだるような暑さに根負けし、乳白色の氷菓子を恐る恐る口に入れてみた。

 途端、口の中にひんやりとした食感と濃厚なバニラと牛乳の風味が広がる。


 普通に美味しかった。

 疑って悪かったと、理科準備室の方角に向けて手を合わせた。




 その夜も、明智は就寝前の30分ほどの時間を、範子の話し相手として過ごした。

 14歳の少女の話なんて、学校での出来事か家族の話くらいなもので、その両方とも興味を持っている風を装って聞くには、忍耐のいる代物だった。

 だが、出会った当初は一貫してツンケンした態度を取っていた彼女が、子供らしく笑ったり、悲しそうな表情を見せたり、時に明智に甘えるような素振りまで見せるようになったことには、達成感を得られていた。



 現段階で、範子の周囲に、誘拐事件を企む不穏因子が現れることはなく、行動範囲を限られ、私服憲兵と明智が常に監視している以外には、彼女は平穏な女学生生活を続けている。

 けれども、明日には彼女の周辺で何かしらの動きがあるはずだ。

 そこから一気に畳み掛け、事件を解決してしまおうというのが明智の目論見であった。


 明日の夜には、ちょっとした修羅場が待っているかもしれないと考えながら、範子のおしゃべりを適当にいなしていると、不意に彼女がじっと探るような目でこちらを見つめているのに気づいた。



「どうかされました?」



 穴が空くくらい顔を見つめられ、さすがに気まずく感じ、奇妙な行動の理由を問うと、彼女は真っ直ぐな澄んだ瞳で尋ねてきた。



「ねえ、明智って童貞?」



 突然繰り出された不意打ちに、明智は口に含んでいた紅茶を危うく吹き出しそうになり、必死で飲み込んだものの、激しく咳き込んでしまった。



「な……何でそんなことを……」



 動揺し、咳き込みながら苦しげに質問の意図を聞く彼に対し、範子は平然と答えた。



「ううん、別に大した意味はないのだけど、護衛についてくれているお父様の部下の人達がそう言ってたから。『あいつ偉そうだけど、絶対童貞だよな。そんな匂いがする』って」



「左様ですか。でも、それは嫁入り前の娘さんが発するにはあまりに下品な質問です。もう二度と、そんなことを口にしてはいけませんよ」



 憲兵達には、桐原大佐を通じて文句をつけたいが、悪口の詳細を話すのは恥ずかしい。どうにも身動きが取れない状況に腹わたが煮え繰り返った。



「そうなの? ごめんなさい、もう聞かないわね。で、結局、どうなの?」



 ツンとした澄まし顔で、ませた少女は質問を繰り返してきたが、明智は不愉快な気持ちを敢えて前面に出し、拒否した。



「その件につきましては、黙秘します」



 断固たる拒絶の意思表示に範子も諦めたようで、それ以上追及されることはなかった。

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