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 ぬいの手伝いをすると言い、範子は明智を子供部屋に残し、一階キッチンへと降りていった。



 パタパタと軽快な足音が階下に遠ざかり、キッチンと廊下を隔てる引き戸の開閉音がするのを耳を澄まして待った。

 ピシャッという戸を閉める音を合図に、明智は先刻目星をつけていた本棚の一角を物色し始める。

 乱雑に突っ込まれた十数冊の雑誌は、女学生向けの少女雑誌がほとんどであったが、彼はそれらには見向きもせず、数冊ある映画雑誌を手に取り、ページを捲っていった。


 映画雑誌は少女雑誌と違い、毎号買っている訳ではないようで、号数は不規則に欠けていた。

 多分、贔屓ひいきの俳優の特集が組まれている号だけ、購入しているのだろう。



 階下にいる女性陣の動向に注意を払いながらも、次々に映画雑誌を手に取っては捲りを繰り返し、そろそろ範子が帰って来てしまうので、一度調査は中断し、原状回復作業に移行しようかと思い始めた頃だった。


 輪転機の如くページを捲っていた手が止まった。



 見つけた。



 目視しても分からないくらい微かに、明智は頬を緩ませた。

 喜びに浸る間も無く、上着の裾をたくし上げ、ベルトのバックルに仕込んだカメラで、今しがた発見したものや、『それ』があった映画雑誌の表紙と目次を撮影すると、何食わぬ顔で片付けに取り掛かった。




 範子が紅茶とバームクーヘンの乗った盆を両手で持ち、一歩一歩慎重にそぞろ歩きで階段を登ってきた時には、彼は従順な執事らしく、部屋の中央に敷いた絨毯の隅に正座していた。


 危なっかしい足取りでお嬢様が帰ってきたと察知するや否や、子供部屋のドアを開け、さっと彼女が重そうに持つ盆を上から取り上げた。


 一瞬の出来事に呆気に取られている彼女に、「ありがとうございます。ここからは自分がお持ちいたします」と告げ、優雅に微笑む余裕すらあった。


 明智の後ろに従い、自室に入った範子は、品のある紳士そのものの執事が、ついさっきまで家捜しをしていたなんて夢想だにしないであろうし、漁った本棚は、散らかり具合も含め、完璧に復元したので、気づかれるはずもなかった。



「お父様の部下の方が下さったバームクーヘンがあったの。カビてしまう前に食べてしまいましょう」



 座卓の前に座り、茶菓子を並べ終えると、範子は目を伏せたまま早口で言った。


 宿題を助けて貰い、朝方からの酷い態度を反省してはいるようだったが、謝罪はしたくないと意地になっているのが手に取るように分かる。



「ご馳走になります」



 座ったまま一礼し、明智は切り株型の菓子に早速手をつけた。



「もうカビているかも知れないから、ご馳走とか気にしないで」



 彼が一口目を咀嚼し、飲み込んだ後になってから、範子は平然とそうのたまった。

 食べる前に言えと怒りたくなるが我慢する。

 幸い、バームクーヘンは、さほどまだ痛んではいなかった。



「……少し湿気っぽいですけど、まだ平気です」



 ほら、と明智が自分の分の焼き菓子をフォークで切り、断面を見せ、初めて範子はバームクーヘンを口にした。


 まんまと毒味役をやらされてしまい、何だか釈然としない。

 自分の方が優位に立っているはずなのに、どうしてこうなるのか。




「お嬢様は映画がお好きなんですか? 失礼ですが、本棚に映画雑誌が並んでいるのに気づきまして」



 不平を隠し、気を取り直して尋ねると、彼女は目を逸らしたまま、無愛想に答えた。



「そうでもないわ。あれはお兄様の趣味の影響。お兄様が帰って来た時に、お話が合うように読んでいるだけよ」




 桐原家には、範子以外にもう一人子供がいる。


 範子より5歳年上の潤一郎じゅんいちろうという名の青年だが、現在は父親の跡を継ぐべく、陸軍士官学校の寮で生活している。


 写真で見た限り、妹以上に負けん気の強そうな鋭い目つきの青年だった。


 頭は切れそうだが、チャラついた娯楽には興味がなく、生真面目な軍人の卵といった人相の彼が、映画観賞が趣味だったとは初耳だ。

 単に身上書に書いていないだけかも知れないが、不在を良いことに、妹の照れ隠しの方便に使われている可能性も否定できない。



「そうなのですか。実は、私も大の映画好きなんです。あの……もし宜しければ、少し雑誌を見せて貰えませんか? 売り切れになってしまって、手に入らなかった号を見つけてしまいまして……」



 映画好きなんてもちろん大嘘だ。

 だが、それを見破られない程度には演技できる自信があったし、その上で、鋭敏な観察眼を保つことも、難しくはない。

 事実、若干不躾な申し出に、範子がはっと息を呑むのを明智は見逃さなかった。


 彼女はフォークでバームクーヘンのかけらを弄びながら、暫し考えるそぶりを見せ、やがて乾いた声で構わないと言った。


 まあ、そう言うしかないだろう。



「ありがとうございます。えっと『映画生活』の5月号なのですが、上原謙うえはらけん特集があったせいか、どこの本屋に行ってもなくて。いいですか? ああ、嬉しいなあ。古本屋も見ているのですが、中々見当たらなくて」



 買い逃した雑誌を思わぬ縁で読めることになり、興奮が抑えられぬ映画フアンの青年を演じる明智の前に、範子は本棚から引っ張り出した『映画生活』5月号を無造作に置いた。



「好きに見ていいけど、この部屋からは持ち出さないで。本が男臭くなったら嫌だから」



 次元の低い憎まれ口を聞き流し、初読を装い、時折手を止めて、記事に読み耽ったり、女優の写真に溜息を漏らしたり、細かい演技をしつつ、明智は着々と任務の核心へと駒を進めていた。



 雑誌の真ん中辺りまで、流し読みをするふりでたどり着くと、彼は徐に横目で手元を覗き込んでくる範子に話しかけた。



「お嬢様はもしかして佐野周二さのしゅうじがお好きなのですか? このページ、彼のインタビューが出ていた部分ですよね」



 ページごと破られた跡のある雑誌を見せた瞬間、彼女の顔が青ざめた。



「べ、別に私はそうでもないわ。佐野周二が好きなのはせっちゃん。うちに遊びに来た時に、欲しがっていたから、そのページだけあげたの」



「左様ですか。お優しいですね。因みにお嬢様は、誰が好きなんですか?」



 納得した風を装いつつ、意地悪な質問をした。

 他の収集してあるバックナンバーからして、上原謙であろうことは、一目瞭然だったが、わざととぼけたのだ。

 毒味の件の意趣返しだ。



 範子は、そわそわした様子で、「だから興味がないと言っているじゃない」と返したが、語気は大分弱々しかった。

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