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 明智と外務省の女スパイを乗せたタクシーが、赤坂見附駅近くの外堀通り沿いに到着した時には、既に地下鉄駅に降りる階段の前に近藤が待機していた。


 たばこを吹かしながら、通りを往来する車や人々を注視していた彼は、明智の姿を見つけると、気安く片手を上げたが、後ろについてくる水色ワンピースに気づくと、眉を険しく寄せた。



「誰だ? その女。まさか貴様……。嘘だろ? 信じられねえ。貴様なんかに、そんなモダンな別嬪さんの相手が務まるはずがない」



「そんな訳あるか。この非常時にふざけるな。彼女は外務省の、まあ、同業者だ。彼女のお仲間も松田や鳴海と同じ電車に乗っている可能性が高いので、助けたいのだと。俺は女なんて足手まといにしかならんから、置いて行きたいのだが」



「ふーん」



 近藤は一重瞼をさらに細め、明智と女を交互に見比べていたが、信じられないくらいに軽い調子で言った。



「良いんじゃないか? 別に連れて行っても。お姉さん、俺は眼鏡の同僚だ。まあ好きに呼んでくれ。同業者ってことは、自分の身を自分で守るくらいはできるんだろう?」



 近藤の問いに、女は力強く首肯した。



「勿論よ。今日はインテリの通勤客やお金持ちの奥様に紛れる必要があったから、こんな服装だけど、むしろ普段の私は戦闘要員よ。この朴念仁を変態呼ばわりしたのだって、こいつが的の側に張り付いて、あの人の仕事の邪魔になりそうだったから」



「へえ、頼もしいね。うちにもこういう女傑がいるといいなあ。当麻は現場向きじゃないし。で、これからどうするのか? わざわざ俺を指名したってことで、大体予想はついてるけど」



 女を同行させること前提で話を進めようとする近藤に、明智は必死で異議を唱えた。



「待て。こいつは外部の人間だぞ。それに腕に覚えがあるか知らんが、所詮女だ。連れて行って、取り返しのつかないことになったら、どうするつもりだ」



 けれども、豪快で些末な事象は気に留めない彼は、心底不思議そうな表情で明智を見返し、反論した。



「今回うちも外務も、元からなすべきことは同じであり、俺たちも彼女も、テロリストに囚われた仲間や乗客を救出したいと思っているんだろう? だったら、何で協力しないんだ? 兵隊は多いに越したことはないはずだぜ」



 そうよ、そうよ、と横から女が同調する。加えて調子良く近藤の背広を着ていても、筋骨隆々なのが分かる逞しい二の腕に触れる。



「あなた、童貞眼鏡と同じ組織の人とは思えない程、柔軟ね。頼りにしてるわ」



「どうも。全部片付いたら、一杯どう?」



「上が良いって言えばね。良い店探しといて頂戴。眼鏡は連れてこなくて良いけど、あなたみたいな、いい男のお仲間なら大歓迎だから」



「了解。そっちも、かわいい事務員の姉ちゃん頼むよ」



 緊張感皆無で意気投合している二人に、明智は激しくむかっ腹が立った。が、怒りを飲み込み、冷徹に告げる。



「早く行くぞ。時間がない。近藤、貴様には今回大役を担って貰う。礼は盛大にするつもりだが、部外者抜きが絶対条件だからな」



 肩で風を切り、階段を下って行ると、追ってきた近藤が耳元で囁いた。



「礼なら現金で構わん。広瀬とか山本連れて、彼女と飲みに行くから。貴様と二人きりなんて、息がつまる」



「こっちこそ、貴様のようなガサツでいい加減な男は願い下げだ。むさ苦しい」



 今回だって、できるならこの男に応援を頼むのは避けたかったのだ。同期だが、正反対の性格をしている近藤とはどうも馬が合わない。

 正直言って、この種のお調子者は苦手だ。酒宴の席で、笑いを取るために平気でふんどし姿になって、珍妙な踊りを披露したり、仮にも上司である当麻旭を、大学の後輩だからという理由で呼び捨てにしたりする近藤の所業を、生真面目な明智は受け入れられずにいる。作戦遂行上、電車運転手の技能訓練を受けている彼の協力が必要だったので、私情は排除し、最適な選択をしたまでだ。



 地下まで降り、赤坂見附駅の駅事務室のドアを開けると、御子柴課長から連絡を受けていた駅長が仰々しく敬礼をし、明智たちを出迎えた。



「霧山中尉殿、車両の方は、既にホームに停車させており、いつでも発車可能です。運転手はこちらの本田という者が……」



 駅長は、傍らに立たせた四十代くらいの制服姿の男を掌で指したが、明智は即座に彼の申し出を退けた。



「運転手は必要ありません。危険な仕事になりますので、憲兵隊より電車の運転ができる者を連れて参りました。お気遣いだけありがたく受け取らせて頂きます。それより、人質事件に進展はありましたか? 私が新橋駅で状況を伺った時には、依然犯人は当駅と青山一丁目駅の間で、人質を盾に電車内に立て籠もっているということでしたが」



 事務室の時計を見ると、6時半前を指していた。まだ30分あると見るか、もう30分しかないと見るか、人によって判断が分かれそうだ。明智はどちらかと言うと後者だ。



「はあ。特に何か動きがあったとの情報はありません。政府も交渉には一切応じないようですし」



 大惨事になららければ良いと溢し、駅長は大きく嘆息した。万が一の事態になれば、地下鉄の安全性を問う声やデマが飛び交い、地上を走る省線や路面電車、バスと代替になる交通手段の多い帝都において、地下鉄の利用客の激減は避けられない事態になるだろう。

 そうなれば、運行会社に勤める彼らにとって、明日の生活に関わる切実な問題が浮上する。乗客・乗員の無事を願う一方で、自身の生活や勤務先の今後を懸念する彼を、利己的だと責めることはできない。



「それでは、早速ホームに降りて作戦遂行の準備をいたします。何か動きがありましたら、お手数ですがすぐにご連絡ください」



「中尉殿。何卒、よろしくお願いいたします」



 駅長以下、事務室にいる駅員一同が深々と頭を下げた。敬礼で応え、明智たちは事務室を後にした。

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